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松浦武四郎著「東蝦夷日誌」白老領にある会所跡を訪ねた

2016-07-11 13:42:31 | 旅行
2015年19月2日、千歳市のホテルを出発して、美沢の明治初期の「開拓使美々鹿肉罐詰制作所跡」・勇払測量の史跡を訪ねて、次にの松浦武四郎著「東蝦夷日誌」〔白老領〕に記録のある、「白老会所跡」を探しながら、史跡に辿りついた。
彼の記録は『シラヲイ(白老)(従 ホロベツ(幌別)会所、八里廿七丁、陸地七里、従 境目六里十七丁五間、制札、備蔵、会所、通行や、勤番所、板倉、茅くら、馬や、漁や)土地東南向、素〔洲〕澤、船沖懸り土地平地也。
 一里餘上に至る。山有。瓣天社・阿彌陀堂(慈覚大師作、三尊彌陀)。名義 シラウは虻の事也。此の地に多きが故號し也。土人(文政改、七十二軒、三百三十余人。安政改め、八十二軒、三百九十九人)・・・是より上(十二丁)仙台家陣屋(安政甲寅年元年立てり)有。』とあるので、白老会所跡の次には「仙台陣屋跡」を予定する。

白老会所跡は白老の下水道終末施設の横にある。

場所は白老町高砂4丁目439
 史跡は「屋根のない博物館 8」と案内
説明版には
『江戸時代の大名は領地から穫れる米の生産高をもとに何万石の大名とよばれ、これを基礎に政治が行われていた。
しかし、米を産しない蝦夷地の松前藩では、アイヌの人々との交易の権利を上級家臣に分け与え、その収入を知行(給よ)とした。
この交易所を場所といい、そこには会所(運上屋)を置いた。
その制度には、後に商人に運上金を納めさせることにおって、漁業経営のみならず場所の支配をも許すという場所請負制へと変化し、会所は行政の拠点ともなっていた。
 白老場所は、シャタイ・シラヲイ・シキウ・メップ・アイロの5つの集落からなり、秋鮭・鰯粕・昆布が主な交易品であった。・・・(中略)・・・付属施設には辨天社(白老八幡神社の全身)阿弥陀堂ななど静かな佇まいをみせていた。
その後、安政3年(1858)から仙台藩元陣屋の白老への設置とともに、地方警備の重要な要の一翼を担ったが、明治2年(1869)9月の場所請負制度が廃止とともに姿を消した』と説明されている。

白老会所跡石碑
次に、仙台藩陣屋跡や白老八幡神社、ポロト湖畔に最近できた「松浦武四郎顕彰碑」などを訪ねた。

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