気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

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大都市札幌・小樽の秘境の地的オタナイ発祥の地

2018-10-08 09:51:51 | 日記
2018年9月25日、札幌・小樽・余市の史跡探訪のミニ旅に出かけました。
第一日目は札幌の妹の家が新しくなったので訪ね、その後以前から気になっていた「オタナイ発祥の地碑」を目指した。
この碑は昨年にもチャレンジしたが、入れるはずの道が閉鎖されて別の道を探したが到達できなかった。なんでも、その土地は風力発電の予定地とか・・・。
しかし、諦めきれず・・・再アタック。
国道337号線と新川の手稲前田の交差する川沿の所はやはり閉鎖。それで道を北上し工業団地の方から入れないかと思ったが、道は墓地で行き止まりだった。日も暮れかかったので、手稲のホテルに宿泊し、26日再び閉鎖されている新川の所へ行った。ゲートの前の空地に車を停めた。良く見ると、小樽内橋解体撤去作業という張り紙があった。目標とする「小樽内橋」の所である。
ゲートにある工事看板




それで、約1.5㎞か2㎞位あるだろうと思われる新川の東側を河口に向って歩いた。
途中の川沿風景

小樽内橋が見えてきた。

河口から石狩湾や小樽方面が見える。

「小樽内橋」の所は工事の車が通過できるように土台が作られ、道路の右手には作業事務所のような建物が作られていた。
しかし、以前あったというオタナイ集落への道は見えなかった。
小樽内橋の様子(工事現場)

それで、更に歩き、新川の河口から「新川マリンの会」の敷地の裏側からの道はないだろうかと砂丘を歩き、高台の切れ目のような所から踏み跡があったので、進んだ。しかし、踏み跡は途切れ、泥炭地のような湿地帯になり、ぬかるみ道で靴はどろどろ・・・背丈以上の葦原をかき分けた。沼(大きい方は多分オタナイ沼か、小さく見えたのは三日月湖では・・・)が見えてきたので、その辺りかと希望をもったが、湧水なのか水の流れる音がしていた。これ以上は進めないと諦めルートを自分たちの歩いた踏み跡を辿ったが「新川マリンの会」の車が多数見える場所に来ていた。しかし、戻るにもこの広場には小川を越えなければ渡れず、再び自分たちの歩いた踏み跡に戻って作業事務所の所で小休憩。
作業家屋

 タブレットのグーグルで確認すると、その作業事務所の所に道があることになっていた。
見つけた獣道

建物の所の盛り土に立って夫は確認した。道はここだ!!。やっと見つけれそうと獣道のようになった踏み跡を進んだ。
道はT字路になり、左側の道を進む。こんもりとした林があったりし、広場も感じられ、此の辺に集落があったのかと想像。
しばし進んで、雑草の茂った所に黒い石碑が見えてきた。ようやく見つけることが出来た。
T字路と雑草の中の石碑



オタナイ発祥の石碑と隣にある「方向台」此処からアツタまで何キロとか位置を示してあった。


オタナイというのはアイヌ語で砂川という意味。砂浜の・中の・川 と云う意味のオタナイはつまり小樽という地名発祥の地ということだそう。
「オタナイ発祥之碑」の碑文には
『此の地はげんめいをオタナイと云い、石狩町樽川発祥之地である。石狩湾新港建設に関連して小樽市に編入された。
 昭和六十年十月建立   樽川発祥之地記念碑建立期生会 』そして協力者の名が刻まれていた。
調べると「新川河口東岸に「小樽(オタルナイ・オタナイ)」という集落が存在していた。小樽市銭函史跡などによると
「慶長年間1596年(薬400年前)福山(現在の松前町)の人 八木勘右衛門がオタルナイにはいり和人として初めて漁業を営む。それ以前にはアイヌコタンがあったという」
当時は漁業で栄えたというが昭和60年頃には離村して集落は消滅したそう。
石碑まで昭和時代にあった住居などの痕跡はなかった。神社もなかったのかな・・・。
痕跡を残さなかった忽然と消えた集落の謎めいた場所と感じた。
隣の方向台にはここからアツタへ何キロとか示してあった。
大都会札幌手稲のエリアで見つけにくい私流秘境の集落「オタナイ発祥之碑」でした。
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