里山には豊穣の秋を感じさせる役者たちがいっぱいだ。
頭を垂れた稲穂の一団は主役級の壮観さで観る者に感銘をもたらす。
いぶし銀というか、渋さの魅力が光る助演者たちも秋の盛り上げにひと役買っている。
味のある役者たちの登場だ。
柿の木である。ほとんどほったらかし状態ながら、いじけることなく柿の実を今年も付けている。秋の味覚と呼ぶに相応しい柿が、落葉した枝の上でにぎやかに踊っている。商魂に彩られたハロウィンのかぼちゃの色をちょっぴり連想させるが。
根本には壊れた末なのか、さびが目立つ田植え機?が打ち捨てられていた。農業機械も役目が終われば粗大ごみである。農村地帯でもある里山にも耕作放棄地があちこちに見られ、雑草が生い茂って荒地と化し、秋の風景画に切り傷を付け、小さな穴を開けていく。用済みとなった農地の末期も無残な姿となる。
体力仕事の農業者は歳を重ねて高齢化し、親の世代から後継者として期待される若者らは勤め人となって農業から離れていく。農地は不動産業者に売られ、宅地となってマイカー通勤の若年世帯の住宅が建ち並んでいく。
ほったらかしなのは、こちらも同じ。金髪に染めて、ワックスでつんつんに立ち上げたパンクロッカー風の髪形なのは、ススキである。野性仕込みの荒くれた風情ながら、元気はつらつぶりが十二分に伝わってくる。在来種のススキの雄たけび姿の手前で黄色い声を上げて騒いでいるのは、外来種のセイタカアワダチソウである。品を感じさせない黄色い花は耕作放棄地が大好きで我が物顔で勢力を拡大していく。近年、ススキの巻き返しもあり、在来種と外来種のせめぎ合いが里山の秋の風景ともなっている。
稲穂の黄金色の風景の中に緑の一団が見えた。ビニールハウスなのだが、そのビニールがなくてスケルトンハウスとなっている。イチゴハウスだ。葉は大きく生長中だが、実はまだ見えない。クリスマスに向けて小さな青白い実から、大きく真っ赤な実へと育っていくはずだ。気温が下がってくればビニールが張られてハウス栽培となり、重油を焚いた熱風が吹き込まれる温室となる。こうして油代というお金がかかった高価なイチゴが誕生し市場に出ていく。出番に向けてただいま準備中。これも秋の里山風景である。
中央部分の稲穂だけを残して農業機械で刈り取られた田んぼ。モヒカン刈りだ。それほど広くない田んぼだから、15分ぐらいで全部刈り取ってしまう。収穫が済んだ田んぼは日毎に増えていき、豊穣の風景は晩秋から初冬へ向けて衣替えしていく。もうしばらくは豊穣の名残をじっくりと愉しめそうだ。
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