電車の乗り換え途中で、ふと見つけたこの表示。
「lost and found」
という単語に反応して、キャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」という曲が頭の中で流れ出す。
そういえば、キャロル・キングのこの曲が収録されているアルバム『つづれおり』を買ったのは『トーキョー・ポップ』という映画がキッカケ。
劇中で、田所豊(ダイヤモンド・ユカイ)扮する日本人の青年が、主人公の白人女性のためだけにキャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」をカバーするシーンがあり、その原曲を聴きたかったからだなぁっということを思い出し、更に、そこから
「結局私たちのやったことって単なる“トーキョー・ポップ”に過ぎないのよ」
というような台詞を主人公の白人女性がポツリと呟くシーンにまで僅か数分で考えが及ぶ。
何かを夢中で一生懸命やって、その時は楽しくて考える余裕なんてなくて、でもそれがひとときの夢みたいなもので、実は殆ど実体のないもので、徒労に終わったときには、ふとこの台詞を思い出してしまう。
こういう「象徴」の飛躍と連鎖は妄想癖のある私にはよくあることで何ら珍しいことではないのだが、普通の人もそんな風に夢想が芋づる式に噴出するのだろうか…?
因みにキャロル・キングのアルバム『つづれおり』も映画『トーキョー・ポップ』も良い作品なので気が向いた方はチェックしてみて下さい。
「lost and found」
という単語に反応して、キャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」という曲が頭の中で流れ出す。
そういえば、キャロル・キングのこの曲が収録されているアルバム『つづれおり』を買ったのは『トーキョー・ポップ』という映画がキッカケ。
劇中で、田所豊(ダイヤモンド・ユカイ)扮する日本人の青年が、主人公の白人女性のためだけにキャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」をカバーするシーンがあり、その原曲を聴きたかったからだなぁっということを思い出し、更に、そこから
「結局私たちのやったことって単なる“トーキョー・ポップ”に過ぎないのよ」
というような台詞を主人公の白人女性がポツリと呟くシーンにまで僅か数分で考えが及ぶ。
何かを夢中で一生懸命やって、その時は楽しくて考える余裕なんてなくて、でもそれがひとときの夢みたいなもので、実は殆ど実体のないもので、徒労に終わったときには、ふとこの台詞を思い出してしまう。
こういう「象徴」の飛躍と連鎖は妄想癖のある私にはよくあることで何ら珍しいことではないのだが、普通の人もそんな風に夢想が芋づる式に噴出するのだろうか…?
因みにキャロル・キングのアルバム『つづれおり』も映画『トーキョー・ポップ』も良い作品なので気が向いた方はチェックしてみて下さい。