ああ、岡崎先生も60歳になったのか。
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オリンピック雑感 2020東京オリンピック
岡 崎 勝
2013/9/25
http://www.mb.ccnw.ne.jp/m-okaza/body13.html
1
「You do not win silver, you lose gold.」(銀メダルが獲れたなんてことじゃないぜ、金メダルが獲れなかったってことだ)これはアメリカバスケットボール代表のリサ・レスリーがインタビューで放った言葉だ。Nike(ナイキ)はオリンピックマーケットへの戦闘開始的広告に、この発言を使った。Reebok(リーボック)との公式スポンサー争奪戦のためだ。
勝利するということは、選手たちにとっては至上命令ではあるが、オリンピックマーケットでの企業の闘いでもまったく同じである。少なくとも、競技者同士がならば、試合のあとで握手することもあるだろうが、企業間競争では、握手や和解はない。あるとすれば、企業の敗北宣言か他者との吸収合併だけだ。
オリンピックマーケットでの闘いは、オリンピック以上に純粋な競争主義だと言っていいだろう。オリンピックマーケットでは、オリンピック理念というご託は吹っ飛んでいる。「We don’t sell dream, we sell shoes.」なのだ。
「お・も・て・な・し」という誰かのプレゼンも、企業的には「おおいに、もうけて、てっていてきに、なんでもいいから、したたかに 金を稼ごうぜ!」 と私には聞こえる。一般の市民を、無償の「名誉ある」大会ボランティアに誘導し、強制し、スポンサー企業には徹底的に儲けることを容認するというこの分裂構造こそがオリンピックの新自由主義的な構造ファシズムなのである。
2
38歳の女子短距離走者ジョイナーがてんかん発作で窒息して死んだとき、誰もが慢性的に彼女が使用していた「ステロイド」が原因だと思った。ことの正否はともかくも、オリンピックとドーピングは切っても切れない「異種同一」なものだ。
血液ドーピングも最近はあちらこちらで噂され、すでに遺伝子ドーピングさえも現実味を帯びてきている。
1996年にベンジョンソンがドーピングで失格になったとき、彼は一緒に走った他のアスリートも同罪と訴えている。誰が見てもベンジョンソンの筋肉はおかしかった。あれを見て「薬はやっていない」と言い切る方が難しい。
しかし、一方でオリンピックからは追放されても、企業的精神からは賞賛されるのではないか。もちろん、イメージ戦略としては、ベンジョンソンをナイキのCMに使うとは考えられないが。しかし、あくなき勝利への執念は企業魂としてみれば金メダルだ。「大リーグボール養成ギブス」的ハードなトレーニングとドーピングとどこが違うのか? 薬はいけないが、とことんリハビリが必要なくらいトレーニングして筋肉をつけるのはいいのか? いいんです、ルールの範囲なら。
今後もドーピングルールは、企業魂とのあくなき競争に、変幻自在となるだろう。いい記録やいいパーフォーマンスのためなら、なんでありなのだと。
3
オリンピックは平和に無関心であり、平和をもたらすのでなく、偽善的「平和」の上であぐらをかいている。オリンピックはそもそもが国家間の競争でなく、都市の祭典であった。オリンピック憲章にもそう書いてある。
本来なら国旗も国家もなく、市井のスポーツ自慢の男女が競い合うフェスティバルのはずが、結局は金メダル数がGNPや石油消費量に比例するような「国家競技力」の披瀝大会になってしまったのだ。その点を明確にしておかないと、アスリートは美しいとか一生懸命さが素晴らしいなどというとんちんかんな話になる。
現在の金メダルという競技力は国家資本力の証左でしかない。アフリカ勢がすごいと言っても、その選手を育てているのはアメリカ資本だったりするのだ。いや、ナイキやアディタスだったりする。国家資本力がグローバル企業力に変換していくことが、オリンピックの歴史を見てもよく分かる。
オリンピックの参加国は市場なのだ。オリンピックマーケットの争奪戦であり、国家は企業の有利、アドバンテージをどれだけ保証できるかで、その国家力を示さなくてはならなくなっている。
短距離走のトップアスリートにどうして「白人」がいないのか? 水泳選手にどうして「黒人」がいないのか? そんな民族的な「問題」も、新しい市場として、いつか開拓され「解決」されるのかもしれない。それを平等というのか、均質化あるいは「平和」というのかは別として。
4
まともな専門家なら2020年東京オリンピックがどうなるかの予想できるだろう。私自身はまだそんなに資料も考察もできていないので、予想がなかなか立てられないが、少なくとも「社会不安や危機」から「一時的にも目をそらす」=「リフレッシュ?」するという役割は果たすのだろう。ただ、実は、たとえそうであっても、現実の「社会不安や危機」はいっこうに消滅せず、拡大し浸食していくことになるのではないかと思う。
「今の日本、オリンピックやってる場合じゃないだろう」という声はかき消され、いつものごとく「オリンピックで景気回復」という「お祭り型公共投資」のかけ声だけが響いてくる。オリンピックで得をする人、損をする人、いったいどれくらいの割合なのだろうか? 少なくとも、「子どもたちに夢を」という善意の人には、「いやいや、トップアスリートになるには、小さい頃から資本投下が必要なんです。いまや、ハングリースポーツ(貧しくてもスポーツで身を立てる)なんてのは、それこそ幻想ですよ」といいたい。
スポーツは趣味で適当にやる。あるいは、芸人やサーカスと同じく金を稼ぐプロスポーツとして生きる。どっちかでいいんじゃないですか。
高度産業社会批判社自由すぽーつ研究所 岡崎勝
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プロフィール
岡崎 勝(おかざき・まさる)60才(1952-11-03生まれ)
http://www.mb.ccnw.ne.jp/m-okaza/profile.html
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オリンピック雑感 2020東京オリンピック
岡 崎 勝
2013/9/25
http://www.mb.ccnw.ne.jp/m-okaza/body13.html
1
「You do not win silver, you lose gold.」(銀メダルが獲れたなんてことじゃないぜ、金メダルが獲れなかったってことだ)これはアメリカバスケットボール代表のリサ・レスリーがインタビューで放った言葉だ。Nike(ナイキ)はオリンピックマーケットへの戦闘開始的広告に、この発言を使った。Reebok(リーボック)との公式スポンサー争奪戦のためだ。
勝利するということは、選手たちにとっては至上命令ではあるが、オリンピックマーケットでの企業の闘いでもまったく同じである。少なくとも、競技者同士がならば、試合のあとで握手することもあるだろうが、企業間競争では、握手や和解はない。あるとすれば、企業の敗北宣言か他者との吸収合併だけだ。
オリンピックマーケットでの闘いは、オリンピック以上に純粋な競争主義だと言っていいだろう。オリンピックマーケットでは、オリンピック理念というご託は吹っ飛んでいる。「We don’t sell dream, we sell shoes.」なのだ。
「お・も・て・な・し」という誰かのプレゼンも、企業的には「おおいに、もうけて、てっていてきに、なんでもいいから、したたかに 金を稼ごうぜ!」 と私には聞こえる。一般の市民を、無償の「名誉ある」大会ボランティアに誘導し、強制し、スポンサー企業には徹底的に儲けることを容認するというこの分裂構造こそがオリンピックの新自由主義的な構造ファシズムなのである。
2
38歳の女子短距離走者ジョイナーがてんかん発作で窒息して死んだとき、誰もが慢性的に彼女が使用していた「ステロイド」が原因だと思った。ことの正否はともかくも、オリンピックとドーピングは切っても切れない「異種同一」なものだ。
血液ドーピングも最近はあちらこちらで噂され、すでに遺伝子ドーピングさえも現実味を帯びてきている。
1996年にベンジョンソンがドーピングで失格になったとき、彼は一緒に走った他のアスリートも同罪と訴えている。誰が見てもベンジョンソンの筋肉はおかしかった。あれを見て「薬はやっていない」と言い切る方が難しい。
しかし、一方でオリンピックからは追放されても、企業的精神からは賞賛されるのではないか。もちろん、イメージ戦略としては、ベンジョンソンをナイキのCMに使うとは考えられないが。しかし、あくなき勝利への執念は企業魂としてみれば金メダルだ。「大リーグボール養成ギブス」的ハードなトレーニングとドーピングとどこが違うのか? 薬はいけないが、とことんリハビリが必要なくらいトレーニングして筋肉をつけるのはいいのか? いいんです、ルールの範囲なら。
今後もドーピングルールは、企業魂とのあくなき競争に、変幻自在となるだろう。いい記録やいいパーフォーマンスのためなら、なんでありなのだと。
3
オリンピックは平和に無関心であり、平和をもたらすのでなく、偽善的「平和」の上であぐらをかいている。オリンピックはそもそもが国家間の競争でなく、都市の祭典であった。オリンピック憲章にもそう書いてある。
本来なら国旗も国家もなく、市井のスポーツ自慢の男女が競い合うフェスティバルのはずが、結局は金メダル数がGNPや石油消費量に比例するような「国家競技力」の披瀝大会になってしまったのだ。その点を明確にしておかないと、アスリートは美しいとか一生懸命さが素晴らしいなどというとんちんかんな話になる。
現在の金メダルという競技力は国家資本力の証左でしかない。アフリカ勢がすごいと言っても、その選手を育てているのはアメリカ資本だったりするのだ。いや、ナイキやアディタスだったりする。国家資本力がグローバル企業力に変換していくことが、オリンピックの歴史を見てもよく分かる。
オリンピックの参加国は市場なのだ。オリンピックマーケットの争奪戦であり、国家は企業の有利、アドバンテージをどれだけ保証できるかで、その国家力を示さなくてはならなくなっている。
短距離走のトップアスリートにどうして「白人」がいないのか? 水泳選手にどうして「黒人」がいないのか? そんな民族的な「問題」も、新しい市場として、いつか開拓され「解決」されるのかもしれない。それを平等というのか、均質化あるいは「平和」というのかは別として。
4
まともな専門家なら2020年東京オリンピックがどうなるかの予想できるだろう。私自身はまだそんなに資料も考察もできていないので、予想がなかなか立てられないが、少なくとも「社会不安や危機」から「一時的にも目をそらす」=「リフレッシュ?」するという役割は果たすのだろう。ただ、実は、たとえそうであっても、現実の「社会不安や危機」はいっこうに消滅せず、拡大し浸食していくことになるのではないかと思う。
「今の日本、オリンピックやってる場合じゃないだろう」という声はかき消され、いつものごとく「オリンピックで景気回復」という「お祭り型公共投資」のかけ声だけが響いてくる。オリンピックで得をする人、損をする人、いったいどれくらいの割合なのだろうか? 少なくとも、「子どもたちに夢を」という善意の人には、「いやいや、トップアスリートになるには、小さい頃から資本投下が必要なんです。いまや、ハングリースポーツ(貧しくてもスポーツで身を立てる)なんてのは、それこそ幻想ですよ」といいたい。
スポーツは趣味で適当にやる。あるいは、芸人やサーカスと同じく金を稼ぐプロスポーツとして生きる。どっちかでいいんじゃないですか。
高度産業社会批判社自由すぽーつ研究所 岡崎勝
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プロフィール
岡崎 勝(おかざき・まさる)60才(1952-11-03生まれ)
http://www.mb.ccnw.ne.jp/m-okaza/profile.html
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