「臣民根性を払拭しよう」。今日の天皇制の役割を考える/澤藤統一郎の憲法日記 から

2014-08-16 02:04:27 | 社会
http://article9.jp/wordpress/?p=3303

戦争の惨禍を思い起こすべき8月も、天候不順のまま半ばに至っている。明日は終戦記念の日。

戦争が総力戦として遂行された以上、戦争を考えることは国家・社会の総体を考えることでもある。政治・軍事・経済・思想・文化・教育・メディア・地域社会・社会意識・宗教・政治運動・労働運動…。社会の総体を「富国・強兵」に動員する強力な装置として天皇制があった。8月は、戦争の惨禍とともに、天皇の責任を考えなければならないときでもある。

本日、「靖国・天皇制問題情報センター」から月刊の「センター通信」(通算496号)が届いた。「ミニコミ」というにふさわしい小規模の通信物だが、一般メディアでは取りあげられない貴重な情報や意見であふれている。

巻頭言として横田耕一さんの「偏見録」が載る。毎号、心してこの辛口の論評を読み続けている。今号で、その42となった。そのほかにも、今日の天皇制の役割を考えさせる記事が多い。

今号のいくつかの論稿に、天皇と皇后の対馬丸祈念館訪問が取りあげられている。初めて知ることが多い。たとえば、次のような。

「戦時遭難船舶遺族会は、『小桜の塔』と同じ公園内にある『海鳴りの像』への(夫妻の)訪問をあらかじめ要請していたが、断られた。海上で攻撃を受けた船舶は、対馬丸以外に25隻あり、犠牲音数は約2千人といわれている。なぜこのような違いが生じるのだろうか。」

『小桜の塔』は対馬丸の「学童慰霊塔」として知られる。しかし、疎開船犠牲は対馬丸(1482名)に限らない。琉球新報は、「25隻の船舶に乗船した1900人余が犠牲となった。遺族会は1987年、那覇市の旭ケ丘公園に海鳴りの像を建てた。対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』も同公園にある」「太平洋戦争中に船舶が攻撃を受け、家族を失った遺族でつくる『戦時遭難船舶遺族会』は、(6月)26、27両日に天皇と皇后両陛下が対馬丸犠牲者の慰霊のため来県されるのに合わせ、犠牲者が祭られた『海鳴りの像』への訪問を要請する」「対馬丸記念会の高良政勝理事長は『海鳴りの像へも訪問してほしい。犠牲になったのは対馬丸だけじゃない』と話した」と報じている。

しかし、天皇と皇后は、地元の要請にもかかわらず、対馬丸関係だけを訪問して、『海鳴りの像』への訪問はしなかった。その差別はどこから出て来るのか。こう問いかけて、村椿嘉信牧師は次のようにいう。

「対馬丸の学童の疎開は当時の日本政府の決定に基づくものであるとして、沖縄県遺族連合会は、対馬丸の疎開学童に対し授護法(「傷病者戦没者遺族等授護法」)の適用を要請し続けてきたが、実現しなかった。しかし1962年に遺族への見舞金が支給され、1966年に対馬丸学童死没者全員が靖国神社に合祀された。1972年には勲八等勲記勲章が授与された。つまり天皇と皇后は、戦争で亡くなったすべての学童を追悼しようとしたのではなく、天皇制国家のために戦場に送り出され、犠牲となり、靖国神社に祀られている戦没者のためにだけ、慰霊行為を行ったのである。」

また、次のような。
「天皇の来沖を前にして、18日に、浦添市のベッテルハイムホールで、『「天皇制と対馬丸」シンポジウム』が開催されたが、その声明文の中で、「私たちは慰霊よりも沖縄戦を強要した昭和(裕仁)天皇の戦争責任を明仁天皇が謝罪することを要求する。さらに『天皇メッセージ』を米国に伝えて沖縄人民の土地を米軍基地に提供した責任をも代わって謝罪することを要求する。明仁天皇は皇位を継承しており、裕仁天皇の戦争責任を担っている存在にあるからである。そうでなければ、天皇と日本国家は、これらの責任を棚上げして、帳消しにすることになるからである」と表明している。このような声が出てくるのは、当然のことであろう。」

また、村椿は、キリスト者らしい言葉でこう述べている。
「多くの人たちを戦場に送り出し、その人たちの生命を奪った人物が、みずからの責任を明らかにせず、謝罪をせず、処罰を受けることなしに、その人たちの「霊」を「慰める」ことができるのだろうか。そのようなことを許してよいのだろうか」

沖縄の戦争犠牲者遺族の中に、天皇・皇后の訪問を拒絶する人だけでなく、歓迎する人もいる現実に関して、村椿はこう感想を述べている。
「奴隷を抑圧し、過酷な労働を課した主人が奴隷にご褒美を与えることによって、奴隷を満足させようとしている。奴隷がそのご褒美を手に入れて満足するなら、奴隷はいつまでたっても奴隷のままであり、主人はいつまでも奴隷を支配し続けるだろう。」

同感する。天皇制とは、天皇と臣民がつくる関係。これは、奴隷と奴隷主の関係と同じだ。奴隷主は、奴隷をこき使うだけではない。ときには慰撫し、ご褒美も与える。奪ったもののほんの一部を。これをありがたがっているのが、奴隷であり、臣民なのだ。

いま、われわれは主権者だ。奴隷でも、臣民でもない。だが、天皇制はご褒美をくれてやる姿勢を続け、これをありがたがる人も少なくない。慰撫やご褒美をありがたがる臣民根性を払拭しよう。戦後69年目の夏、あらためてそのことを確認する必要がありそうだ。
(2014年8月14日)

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