ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

陸奥総社宮例大祭

2012年04月15日 21時14分39秒 | 多賀城の散歩道
2012年4月15日(日)、本日、多賀城市にある『陸奥総社宮例大祭』が行われました。
神亀元(724)年、陸奥国府及び鎮守府が多賀城に置かれたことは今まで何度かこのブログで紹介済みです。
陸奥総社宮/多賀城

陸奥総社宮は陸奥国延喜式内社100社の神が祀られ、国司が自ら祭司となり祭事を執り行なったという古社です。
鹽竈神社に参拝する際には、陸奥総社宮を詣でてからでないとご加護がないともいわれています。
例大祭では神事の後、神輿渡御があり、氏子地区(市川、山王、南宮、新田、高橋)を練り歩きます。
地域が広い為、一旦トラックに載せ下まで運びます。

チョット、ウザイですが総社の起源について書いておきます。

奈良時代、各国に派遣された国司は地方行政の一つとして、国内諸社の祭祀をつかさどり、その為の国司が崇敬社を祭祀する細かな規定があって、国司はこれらの諸社に幣帛(へいはく:神に供えるもの)を奉(たてまつ)り、これに詣でるのを例とした。
〔つまり、国司になったらその管理下の主な神社を回って、簡単に言えば挨拶回りをしたわけですね〕
平安中期以降、中央政権の乱れにより、地方行政の弛緩もきわまり、国司の事務は目代に・・・目代の仕事は在庁官人の手に移り、神祗祭祀のことも規定通りには行われなくなるのです。
それで、従来国司の祭祀してきた管内諸社の神霊を、国府に近いところに移して参詣することになりました。
こうしてできた神社が総社の起源と考えられ、その成立の時期はおよそ平安中期と推定されています。
〔つまり、管理下にある神社を回るのは面倒なので、国府に近いところに神社を造りそこに各社の御霊を祀り、そこにお参りすれば全部をお参りしたことになる。という画期的効率のいい方法にしたわけです。〕









 

社殿から神輿まで御神体を移しますが、外から見られないように白い布で被い神主がその中を移動します。







お祓いをして
鹽竈神社と同じで猿田彦命による先導で神輿は動き始めました。






正面の階段を下ります。

















その後私は、多賀城政庁跡の東口から下って壺の碑(多賀城碑)まで歩きましたが、かなり広い政庁跡だとさらに、実感したのであります。

桜はまだ、これからです。やっと梅が咲いていました。これムクドリですよね。

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14 コメント

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Unknown (雨漏り書斎主人/あーさん)
2012-04-15 22:23:54
なんとも重厚で風格のあるお御輿ですねぇ
感服!
総社 (維真尽(^^♪)
2012-04-15 22:25:07
総社という所が
岡山にあるはずですが
やはり
そこから来てるんでしょう~か?
あーさんへ (ひー)
2012-04-16 08:19:40
例祭は初めて伺いました。
地元の方や氏子の方々が来ているくらいでした。
地元の新聞社もいましたね。
最初私が新聞記者ですかと聞かれてしまいました。
地鎮祭などはここにお願いする予定です。
維真尽さんへ (ひー)
2012-04-16 08:22:20
総社はどこも同じ理由ですね。
岡山にも朝廷から派遣された国司が居たのでしょう。
奈良から平安に掛けて役所があったはずです。
職場が変わりまして (酔漢です)
2012-04-16 18:38:46
事業所が四月から変わりました。
夜間のアルバイト、学生ですが、神社の研究をしているとかで、鼻節神社へは、そのレポートを書くためにボランティアしながら出かけたそうです。宮城特に、多賀城周辺の神社は、大変変わった神社が多いそうで、彼から多賀城総社の話をつい昨日聞いたところです。
写真にもありますが先頭を行くのが猿田彦ですね。どうもこの神様には惹かれてしまう自身でした。
酔漢さんへ (ひー)
2012-04-17 07:31:07
この後、歩いて浮島神社に行き神主さんともチョット話ししてきました。
是非学生さんにこのサイトか神社を集結したHPを教えていただければと思います。
鼻節神社や浮島神社も記事の再編集をする予定です。
猿田彦命 (伝八郎)
2012-04-17 20:05:44
陸奥総社宮は荒蝦夷に対抗すべく、やけくそに神社を集合させたのではと思っていました(笑)。瀬織津姫を祭っている神社や久那戸の大神も祭っていますしね。

しかし、ツボケ大神まで祭っていたとは・・・。ここにアソベ大神??と安日彦とナガスネ彦が揃ったら、東日流外三郡誌も満更嘘じゃないかも知れませんね。

私も友人の桜岡大神宮の神輿を毎年担いでいますが、やっぱり同じ衣装の猿田彦命が先頭に立ち、道案内をしています。

猿田彦命は身長210センチで、鼻の長さは110センチあるそうですが、まるでガネーシャがモデルのような気がします。

そう言えば熊野本宮から多賀城に十一面観音が設置されたとの話ですが、ガネーシャと熊野権現の物語は共通点が多いと思います。

案外、猿田彦命は、近づいて見れば杖をついたお婆さんの神様だったかも知れません。

ではでは。
伝八郎さんへ (ひー)
2012-04-17 22:12:42
UPするのが精一杯の今日この頃です。
記事が溜まっております。
ツボケ・・・は、私も最初エッ?と思いました。今度宮司さんに会ったら聞いて見ます。
ただ関係の書物が荷物の箱の中で探せません。
東日流外三郡誌の何が偽書と呼ばれた原因なのか暴いた人の本を買って読みました。
古文書の発見された天井裏などかなりチェックしていましたね。
記録された和紙は新しいとか、数々のボロがでて来て多くの町が騙されていたことも書いてありました。
私的には、その中の一部は本物の古文書だったのかも知れない?とも考えました。
その古文書に加筆してしまったから偽書になってしまった可能性もありますね。
でも、嘘には嘘の上塗りが必要になったのでしょう。
以前、平泉に安倍一族の墓と大きな看板がありましたが、無くなりました。
どうやら町がその著者に騙されて石碑までつくっていたようです。
もし一部でも本物の文書があったらもったいないことです。

お晩です (あーさん)
2012-04-18 00:05:22
出直し奉行・・・

晩安
Unknown (桃源児)
2012-04-18 00:07:02
昔は宗教と政治が一体であったことを感じさせる話ですね。
風格あるお神輿、見事です。

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