平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

遺伝子と因縁因果(3)

2005年02月27日 | Weblog
『岩波仏教辞典』は「因果」についてこう解説しています。

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原因と結果のこと。・・・すべての事象は原因があれば結果があるというのが、因果の道理である。・・・とくに、倫理的立場から人間のなす善・悪の行為について、善い行為(善因)には善い結果としての報い(善果)が、悪い行為(悪因)には悪い結果としての報い(悪果)が、因果の法則によって生じるという。
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原因結果は科学の考え方ですが、仏教的因果論は、それを物質的レベルからさらに倫理的・精神的次元にまで拡張しているわけです。それが善因善果、悪因悪果の因果応報論です。

それでは、なぜただの「因果」ではなく、「因縁」因果なのでしょうか。同じ辞典で「因縁」については以下のように解説されています。

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仏教では、因と縁、または因も縁も同じ意味(因即縁)ということで一つに結びつけたもの。広くは原因一般をさす。すなわち、すべては縁起している、つまり因縁によって生じている(因縁生)と説き、因縁は仏教思想の核心を示す語である。因(hetu)と縁(pratyaya)は、原始教典ではともに「原因」を意味する語であったが、のちに因を直接原因、縁を間接原因、あるいは因を原因、縁を条件とみなす見解が生じた。そこから、因と縁が結合して万物が成立することを「因縁和合」という。
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原因があっても、条件がないと、結果が生じない、ということです。

これは科学が扱う自然現象・物理現象の場合でも同じです。たとえば、水は100度Cで沸騰します。水の温度を100度まで高める熱量が原因、沸騰が結果と考えられます。しかし、原因と結果は直線的・一意的に結びついているわけではありません。よく知られているように、水が100度で沸騰するのは、1気圧という気圧のもとでです。気圧が低ければ、水は100度以下でも沸騰しますし、気圧が高ければ、100度以上にならないと沸騰しません。高い山の上ではご飯がうまく炊けないのも、圧力釜でご飯がおいしく炊けるのも、気圧の関係です。

同じ熱量を与えても、同じ量の水が沸騰する場合もあれば、沸騰しない場合もあるのです。この場合、気圧が条件ということになるでしょう。

原因と結果を媒介する条件の数は、理論的には0から無限大まで考えられます。上の例では、条件の数は1です(気圧)。私は科学に詳しくないので、ほかにも条件があるのかもしれませんが、ご存じの方はお教え下さい。

先の例では、熱を原因、気圧を条件、沸騰を結果と考えました。しかし、水を密閉した容器に入れて、中の気圧をどんどん下げていけば、とくに熱を加えなくても水が沸騰するはずです。この場合は気圧変化が沸騰の原因ということになります。

ですから、直接原因、間接原因(条件)といっても相対的なものであることがわかります。

いわゆる機械的因果関係というのは、条件の数がきわめて少ない時にのみ成立するものです。そして、条件を固定することによって、原因・結果の関係を解明しようとしたのが、近代の自然科学でした。

物質の領域では、この方法は大成功をおさめました。そして、それを応用したのが科学技術ですが、これも一応、大成功をおさめました。そこから、世界の運行はすべて原因・結果で定まっているという機械論的宇宙観、いわゆる「ラプラスの魔」という考え方が生まれてきました。

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