以前にも記事にしましたが、地名の由来に触れていなかったことと
明治初期らしい写真を見つけましたので・・続きということで・・
芭蕉の辻の芭蕉は松尾芭蕉となんら関係が無かったのです。
以前の記事はこちらです。江戸から平成へ仙台市大町
明治元年の市内の地図
あの辺り近辺は、御譜代町で(殆ど市内中心部)『譜代』とは、代々にわたって主家に仕えることを意味し、
伊達家が米沢・岩出山・仙台と移る度に苦楽を共にしてきた人達ですね。
老舗の藤崎百貨店や大内屋は藩政時代からの歴史を刻むお店のようです。
伊達六十二万石の城下町づくりは、この芭蕉の辻から町割りをしていったようです。
地名の由来は、芭蕉と言う虚無僧がおり、仙台城築城以前から隠密として諸国の
動静を探り、政宗に大きく貢献したことから、この四隅に白漆喰の2階建ての
櫓風の建物を建て虚無僧芭蕉に与えた。
しかし、芭蕉は城下町を嫌って辞退した為、後世に名を残す為に辻の名としたと言う。
別名を、札の辻とも呼ばれ、札番所がおかれてキリシタンや捨馬などを禁止する
制札が掲げられた。
そんなこともあり、各種の制札を掲げる『場所の辻』と称していたところに
後世になって芭蕉の字をあてた、と言う説もあるようです。
ここは豪商の町として知られてますが、中でも『日野屋』は伊達藩財政の用達人
として様々な特権を掌握し、明治11年に創業した「第七十七国立銀行」の本店は
この日野屋に置かれていたらしいです。
やはり今回も歴史は繋がっているのだと感じさせられました。
明治初期らしい写真を見つけましたので・・続きということで・・
芭蕉の辻の芭蕉は松尾芭蕉となんら関係が無かったのです。
以前の記事はこちらです。江戸から平成へ仙台市大町
明治元年の市内の地図
あの辺り近辺は、御譜代町で(殆ど市内中心部)『譜代』とは、代々にわたって主家に仕えることを意味し、
伊達家が米沢・岩出山・仙台と移る度に苦楽を共にしてきた人達ですね。
老舗の藤崎百貨店や大内屋は藩政時代からの歴史を刻むお店のようです。
伊達六十二万石の城下町づくりは、この芭蕉の辻から町割りをしていったようです。
地名の由来は、芭蕉と言う虚無僧がおり、仙台城築城以前から隠密として諸国の
動静を探り、政宗に大きく貢献したことから、この四隅に白漆喰の2階建ての
櫓風の建物を建て虚無僧芭蕉に与えた。
しかし、芭蕉は城下町を嫌って辞退した為、後世に名を残す為に辻の名としたと言う。
別名を、札の辻とも呼ばれ、札番所がおかれてキリシタンや捨馬などを禁止する
制札が掲げられた。
そんなこともあり、各種の制札を掲げる『場所の辻』と称していたところに
後世になって芭蕉の字をあてた、と言う説もあるようです。
ここは豪商の町として知られてますが、中でも『日野屋』は伊達藩財政の用達人
として様々な特権を掌握し、明治11年に創業した「第七十七国立銀行」の本店は
この日野屋に置かれていたらしいです。
やはり今回も歴史は繋がっているのだと感じさせられました。
それにしても、明治の写真、すごくいい雰囲気ですね。
こんな所を歩いてみたいものです。
私は芭蕉の辻→松尾芭蕉さんにつながる
のかと思っていましたら、
全然違いました
藤崎&木内屋さんには歴史があったのですね
今日もいろいろ参考になりました
なんて聞くと~
隠密剣士~思い出しました (^^♪
芭蕉もその筋の人だったという風に聞いてますが
繋がりませんか?
私も同じこと考えました。
隠密剣士は見てましたよ。
なんか徳川からの書状も持っていたかも知れません?
仙台城に入る時、位の高い人でも、大手門はくぐらないと聞きましたが、松尾芭蕉は、大手門から入っています。
お客様扱いのようですね。
今回の芭蕉は松尾芭蕉と関係がないようです。
それで急遽アップする事にしたのです。わからないものですね。
後でアップします。
虚無僧って時代劇にカゴみたいのを被って出てくる人?
“隠密”とか“お庭番”とか聞くとワクワクしちゃう
籠被って尺八吹いてるイメージ
よくわかってましたね。
誰でも、芭蕉と言ったら松尾でしょ!
「独眼龍政宗」なる本を今日半分ほど読みました。
いずれ、ひーさんに捧げます♪