転載 ・無知の涙・・・・・秋葉原無差別殺傷事件事件/myxomycota everywhere

2008-06-10 22:41:17 | 社会
東京・秋葉原での無差別殺人の動機について、「派遣労働者だから」ってな話がネットでわんさと出てやがる。マスメディアや警察からの情報に依存しつつ、あとは聞いてきたよな話でつなぎあわせて、いまの段階から判断するってか。

事実行為が現行犯として確定的であれ、その行為の意味について個的内戦なんだと早々に決めつけてわめくってことは、要するに殺人者に仮託して自分のことを語りたいってことじゃねえのかよ。奴がどうだか、ほんとはどうでもいいんじゃねえのか。

それか、理解不能な怪物を「そういうもの」として今のうちに処理しときゃ、それで心のざわつきを押さえつけられるってことか。そうしたい気持ちは、貧しい一匹の凡夫として分からんでもねえ。

けどな。「派遣の境遇」が殺しのわけだというなら、「戦後」幾度となく繰り返されてきた寄せ場暴動があくまでヤクザとポリに対する蜂起となって、その力が決して無差別の殺戮にはならなかったという、そのわけを、誰か、教えてくれないか。

奴はおそらく一人。寄せ場にゃ交錯があった。ただそれだけか。

個的な無差別殺人のわけは、ただただ永山則夫だけか。

無差別殺人者が永山の再臨だったとしよう。それでも今から口角泡飛ばして「派遣」の話にしておいて、皆がてんでに自分の話をはじめてそれぞれ勝手に溜飲さがっちまって、それで得するのはいったい誰なんだ?

「闘わない」人間ほど人のフンドシでよく喋るもんだが、てめえの恨みはてめえの行為で語るべきだろうが。

myxomycota everywhere
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彼の苦しみを無視するな/ソウル・ヨガ
6月10日

昨日からテレビや新聞では、秋葉原無差別殺人事件でもちきりだ。
それに対して一言だけ。

多くの解説者やメディアは、「犯人」のことをひどくいう。
だが派遣労働などで屈辱的に感じるということへの想像力、共感がみられない。

彼のケータイの掲示板への文章を読んだ。

それは切ない。

「別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか」

「彼女がいれば、仕事を辞めることも車をなくすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった。希望があるヤツにはわかるまい」

「で、また俺は人のせいにしているといわれるのか」

「『死ぬ気になれば何でもできるだろ』 死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね」


その気持ちは少しわかるじゃないか。

モノのように扱われ、簡単にクビを切られ、代替はいくらでもいるといわれ、低賃金で過酷な長時間労働をやらされる。その日々の中で、彼が絶望を感じて、徐々に壊れていくことを、誰が非難できようか。

彼は中学で優等生だった。だからその思考の記述は適切な表現を選んでいる。

被害妄想の面もあったかもしれない。だが、『朝日新聞』の天声人語のオッサンが、

「このご時世、仕事の悩みや日々の暮らしに押しつぶされそうな人は、いくらもいる。目をこらしても、そこから17人殺傷に至る線がみえない」

と書くのは完全に完全に間違っている。
こんなひどい文章には僕は怒りを感じる。

年収1500万、2000万のこのオッサンには絶対に、彼のケータイの文章の切なさが見えていない。

何たる鈍感さ!!!

こんな文章を書くヤツがいるから彼は絶望的に「何もかもが俺に襲いかかってくる、何もかもがアンラッキーだ、誰かれもが俺を嫌う、誰も彼もが俺を無視しやがる」という気分になっていくのだ。

殺人を正当化しようとしているのではない。

犯人の苦しさがひしひしと伝わってくるのに、メディアの奴らのほとんどが鈍感で、自分が高収入・安定した地位を得ていることに「後ろめたさ」を感じていない。

この格差社会のワーキングプアの哀しみをまったくわからない奴ら。

この点は僕がよくぶつかる感覚だ。

ほとんどの人は「お金はあっても困ることない。がんばって働いた人がお金をもうけてもよい」という。お金批判をするとよく批判を浴びる。能力主義と自己責任論がはびこっている。

NPOとか社会運動でも、このお金については意見が分かれる。
労働運動でも、正社員の高収入を引き下げるべきという意見には抵抗が強い。

だがぼくは、スロー系、スピリチュアル系の感覚なので、お金の問題にはこだわりたい。
年収800万円以上の人間は、自分の得ている収入に、なんらかの「恥」を見出すような感覚が必要と僕は思っている。

非常勤・フリーターとの格差を考えるならば。

高収入でもすばらしい人もいる。だが僕の話は、スピリチュアルなレベルで、この世に、少しのアンラッキーかラッキーかの違いで、大きな較差があるということ、そのなかで自分が今もっている権力や安定や収入への敏感で繊細な感性がないのはおかしいということだ。

明日、地震や原発事故や交通事故や病気発見で、私たちの誰もが絶望の深淵の淵にたたされるかもしれないのに。

私(正社員)は月給30万、40万円、50万円で、あの人(非常勤)が時間給900円であることに正当な理由はない。

正社員でも零細企業や若年層はワーキングプアもいる。

だからわかりやすく、年収800万円程度以上ということ自体を恥じる感性が必要だと、僕は言う。


とにかく、「転々とする不安定な生活、派遣労働の屈辱」を適切に問題化しないような、今回の事件の報道には大きな欠陥がある。

つらい生活の積み重ねの中で、精神を病んでいき、苦しくなっている人がいる。その人たちへの思いが必要だ。
自殺したいといっていた点からも、精神的な病みを考慮すべきである。すぐに被害者の怒り(それは当然)から死刑要求へと飛ぶのはおかしい。法相はまたもやバカなこと言ってるけど。


労働問題として、この事件を教訓化すべきだ。
http://blog.zaq.ne.jp/spisin/

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asahi.com
一昨年、友人らに自殺ほのめかすメール 秋葉原事件

東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人未遂容疑で逮捕された加藤智大容疑者(25)は、進学校の青森高校を01年3月に卒業。同級生の大半が大学に進む中、好きな自動車整備の短大に入学。その後は、転々とする不安定な生活を続けていた。
 小中学校の同級生(25)は、中学時代は成績でトップ10に入っていた加藤容疑者が、高校の最初のテストでふるわず、かなり落ち込んでいた様子を覚えている。
 「競走用のレーサーや整備などの道に進みたいと思っていたようだ」。卒業時の担任(54)が話すように、岐阜県の中日本自動車短大に入った。
 だが、同短大によると、加藤容疑者は講習に出席しなくなり、担任が個人面談すると「整備士ではなく、中学校の先生になりたい。出身地の弘前大学に進みたい」と話した。しかし、推薦による編入時期が過ぎており、結局、整備士資格も取れず、大学にも進めなかった。
 その後は仙台市を拠点に1年ほど過ごし、友人と一時同居。茨城県で定職に就いたが、そこも辞めて青森市に戻った。「やはり自動車が好きだ」と昨年1月から運送会社でトラック運転手として働いたが、9月に退社したという。
 「もう死ぬ」「今までどうもありがとう」
 06年夏には友人3人の携帯電話に車を使った自殺をほのめかす一斉メールが送られてきた。2、3カ月後、友人たちに再度、一斉メールが届いた。「生きてます」「死に損ねた。ごめんなさい」。自殺に失敗したのは思いのほか車が丈夫だったから――そんな内容だった。
 今回の事件発生の数カ月前から急にメールが途絶えた。「死んだのではないか」と仲間で話していた矢先、テレビニュースに加藤容疑者が映し出された


法相「命奪う人にはそれなりのものを」 秋葉原事件受け
2008年6月9日21時9分

 鳩山法相は9日、東京都内であったパーティーでのあいさつで「私が粛々と死刑を執行させていただいていることを『司法的殺人』と書くマスコミもある。それは違う、人の命を大切に思えばこそだ」と述べた。そのうえで東京・秋葉原の無差別殺傷事件にふれ、「昨日も大事件があったが、人の命を奪うような人にはそれなりのものを負ってもらおう。それは日本人として当然の考え方だと思う」と、死刑制度の必要性を訴えた


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イダさんのブログ読みました。まったく同感です。

いつものことですが、なぜこの事件が起きたのかという本質的問題を追究しないマスコミ報道にあきれていました。
トヨタの名前をだすことも自主規制しているようです。いまある情報からでも、派遣労働の問題が背景にあることはまちがいないでしょう。

お隣の韓国では、民衆の怒りが直接政権を変える方向で爆発していますが、今の日本では、自殺するか殺人するかしかないのは、かなしいです。

イダさんがブログで書かれた
> 年収800万円以上の人間は、自分の得ている収入に、なんらかの「恥」を見出すような感覚が必要と僕は思っている。

は重要な指摘だと思いました。

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  松原 明  mgg01231@nifty.ne.jp
  http://www.vpress.jp/ ビデオプレス
  http://www.labornetjp.org/ レイバーネット
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レイバーネットMLから転載

秋葉原事件に対するみなさんのご意見、参考にさせてもらっています。今日も、ある会合で話題になりました。きっとあちこちでこの事件に関する議論が行われているのだと思います。

あの事件が発生したころ、秋葉原のちかくにいて、しばらくしたらやけに上空をヘリコプターが飛ぶな、とおもって、そのあとにあの悲惨な事件がおきていたことを知りました。

この間の報道で、加害者の境遇はかなり共有化されており、レイバーネットに参加している皆さんであれば、厳罰化、治安管理強化、加害者を追い込んだ労働環境(まさに自動車絶望工場です)などには、ぴんとくるとおもいます。

その一方で、被害者の方への言及が、あまりに少なすぎるのではないかとも思うのです。これは難しいですが、すくなくとも、社会構造が加害者を生み出したのであったとしても、秋葉原で働いていたり通りかかったりしていた人々はその社会構造の上のほうにいた人たちではないのではないでしょうか。ウィークデーの永田町でもなく、霞ヶ関でもなく、兜町でもなく、六本木ヒルズでもなく、休日のアキバを通りかかった人びとがなぜ、社会的不平等の責任を命を持って償わなければならないのでしょうか。

そして、なぜ加害者は、国会でもなく、桜田門でもなく、市谷でもなく、大手町でもなく、日研総業でもなく、関東自動車でもなく、トヨタでもなく、ほぼ無防備な歩行者ばかりであると分かりきっている秋葉原のホコ天に、2tトラックで突っ込み、投げナイフやジャックナイフなどで武装し、抵抗するすべを持たない人びとを襲い、警官に終われて逃げ、拳銃を突きつけられたのちに、降伏したのか。

やりかえすのなら、できるかぎり武装して、もっと弱いやつにやりかえす

そんな思考パターンに思えてならないのです。

その思考パターンを加害者に植え付けたのはいまの体制ではないでしょうか。そしてその体制に屈服し、もっと弱いやつにやり返すことが蔓延している社会、職場を作り出したのは、体制だけなのか、とも考えるのです。労働者を分断し、階層化し、差別化する派遣法などの規制緩和を進めたのは資本家だけなのでしょうか。

地域から引き剥がされ、放り込まれた先が、団結も連帯もない自動車絶望工場。団結して強い奴らにたたかいを挑むことが(たとえ勝利できなくても)できるんだ、という経験がほんのすこしでもあったら、もしかしたらトラックの行き先はすこしは変わっていたのかも。

なぜ普通の人たちが殺し、殺されなければならないのか、考えれば考えるほど悲しくなります。

亡くなった武藤舞さん、小岩和弘さん、中村勝彦さん、松井満さん、藤野和倫さん、宮本直樹さん、川口隆裕さんの無念を晴らすためにも、「もっと弱い奴らにやりかえす」社会をつくりかえないと、と希望と絶望の境界で思うのです。(I)


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参考ブログ

低気温のエクスタシーbyはなゆー
低気温のエクスタシーbyはなゆー
femmeletsの日記 Queer Linda Diary

マウスパッドの上の戦争
世に倦む日日


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
一番最初の文章は (団塊の世代か?)
2008-06-10 23:18:23
最早社会の中堅に達したフリーター初代層以降の、見事な迄に分断された派遣管理手法を知らない訳ね?
アジア系外国人で実験的に確立され、日本の若年層に応用された、今や常識の。
『無知は幸い也』!
犯人は確かに、些か脳内のセトロニン&アドレナリン分泌が少ないだろう。
だが、じゃあ逆に、キレ易ければ皆通り魔になるのか?
派遣より恵まれた環境であっても?
億万長者でも?
社会の不安定化って、どういう意味だと思う?
格差拡大って?
『連帯』『闘争』はそもそも、団塊の世代が社会的禁止事項に、頑張って入れ込んで下さったんじゃなかったのか?
権利に犬の様に屈して。
その子や孫の世代は、素直に真に受けたんだろ!団塊の言う事を。
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誤字 (訂正)
2008-06-10 23:32:27
×権利→○権力
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