気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

虻田から喜茂別など:その3旧跡のしるべ「ソーケッシュオマベツ駅逓所

2016-11-28 23:08:54 | 旅行
5月22日の続き・・・
喜茂別町のホームページから「旧跡のみちしるべ」をコピーして町内の史跡を巡った。
参考に持参したマップの写真

「ソーケッシュオマベツ駅逓所跡」
場所は喜茂別町の双葉地区にあり、目印は簡易郵便局ということで、久保内から北湯沢を通過し、国道453号線から国道276号へと進んだ。
「上荘渓朱橋」を見つけたが、簡易郵便局が見当たらない。有りそうな林を探し、近くで作業をしていた方に「このあたりに駅逓所があったことを訪ねた。其の方は、「道路の向かい側に白い家があり、そこが駅逓所であった・・・と教えてくださった。
説明版は大きな木の元に有り、道路側からは見えにくかったが、おかげで辿り着くことが出来た。
説明版は番号が付けてあり、分かりやすかった。町の教育委員会の力の入れようかな・・・。

『明治40年喜茂別村と大滝村の中間地点に建てられた官設馬逓所で、国が設置したもの。明治42年から昭和9年まで使われていた。建物は「北海道「開拓の村」に復元されている。』
駅逓所のあった風景

説明版には
「①喜茂別町・旧跡のしるべ」

『ソーケッシュオマベツ駅逓所は明治42年11月10日(1909年)に喜茂別駅逓所として開設された。その時の管理人は水沼菊太郎という人で、後に大正2年(1913年)長家国太郎氏に引き継がれた。この駅逓所は喜茂別駅逓所と徳舜瞥村(現大滝村)の三界滝駅逓所を結ぶ中間にあり、駅逓の本来の事業は宿泊・荷物の積み立てと郵便の取扱いが主な仕事であったと言われている。隆盛期に官馬を8頭備えて旅行者の送迎にあたっていた。明治44年(1911年)に山梨団体が入植するときには、ここにいったん宿泊し、それから現地へ向かった。駅逓の廃止になったのは昭和9年(1936年)といわれますが、ソーケッシュオマベツ駅逓は旅館としてその後もしばらく続けられた。』
ということと、昭和52年(1977年)札幌市厚別区「北海道開拓の村」に移築展示されていると書かれていた。
                平成9年11月 喜茂別町教育委員会

双葉からは「双子の羊蹄」が見える写真スポットがある。
かつて登山した懐かしい尻別山(左)と羊蹄山(右側)

廃校の双葉小学校


虻田から喜茂別・札幌など史跡めぐり:その2紋鼈駅逓所~共徳駅逓所

2016-11-27 22:12:32 | 旅行
2016年5月22日
虻田歴史公園から北稀府へ向かい、国道37号線から、目標の道道779号線にある「大きな松の木が目印・・・という情報を基に探した。
そもそも、「駅逓所」という説明版を見たのは、約20年前、登山の為に豊浦方向からニセコへの近道を探し、距離的に近いかなと思った道道32号線を選んだ。しかし、この道は当時はダートで、森林の中を通るという少し不安な道であった。森林を抜けると民家や田畑・牧場が見え、樹林の間に「上昆布駅逓所」という古ぼけた説明版があったのが「駅逓所」に出合う最初であった。
 その後、登山と松浦武四郎の足跡に興味を持ちその史跡巡りを目指すことになった。いろいろ調べていると大変詳しい方のホームページにも行きついた。「道北の釣りと旅」の方である。
 私たちの向かった「紋鼈駅逓所跡」は建物は残っていないが、あった場所に「説明版」が設立されている。
駅逓所について研究家でもないのでいろいろ調べたら、北海道独特の制度であったことも分かった。
ある文献によると
『北海道が蝦夷地と呼ばれていた時代に「通行屋」という制度があったが明治維新によって廃止された。北海道がまだあまり人が住んでいない時代、開拓のために来た人家旅人に宿泊所として提供したり、人や馬を貸し出して次の駅逓所につないだとも言われている。また、貨物の運搬や郵便業務も役割としてあり、開拓初期時代、各地にできたということです。運営は繫閑半民・請負制で運営している人は「取扱い人」と呼ばれ、運営にかかる所経費は開拓使から与えられていた。』
訪ねた「紋鼈駅逓所跡」の目印の大きな松の木

説明版のある風景


説明版には

『有珠に会所があった頃より、道南方面から道東方面へ通じるこの道は交通の要路として往来しきりであった。会所から会所へ逓送物を継送する人家旅人はここで休憩あるいは宿泊し、また馬の継立も行った。駅逓はぬかしの郵送業務の重要施設である。
 開基百年記念物指定  昭和44年8月23日 伊達市教育委員会」』と説明が書かれていた。

北稀府から長和というところを通って、久保内方面の「共徳駅逓所」を訪ねたいと思ったが、説明版等は全くない。
場所的には、かつて徳舜別岳登山でも来ているエリアである。
誰かに聞こうと思った。丁度道路の花壇を整備していた数人の方に「この辺に昔駅逓所があったようですが、御存じないですか」と聞いたら、一人が、「あ~すぐそばにある神社の隣にあったよ・・・そこだと思うよ」というので、すぐそばの神社付近を探した。というのは「赤茶っぽい建物」だけがヒントであった。実際には、建物への入り口は樹木で分かり難い。建物の色だけが赤く、駅逓の建物であることが分かった。玄関の前には花壇があり、どなかた管理している様子であった。その時はどなかもおられなかったが、民家なので家の写真は非公開。
駅逓所跡の道路側

設立当時は伊達方面や喜茂別、札幌方面への交通の要所であったのであろうと想像した。
神社の写真

次の目的地は「喜茂別町・旧跡のしるべ」双葉地区にある駅逓所跡