気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

道南の中世ロマンを訪ねる:歴史遺産の一つ円空仏

2016-08-31 14:20:03 | 旅行
上ノ国には歴史遺産として北海道最古の民家「旧笹浪家」や史跡「上之国館跡」などがあるが、円空仏が町民の手によって祀られいるので、数年前、上ノ国の町長さんが教えてくれた所を記録した。
因みに、円空は寛永9年(1632)~元禄8年(1695)美濃の国生まれ、江戸時代前期の巡国粗油と言われ、物資でもある。木彫りの仏像(いわゆる円空仏)を数多く残している。
 円空作の仏像は太田神社や福島町、有珠善光寺、礼文華峠小幌洞窟などに数多くある。(レプリカは何体か見ることが出来ている。)
 上ノ国にある円空作の仏像は「十一面観音立像」と言われている実物。
上ノ国の役場を訪ねたのは日曜日であって、誰もいない。駐車場でウロウロしていた私たちに声をかけてくれた人に「函館から来たんですが・・・上ノ国にある円空さんに会いに来たと告げた。道案内をしてくれると言って、車の後について行った。
道順は覚えていないので、町のホームページからマップを引用。

観音堂への道マップ

観音堂の中に入り、円空仏のことを説明してくれた。とても詳しく、丁寧に説明をされたので、「観光課の方ですか?」と伺ったら町長さんであった。今年役場に色々なパンフレットをいただきに行った時、対応してくれた観光課の職員さんに告げた。(町長さんには大変お世話になりました・・・。)
観音堂


十一面観音立像

お堂の前の説明版
『寛文の頃、蝦夷地を巡錫した臨済宗の僧侶円空作十一面観音立像が本堂に安置されている。
 明治四年棄却される難を逃れて後、民の手によって祀られてきた。
百二十二・五糎という全道一の大作である。見る人の心を和らげる微笑が美しい。
町内に他所五体ある。
  指定年月日 昭和五十二年三月十一日
      管理団体 上ノ国観音溝』とある。

道南の中世ロマンを訪ねる:その6上ノ国北村・洲崎館跡

2016-08-27 20:36:51 | 旅行
2016年7月22日
上ノ国町の花沢館跡の次に訪ねたのは「洲崎館跡」だが、その付近に来ているのだが、史跡を探せない。地図上では「北村」というところの道に入ったはず・・・だれかに聞きたいが人影がない。少し進むと会社の玄関に3名ほどいたので、場所を訪ねた。職員さんが「あの林の所に鳥居が見える。そこですよ・・・」私達は一本別の道路を走っていたことになる。
会社の人にお逢いして良かった。
鳥居は砂崎神社であり、洲崎館跡の説明版が側にあった。
説明版には
『長禄元年(1457年)季繁の戦いで、功を挙げた武田信廣が上ノ国守護であった蠣崎季繁(すえしげ)の養女である安東政季の娘を妻と氏、同年築いた館である。
また、この時、信廣は「建国の大礼」を行なったとされている。
その後、信廣は地の利と景勝を誇る夷王山のふもとに勝山館を築き松前藩300年の基を造った。近年中国銭25000枚、中国青磁、白磁、国産の珠洲系陶器や人骨が発見されている。館の内部構造については未調査の為不明なところが多い。この館は武田、蠣崎氏が道南和人社会の中で支配者として成長する基礎を固めたところであり、更に和人勢力の移り変わりを知ることのできる所として大変重要な遺跡である。又、この館は北海道の館の中でただ一つ成立年代が明らかである。
                     1991年8月 上ノ国教育委員会』とあります。
また、上ノ国のホームページでは「本道最古の記録である「新羅之記録」にはコシャマインの戦いで功を挙げた武田信廣が築いた館であることが記録されている。」ともあります。(説明版と同じ内容は省略)

砂崎神社全景と社殿


砂崎神社の境内を探す時間がなかったが、土塁など確認できたら館跡の一部でも探れたか・・・。
「史跡上ノ国館跡のうち洲崎館跡石碑」と説明版


上ノ国小学校発祥之地・砂館小学校跡