平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

クロイツフェルト・ヤコブ病

2005年02月10日 | 食の安全
昨日、昨年の「鳥インフルエンザ」の平和エッセイを掲載したのは、最近、国内で初めて変異型クロイツフェルト・ヤコブ病と確認された男性患者が死亡したからです。

クロイツフェルト・ヤコブ病は、脳がスポンジ状になって痴呆状態に陥る病気です。この病気にはいくつかの種類があるようですが、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病というのは、プリオンというタンパク質の一種を摂取することによって生じるということです。プリオンは狂牛病(BSE)になった牛の特定部位(脳や脊髄)に多く含まれます。早い話、狂牛病になった牛の肉の特定部位を食べることによって発症します。

死亡した方は、イギリスで狂牛病がはやっていた1989年にイギリスに滞在して、その時たべた牛肉が原因らしいというのが、表向きの発表です。しかし、今週の『週刊文春』によると、この情報は確認されておらず、日本の牛肉(国産肉または輸入肉)を食べて発症した可能性も排除できないということです。

日本でも牛に肉骨粉を与えていた時期があり、狂牛病が発生しています。日本は、肉骨粉を与えていたアメリカからも、大量の牛肉を輸入していました。男性が、日本で食べた牛肉によって発症した可能性もある、というのが『週刊文春』の説です。

しばらく輸入が途絶えていた米国産牛肉を、日本は、アメリカが主張している、肉質や骨格で月齢を推定する方法を認めて、輸入再開する方向で検討するそうです。現在の検査方法では、20ヶ月以下の子牛だとプリオンを検出できないそうですが、アメリカには1頭ごとの子牛の月齢を管理するシステムがないので、見た目で判断すればいいじゃないか、というわけです。当然、20ヶ月以上の牛も紛れ込んでくるでしょう。

「暗いニュースリンク」によると、肉骨粉こそ投与禁止になりましたが、「牛の血液をタンパク源とした調整乳を子牛に与えることは、両国(=アメリカとカナダ)において今でも合法」なのだそうです。

しかし、牛に牛の血液を食べさせること自体が、自然の摂理に反しています。乳を飲む段階からそういうエサ(調整乳)を与えられているのですから、たとえ生後20ヶ月以内であろうと、その牛は何らかの異常性を宿していると考えるべきでしょう。自然の摂理に反した行為は、自然によるしっぺ返しを受けるに違いありません。

「暗いニュースリンク」はさらに、「なぜ今日までにたった3例しか狂牛病感染が確認されていないのか?カナダと米国の両国では、政府当局による検査件数を増加させているが、その検査基準はEUや日本で行われているものに比較して、悲惨なほど不適切なのだ」と述べています。おそらく両国には、潜在的にはもっと多くのBSE感染牛がいるのでしょう。

先にあげた『週刊文春』の記事によると、アメリカでは今、クロイツフェルト・ヤコブ病が多く発生しているとのことです。

このような状況で米国産牛肉の輸入を再開しては、危険すぎます。日本政府は、アメリカの圧力に屈することなく、国民の食の安全を第一に考えてほしいものです。

鳥インフルエンザ(2004年4月)

2005年02月09日 | バックナンバー
昨年の平和エッセイから(2004年4月)――

 鳥インフルエンザが日本でも感染を広げている。現在のところは鳥から鳥への感染で、鳥から人間への感染は、ベトナムやタイでは報告されているが、まだ例外的であると見られている。しかし、ウィルスが変異して、人間から人間に感染する力を持つと、大規模な感染、つまりパンデミーが起こる可能性がある。

 第一次世界大戦の直後の一九一八~一九年に、スペイン風邪と呼ばれたインフルエンザが大流行し、全世界で四千万人が死んだ。ウィルスの遺伝子分析から、スペイン風邪も鳥インフルエンザの一種であったことが判明している。

 人体には免疫という機能があり、細菌やウィルスが侵入しても、通常は抗体によって退治することができる。しかし、まったく新しいウィルスになると、人体はまだそれに対する抗体を持っていないので、自然治癒することが難しく、大規模な感染につながるのである。交通網が発達した現在、新しいウィルスはたちまちのうちに全世界に広まる可能性がある。

 どうしてこのようなウィルスが発生するのだろうか。原因はまだわからないが、人間と動物の関係がその一因であることは間違いないであろう。

 ニワトリは肉や卵として人間の食生活に利用されてきた。日本のような先進工業国では、ニワトリは過密状態で狭い鶏舎に閉じこめられ、できるだけ早く肥育するように、成長ホルモン、濃厚飼料、抗生物質が投与されている。

 また、できるだけ早く多くの卵を産ませるために行なわれているのが、「強制換羽」という方法である。雌鶏は一年間卵を産んだあと、産卵を自然にやめ、その間に羽を生え換わらせる。そのとき、餌と光を与えないというショックを加えると、換羽が早まり、それだけ産卵も早まる。しかし、これはニワトリに多大のストレスを与え、致死率を高める。ニワトリの立場からすれば、あまりにも残酷な飼育方法である。

 ニワトリだけではない。BSE(狂牛病)は、草食動物の牛に、牛の肉骨粉を食べさせるという、自然界の摂理を無視した飼育方法によって生じた病気である。狂牛病の牛の特定部位を食べると、「新クロイツフェルト・ヤコブ病」という痴呆症が発症する。

 人類はまだ、肉食をやめるまでにはいたっていない。動物性タンパク質もある程度は必要である。しかし、動物をただのモノと見なし、命を犠牲にして人間に体を捧げてくれている動物たちへの感謝を忘れ、ただ旨い不味いといっているのでは、動物も浮かばれない。残酷な飼育方法を改め、食べるときには、動物たちに心から感謝の念を捧げることが、最低限必要なことではないだろうか。

アトランティスの再浮上?

2005年02月07日 | Weblog
スマトラ沖地震・津波の話題の続きです。

災害の直後に、「Atlantis Rising」(アトランティスの浮上)という題名のメールが届きました。

それを読むと、近年地球に生じている様々な異変は、アトランティス大陸再浮上の前兆だというのです。

アトランティスというのは、プラトンの『ティマイオス』と『クリティアス』という対話編に出てくる水中に没した国です。実在したのか架空の地名なのか、はっきりしません。

アトランティスが島であったか大陸であったか、地中海にあったのか、大西洋にあったのか、フロリダ湾にあったのか、諸説紛々ですが、いずれにせよ、スマトラ沖地震でさえあれだけの被害を引き起こしたのですから、どこかで島なり大陸なりが浮上したら、沿岸諸国には甚大な被害が及ぶことになります。

上記のメールと前後してさらに、「このままでは、今回の津波と同じような大災害が5大陸すべてで起こるので、地球を癒やす祈りを捧げてほしい」というマヤの長老たちの呼びかけも届きました。

たしかに、近年、世界各地で異常気象や地震、噴火、津波、台風などが頻発しています。これは、地球が大きな異変もしくは変動期に入っていることを示すものかもしれません。

そういうところから、色々な物騒な予言が出てくるのでしょう。

しかし、霊的な予言は、決してそのまま現実化するものではありません。エドガー・ケイシーという有名な霊能者が、1968年ころにアトランティスが再浮上するという予言を行ないましたが、これは見事にはずれました。

未来は人類一人ひとりの想念・行為の集積によって決まります。たとえ幽界(現実世界のひな形の世界)に大災害の様相ができあがっていても(霊能者はそれを見て予言をします)、それは、人類の想念・行為を改めることによって、防いだり、小さくしたりすることができます。ブダペスト・クラブのアーヴィン・ラズロ博士が言うように、「未来は予測するものではなく、創造していくもの」なのです。

様々の災害は、人類は現在のような地球を搾取し、破壊する生き方を改めよ、という地球からの警告なのでしょう。

アトランティスの再浮上などということが起こらないように、私たちは地球への感謝、人類平和の祈りを捧げていかなければいけないと思いますし、それによって、災害を小さくすることが十分にできると思います。なぜなら、水が人間の想念波動を受け取るのですから、地球自体も想念波動を受け取らないはずはないからです。

4億5000万人の祈り

2005年02月04日 | Weblog
スマトラ沖地震に関連した話題をもう少しつづけます。

「萬晩報」というメルマガに、ロンドン在住の藤澤みどりさんという方が、以下のようなレポートを載せていました。

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 ヨーロッパは一昨日(2005年1月5日水曜日)、南アジアの津波被害者への共感をこめて、EU加盟国25カ国で4億5000万人が、正午の鐘の音とともに3分間の沈黙のときを持った。この大がかりな3ミニッツ・サイレンスは、死亡が確定した人々や行方不明者への追悼として行われただけでなく、けがをした人や親をなくした子どもたち、家を失った人々、親しい人を亡くした人々すべてへの連帯を表すために行われたものだ。

 わたしは、まだ冬休み中の息子と自宅でその時を過ごしたが、ビッグベン(英国国会議事堂の大時計)がテレビ画面の中で正午を告げると、同時に近所の教会からも鐘の音が響き、それから静けさが、ウイークデイの日中としては信じがたいような静けさが訪れた。

 こんなに規模の大きなサイレンスは初めてだが、いままでに経験したダイアナ妃やクイーンマザー、セプテンバー・イレヴンの被害者を追悼するサイレンスなどでは、あたりがほんとうの静けさに包まれるのにいつも驚かされた。サイレンスの開始時刻が近づくと地下鉄もバスも最寄りの駅やバス停で停車してその時を待ち、路上を行き交う車も路肩に寄って停車する。商店のレジや銀行の窓口にはサイレンスの告知と、その時間帯にはサービスが行えないとの但し書きが張り出され、動きを止めることによって支障がある事象を除いたすべての動きが停止する。

 かつてもっとも驚いたのはラジオがまったく沈黙することで、初めてラジオを通じてサイレンスを経験した際に、いくらなんでもラジオが完全に黙ることはないだろうと、鐘の音か静かな音楽が流れるのを予期していたので、サイレンス開始を告げる教会の鐘の後に完全な沈黙が訪れたとき、ちょっとどきどきした。この静けさの中でサイレンスに参加するそれぞれが被害者を思い、神か自然か、あるいは自分自身と対話し、祈る。

 一昨日はテレビを見ていたのだが、やはり音は何もなく、全国の何カ所かに置かれたカメラがとらえた映像が、あらかじめプログラムされているのだろう、一定の間隔で次々に切り替わっていた。取引のその場で立ちつくし頭を垂れるシティの人々、ショッピングセンターのアトリウムで沈黙する買い物中の人々、赤絨毯の階段の途中で立ち止まった外務省のオフィサーたち、支援物資の荷造りの手を止めたエイドワーカーたち、仏教寺院の人々・・・。動いていたのは、額を床にこすりつけたり立ち上がったりして沈黙の祈りを繰り返すムスリムの人々と、寺院の床をくったくなく這い回るスリランカ系の小さな男の子だけだった。

 ロンドン市民にとって、これは大晦日の2ミニッツ・サイレンスに続く津波被害に対するふたつめのサイレンスになる。しかし、世界の多くの場所で多くの人々が悲しみを共有した大晦日のサイレンスや黙祷の儀式とは違い、この日の3ミニッツ・サイレンスには悲しみや傷みだけでない、何か希望のようなものがかすかに感じられた。

 欧州各地のNGOに対して、それこそ洪水のように押し寄せる人々の善意が、まだ引きも切らずに続いているせいかもしれない。そして、そうした市民の志による圧力が、政府の財布を緩ませている事実がある。あの日、ホリディ客として滞在していた地で被災したにもかかわらず、そこにとどまったばかりか新たにボランティア組織を立ち上げた少なくない人々がいる。地域の経済を応援するために休暇先を変更せずに、もしくは他の場所からこの地域に変更して、あえて新年のホリデイ客となった多くの人々がいる。そうしたことのすべてが始まりの予感に満ちている、ように思える。思いたい。

 3分間の沈黙を通して、ヨーロッパの人々の気持ちが南アジアに正面から向き合った時間、もしかすると、これが今世紀はじめの転換点のひとつかも、と思わせる3分間だった。何かが変わるかもしれない。何かを変えられるかもしれない。・・・・・
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4億5000万人というのは赤ん坊まで含めたEUの総人口です。その半分の2億人あまりの人々が参加したとしても、すごいことです。数億人が同時に、心を一つにして被災者に心を向け、祈りを捧げる。心はエネルギーです。意識はエネルギーです。普段は人類の意識はてんでばらばらな方向に向かっていますが、それが一点に集中する。それは人類の集合意識を変え、地球の波動に大きな影響を与えるに違いありません。

おそらく藤澤さんは、普段はとくに祈りや瞑想を実践なさっている方ではないと思います。そういう方でも、「この日の3ミニッツ・サイレンスには悲しみや傷みだけでない、何か希望のようなものがかすかに感じられた」「もしかすると、これが今世紀はじめの転換点のひとつかも、と思わせる3分間だった。何かが変わるかもしれない。何かを変えられるかもしれない」と感じたのです。

もし人類63億すべてが同時に世界平和という一つの目標に向かって祈りを捧げたならば、世界はどうなるでしょうか。

人類すべてとはいいません。せめて日本人だけでも、政治上の立場の違いはさておいて、同時に世界平和を祈るひと時を持つべきではないでしょうか。

いや、日本人はもうそれを部分的には実践しています。毎年8月15日正午に1分間、戦没者を追悼する黙祷が行なわれています。甲子園の高校野球では、選手がプレーをやめて黙祷します。しかし、いくつかの会場を除いては、多くの人々は日常生活の喧噪の中でこの1分間を忘れているようです。

「取引のその場で立ちつくし頭を垂れるシティの人々、ショッピングセンターのアトリウムで沈黙する買い物中の人々、赤絨毯の階段の途中で立ち止まった外務省のオフィサーたち、支援物資の荷造りの手を止めたエイドワーカーたち、仏教寺院の人々・・・動いていたのは、額を床にこすりつけたり立ち上がったりして沈黙の祈りを繰り返すムスリムの人々と、寺院の床をくったくなく這い回るスリランカ系の小さな男の子だけだった。」

という姿は日本では見られません。「ウイークデイの日中としては信じがたいような静けさ」が訪れることもありません。

今年は終戦60周年。広島・長崎原爆60周年。8月6日、9日、15日には、日本人が心を一つに、心から戦没者を追悼し、世界人類の平和を祈念するひと時を持てたら素晴らしいと思います。

藤澤さんの記事

スマトラ沖地震と祈り

2005年02月03日 | Weblog
「生命の水」で紹介した江本勝さんが、スマトラ沖地震に際して、以下のようなメッセージを発信しました。

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さて本日WHOは、第2次災害としての伝染病の発生の可能性についての警告を発表しました。衛生状態が極端に悪くなってしまった現在、コレラなどの伝染病の発生は何時起きてもおかしくなく、その場合、その犠牲者は津波による犠牲者の数を下回る事はないだろうと言う恐ろしい内容のものです。

波動研究者として私もそのことを大変心配しています。衛生状態もそうですが、もっといけないことは、被害にあった諸国の“場”が著しくネガティブに低下していると思われるからです。それらの場とは“恐怖、悲嘆、不安、信頼の欠如、怒り、寂しさ、虚脱感”などの感情が作る場で、そのような場を好む性質の悪い微生物たちを元気にしてしまうからです。

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私は、過去10年来、水の結晶の研究を通じて、純粋な人の意識エネルギーというものは、距離には関係なくその願った地にある水の場を変えることができることを証明しています。そしてその祈りの波動の中で一番効率が高いもの、それは“愛感謝”の想いです。いまこそ、世界の皆さんの愛と感謝の思いをこの地球上のすべての水に捧げようではありませんか。
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つまり、愛と感謝の祈りを被災地に送って、水の性質を変え、感染症の蔓延による2次的被害を抑えよう、ということです。このメッセージはインターネットを通じて世界中に発信され、私のところにも英語のメールが何通も回ってきました。さすがインターネット時代ですね。

現在までの報道によると、大規模な伝染病の発生は防がれているようです。これはもちろん、きれいな水や食料の配布、薬剤の散布によるところが大きいと思いますが、多くの人類の祈りもその一役を果たしたと信じています。

道路が寸断され、まだ援助の手が及ばないところもあるということです。そういう場所には、水も食料もお金も送ることはできませんが、愛の祈りはいつでも送ることができます。

江本さんのメッセージ
http://www.masaru-emoto.net/japanese/jdiary200412.html#urgent

生命の水(2005年1月)

2005年02月01日 | 最近読んだ本や雑誌から
 世界中で一人当たりの水の使用量が急増している。これに対し、地球温暖化の影響のためか、各地では、一方においては干ばつが、他方においては台風、サイクロン、ハリケーンなどによる集中豪雨と洪水も頻発している。水は生命の根本で、なくては困るし、ありすぎても災害が起きる。さらに、農業や工業のために、水の汚染も進んでいる。

 このような状況に鑑み、国連は、今年三月二二日(世界水の日)から向こう一〇年間を「国際生命の水一〇年」と定め、水問題に真剣に取り組んでいくことを決議した。国連の活動に協賛して、水の結晶写真で有名な江本勝博士は、昨年九月、NPO法人「国際生命の水協会」を設立し、その発足を記念して、一一月末に東京で「第一回・生命の水フェスティバル」を開催した。

 二日間にわたるこの行事では、多彩なプログラムが披露された。初日に、現在、全米で大きな話題を呼んでいる映画『私たちは一体全体何を知っているというの!?』が上映された。この映画は、量子力学と大脳生理学をもとに、人間の意識が現実を作り上げていることを、興味深いストーリーと大胆な映像によって描いた。翌日には龍村仁監督の『地球交響曲』第五番も上映されたが、その中で、ブダペスト・クラブ会長のアーヴィン・ラズロ博士が、宇宙には重力場や電磁場などの既知の場のほかに、宇宙のすべての活動を記録する「情報場」が存在する可能性を、最新の量子力学をもとに述べた。フェスティバルにはラズロ博士ご本人も出演し、講演のあとに、龍村氏、江本氏、そして宇宙物理学者の佐治晴夫博士との対談も行なわれた。

 初日の最後には、世界各国の平和を祈るフラッグセレモニーが行なわれ、テーブルの上に置かれた水道水に人々の祈りの波動が注入された。この水道水は非常にカルキが強く、このような水は凍らせても通常は結晶にならないのであるが、翌日、美しい結晶写真になったことが映写された。江本博士は長年、人間の意識が水に影響を及ぼすことを主張してきたが、世界平和の祈りが水に素晴らしい効果を及ぼしたことが示された。

 ラズロ博士は、人間は量子真空場という情報場を通して一つにつながっていると述べ、佐治博士は、人間はみな同じ星のかけらであると述べ、江本博士は、人間はみな同じ水であると述べた。それぞれ切り口は違うが、人間はすべてつながり合った一体の存在であり、この一体性の認識こそが、世界平和の基盤であるという同じメッセージを語っていた。世界平和の祈りは、深くは量子真空場を通して、物質的には水を通して、この一体性の意識を人類に喚起し、世界を平和に導いていく祈りなのである。

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 このフェスティバルについては、江本勝さんの日記サイトに詳しいレポートが出ています。必見!

http://www.masaru-emoto.net/japanese/jdiary200411.html