米沢を後にして帰る事になった。
山形から宮城に入る道、仙台市から山形市を結ぶ、関山街道。
この県庁所在地どうしが直接隣接しているのは、日本でも3箇所しかないと聞いた事がある?
直接調べたことが無いので、あしからず。
もう一つは、笹谷街道 がある。
昔、歩いて一日で行けるのが、この笹谷峠で、宮城から魚などの海産物を運ぶのに
行商の人は、品物が傷まないように、この道を通ったと聞きます。
つまり最短ルートで出羽国に向かうにはこの道が便利だったのですね。
しかし、峠は厳しく一番大変な街道でもあったようです。標高は906mです。
金になる物を持って通れば、当然山賊も居たようです。
この関の事を人々は、有耶無耶関(うやむやのせき)と言ってました。
今でも、碑が残っています。
何故変な名前なのでしょう
この関の辺りに、山賊が居るとカラスが「ウヤムヤ」と鳴いて旅人に知らせたそうです。
長くなりました・・・
それで帰り道ですが、
私達は、このどちらでもなく七ヶ宿街道を帰ることにしました。
七ヶ宿街道とは、もちろん読んで字のごとく、7つの宿場町があったのです。
出羽米沢と信達地方を結ぶ街道で、現在の国道113号線、上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原の7つの宿場町を経て小坂峠を越え、奥州道中の藤田宿に出た。(現在の福島県伊達郡国見町)
現在は、道なりに行くと宮城県白石市にでます。
七ヶ宿街道は「山中通り小坂越え」と呼ばれ、出羽13大名の参勤交代と江戸幕府御城米の輸送路として機能していた。
今でも、この道を通ると道端の家々には屋号がついてます。
現在は農家だったり、普通の民家だったり、タバコ屋さんだったりしますが、昔は旅籠だったのでしょうね~
滑津宿には、脇本陣 安藤家(非公開)が現存します。
安藤家は、大阪松屋を講元とする、全国規模の浪花講に加盟していたそうです。

安藤家の蔵 車内から撮ったので、収まらなかった。

しばらく行くと、道の下にでっかい草履が・・・
気になって見に行きました。

親子松と書いてあります。 これは・・・?
ハハァ~ 道祖神です。

ほら、真ん中の石、あれに見えるでしょ。
わらじもデカ
山形から宮城に入る道、仙台市から山形市を結ぶ、関山街道。
この県庁所在地どうしが直接隣接しているのは、日本でも3箇所しかないと聞いた事がある?
直接調べたことが無いので、あしからず。
もう一つは、笹谷街道 がある。
昔、歩いて一日で行けるのが、この笹谷峠で、宮城から魚などの海産物を運ぶのに
行商の人は、品物が傷まないように、この道を通ったと聞きます。
つまり最短ルートで出羽国に向かうにはこの道が便利だったのですね。
しかし、峠は厳しく一番大変な街道でもあったようです。標高は906mです。
金になる物を持って通れば、当然山賊も居たようです。
この関の事を人々は、有耶無耶関(うやむやのせき)と言ってました。
今でも、碑が残っています。
何故変な名前なのでしょう

この関の辺りに、山賊が居るとカラスが「ウヤムヤ」と鳴いて旅人に知らせたそうです。
長くなりました・・・

それで帰り道ですが、
私達は、このどちらでもなく七ヶ宿街道を帰ることにしました。
七ヶ宿街道とは、もちろん読んで字のごとく、7つの宿場町があったのです。
出羽米沢と信達地方を結ぶ街道で、現在の国道113号線、上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原の7つの宿場町を経て小坂峠を越え、奥州道中の藤田宿に出た。(現在の福島県伊達郡国見町)
現在は、道なりに行くと宮城県白石市にでます。
七ヶ宿街道は「山中通り小坂越え」と呼ばれ、出羽13大名の参勤交代と江戸幕府御城米の輸送路として機能していた。
今でも、この道を通ると道端の家々には屋号がついてます。
現在は農家だったり、普通の民家だったり、タバコ屋さんだったりしますが、昔は旅籠だったのでしょうね~
滑津宿には、脇本陣 安藤家(非公開)が現存します。
安藤家は、大阪松屋を講元とする、全国規模の浪花講に加盟していたそうです。

安藤家の蔵 車内から撮ったので、収まらなかった。

しばらく行くと、道の下にでっかい草履が・・・
気になって見に行きました。

親子松と書いてあります。 これは・・・?
ハハァ~ 道祖神です。

ほら、真ん中の石、あれに見えるでしょ。



日本一日本酒の消費量が多いとこですね~何町に行きましたか?
今のように医学が発達しているわけでもなく
病に倒れたり、盗賊にあったり、大変だったのかなぁと思います。
反面、大気汚染もなく、自然と共に暮らすのもいいですね。
参勤交代で残したお宝が沢山あるでしょうねぇ。
見てみたいです。
地元の人も宮城県の人も古くから「しちがしゅく」と呼んでいるのですから、私達が正しいのです。アナウンサーが100%じゃないですよ。七ヶ村なら「カ」ですけどね。全く初めて見た地名の原稿を見てそう言ったのでしょう。
ほとんど、県外出身ですからね。
お見舞い申します。
久しく県南には縁が無くなってしまった、私です。宮城県にほんのちょっと接している県に居る為でしょうか。
最近は、昔ながらの家が少なくなっているので立派な家を見ると無くさないで欲しいと思います。でも、維持が大変なのよねえ。
ハッキリわからない七が宿かも…
体調イマイチです。
速いだけがいいわけじゃないですね。
現在に生まれたのは幸せなのか不幸なのか・・・
そんな気分にさせてくれる記事でした。
帰ってきてミモザが留守中に書かれたブログを
全部読ませていただきましたよ。
本当に
もしかして、まだ入院ですか
元気になられ、お勤めに行かれている事を
祈っています
又、これからもどうぞ宜しくお願い
致します
街道をてくてく歩いて
青森で地震
この前から地層が活動期に入ったみたいで心配
その後いかがでしょうか?
七ヶ宿には何度か行きました。
写真の「でっかいわらじ+α」は
気づかなかったです。
ここ七ヶ宿の呼び方ですがNHKでは「しちかしゅく」。
それを聞くと【いずくて】困る私です。
その後、体調はどうですか?
あまり無理しないでくださいよ~
安藤家すてきな佇まいですね♪
中を覗いて見たくなっちゃいます。
非公開なのが残念ですね。
何とも大きな草鞋です。
材木岩って七ヶ宿?
しっかしデカイわらじですね
体調はどうですか
わらじを履いて何日もかけて~
昔の人は歩いたのですね~♪
そんな人間の歩みのテンポ
忘れたくないなぁって思います(^-^)
癒されますね
松もいいし
まんなかのも (^_-)-☆
すぐわき道に入って写真を撮ってきました。
鹿島台にもわらじ村長といって大きなわらじが飾っています。
昔の民間信仰によく大きなわらじが出てくるようです。
道祖神と関係ありそうですね。
昔の人も、同じ思いだったでしょう。
一体どなたが作ったのでしょう??
これは目を引きますね!
いや、負けてます。