気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

勇払の史跡:(2)蝦夷地開拓移住の八王子同心の碑を訪ねる

2016-07-06 15:43:39 | 旅行
苫小牧市指定文化財になっている「蝦夷地開拓移住隊士の墓石」を訪ねた。
松浦武四郎著「東蝦夷日誌」のユウブツ〔勇沸〕領には『ムカワブト(鵡川河口)に至り、此處渡場なり。ゆうがたここに着、小休所(土人四軒)に宿す。ムカワ(鵡川)の原名ムカにして、延たる義也。
山中處々に涌水有。それが集まりて川と成し義也。川筋、鮭・チライ・かじか・うぐい・あめます、又、初冬の頃シシャモも入る事有。
土地肥沃、土人好て畑作をなす。往古は松前家々臣 麓小兵衛・佐藤東馬の給地なり文化度には八王子原半左衛門支配の者共来たりて畑作を開きしが、可ㇾ惜皆荒廃なせしぞイタエム、イクラムカ申口(アイヌの人)』と彼達から聞いたことを松浦武四郎は記録に残しているという場所でもある。

勇武津資料館入り口

勇払開拓史公園の石碑

勇払開拓史跡公園の所からすぐに「蝦夷地開拓移住隊士の墓」説明版が見える

説明版には『江戸時代、蝦夷地(北海道)を外国から守ることや、開拓することを考えた。
 これに志願した同心頭の原半左衛門を隊長とした100名の八王子同心が寛政12年(1800年)にはるばる海を渡ってきた。隊長を含めた50名は白糠場所に向かい、隊長の弟の新介を副士とした50名が勇払場所(蝦夷地でも交易が盛んで大切な所だった。)に移り住み、次の年には、さらに、白糠と勇払に15名づつの応援をえて警備・畑作り・道路整備・交易などを行った。
 だが、気候が違う北国の生活はきびしく、犠牲者も多くでて惜しくも解散となり、開墾地などが放棄された。 勇払原野に開拓のくわを入れた先駆者達の行いはすぐれて大きく、八王子千人同心関係の墓石を市の文化財に指定している。
    昭和31年3月10日指定
    苫小牧市教育委員会』
勇払開拓の礎 八王子千人同心顕彰之燈

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