おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

バドとナッツと読書欄 味わいの今 4

2021-08-21 | Weblog

酷暑と蒸し蒸しが常となった日本の夏。水分補給のための飲料水はもろもろあれど、喉越しを求めるならば、やっぱりビールとなる。日本のビールメーカー各社のCMが何年経っても毎度おなじみの、あるいはマンネリにどっぷりと浸かった映像―喉越しの旨さに感極まったような表情をタレントらが似たり寄ったりで演じる―がテレビ画面に繰り返し放映されることになる。相当昔のことだが、黒澤映画の主役として常連だった三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」のCMは、ビール1杯ぐらいで感極まるような下手な演技はなし。呑んで旨かったのか、そうでなかったのか。唇についたビールの泡を吹き飛ばして終わる、分かったような、分からないようなCMだった。

ビールも多種多様あるが、さて、どの銘柄を選択しようか。かつて飲食店に行って「とりあえずビール!」と言えば、本邦ビール界の巨人キリンの瓶ビールがコップと一緒に出てくるのが常だった。苦みが独特で特別に旨いとは感じてなかったが、ビールとはこんな味わいだと思っていた。そんなビール観を一変させたのが、キリンの後塵を拝し続けていたアサヒビールが売り出したスーパードライ。切れがあるのに、濃くがある。相反するような味覚の味わいを売り文句にした新参の辛口ビールはその後、ジャイヤントキリングとしてキリン王朝を倒しビール界の王座に就いたのはご承知の通りである。確かに売り文句通り、ビールの旨さを感じさせ、飲食店ではとりあえずビールではなく、スーパードライの銘柄を指名してきた。

学生時代には高田馬場や歌舞伎町で友人たちと飲食し放歌高吟していた。スーパードライはまだ出てなかったから、キリンの瓶ビールか大ジョッキだった。味わって呑むというのではなく、体力にまかせて吞みまくるという、ビール会社が喜びそうな飲酒だった。最高にビールを飲んだ量はどれくらいだっただろうか。これはすぐに想い起こせた。卒業を迎える年度の春から夏までの頃、あるいは秋から冬にかけてだったろうか。JR高田馬場駅近くの雑居ビル内の居酒屋で酒豪の友人と2人で瓶ビールを呑みながら与太話をしていた。隣席の中年の男性客の耳にわたしたちの会話が聞こえて大学の後輩と知れてビールを差し入れてくれた。それぞれに大瓶1本を店員が目の前に運んできた。それを呑み干すと、さらに大瓶がそれぞれに1本、これが繰り返される。1人1ダースは呑んだ。ビールを吞んでいるなと感じたのは最初の3本まで。後は呑んでしばらく経つと手洗いへ行って排水の繰り返しとなった。酔いも覚めた気分で、ビールではなく水を呑み干していたような感じだった。それだけ大量のビールを呑み干して、その後はどうなったのか。それが、全く覚えていないのだ。どうやって帰ったのだろうか。

洋酒の輸入自由化の波はウイスキーからビ―ルにも広がり、スーパーや安売り酒店などで欧米銘柄のビールが身近となった。ハイネケン、クアーズ、バドワイザーなど、いろいろ試してみたが、ライトビールのバドワイザーとの相性が良くて欧米銘柄ではこれしか呑まなくなった。「KING OF KINGS   BUDWEISER」のナレーションが入ったCMやバドガールが登場して、その名を印象付けた。今では355ml(なぜか350mlではない)のバド缶1本呑めば、十二分に満足する。暴飲の若き日から、わきまえ過ぎるぐらいの年齢になったのか。慎ましい呑み方に至るまでに、なんとも長い道のりであった。バドを呑みながら、新聞の読書欄を丹念に読み、無塩のナッツ類をつまむ。いい休日だ。至福と想えるひと時の1つである。

ライトビールと活字とナッツで幸せになれる。

なんて単純明快で、簡単明瞭にして、コストパフォーマンスいいね!の人間なのだろう。

 

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