橋市場(その②)
取材 リ・ジュン
解説 石丸次郎
2007年8月下旬撮影
魚売り場には、カレイやイカと並んで東海岸でしか獲れないサンマが並んでいる。なかなか新鮮そうである。1キロが2100ウォン=80円ほど。
このサンマの写真は、北朝鮮で拡大を続ける市場について、多くのことを語ってくれる。
東西を海に囲まれた北朝鮮は、もともと魚介類は豊富に獲れた。60~70年代には、鰯やタラやがたくさん獲れて、飽きるほど副食に配給されていたという。
鰯は不足する石けんを作る油を絞っていた(70年代の北朝鮮の石けんが魚臭かったと記憶している人が多い)。
タラも食べきれずに腐らせるほどだったという。
それが、80年代に入ると次第に食卓に上らなくなり、80年代後半には、たまにタラの配給があると、人の上に人が乗っての取り合いになるほどだったという。
そして、90年代に入ると、食糧配給の遅配欠配が恒常化する中で、魚介類の配給など、一般庶民には夢の話しになる。
魚が人の前から姿を消したのは、海から魚いなくなったせいではなく、漁獲できなくなったからである。なぜか?簡単に言えば経済破綻のせいだ。
外貨不足によって燃料の油の輸入、漁船や漁具の製造、輸入、保守が困難になった。
原価を考慮しない硬直した配給制度は当然維持できなくなる。
動く船は、外貨獲得のために日本向け(鮮魚など高級魚)、中国向け(スルメ、干しタラ)の輸出用の魚介類を獲るのに回された。
庶民の食卓などは後回しであり、金日成ー金正日の誕生日の特別配給の時にでも、塩漬けが拝められたら幸運、という有様だった。
国家は国民に魚を供給する意志も能力も喪失してしまったわけだ。
この構造は現在も基本的には同じである。
しかし、平壌の総合市場には新鮮な魚が並んでいる。しかも、近隣の西海岸では獲れないサンマが見える。誰が運んできたのか?
サンマの姿は次のようなことを物語っている。
東海岸の生産者(漁民)が獲り、それを流通業者に卸し、腐らないよう冷蔵保管されながら平壌まで運送され、いくつかの卸商を経て、市場で最終消費者に販売されている。
そのような生産ー運送ー小売りの流通網が、北朝鮮の中でもできあがっていることを示している。
我々の住む資本主義の社会では当たり前のことであるが、社会主義を標榜した北朝鮮の統制経済では、魚介類の流通も、すべてを国家機関が計画、実行しなければならなかった。
さて、では、新しい流通網は、政府が政策として作ったのか?
金正日将軍が指導してできたのか?
否である。
魚に対する需要があり、海には魚がいる。政府による経済統制が麻痺している間に、市場メカニズムが動き始めた。
民衆は統制のくびきを離れてそこに参加し、獲る者、運ぶ者、売る者が生まれた。それがサイクルとして連なり、流通網ができあがったのだ。
市場のパワーである。
平壌の市場に並ぶサンマは、拡大する市場経済が、国家主導の統制経済を飲み込んでしまった姿を映し出さしているのである。
*写真や全文は以下でhttp://www.asiapress.org/apn/archives/2007/10/26151537-970.html
取材 リ・ジュン
解説 石丸次郎
2007年8月下旬撮影
魚売り場には、カレイやイカと並んで東海岸でしか獲れないサンマが並んでいる。なかなか新鮮そうである。1キロが2100ウォン=80円ほど。
このサンマの写真は、北朝鮮で拡大を続ける市場について、多くのことを語ってくれる。
東西を海に囲まれた北朝鮮は、もともと魚介類は豊富に獲れた。60~70年代には、鰯やタラやがたくさん獲れて、飽きるほど副食に配給されていたという。
鰯は不足する石けんを作る油を絞っていた(70年代の北朝鮮の石けんが魚臭かったと記憶している人が多い)。
タラも食べきれずに腐らせるほどだったという。
それが、80年代に入ると次第に食卓に上らなくなり、80年代後半には、たまにタラの配給があると、人の上に人が乗っての取り合いになるほどだったという。
そして、90年代に入ると、食糧配給の遅配欠配が恒常化する中で、魚介類の配給など、一般庶民には夢の話しになる。
魚が人の前から姿を消したのは、海から魚いなくなったせいではなく、漁獲できなくなったからである。なぜか?簡単に言えば経済破綻のせいだ。
外貨不足によって燃料の油の輸入、漁船や漁具の製造、輸入、保守が困難になった。
原価を考慮しない硬直した配給制度は当然維持できなくなる。
動く船は、外貨獲得のために日本向け(鮮魚など高級魚)、中国向け(スルメ、干しタラ)の輸出用の魚介類を獲るのに回された。
庶民の食卓などは後回しであり、金日成ー金正日の誕生日の特別配給の時にでも、塩漬けが拝められたら幸運、という有様だった。
国家は国民に魚を供給する意志も能力も喪失してしまったわけだ。
この構造は現在も基本的には同じである。
しかし、平壌の総合市場には新鮮な魚が並んでいる。しかも、近隣の西海岸では獲れないサンマが見える。誰が運んできたのか?
サンマの姿は次のようなことを物語っている。
東海岸の生産者(漁民)が獲り、それを流通業者に卸し、腐らないよう冷蔵保管されながら平壌まで運送され、いくつかの卸商を経て、市場で最終消費者に販売されている。
そのような生産ー運送ー小売りの流通網が、北朝鮮の中でもできあがっていることを示している。
我々の住む資本主義の社会では当たり前のことであるが、社会主義を標榜した北朝鮮の統制経済では、魚介類の流通も、すべてを国家機関が計画、実行しなければならなかった。
さて、では、新しい流通網は、政府が政策として作ったのか?
金正日将軍が指導してできたのか?
否である。
魚に対する需要があり、海には魚がいる。政府による経済統制が麻痺している間に、市場メカニズムが動き始めた。
民衆は統制のくびきを離れてそこに参加し、獲る者、運ぶ者、売る者が生まれた。それがサイクルとして連なり、流通網ができあがったのだ。
市場のパワーである。
平壌の市場に並ぶサンマは、拡大する市場経済が、国家主導の統制経済を飲み込んでしまった姿を映し出さしているのである。
*写真や全文は以下でhttp://www.asiapress.org/apn/archives/2007/10/26151537-970.html