一番大事なことは、原理原則に戻らないかんと思うんですよ。天皇がいかにいい人であろうとなかろうと、天皇制はやめないかんと。民主主義国家にふさわしくないんだと。民主主義国家に天皇は要らないのである、という原理に立たないといけないと思うんです。『都市と科学の論理』1999年
レインボー・アクションさんの真摯な声明を、「LGBTの人が問題ないって言ってるぞー!!」的な感じで受け取っている人をみると、かなしくなる。そうやって「LGBTの人たち」なる「なんか一般人と違うことを言ってくる他者」がいるのだと思うことこそが、あらゆるすれちがいのもとなのに……。
@takammmmm いつでも天皇制に突き当たるんです。根っこは同じなんだと思うんです。友だちには「見た目よりすごい偏ってるね」と言われたことも。ふさわしい見た目ってどんなじゃ!と・・・。
天皇制を否定できる人間自体が圧倒的に少数なのに、さらにそこから色川のように現天皇皇后を除外して倒錯した形で評価したり、敬愛してみせたりする左翼・リベラルがどれだけいるかを思うとまさに絶望的状況。
三原じゅん子「八紘一宇」発言の真の危うさを理解するために、本日発売の拙著『下中彌三郎―アジア主義から世界連邦運動』(平凡社)を読んでいただければありがたいです。amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E4%B…-
“近頃はどこへ行ってもイオン系の店ばかり。置いている商品も金太郎飴状態なので辟易しているのですが、岩手や福島の沿岸部ではイオンモールやイオンタウン進出で、仮設商店街が大打撃とのこと。”
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反原発、反差別、反基地と幅広く集客しながら、差別発言を繰り返したり天皇家を賛美したり、日の丸を容認したり右翼の歴史観と見紛うような発言を行ったり、そういうのは信用できません。わたしから見たら差別について深く考えているとは到底思えません。
アジア女性基金、被害女性への「償い」を課題にしていたのだから、政府が国交を絶っている朝鮮の元慰安婦に対してどう対応するかが不可欠の課題にならなければならなかったはずだがその形跡はない。この一点だけでも、基金が韓国との関係改善及および日本人の自己満足として行われたことがわかる。