
今年も昨年も、塩竃みなと祭りは見に行くことが出来ませんでした。
祭りなどの行事は、必ず祝日や土日ですからね。
国民の多数がそうなのだから仕方がありませんがね。
これじゃ~国が決めたETC見たいなもの、我が家のETCも宝の持ち腐れです。
脱線しましたが、現在の観光桟橋の様子と昔の観光桟橋の様子です。


マリンゲート塩竃

昭和19年頃 御座船の様子

鳳凰丸
現在の御座船・・・東北鎮護・陸奥国一宮、鹽竃神社・志波彦神社の御神輿を乗せて松島湾を巡行します。



龍鵬丸



昭和25年


おまけ・・・・昔、娘は怖がって泣いていました。

こちらは、観光用の船ですが、現在停泊のままです。




祭りなどの行事は、必ず祝日や土日ですからね。
国民の多数がそうなのだから仕方がありませんがね。
これじゃ~国が決めたETC見たいなもの、我が家のETCも宝の持ち腐れです。
脱線しましたが、現在の観光桟橋の様子と昔の観光桟橋の様子です。


マリンゲート塩竃

昭和19年頃 御座船の様子


鳳凰丸
現在の御座船・・・東北鎮護・陸奥国一宮、鹽竃神社・志波彦神社の御神輿を乗せて松島湾を巡行します。



龍鵬丸



昭和25年


おまけ・・・・昔、娘は怖がって泣いていました。

こちらは、観光用の船ですが、現在停泊のままです。




今日、頑張って記事書きました。
後ほどUPします。
いわゆる港駅は、現在の本塩釜駅の場所にありました。
陸前山王から分れて、西塩釜の手前から東園寺の踏切あたりまで仙石線と並行して走っていました。
西塩釜から下馬に行く途中にはつい最近まで、線路が走っていた切通しがのこっていました。
そういうわけで東北本線が北に延びた時、現在の利府から松島まで山の中を走っていたのですね。
勾配やらカーブの急さやらで、現在の路線になったと聞いております(塩釜駅は何年経っても「新駅」ですね)。
港駅の駅舎は明治建築の貴重な遺構。保存できなかったものかと思います。
最近はどこに行っても、駅が同じ表情。
跨線橋を架けてその上に改札口やら出札口やら置いて・・・
何でも、そうすると少ない人手で乗降客の管理がしやすいのだそうですが。
どこに行っても似たりよったりの駅舎。
淋しい限りです。
追伸
西施の由来、確かめました。象潟の欄に投稿します。
助かります。鉄道関係の記事を書いたら、解説頼みます。
丹治さんや酔漢さんも加え3強のコメンターがいるので、そうそうオライのぐずら君も…含め4人ですね。
これからもフォローアップお願いします。
あらら、どこのご子息だべ?
官営鉄道(旧国鉄→JR)創設時は力不足もあり、多くの鉄道ネットワークが民営鉄道で形作られていきました。
西の山陽鉄道(現JR山陽本線)と並んで東の日本鉄道は大きな鉄道会社でした。
現JR東北本線は日本鉄道の手で作られ、東京と塩竈の双方から線路が延ばされていったのです。
もちろん塩竈の港湾施設に鉄道建設資材を陸揚げして、建設していったのですね。
いわば東北地方の鉄道建設の拠点でした。
そんな歴史を持っていた旧塩竈駅舎の廃止式典には、私の父親も出席しました。
実家には記念品の「旧駅舎の絵パネル」があります。
修学旅行以外にも初詣(がんちょうまいり)や、たぶん港祭りにも?、仙台からの臨時列車が旧塩釜駅を往復していました。
わざわざ仙台から乗車し、旧駅舎の改札口を通ったことがありますよ。もちろん客車列車でした。
父親は塩竈の練製品の組合で専務だったかやってました。
塩竈じゅうの蒲鉾屋さんはみな知り合いでした。
おっと私の正体が・・・
気が付きませんでした。
貨物の駅と線路はわかってましたが、駅舎を見たことが無かったので躊躇してました。
次の塩竈の記事は、その古い貨物の駅舎つまり塩竈の中学生の修学旅行の出発の駅を載せるかも。俺たちは新駅だったよね。
真ん中左端に観光船鳳凰丸の後姿が写っていますね。
それと、この写真の下部中央とその右側に写っている電柱は昭和56年に複線高架化完了した仙石線の架線柱でっせ~!
この工事のために本塩釜駅は東北本線(海線)塩釜駅のところに移転しました。
先日ひーさんのアップした昔の稲荷下界隈の写真に写っていた駅のところですよ。
この旧塩釜駅は山線の塩釜駅(新駅)開業以来、貨物の専用駅として使われていましたが
元来が東北線の駅なので修学旅行列車だけは、ここから発車していたんでがすよぉ~ ♪
あの重さにはイライラしますよね。
そのくせに叩いた回数を覚えているのですから手に負えないですね。
御輿を階段で下ろすのが大変なんです。
最初に覚えた漢字は「丸」だったりして?
稲荷下の踏切での渋滞は社会問題だったと資料にありました。
現在の写真を撮ってきたらアップします。
一つ質問なのですが、以前の本塩釜駅の他に支線があってもう一つの塩釜駅があり修学旅行はそちらから乗車したと書いてあります。その駅についてご存知ですか?
昭和51年だったかに解体されたようですが?
場所は?…観光桟橋あたりでしょうか?知ってれば教えて下さい
神事とはまた違うんでしょう~か?
お仕事お疲れ様です
同じコメントを幾つも投稿してしまいました。
パソコン・・・こういうとこだけは、しっかりデジタル式の反応ですね。
一つを残して、残りはすべて削除して下さい。
魚市場が新浜町に移ってからも、私が中学生の頃までは魚市場だった頃の建物が残っていたような気がします。
操車場で入換えに使っていた機関車はC12だったと思います。
突放で入換え作業をやってましたよね。
あの貨車のステップに足をかけて乗っている作業員のおじさん、子供心に「カッコイイなぁ」と思ってました。
稲荷下の踏切は「開かずの踏切」でしたけど・・・
子供の頃、親にせがんで飽きもせずに汽車や船を見に連れて行ってもらったものです。
片仮名の読み方は鉄道車両の記号で、漢字の読み方は船の名前で覚えたのです。実は・・・
狛犬の写真を撮りながら集めているんですよ。
今、もう一個ブログを立ち上げて作成中です。
だから、市場なんかも実際は嫌ですね。
賀茂神社です
住所は加茂です
欠けた顔の狛犬さんがいたかも
地図では見つけられなかったのですが?
狛犬居ますか? いれば行ってみたいと思います。
出かけるのは好きですが、お祭りは苦手です。
あの大騒ぎが嫌で、慣れることが出来ないです。
塩釜の観光船にはよく乗りました。
知人・友人と遊びに見えていましたので・・・
塩釜のマリンゲートも綺麗になりましたし、
イタリアンの美味しいお店もありましたね。
ひーさんの昔の写真を見ると現在と比較が
出来ていいですね。
やはり混むのがね~
航空際も悩んでしまうよね。
松島の水族館前にこの御座船を利用したレストランあったけどまだあったかな?
塩竈神社もう2年くらい行ってない
いつも加茂神社だし
みなと祭って1回も行ったことないです
明日と明後日は石巻川開き祭りですけど、今年も行く予定はないわ~
明日なんて普通に仕事だし
お祭りだからお休みの会社おおいんだよ
あのあたりの水産加工業は営業に行きましたよ。
勿論ヤマモトさんのとこも・・
大物ばかり知り合いでしたね。
それとあんな写真で貨車が分かるとは流石ですね。
しばらく前E5系の新幹線がマスコミ発表の次の日車両基地に行って写真を撮ったのですが、上半身しか見えませんでした。
なかなかUPする暇無くて、次回はそれを出しますかね。
ワム(箱型貨車)やトラ(屋根なし貨車)主体の時代は、ブレーキ制御の役目も含め、車掌車が必須でした。
鉄道少年は必ず車掌車にあこがれたものです。
どこまでもいつまでも貨物列車とともに・・・
御座船モドキの観光船には両方とも乗船しました。仁王島や材木島あたりまで来ると「えんやードット」のテープが流れます。
本物の御座船で太鼓を叩いているのが親父の友人でした。
東北造船の手前の小さめのクレーンが、天(あま)ちゃん家の造船所です。
下馬の坂を登ったあたりの、天の山のヌシでした。
彼女の一女での友人を紹介されましたが、なんとあの一力(いちりき)さんでした。
最後の中の島周辺地図。拡大すると友人の家「阿部善商店」がわかります。
私のカラーTVとクーラー初体験のお家です。
マリンゲート建設に大きく貢献した「ヤマトモ」さん、私の仲人の「○○○」さん。かつての塩竈水産加工業ビッグスリーでした。
昨日も24時間勤務で、明日も24時間です。
七夕の前夜際から、凄い勤務が待ってます。
6日だけ休みですので、今年の七夕を見てみないと。
至る所で夏祭りが始まりましたよね。
広瀬川河川敷の花火、今年は5日と聞きましたが
今年は、花火の数どうなんでしょうね?
年々、支援金の方も集まりが悪くて
数も減ってきてるのでしょうかね~・・・
塩釜の花火、一度だけ行った事があります。
あちらへは、あまり行く事がないかな・・。
違う意味で、怖い思いしてからずっと・・・。
子供の頃は見に行きましたが、大人になってめっきり足が遠のきました。
祭りは好きですが、人ごみは嫌いです。
でも人がいないと寂しいわけですがね。
御座船、すごい派手な船ですね。見るだけでも面白いです。