710年の平城京遷都から来年は1300年、
万葉集は最後の歌が詠われた759年から
今年は1250年になり、関連行事を聴講した。
前半、作家新井満が新作「ああ、君待つと」を歌手顔負けのノドで披露。
メインのスピーチは、安藤忠雄のピンチヒッターで鷲田清一が新井の歌を受けて「待つとは」の一席。
哲学者の話などはじめてだが、待つ、待てない、待たれているの話はおもしろかった。
夏休みに読みはじめた「坂の上の雲」が5巻まできた。 新装版の一段組みがだんぜん読みやすく、あと6巻目を残すのみになる。 歴史はむかし学んだものの残るものなく、このような小説で学びなおすことになる。 著者もどこかで記しているように、この本は小説というのがおかしいほど歴史をおう叙述ばかりである。 別の角度から見る歴史もあるとおもうが、対抗するものを知らない。 読みつつ思い出したのは、市が力をそそぎ新築した「坂の上の雲ミュージアム」で見たこの写真。 小説のエッセンスはこの短い文章に凝縮されている。 勝因敗因が小説のあちこちで触れられ、歴史の教訓があちこちに記されているなか、 5巻「大諜報」では、「新聞の水準は、その国民の民度と国力の反映であろう。・・・」としながら、 「ロシア帝国の敗因」を新聞が冷静な分析で総決算し、国民に知らしめるとすれば、 下って、その後40年後の我国の歴史は変わったものになっていたか・・・としている。 現在でいえば、影響の大きい大新聞の姿勢と国民がもつ風が問われるということ。 |