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ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
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南宮神社/津波に流された女神・多賀城市

2020年07月06日 14時15分42秒 | 多賀城の散歩道
2011年6月11日の記事ですが、追記のため再投稿しました。

南宮神社
実はここを訪れたのは、アラハバキ神社の説明にこの神社を取り上げており、まだ未訪だったので行ってきました。
多賀城の荒脛巾神社の記事にこのように紹介しています。

「多賀城跡の南側に「南宮」があり製鉄とのかかわりを示している。
   南宮社と中山神社は製鉄・冶金の神である金山彦を祀っている。」


中山神社はまだ発見できず・・・しばらくお待ち下さい。
中山神社ですが中山王の「山王社(現在日吉神社)」ではないかと想像しています。
この山王の神との伝説もこの神社にあります。深い関係にあると考えました。

ところが、この神の他にも伝説が隠されていました。
祭神が金山彦としているのは、南宮大社(岐阜)がこの祭神をお祀りしているからでしょう。

ところが、女神であることが知られており、金山比女神(かなやまひめのかみ)
          金山比女神:鍛冶屋の神、金工職人の職神、金物商の神
とするHPもあります。

しかし、ここは合祀されたことを伝説「色の御前」で知ることができます。

是非お読み下さい。

また、「鹽竈神社十四末社」の一つとされています。

鎮座地:多賀城市南宮色の地



多賀城市のHPに「色の御前」と云う伝説があります。

南宮区にある南宮神社は、区の家並みを一望に見渡す田圃のなかに小ぢんまりと鎮座しています。
この神社を地元の高齢者の方たちは「色の御前」と呼び、鎮座しているところを「色の地」と言っています。

この変わった呼び方について、神社の縁起などを書いた神明帳のなかには「応仁のころ (約510年前)多賀城に大津浪が襲来し、八幡に鎮座していた若佐姫命を祀る神社の社殿が激流に押し流され、南宮に漂着したので、南宮神社に合祀した。

「色の御前というのは、おそらく若佐姫命のことをさすのであろう。」ということが記載さ れているそうです。
この南宮神社は、明治41年、西部六区に鎮座している小祀とともに、当時、村社総社宮に合祀されました。
ところが、それからまもなく南宮区にたびたび火災が発生したり、疫病が流行したりして区民を苦しめました。
年をとったお婆さん方は、これは何かのたたりではないかなどとしきりに心配するようになりました。

そこで、地元の代表の人びとが、祈祷師のところへ行って祈祷してもらいました。
すると、「色の御前」の霊が祈祷師に乗り移り、ご託宣を言いました。
「私は、若佐姫命である。これまで、南宮の人びとの奉仕によって安楽に暮らしてきたが、このたび、市川の総社宮に合祀されることになり仕方なく移ってみたが、総社宮には男の神ばかりで、私のような独身女はとても気苦労が多く住みづらいところである。
もとの南宮が懐かしく、とうとう、辛抱しきれず帰ってきた。
しかし、お宮は跡形もなく片付けられてしまい住むところがなくなってしまった。
凍るような冷たい雨が降っても、身を切るような寒い北風が吹きつけても、避けるところもなく、ただ、木の枝にじっと止っている有様でとてもつらい惨めな思いで毎日を過ごしている。
なんとか住めるようなお宮を建ててもらいたいものと願い、お前たちの目をさまさせようと心ならずも災を下したのである。速かに私の願いを聞いてもらいたい。」

これを聞いた人々はびっくり仰天して村に帰り、村人と相談しました。

そうして、前よりは粗末ですが真心のこもった社殿を建て、「色の御前」のお祭りを行ったということです。

この近く国府があった市川に疫病を流行らせた石があります。それは次回ご紹介いたします。







なんと、狛犬が居ました。 驚きましたね~ ここでお目にかかるとは思いもしませんでした。

狛犬は後程。

社は思ったような規模の物でした。

覗いて見ると、小さな社が中にあり、この建物はそれを雨風から守っているようです。







鳥居の横には、鏡池がありました。
枯れてはいましたが、池があった窪みには草が生えています。
この池にも云われがあります。




「鏡ヶ池」
これは、坂上田村麻呂の恋人、悪玉御前(あくだまごぜん)が京に向かう途中、この池を水鏡にして化粧をした、ということから名前がついたそうです。

悪玉御前は紀伊の出身で公家の美しい娘であったといいます。
伊勢参りの際に悪人に騙され、利府の豪農の屋敷に召使いとして売られてきました。
悪玉は自分の身を守るために「普通の人には醜く見え、高貴な人には元の美しい姿に見えるように」と利府の伊豆佐比売神社の観世音菩薩に祈願し、普段は大変醜く見えたことが悪玉の名の由来とも云われています。

しかし、田村麻呂の伝説には色々と表現があります。
悪玉姫などとも呼ばれ、阿久玉と書かれるものもあります。
相手も田村麻呂本人だったり、田村麻呂の父、苅田麻呂の場合がありますが、だいたい醜女だったと伝えられています。
それから、悪玉姫は蝦夷の娘だったとされていることもあります。

どれが本当かわかりませんね。 まぁこれが伝説というものです。



またこんな話も・・隣りの山王の神(いずれご紹介します)に見染められて困っていました。
ある日、山王の神が結婚を強く迫り、女神を追いかけてきました。
驚いた女神は必死で逃げましたが、途中で芋の葉を踏んで滑った際に茶の枝で目を傷つけてしまいました。
怪我をしたので近くの麻畑に隠れましたがあっさり見つかり、大和町の桝沢まで逃げたところ、ちょうど里人が臼を作っていて、その臼の中に隠れて逃げ切ることができました。
それ以来、南宮の里人は芋、茶、麻を植えないようになり、また迷惑をかけた桝沢にある船形山神社には「何かお咎めがあるかもしれない…」ということで誰も参拝しなくなったそうです。

ちょっと長くなりましたが、地元の人には聞きなれた地名(今でも現存)が出てきてフムフムと思った方もいらっしゃったでしょう。


それでは、狛犬です。

嬉しかったですね~ 逢えるとは思っていませんでしたから。








尾の形といいますかデザインが今までとはチョット違った感じです。

奉納の年代は明治7年戌年ですね。 なかなか良いお年頃・・・・

古ければ古いほど感激しますね。











台座があり、階段がついて三つの社が並んでいます。
どんな意味があるのでしょう?
この辺で三つ並ぶのは出羽三山信仰ですが、中はお稲荷さんのようですからなんともいえません。
境内にはアチコチにこんな光景が・・・

お地蔵さん? 文字が風化し読めないのが残念です。
 

 



2020/07/06追記
多賀城「歴史の風」から引用
南宮の集落の北側、字色の地の水田の中にチンジンサマ(鎮守様)やイロノゴゼン(色の御前)と呼ばれるお堂があります。
安永3(1774)年の「風土記御用書出」には、美濃国不破郡(現在の岐阜県南部)の南宮神社から金山彦命を勧請したと記されていますが、祭神は金山彦命だけではなくその妻である金山姫神、さらに若(岩)佐姫命の3柱がまつられているとされています。
若(岩)佐姫命は年若い女神でもとは本市南部の八幡に祀られていましたが、津波で南宮まで流されたところを南宮神社の神様に迎え入れられ、依頼ここで祀られるようになったと伝えられています。 「色の御前」とはこの若い女神を指し、鎮座地一帯を「色の地」と呼ぶのもこの女神に由来すると考えられています。
南宮には多くの昔話が伝わっていますが、色の御前にまつわる話は多く、南宮の人々がこの女神をとても身近な存在として慕ってきたことがうかがえます。
また、神社を信仰する人たちによるチンジンコウ(鎮守講)という講があり、年に一回、1月9日みヤド(宿)と呼ばれる当番の自宅に集まっていました。かつては上区と下区にわかれて二つの講があったとされていますが、いつの頃からか一つになりました。
男女関係なく一戸から一人が参加する決まりで、解散の直前には7戸の代表者が「皇南宮大神」と書かれた掛軸を拝んでいました。
平成28年に講員の高齢化などを理由に南宮自治会に祭祀の一切が託され、記録帳や掛軸は今でも集会所で大切に保管されています。




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36 コメント

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Unknown (ビタースイート)
2011-06-21 05:24:48
ここだけ現世から超越しているようです。
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ビタースイートさんへ (ひー)
2011-06-21 07:39:22
境内の中は空気が違うんですよ。

さも無い神社ですが、立派な伝説が残っていますね。
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散歩道・・ (酔漢です)
2011-06-21 11:13:37
このあたりで自転車に乗っていて、丁度真夏の夕方。逆光の中に、しかも田圃のど真ん中に見えた神社。
回りには車の音もなくて、蜩だけが鳴いておりました。その日の午後は36℃近くも気温が上がり、酔漢も自転車に乗りながら、Tシャツがもうホルスタイン状態。
ですが、誘われるままに神社へ向かいました。
別に何をどうするわけでもなかったのですが、神社に着いた途端、にわか雨。すぐさまやみましたが、「きつねの嫁入り」を思い出しまして。非常に背中がもぞもぞしたのを覚えております。
南宮神社へ行きますと、案外不思議な出来事に出合うのでした。
この神社の傍を通ると、車がエンコするとか・・。
うーーん。不可思議!不可思議!
返信する
金山彦 (維真尽(^.^))
2011-06-21 16:56:29
各地に祭ってあるんではないでしょう~か?
出雲にも
もののけ姫などの関係やらで
結構あるように思います (^_-)~☆
返信する
悪玉のモデル (伝七郎)
2011-06-21 20:36:09
南宮神社の存在は知りませんでした。今度行ってみたいと思います。

さて金山姫は黄金山神社では弁財天として祭られていますね。

そして伊豆佐比売神社は利府、岩切の社とも山形県鶴岡市の由豆佐売神社からの分霊。祭神は恵比寿様の彼女の溝咋姫。

由豆佐売神社はその昔は龍蔵権現と呼ばれ、御神体は十一面観音。山形の多賀城的役割を果たしていました。

そんでもって伊豆神社系の神紋は九曜紋。九曜紋は太陽、北斗七星等、九つの星をくくったククリヒメの意。つまり白山信仰の菊理姫。

悪玉は紀伊出身。伊勢からの帰路は柴神・阿須波神の名がつく阿須波道、つまり鈴鹿峠。
そこに田村麻呂とくれば、悪路王を裏切り田村麻呂に付いた鈴鹿御前。つまり瀬織津姫となります。

悪玉伝説は、暗にそれを悟らせるがための伝説じゃないかなぁーと考えています。
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伝七郎でなくて伝八郎でした。 (伝八郎)
2011-06-21 20:40:31
あっ、名前、伝七郎になっている(涙)。「伝八郎」の間違いです。すみません。
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酔漢さんへ (ひー)
2011-06-21 22:08:33
ずーっと気になっていた神社でした。
仙台市内でも小さな神社や祠を知れべて見ると伝説が残っていたりします。
江戸時代に急激にお稲荷さんが増えましたが、こうして祀られているのには、それぞれ理由があるのですね。
忘れられないように、伝説は伝承するべきですね。
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維真尽さんへ (ひー)
2011-06-21 22:11:37
金山彦は全国にあるでしょうね。
地元の人は、自分達に必要な神様を祀ったのでしょう。
いずれ時代と共に合祀され複数の神が集められたのですね。
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おばんです (ほでなすいっく)
2011-06-21 22:32:36
小さいお社に狛ちゃんがいるって珍しいですね

あれ?
角は片方の狛ちゃんだけですか?
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伝八郎さんへ (ひー)
2011-06-21 22:43:41
www自分の名前を間違えないように。
それにしてもお詳しい・・・
どちらに御住まいですか?
黄金山神社は訪問済でしたので、再度確認しましたら、天照皇大神・金山彦神(金山毘古神)・猿田彦神・・で間違いなく金山彦が祀ってありますね。
弁才天は気になりますね。アラハバキは弁才天に変化し、出雲に祀られるクナト大神は地蔵になった・・・とも云われています。
アラハバキとの関係は興味深いんですよ。

伊豆佐比売神社は関係が深いようなので、後程訪れたいものです。
現在、震災の関係で引越しの準備などもろもろ忙しく趣味に没頭できない状態です。
また、面白い話がありましたらご教授下さい。

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