平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

祈りの治癒力(2003年8月)

2005年02月16日 | バックナンバー
昨日の対談「運命を開く人間学」で村上先生が触れている、祈りによる治療に関連する平和エッセイ――

祈りの治癒力(2003年8月)

 祈りによって病気が治った、などと言うと、新興宗教のおかげ話にしか聞こえないかもしれない。しかし、一部の医学者たちは、祈りと治病の関係を科学的に調べ始めている。

 祈りが治病に及ぼす影響についてよく知られているのは、アメリカの心臓学者のランドルフ・バード氏の研究である。氏は、サンフランシスコ総合病院の冠動脈科病棟に入院した患者三九三人を、人々の祈りを受けるグループと受けないグループに分けた。患者に祈りを送るために、キリスト教会の信徒が選ばれた。彼らは自分が担当する患者に定期的に祈りを捧げたが、患者と面識はなかった。どの患者がどちらのグループに入っているかは、患者本人をはじめ、医師、看護婦にも知らされなかった。心理的な影響を避けるためである。祈り以外は、両方の患者は通常の医学的治療を受けた。その結果は、祈りを受けた患者グループは、祈りを受けなかった患者グループよりも、抗生物質の投与量が五分の一になり、肺浮腫を併発する率は三分の一になったという。明らかに、祈りを受けた患者のほうが、より健康的になったわけである。

 祈りと治病の関係について数多くの実験を調査したラリー・ドッシー博士は、「祈りの効き目を実験が証明できるかできないかという問いは意味を持たなくなってしまったといっていい。なぜなら、もうすでに実験は祈りの効果を証明してしまったからである」と述べている(『祈る心は、治る力』日本教文社)。

 では、祈りがなぜ治病に効果があるのだろうか? そのメカニズムは現代科学ではまだ謎である。祈りは一種の念ということになろうが、現代科学は念力の存在を認めていない。しかし、科学的メカニズムはわからなくても、祈りが患者によい影響を与えるということは、多くの実験結果から事実として認めざるをえないのである。

 ドッシー博士は、祈りが医学の代わりになる、とか、祈りですべての病気が治る、などとは言っていない。しかし、通常の治療と祈りを「併用」してはなぜいけないのか、祈りに効果がある以上、医師は積極的に祈るべきではないか、と問うている。

 医師が病気を単に肉体の故障と見れば、患者に対する態度が即物的になり、患者は人間として尊重されていると感じることが少なくなるだろう。逆に医師が祈り心で患者に接すれば、患者はそこに温かなものを感じるであろう。医師の祈りは、面識のない人の祈りよりも、もっと効くかもしれない。さらに、患者本人が祈ったり瞑想したりすることは、脳波中のα波を増強し、心の安定度を高め、肉体によい影響を与えることが知られている。祈りの治癒力は、今後、現代医学のホットな話題となるであろう。

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なお、こちらにも村上先生の別の対談が出ています。生長の家の「光の泉」という雑誌だそうです。

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1 コメント

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正しい自己認識、宇宙(世界)認識が健康の前提 (井上)
2005-02-17 10:03:10
ドッシー博士といえば、また彼は、すべては関連しており、一体であるという原則に焦点を合わせ、断片化や孤立から離れていくとき、健康はおのずと伴ってくる、ということも言っています。「患者」という言葉は孤立した生物単位という考えに導きやすく、それより、人間を、あるいは生活事象をダイナミックなプロセスやパターンと捉えるべきといいます。例えば癲癇症をもつ子供たちが他の人たちと交流し、感情的なやり取りの後、ひきつけを起こしますが、この様子をビデオにとったものを自ら見て、感情的な出来事と自分のひきつけとの関係を目の当たりにした後は、ほとんどひきつけを起こさなくなります。こうして被験者は、病気を切れ目なき全体性としか言いようのない、生きるプロセスの一部としてみるようになる、とドッシーは言います。(マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』川瀬訳、107-108頁参照)自分の現状を広い連関の中で見ること、正しい認識が健康をもたらします。治療には、病んでいる人にそうした認識を得ることを手助けすることも含むと言えます。
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