根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

風邪をひいてしまった!

2007-10-16 08:10:24 | エッセイ、コラム
この冷え込みに、体が如実に反応して、見事に風邪をひいてしまった。
全く、何の抵抗力もない、ひ弱な私の体だ。

でも風邪薬を飲んで、朝から、昼間っから、合法的に寝ていられる風邪っぴきも悪くはない。
風邪独特の熱っぽさも嫌いではない。

今日はこれから暖かくして寝ます。
お休みなさい。
そして、私の体よ、お大事に!
一人暮らしは、自分で自分を労(いたわ)るしかないので(苦笑)。


マックの最後…

2007-10-12 12:34:11 | エッセイ、コラム
私にとって「マック」とはハンバーガー・チェーンの名前でもなく、コンピューター・ブランドの名前でもない。
ゴールデン・レトリーバーの友達犬の名前である。
Fさんの家で飼われていた犬だ。


そのマックが7月21日に亡くなっていたことが、やっと明らかになった。

調子が悪いことは梅雨入り前くらいから聞いていて、持ってもこの夏までと聞かされた。
それならばとマックの家まで、お見舞いに行ったのは7月の上旬のことだったか。
飼い主さんには菓子折りを、マックには病気に有効な成分が含まれたクッキーを持って…。
腰を悪くして他にも体のあちこちにガタがきていたマックは玄関で横になっていた。
結局、それがマックをみた最後になった。
暫く後にFさんの家の前を通ったときには、「マック・グッズ」が片付けられていて、あぁマックは逝ってしまったんだなぁ、と何となく悟ったのだった。
それからなかなか飼い主さんに会う機会がなく、話しを聞けずにいたのだが、先日やっと飼い主さんから話しが聞けた。
まだ梅雨が明けない7月21日の朝8時過ぎ、家族に見守られながら天に召されたとのこと。
14年間の犬としては長い人生、犬の年齢としては96歳にもなる、いわば大往生だったらしい。

私の話しを黙って聴いてくれたこともあったし、逢えば喜んで尻尾を振ってくれた。
鼻の頭によく泥をつけていたし、呼ぶとボールや軍手など必ず何かくわえてきてみせてみたり、夏の暑い日には頭だけ車の下に突っ込んで寝ていたり…お茶目で可愛い仕草をみせて私をよく和ませてくれていた。

愛想の良い犬だったので、通り掛かりの人に「マック、マック」とよく可愛がられいたみたいだ。
マックには一体何人の友人がいたのだろうか…。
みんなに愛され、可愛がられた犬だったことだけは間違いない。

そんなマックだけに

「最近マックの姿をみかけないですけど、どうしたんですか」

などと飼い主さんは見知らぬ人からも尋ねられるらしい。

彼の存在は何気に近隣住民の中でも大きく重要だったことがうかがえる。

飼い主さんと、マックはあぁだった、こうだったと、ヤツの可笑しい行動を懐かしく話した。
飼い主さんも私のようにマックを好きでいてくれた人がいるのが嬉しそうな様子だった。

マック、家族や友人に愛され、人に安らぎを与え、長生きをした、幸せな犬。

死後は葬式も挙げてもらい、お坊さんにお経も唱えもらい、火葬にしてもらったそうだ。

マックはもうこの世にはいないが、みんなの心の中で生き続け、そしてお茶目な仕草で沢山の人にこれからも癒やしを与え続けることだろう。

ありがとう、マック。
君に出逢えて嬉しかったよ。

合掌…。



映画『天然コケッコー』in パルコ調布キネマ

2007-10-11 07:29:52 | エッセイ、コラム
調布のパルコに入っているこじんまりとした映画館「パルコ調布キネマ」で『天然コケッコー』のレイトショウを観てきました。
今回で十回目の視聴になります。

水曜サービス・デイで千円ということもあってか、6、7割の感じで客席は埋まっていました。
客席は傾斜が緩くスクリーンの観やすさという点ではイマイチな気がしましたが、音響は割と臨場感のあり、小さな台詞もキャッチできる状態で良かったです。

ただ観客がリピーターが多くこの作品を見慣れていて、新鮮味がなかったせいなのか、あるいは初めて観る人が多くて笑い所がピンと来なかったせいなのか、そこらへんは定かではありませんが、普通は笑い声が響くような場面で、観客からの反応が薄く、そこはちょっと残念でした。
私自身も少し眠気に襲われ、いつものようなビビッドな反応が出来なかったのが残念です。
淡々な作風の作品なので、受け手のコンディションに大きく作用されるのかもしれません。

パルコ調布キネマでは19日までです。
じわじわとした余韻に包まれるような作品ですので、まだ観ていない人はぜひ劇場に足を運んでみて下さい。
12月にはDVDも発売されますが、映画館で観てこそ本領を発揮する作品のような気がしますので…。


秋の夜長に…

2007-10-09 04:41:45 | エッセイ、コラム
彼岸花が咲いたと思ったら、みるまに金木犀の花芽が茎から顔を出し、蕾が沢山付いたなと思っていると、一気に開花してむせかえるような芳香だ。
今日は随分振りに『水道の水が冷たい』と感じた。
富士山にも雪が積もるし、長いこと稼働していたエアコンも現在は活動停止状態、季節は変わり始めるとなると結構急激だ。

秋が深まり始めると人恋しくなる。
孤独の溝を埋めるため、互いの傷を舐め合うため、あるいは来たるべき悪しきイベント「クリスマス」に独りでいたくないがため、利害関係が一致してこの時期付き合い始めるカップルも多いことだろう。
それくらい秋の夜長は黙って独りでやり過ごすには厄介なものだ。

かくいう私も何となく眠れずに、こうして駄文を綴っている。
あと2時間もすると夜も明けてしまうから、あぁまた意味なく夜更かししてしまったか、という徒労感だ。

しかしここで暫定的にカップル成立してしまった恋人たちは長続きするものだろうか…。
互いの寂しさを充足するように、欲望に身を任せ、お互いを貪りあった末にあるのはちゃんとした「愛」なんだろうか…。
衝動のまま互いに体を求めあった末、新しき鼓動が胎内で波打ち始め、その結果「結婚」となった場合、幸せになれる確率と不幸な結果に終わる確率はどちらが上なんだろうか…。
そんなこと全てが「秋の寂しさ」から始まっているとしたら、秋から初冬にかけてはちゃんと気を入れて過ごさないと、場合によっては大きな傷を背負って人生を台無しにしかねない。
秋とはそんな注意が必要な季節なんだなぁ。
まぁ、そんなことは私とは無縁なことではあるのだが。

そうこうしているうち、低くつけたラジオからキャロル・キングの「去りゆく恋人」、原題「So Far Away」が流れ始めた。
しっとりとして郷愁感に満ちた切ない曲だ。
全くこんな曲かけられたら意味なく寂しくなってしまうじゃないか!
ラジオ局も粋なのか罪作りなのか。

秋の夜長に携帯で打ち始めた駄文であるがさすがに打ち疲れてきた。

そろそろ勘弁してやるか(笑)。