腐った司法、君が代強制合憲判と藤田判事の反対意見/とほほ

2007-02-28 22:59:44 | 社会

今回の裁判で唯一の反対意見の藤田判事の主張は全く持って正論であり正論の通
らない裁判なんてあってよいのか?裁判まで多数決の論理の上にあるのよ、日本
の裁判はアメリカの陪審制度が「全員一致」でなくては結審しないことの意味を
もう少し考えろってんだ。多数決ではなく論理で判決しろ。

この藤田さんと言う判事をネットで検索したら最高裁判事になる以前までの自分
のホームページを閉鎖せずにしっかりと残している。これは偉いと思う。選挙に
受かったらそれまでの主張を一変してしまう某自民党の議員連中に足のつめの垢
でも飲ませてやりたい。
○Tokiyasu Fujita Home Page
http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/

以下、判決文
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070227173039.pdf
より藤田判事の反対意見を抜粋。
とほほが「まったくそのと~~り」と特に手を叩いた部分を【】で強調。
改行・段落・機種依存文字等WEB用に編集。

---
裁判官藤田宙靖の反対意見は,次のとおりである。

私は,上告人に対し,その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴
奏を命ずる校長の本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとし
て憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては,なお疑問を抱く
ものであって,にわかに賛成することはできない。その理由は,以下のとおりで
ある。

1 多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告
人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち,「君が代」が過去において果た
して来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であ
るととらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピ
アノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づ
く一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものというこ
とはできないとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,
上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできな
いとし,また,このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の
思想を持つことを強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要す
るものであるということはできないとする。

これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」とし
て,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」
自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その
派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例え
ば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否
定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものと
いうことができよう。

しかし,私には,まず,本件における真の問題は,校長の職務命令によってピア
ノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体
を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強
要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が,多数意見
のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は,既に本
人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み絵」の場合のように,こ
のような告白をしたからといって,そのこと自体によって,処罰されたり懲戒さ
れたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式においてピアノ伴奏を
することは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり,それ
にもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるよう
に思われる。

そうであるとすると,本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」
としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価とい
う歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君
が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参
加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価
(従って,また,このような行動に自分は参加してはならない- 13 -という信念
ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者
の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。

そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体とし
て憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・
信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であるこ
とになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の
上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなけれ
ばならない。

このことは,例えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,
従って,例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること
自体については抵抗感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の
中に大きな分かれが現に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制するこ
とについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,
また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも,い
えるところである。

【この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別
された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く
者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条
そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。

そしてまた,こういった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をす
べきではない」というような,国民一般に到底受け入れられないようなものであ
るのではなく,自由主義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであ
ることも,にわかに否定することはできない。本件における,上告人に対してピ
アノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については,こ
ういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。

2 多数意見は,また,本件職務命令が憲法19条に違反するものではないこと
の理由として,憲法15条2項及び地方公務員法30条,32条等の規定を引き
合いに出し,現行法上,公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務がある
ことを挙げている。ところで,公務員が全体の奉仕者であることから,その基本
的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は,いうまでもなくこれを否定す
ることができないが,ただ,逆に,「全体の奉仕者」であるということからして
当然に,公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである,と
いったレヴェルの一般論により,具体的なケースにおける権利制限の可否を決め
ることができないことも,また明らかである。

【本件の場合にも,ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようと
している公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず,そのような
利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要と
の間で,慎重な考量がなされなければならないものと考える。

ところで,学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなけれ
ばならないことは,自明の事柄であって,それ自体は極めて重要な公共の利益で
あるが,そのことから直接に,音楽教師に対し入学式において「君が代」のピア
ノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではな
い。】

本件の場合,「公共の利益の達成」は,いわば,「子供の教育を受ける利益の達
成」という究極の(一般的・抽象的な)目的のために,「入学式における『君が
代』斉唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され,それを実
現するために,いわば,「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を
遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピ
アノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われる
こととされているのである。

そして,仮に上記の中間目的が承認されたとしても,そのことが当然に「『君が
代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基
本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かに
ついては,この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであ
ると考えるのであって,本件の場合,何よりも,上記の(1)「入学式進行にお
ける秩序・紀律」及び(2)「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関
係において考量されることが必要であるというべきである。

【このうち上記(1)については,本件の場合,上告人は,当日になって突如ピ
アノ伴奏を拒否したわけではなく,また実力をもって式進行を阻止しようとして
いたものでもなく,ただ,以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を
行おうとしていたものにすぎなかった。従って,校長は,このような不作為を充
分に予測できたのであり,現にそのような事態に備えて用意しておいたテープに
よる伴奏が行われることによって,基本的には問題無く式は進行している。】

ただ,確かに,それ以外の曲については伴奏をする上告人が,「君が代」に限っ
て伴奏しないということが,参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは,
想定できないではないが,問題は,仮に,上記1において見たように,本件のピ
アノ伴奏拒否が,上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられ
るとしたとき,このような「違和感」が,これを制約するのに充分な公共の福祉
ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお,仮にテープを用いた伴奏
が吹奏楽等によるものであった場合,生のピアノ伴奏と比して,どちらがより厳
粛・荘厳な印象を与えるものであるかには,にわかには判断できない- 16 -もの
があるように思われる。)。

また,上記(2)については,仮にこういった目的のために校長が発した職務命
令が,公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき,人権の重み
よりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか,が問われなければ
ならないことになる。原審は,「思想・良心の自由も,公教育に携わる教育公務
員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば,本件職
務命令が,教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであって
も,控訴人においてこれを受忍すべきものであり,受忍を強いられたからといっ
てそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが,基本的
人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた
上での議論であるようには思われない。

【また,原審及び多数意見は,本件職務命令は,教育公務員それも音楽専科の教
諭である上告人に対し,学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを
重視するものと思われるが,入学式におけるピアノ伴奏が,音楽担当の教諭の職
務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても,他者を
もって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには,
なお疑問が残るところであり(付随的な業務であるからこそ,本件の場合テープ
による代替が可能であったのではないか,ともいえよう。ちなみに,上告人は,
本来的な職務である音楽の授業においては,「君が代」を適切に教えていたこと
を主張している。),多数意見等の上記の思考は,余りにも観念的・抽象的に過
ぎるもののように思われる。】

これは,基本的に「入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思
決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件におい
て上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補
足意見についても同様である。

3 以上見たように,本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良
心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加
える必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とそ
の制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本
件事案の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。この
ような作業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につ
き改めて検討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるも
のと考える。
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