いつからなのか、8月には3つの地元で吹鳴が鳴り響き、全国で人々が黙祷の1分間を過ごす。
6日午前8時15分、広島から、9日午前11時2分、長崎から、15日正午、東京から。
吹鳴の響きは各地の自治体を通じて住民の住まいやオフィスや街中に広がっていく。
両手を組み、こうべを垂れ、目を閉じて、追悼と冥福の祈りの中で人々は己の気持ちを重ねる。
戦争を考え、戦没者を偲び、平和を嚙みしめる、短くも貴重なひと時。
平和と戦争という真逆の状態には理想と現実が交錯している。
理想は戦争の無い世界、核兵器のない世界、紛争のない世界を求める。
翻って現実はどうか。
軍事バランスの屋台骨としての核兵器への依存。
1発で街そのものを壊滅させ戦局を激変させる最終兵器としての核兵器。
第2次世界大戦の戦勝国・米英仏中国とロシア、いわば核保有クラブが独占する核兵器。
被爆者らが過去から現在に至るまで語りや証言録で訴え続けている核兵器廃絶は未だ実現していない。
広島、長崎への原爆による惨禍。天皇在住の東京への大空襲による阿鼻叫喚。
多くの民間人を巻き込んだ沖縄戦。勝算なき無謀な特攻作戦。
終戦という名の敗戦があり、占領国を経て、核の傘の中で平和が保たれる戦後日本の姿が今日も続いている。
被爆者や戦没者らの慰霊と追悼の中で考える。なぜ、こんな惨禍となる戦争が起きたのか。歴史を遡る。
欧米の帝国主義、植民地主義、覇権主義の流れの中に、遅れてやって来た帝国主義日本。
国益と権益をめぐる縄張り争いがそれぞれの国民を動員することで戦争が勃発していく。
国家は政治を通じて自己正当化を図り、自らの主張を正論として展開する。
意見の衝突が殺戮と破壊へとつながる。そのための兵器が作られ、残虐な作戦が組み立てられる。
8月9日、長崎での原爆犠牲者の慰霊祭に参列した後、こんなことを考えながら会場を後にした。
戦争と平和に関する理想と現実がかけ離れた中にある世界と日本。わたしもまた、その中にいる。
長崎医科大学(現長崎大学医学部)での原爆犠牲者慰霊祭。医学生だった叔父の慰霊でかつて両親と参列していた。既に両親も他界し、わたしがその意思を継承してことしも8月9日に参列した。焼失した最期に「安らかにお眠りください」などとは、何年経っても言えないのだ。