市民的不服従としての非暴力直接行動について/井上澄夫

2005-07-30 01:09:09 | 社会
数年前のことだ。ある反戦市民運動のデモで、デモの最前列にいた指揮者が、デモの列を規制している大勢の警官たちについて「警察官のみなさんは私たちが交通事故にあわないようにして下さってるので~す。警察官のみなさんとぶつからないようにしましょ~う」とアナウンスするのを聞いてひどく驚いた。それが本稿執筆の動機の一つである。

反戦の視点 その4
井上澄夫(市民の意見30の会・東京)

 市民的不服従としての非暴力直接行動について 
     ― キングの言葉に触れて ―
最近のデモで使われる非暴力という言葉は、多くの場合、無抵抗と同じ意味
 に解されているのではあるまいか。警察の弾圧に抗議しないし抵抗もしない。
 それが非暴力と勘違いされているとしたらこれはとんでもないことだ。非暴
 力直接行動は国家権力に対する市民としての主体的・積極的な抵抗であり、
 市民的不服従の表現である。
 吉川勇一さんが「市民的不服従というのは、法律以上に高い価値と倫理があ
 って、それに基づいて行動する場合、たとえ法律に違反することになろうと
 も、人間としての至高の規範に従うという行動です。」とのべている(月刊
 『技術と人間』2005年3月号)。現在、その市民的不服従を集団的に長
 期にわたって貫いている最も顕著な例は、沖縄島北部辺野古(へのこ)地区
 で続けられている米海兵隊の新基地建設反対運動である。本稿執筆の7月中
 旬現在、すでに440日を超えたボーリング調査阻止活動に参加している平
 良修(たいらおさむ)牧師は反戦系メーリングリストに掲載されている「辺
 野古ホットニュース」(7月5日付)で、那覇防衛施設局が調査のため辺野
 古沖海上に珊瑚礁を破壊して設置した複数の鉄パイプ製の櫓(やぐら)にた
 てこもる基地建設反対派と防衛施設局との海上でのやりとりについてこう伝
 えている。

 ▼戦争屋・防衛施設局
   櫓は政府のものです。不法占拠はやめてください。

 ▼櫓にたてこもる平和人 
   戦争と環境破壊につながる基地建設に私たちは法を超えた真理に
   立って不服従を貫きます。    

 私はベトナム反戦運動や反公害・反原発住民運動に参加して非暴力直接行動
 を繰り返してきた。警察の弾圧に抗議して通りに座り込んだり(シット・イ
 ン)、横須賀の大きな通りで数百人単位のダイ・インをやったり、裁判所の
 デモ不許可判決を無視して無届けデモをやったり、米国大使館前のエプロン
 の芝生に寝ころんだりしてきた。逮捕覚悟の行動が少なくなかったが逮捕歴
 はない。だがそれはたまたまそうだっただけの話だ。
 いま新聞を読んで「テロ」という文字を目にしない日はまずない。しかしそ
 うであればこそ、やはりあえて市民的不服従としての非暴力直接行動による
 現状変革をもう一度深く考えてみたい。そこで改めてガンジーやM・L・キ
 ング・ジュニア(以下、キングと略)の言葉を追っている。ここではキング
 に触れる。ただあらかじめ断っておきたいが、私はキングをひたすら聖人や
 偉人とする立場はとらない。継承すべきものを自分に打ち込み、自らに問い
 を課したいのである。

 キングは1957年4月、アラバマ州モンゴメリーで奴隷貿易の歴史を語り、
 アフリカの人びとが受けてきた「あらゆる不正義、あらゆる搾取、あらゆる
 辱め」に触れたあと、「やがて人々がそれに我慢できない時がやってきた」
 とのべ、こう語った。「すべての人間の魂の内部には、自由へのうずき、内
 的願望があるように思われる。たしかにそれがあるのである。はじめはそれ
 は外に現われないかもしれない。だが最後には爆発するのである。人々は自
 由とは何か根本的なものであることを理解している。ある人から自由を奪う
 ことは、彼から彼の人間性の本質的基盤を奪うことである」。これは自分が
 人間として人間らしく生きることを求めるすべての人びとが共有する思いで
 あり、出発点だろう。
 しかし、と彼は言う。「自由は決してだれかに与えてもらうものではない。
 なぜなら抑圧者はあなたをそこに留めておこうと計画しているがゆえに、あ
 なたを支配しているのであり、彼が自発的にその支配を放棄することはない
 のだから。だからこそ強力な抵抗が起こるのである。特権階級は強力な抵抗
 なしにその特権を放棄することは、決してしないのである」。この演説(説
 教)は1955年12月5日、モンゴメリーの市バスの中で一人の白人のた
 めに席を譲らなかったことで逮捕されたローザ・パークスという黒人女性の
 抵抗に発する、人種隔離・差別撤廃のためのバス・ボイコット運動が1年以
 上の典型的な非暴力の苦闘を経て勝利したあとになされた。彼は言う。
〈自由はただ執拗な反逆を通してだけ、執拗なアジテーションを通してだけ、
執拗に悪の体制に反逆することを通してだけ、やってくるものである。バス抗
議運動は単に始まりにすぎない。だからバス〔の座席〕が統合されたからとい
って、ただ座って何もしないようなことはしないでほしい。〉
 キングは自由は「抑圧されている人々が加える圧力を通して〔のみ〕与えら
 れる」と繰り返す。彼にとって大衆的・集団的な非暴力直接行動は「執拗な
 反逆」であり、抑圧者に加える「圧力」なのだ。それゆえ「強力な抵抗」こ
 そ求められるのであり、「何もしないようなことはしないでほしい」のであ
 る。
 そして彼は大衆的な非暴力直接行動による執拗な反逆が今後も苦難の連続だ
 ろうことを予告する。「いつの時代にも自分の首を切り落とされてもかまわ
 ない人々がいた。自分が迫害され、差別され、小突き回されてもかまわない
 人々がいた。それは彼らが自由は決して与えられるものではなく、執拗な絶
 えざるアジテーションと反逆が体制に拘束された人々の側になければならな
 いと知っていたからだ。ガーナ〔の独立、1957年3月〕は今そのことを
 われわれに教えている」。
 しかし彼はただ闇雲な非暴力の〈英雄的な〉突撃を煽動したのではない。キ
 ングやその仲間たちの活動で目を見張るのは、抵抗の計画性と組織性である。
 「どんな非暴力抗議行動にも4つの基本的段階があります。すなわち、①不
 正が存在するかどうかを判断するための事実集め、②交渉、③自己浄化、④
 直接行動――です」。米国で「もっとも徹底して人種隔離がおこなわれてい
 る都市」アラバマ州バーミングハムの市当局は「誠実な話し合いに入ること
 を終止かたくなに拒んだのです」。「そこで、われわれの肉体そのものをさ
 らす、直接行動を準備するほかにとるべき道はなくなったのです」。
〈それにともなう困難は、もちろん念頭に置いていましたが、われわれは、自
己浄化の過程に入ることを決意しました。非暴力についての一定単位の研修会
をはじめ、「なぐられても仕返さずにおれるかどうか」「留置場の責苦に耐え
ることができるかどうか」と何度も自問自答したのです。〉(1963年4月
16日付「バーミングハムの獄中から答える」)
 ここで触れられている研修会について彼はこうのべている。その焦点は「彼
 ら(示威運動への参加希望者)がすぐさま直面するであろう暴力の挑発に備
 えるよう企画された社会劇におかれていた。警官や自称自任の法律擁護者た
 ちが黒人に浴びせかける口汚い暴言や肉体的侮蔑などが、非暴力教義の実践、
 すなわち、にがにがしさをもたずに抵抗すること、憎悪されるが、憎悪をか
 えさず、打ちのめされるが打ち返さない、という実演とともに、そのまま演
 じられるのである。」
 警察犬を仕掛けられ、警棒の乱打にさらされ、消防用の放水や銃弾を浴びせ
 られ、時に自宅に爆弾を投げ込まれても、キングたちは屈しなかった。大き
 な石に肩を直撃され、思わず膝を落としながらも、仲間に両脇を支えられ、
 キングはデモの歩みを止めなかった。

 キングらの非暴力直接行動を手段とする抵抗の計画性と組織性の緻密さと、
 それを支えた精神のありようは、私に多くの課題を負わせる。またキングの
 思想と行動に関する文献に触れてつくづく思うのは、運動における議論・討
 論の大切さだ。それも今の私たちの運動に厳しく問われているように思う。

【付記 引用した文献は次の2冊である。キング著『私には夢がある』(新教
出版社、2003年6月刊・第1版)、同『黒人はなぜ待てないか』(みすず
書房、1993年7月刊・新装第1刷)〔 〕内は引用者】

 (「市民の意見30の会・東京ニュース」91号への寄稿)

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