南京大虐殺に対する河村たかし発言に対して/<ノーモア南京>名古屋の会・平山良平

2012-02-24 00:25:55 | 社会
<ノーモア南京>名古屋の会 の平山良平です。

 本日23日(木)、名古屋市役所市長秘書課と国際交流課に行き、河村たかし名古屋市長あての要請書を手渡してきました。 下記のものです。

 河村市長の「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」との発言と、
旧日本兵であった父親が、南京で敗戦を迎えたとき「温かいもてなしを受けた」ことから、「8年の間にもしそんなことがあったら、南京の人がなんでそんなに日本の軍隊に優しくしてくれたのか理解できない」との発言が問題となっています。
 河村市長は「通常の戦闘行為はあって残念」と述べていますが、「南京陥落」の12月13日の朝以降、南京場内にいた南京防衛隊である中国国民党の部隊や兵士は武器を放棄しており、日本軍に対する戦闘行為自体がなかったのです。河村市長は戦争中であるから戦闘行為があったと思っているようですが、南京城内ではそれ自体がなかったということです。
 日本降伏時に中国国民党蒋介石総統は日本兵に対して報復行為をしないよう、「報怨以徳(日本軍・u桙フ怨みに報いるに徳でもってせよ」という布告を出し報復の連鎖を断ちました。これは南京だけに限らず中国全土でおこなわれたことと思われます。中国残留日本人孤児を育て上げた中国人の行為もそのひとつの現れでしょう。中国国民党蒋介石政府は日本に対する戦争賠償を要求しなかったし、その後政権を執った中国共産党政府も同様に政府としては日本政府に戦争賠償請求をせず、報復の連鎖を断ちました。
 京都の福知山連隊に召集され、南京攻略戦に参加し、南京城の東にある四方城を12月12日に夜襲をかけ、城を落とした東史郎さんはその功績で金鵄勲章を受けました。東さんは日本降伏時に寧波にいて、部隊の武器を集めて上海に輸送しました。受け取りに現れた中国国民党の士官は、「俺は南京で捕虜となり揚子江岸で機関銃掃射にあった。運よく弾に中らず、仲間の死体の下にもぐりこんで九死に一生を得た。お前たち日本兵を八つ裂きにしたいが、総統の命令でそれを制止されている。」と東史郎さんに語った、ということが頭に浮かび書きました。
河村市長は南京大虐殺のことも、日本降伏時の中国軍、民の日本兵に対する寛大な対応も知らないのです。

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2012年2月23日          
要 請 書  

名古屋市長 河村たかし 様

<ノーモア南京>名古屋の会 平山 良平
               
「南京事件はなかった」との見出しで毎日新聞は2012年2月20日付夕刊で第一報を報じました。
市長は2月20日、表敬訪問を受けた中国・南京市の共産党市委員会常務委員らの一行8人に対し、1937年の南京事件について「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と述べ、旧日本兵だった父親が南京で45年の終戦を迎え「温かいもてなしを受けた」と話し、「8年の間にもしそんなことがあったら、南京の人がなんでそんなに日本の軍隊に優しくしてくれたのか理解できない」などと述べ、「真実を明らかにしないととげが刺さっているようなものでうまくいかない。一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めたという。
要請者平山良平は2010年12月はじめ、市役所市長秘書課に赴き同月11日に予定されている「南京1937名古屋証言集会」の案内ビラとともに『フィルムは証言する 南京大虐殺から半世紀』(毎日放送1992年制作)ビデオカセットテープを職員に手渡し、ダビングしてもよいから、河村市長に見てもらうよう要請しました。昨年の12月10日の「南京大虐殺名古屋証言集会」の案内ビラも同秘書課職員に渡しました。
 河村たかし名古屋市長は南京事件とも言われている南京大虐殺を知ろうとせず、結果として知らず、だからこそ市長は「通常の戦闘行為はあって残念」としか言えないのでしょう。日中戦争中であったから南京の死傷者について通常の戦闘行為によるものと推測しています。しかし、南京陥落の12月13日以降は南京では占領した日本軍への中国軍民からの戦闘行為そのものがありませんでした。
父親から、「終戦時に南京にいて温かいもてなしを受けた」ことを聞いて、温かいもてなしを受けたくらいだから、その8年前の南京大虐殺はなかったであろうと河村市長は自身の感想を述べています。1945年8月15日の日本軍降伏後、中国で日本兵への報復がなかったのは、当時の中国国民党蒋介石総統が国民党軍と民衆に「報怨以徳(日本軍の怨みに報いるに徳で以ってせよ)」の大号令を発した結果であり、中国大陸にいた日本兵は中国軍民からの報復を受けることなく、順次、無傷で日本に帰還してきました。中国国民党政府も、後に政権についた中国共産党政府も日本に対して中国政府として戦争賠償を求めませんでした。ここでも報復の悪循環を断ったのです。
河村たかし名古屋市長は、南京大虐殺について知ろうとしていません。
『フィルムは証言する 南京大虐殺から半世紀』には当時南京にいたマギー牧師の撮影した南京での映像が写しこんであり、当時の虐殺のほんの一端を見ルことができます。51分あれば南京大虐殺の概要がわかる優れたドキュメンタリー作品です。1992年制作で、平松邦夫前大阪市長も製作者の一人としてかかわっており、鑑賞されることを要請します。
名古屋市長が南京大虐殺について知らないことについては、とやかく言うことはないでしょう。しかし、知ろうとせず、あるいは知らないで、名古屋市長として南京大虐殺はなかったという発言についてはものを申します。南京大虐殺について、まずは知ってください。今回の要請の要です。
今年の12月にも南京から生き証人を招いて証言集会を開きます。会場に足を運んでください。
市長自ら提案の南京での討論会、それについては開催にこぎつけ、是非とも河村たかし名古屋市長自ら参加してください。
             


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