おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

緑陰の午後 滝の観音小縁起

2011-08-16 | Weblog
先導する軽自動車の後を追って、車は山中の舗装路を進んでいく。両側に山がそびえ、谷間を走行しているのが分かる。左手には渓流があり、上流に向かって車は上っていく。九州北部には湿った空気が入り込んで、ワイパーを最速にしても追いつかないほどの豪雨が緩急をつけて襲ってくる。精霊流しがある15日、昼食を終えて女性2人の案内で長崎市の東北部にある滝の観音を訪れた。

禅宗黄檗派・長瀧山霊源院が正式な名称だが、地元では滝の観音の通称で親しまれている。わが国最古の霊場だという。由来は弘法大師(空海)が留学先の唐から帰朝した西暦806年にさかのぼる。どういう因果か、当地に立ち寄ったことから縁起が始まる。綴りものにこうある。「滝水をご覧になり、大悲示現の霊地なりと、親しく加持の妙法を修され、さらに水観音の梵字を滝の懸崖に記して末代衆生の為に結縁なされた、と古書は伝えており、当山はわが国最古の霊場である」。空には雨雲が流れ、渓流を挟んだ山あいで緑が濃いため、幽谷の雰囲気が漂っていた。

車で境内に入り、渓流に架かる小橋を渡った先の広場に駐車した。先導してくれた女性が「坂を上って右側へ向かってください」と案内の声を掛けてくれた。よく手入れされたと分かる竹林の前に目指す場所があった。故郷の長崎から離れた大阪の地で人生が途切れたきみが眠っている。故あって縁が切れたと思っていたが、こうしてきみの目の前に立っているんだから縁は続いていたんだろう。享年52歳。年長だった。働き盛りだったんだね。周りを振りまわし、ある日所在不明となり姿を消した。数年が経ち消息が分かったとき、きみは病に冒され病院からの移動も困難となっていた。臨終の刹那、きみと縁あって結ばれて家庭を持ち、息子2人を授かった元妻が立ち合ったのは幸せだったと思う。大坂で葬儀・告別式があったのは後日聞いた。そう、わたしはきみの葬儀に参列しなかったのだ。

きみとの思い出はいろいろある。トラブル絡みが多かったな。でも、一番に蘇えってくるのはきみのお母さんの言葉だった。「問題を起こす子供ほど可愛いんですよ」。気丈で時折毒舌風の言を弄する肝っ玉母さんがしんみりとした表情で言ったのを鮮明に覚えている。きみが亡くなった後、不思議なこともいくつかあった。毎年命日が近付くと、闇夜で蛍が1匹どこからか飛んできてまとわりついたり、夜中にはたと目覚めて窓の外を眺めると大きなトンボが1匹何度も何度も旋回して飛び去らなかったこともあった。転生?と感じたくなるほどに、こんなことが続いた。夢の中にも現れた。きみ自身はなにも発しなかったが、故人となったきみのお父さんが語りかけた。「堪忍してやってください」。善人の見本のような心優しいお父さんの言葉に、夢の中でありながら心を動かされた。

長年宙ぶらりんとなっていたきみとの縁をただす日がやってきた。墓前で手を合わせようとの気持ちがきみの命日が過ぎて起きた。15日だったら、きみが再びあの世に戻る前に墓参に間に合うだろう。案内役の女性2人はきみと近しい血縁だ。さっきまで激しかった雨がやんだ。線香の煙が上がる中、きみが亡くなって以来、わたしはきみのために初めて手を合わせて冥福を祈った。許容することで、わたしたちは再び縁が結ばれた。もう蛍やトンボになって飛びまわったり、夢の中に出てくる必要はないさ。命日にはわたしがきみの前に現れるよ。
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