気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

七飯町 気になる幻の熊の湯と無沢峠

2013-09-09 22:54:29 | 旅行
道南の七飯町を国道5号線で大沼方向へドライブすると大沼隧道トンネルの手前に鳥越という所があり、国道から左折してさらに少し進んで右折(左折方面にはクリーンセンターがあるようだ。)このエリアに昔、熊の湯という名湯があるということを聞いていたが、廃湯となり、その形跡がないか、以前にも探しに来たことがあった道でもある。(以前は、大沼方面の蓴采沼側から探したが見つけることができなかった。)今回は逆から入ったので、なんと、間もなく『名跡 七飯熊の湯跡』という立て看板が立っていたのです。逆方向から来ると、木の陰になって看板が見えないのであった。ただし、看板には、無断立ち入り禁止とあり、草の茂った道を少し歩くと、小川があり、進路には鉄の鎖が張られていた。鎖の近くに重機が1台・・・何かの作業で使ったのでしょうか・・・。そして、鎖の所から見えるものは・・・林と庭園らしきものと別荘風の家屋が見えた。また、広場らしき空間もあった。小川は見た目では鉄さび色の川石があるので、源泉でも流れていればいいな~という温泉存在願望を含めた気持ちになった。私にとっては温泉体験のできなかった幻の温泉である。(道南には磯谷温泉も廃湯となっており、こちらは奥秘湯として泉源は流れて残っている。一度訪ねて、流れていた温泉に手を浸けたことがあった。川底には手作りの野天風呂風な湯だまりががあり、温泉マニアが作られたのか・・・)
立て看板写真

その場所からさらに峠を進むと、「明治天皇御野点之地」という石碑と説明が建っている。そこには『明治14年(1881)9月6日、北海道行幸の折、明治天皇は蓴采沼御小休憩所宮崎旅館をお発ちにの後、此の地無沢峠三丁で休憩をとられ、駒ケ岳、大沼、小沼の景勝を堪能された。大正2年5月11日、行幸当時の景勝を永く伝えることを目的に七飯村では、村長以下地元有志によって、記念の松樹と、周囲の景観に趣をそえる為、杉苗1500本を植栽しました。また、昭和11年(1936)に記念の石碑が建立されました。しばらく所在が不明となっておりましたが、平成15年(2003)に発見され、翌年に現在の位置に移設されました。昭和38年(1963)の大沼隧道開道以来、主要交通路が現在の国道5号線に移り、無沢峠を越える人はほとんどなくなりました。現在は御野点所に残された二本のイチイの大樹と大沼側にある杉樹が当時の様子を伝えています。』平成17年10月 七飯町教育委員会・・・と説明されている。
野点之地の写真

峠の終点は蓴采沼の処になる。
此処には「明治天皇蓴采沼小休憩所」という説明版と大きなイチイの木がある。(御膳水という当時の水場があるようなのだが・・・確認できなかった。)実は、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読んでいると、七飯町のことが書かれていたうえ、ホテルに泊まったようなので、もしかしたらこのところにあった宿かな・・・と想像をめぐらす。
宮崎旅館の写真入り説明版がある風景と拡大写真
    
大きなイチイの木

説明には『明治5年(1872)無沢峠が開削され蓴采沼湖畔を通る札幌本道が完成すると七飯村に入植していた八王子千人同心の一人宮崎重衛門がこの地に旅館を建てた。名勝地として知られるようになると、皇族や外国人の来遊で賑わいを見せた。
宮崎旅館は、明治14年(1881)9月6日、明治天皇の北海道巡幸の際に小休所に当てられ重兵衛は沼のコイやジュンサイを天皇に供した。
明治36年(1903)に鉄道の開通とともに観光客の入込は大沼に移り、今や、往時を偲ばせるものはイチイの大樹と湖畔にある御膳水の泉だけである。平成4年10月 七飯町教育委員会』とある。七飯町の歴史的遺産といえるものではないかと個人的に思うが・・・気になる所である。


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