埼玉県平和資料館(同県東松山市)で、掲示してある「昭和史年表」の「南京大虐殺」に関する表記と写真が、テープを張って隠されている事が25日、分かった。同資料館の原田美岐子艦長は取材に対し、隠した理由について「南京大虐殺についてはその規模に諸説がある。写真も実際には虐殺の被害状況なのか真偽が明らかでなく、歴史的評価が分かれている(ため)」としている。
東京新聞 2006.7.26(水) 12版 27面 【社会】
「南京大虐殺」隠す 「従軍慰安婦」で物議 埼玉県平和資料館の年表
写真にもテープ張る
年表には「1937年12月13日日本軍、南京占領(南京大虐殺)」という表記と、揚子江の川岸に大量の死体がある大虐殺の惨状とされる写真が掲示されていた。ところが「南京大虐殺」の部分と写真が昨年3月末から白いテープで隠されていた。
この年表をめぐっては「従軍慰安婦」の表記について、同県の上田清司知事が「従軍慰安婦はいなかった。間違った記述で修正しなければならない」と県議会で答弁。それを受けて25日に開かれた同資料館の運営協議会の席上、南京大虐殺についても記述が隠されていたことが明らかにされた。
原田館長は「学芸員など内部の判断。 (知事からの指示は一切なかった」と説明。「南京大虐殺の表記については、調査・研究の後、あらためて記述内容を検討したい」としている。
東京新聞 2006.7.26(水) 12版 27面 【社会】
「南京大虐殺」隠す 「従軍慰安婦」で物議 埼玉県平和資料館の年表
写真にもテープ張る
年表には「1937年12月13日日本軍、南京占領(南京大虐殺)」という表記と、揚子江の川岸に大量の死体がある大虐殺の惨状とされる写真が掲示されていた。ところが「南京大虐殺」の部分と写真が昨年3月末から白いテープで隠されていた。
この年表をめぐっては「従軍慰安婦」の表記について、同県の上田清司知事が「従軍慰安婦はいなかった。間違った記述で修正しなければならない」と県議会で答弁。それを受けて25日に開かれた同資料館の運営協議会の席上、南京大虐殺についても記述が隠されていたことが明らかにされた。
原田館長は「学芸員など内部の判断。 (知事からの指示は一切なかった」と説明。「南京大虐殺の表記については、調査・研究の後、あらためて記述内容を検討したい」としている。
>隠した理由について「南京大虐殺についてはその規模に諸説がある。写真も実際には虐殺の被害状況なのか真偽が明らかでなく、歴史的評価が分かれている(ため)」としている。
>第二次世界大戦が終結して半世紀が経過し、人々の記憶の中から先の大戦の惨禍が忘れ去られようとしています。埼玉県平和資料館は、風化しつつある戦争の体験を次の世代に引き継ぎ、県民に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることにより、平和に対する県民の意識の高揚を図るとともに、平和な社会の発展に寄与することを目的
に開館した「ごあいさつ」にも反する行為で呆れる。
>上田清司知事が「従軍慰安婦はいなかった。間違った記述で修正しなければならない」と県議会で答弁。
そのうち原爆投下や東京大空襲をはじめとして戦争被害の写真や人数も真偽のほどが明確でないとの理由で戦争責任そのものを抹殺することにならないか?シベリア抑留や南方でどれだけの人が殺されたのか、遺骨が出てこないから不明。よって歴史的評価が分かれるなどと言いそうだ。侵略の事実こそ問題にすべき。北朝鮮に「拉致」された人間の人数云々の当否で「拉致」を免罪できないのと同じ。
大体共通しているのは、アジアに対する戦争評価には難癖をつけている?。ABDにはどうなんだ。シベリア抑留にしたって、ソ連の責任は当然だが、戦後抑留者の帰国や遺骨収集をサボった政府の責任と歴史的評価はどうするのか。補償も怠っている!
具体的な資料がないとか、人数が曖昧などと言ったら、証言全てが「個人的」体験ということになってしまう。そもそも政府が自分の起こした戦争の資料を作成しなかったことが問題。しかも敗戦時に都合の悪い資料を大量に焼却したことを抜きに、勝手な「論」を組み立てているのだから、呆れる。
>風化しつつある戦争の体験を次の世代に引き継ぎ、県民に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える
ためにこそ、諸事実を解明していくことが大切ではないのか。「クレーム・いちゃもん」をつけて曖昧にしている諸事実や背景をきちんと国民に知らせることが仕事ではないのか。
http://t-t-japan.com/bbs2/data/sikousakugo/file/%83X%83P%83b%83%60%92%A0%8E%CA%90%5E.jpg
このように殺されたのです。
一斉射撃の命令が出たのはそれからまもないときだった。
半円形にかこんだ重機関銃・軽機関銃・小銃の列が、川岸の捕虜の大集団に対して一挙に集中銃火をあびせる。一斉射撃の轟音と、集団からわきおこる断末魔の叫びとで、長江の川岸は叫喚地獄・阿鼻地獄であった。田中(栗原)さん自身は小銃を撃ちつづけたが、いまなお忘れえない光景は、逃げ場を失った大群衆が最後のあがきを天に求めたためにできた巨大な〝人柱〟である。なぜあんな人柱ができたのか正確な理由はわからないが、おそらく水平撃ちの銃弾が三方から乱射されるのを、地下にはむろんかくれることができず、次々と倒れる人体を足場に、うしろ手にしばられていながらも必死で駆け上り、少しでも弾のこない高い所へと避けようとしたのではないか、と田中(栗原)さんは想像する。そんな〝人柱″が、ドドーツと立っては以朋れるのを三回くらいくりかえしたという。一斉射撃は一時間ほどつづいた。少なくとも立っている者は一人もいなくなった。
そんなに銃弾が余っていたのか?
戦時中にそんな不必要な浪費をするものなのか?
当然、内心において、或いは「心の問題」においては、完全に「自衛」の積りだったろう。
丁度、まるで今の中東で起きている戦争のように。
普通、占領する側は、当然そこが外国なので勝手も判らず、簡単に周囲全部が敵であるとの妄想に走ってしまう。
そして人を殺し続けるので、実際に「周囲が敵」になるのだ。
イラク人も随分、無意味に民間人が殺傷されたし、レバノンで内戦を煽っているイスラエルも、第二次大戦以降に建国した「周囲が敵」な国である。
しかし、不思議に思うのは、大虐殺を否定したい人間は、何故自分自身が人殺しとして指弾されているかのような錯覚に陥るのか?
国家神道カルトに罹ると、悪い事は悪い事として分類して、過去と決別すればあらゆる罪を引き被る必要はない、という道理が判らなくなるのだろうか?
カルトは怖い!心の病気だね。
大虐殺が行われている南京に35万人もの住人が集まってきたことになる。
しかもビデオに映っている楽しそうに生活している住人(エキストラ?)の目に触れないように大虐殺は行われたことになる。
http://www.history.gr.jp/~nanking/
英、米を始め各国新聞・通信社の特派員15,6名が在駐していたが誰も虐殺の話題すら聞いたことがないと証言している。
中国の反日政策、GHQの「ウォー・ギルト・プログラム」(戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)朝日新聞のねつ造記事から尾ひれがついてここまで深層心理に浸透しているのには驚かされた。
管理人も、批判もいいがどうして日本が戦争に巻き込まれたのか、戦争をしなければ現在どうなっていたか。もう少し思いこみをなくして歴史を勉強する必要があるのではないか。
http://www10.plala.or.jp/yosioka/syougen.htm
可哀想に、一度喰い付くと離れない、ある種の特定少人数の人達に苦しめられて、項目を守る為には対応しない訳にはいかない規約があるから。
やはり、上記の大虐殺を開戦そのものの是非に拡大するような、論旨のすり替えや拡大があり、反論にも耳を貸さずに延々と続ける模様。
しかし、一般的に信じられている範囲では、日中戦争は軍部が政府方針に反して暴走したのが原因だし、「日本が戦争に巻き込まれた」という言い方が可能な第二次大戦は米国参戦の謀略に見事嵌められたのだから、嵌まらなきゃ(コテンぱんな負け方が)少しはマシだったろうと思うのが国民的理解だろう(一部の国家神道カルト的見方はさて置き)。
南京は当初、日本軍側は攻めないと約定を交わした為、周囲から避難民が集まったが、日本軍にありがちな方針の急転換から、違約して交戦した。
熱河の頃から、日本軍のあまりに非合理な行軍に、張学良なども悩まされていたが、終ぞ、中国側は日本のパターンなるものを掴めなかったようだ。
ついでに、真珠湾攻撃も、その文脈であればこそ、世界に理解され易かった(から、米国側謀略も見事完結した訳だ)。
寝た子を起こして自虐的な気分になりたければ、そういう事です。