気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

松浦武四郎の足跡(道東エリア)摩周~弟子屈2011年9月9日

2012-01-06 16:34:19 | 日記
9月8日の知床でお世話になったホテル季風を出発し、国道334号を斜里方面に走り、川湯から摩周に到着。天気は快晴・・・霧の摩周湖は霧がない・・・。この地は何度か訪れている。カムイヌプリ登山で来たときには、濃霧であった。霧の摩周湖の歌を歌いながら登った山が懐かしい。
 武四郎のスケッチを基に清書をしたという春木南華という人が読んだ漢詩が展望台の左側にある・・・という情報であるが、それらしきものは見当たらない。それで弟子屈教育委員会の方に確認した。現在地からもっと左に進むよう教えてくれた。(余談:私たちが参考にしている武四郎記念館さんの名を話したら、何度かお会いしたということでした。お忙しい業務中、教えていただき感謝です。)踏跡を捜しながら展望台左側の藪に約150mから200m位入った。誰も来ないようなところなので・・・熊との出逢いがしら防止に登山用の鈴を付けての歩きである。しばらく歩いて、ホームページで白樺の木が数本ある見覚えの風景に、この辺に石碑があるはず!!と探した。笹薮の中に倒れたままの石碑がを発見!!嬉しい。刻まれた文字は読めなかったが、漢詩ではないので裏側と思われる。地震で倒れたようであるが、国立公園のなので重機は入れないので、元にすることは難しいとのこと。武四郎の久摺日誌を読んでの南華の詩「七里澄湖擁・・・」(漢字が難しい?)(※久摺日誌は本屋さんで見つけれず、某図書館の資料を探した。そのことは20ページに武四郎の摩周湖のスケッチと春木南華の詩を発見!!)倒れた歌碑写真
砂湯にある歌碑(アカショウビンが登場)
あるはずの温泉宿は閉鎖され、建物が残っているだけです。
『久寿里の湖岸のいで湯やあつからん 水乞鳥の水乞て鳴く』文字は薄れているが・・・

弟子屈アイヌ民族資料館
資料館広場にある武四郎の歌碑と木幣(イナウ)
歌碑には『汐まらぬ 久寿里の湖に舟うけて 身も若返るここちそすれ』と刻まれている。
裏面には「古丹の人々と共に建立する 平成15年8月吉日 寄贈者 磯里 明」と刻まれている。
      
木幣の前にある説明文では「ヌササン:古くは各家庭にあったといわれ最近はほとんど見られない。つくり方は地方によって異なるが、祭る神々によって供えられる。イナウ(木幣)も決められる。
作物の豊作、豊漁・家内安全、祭事の無事等を祈願するコタンで最も神聖な場所である。」と書かれている。資料館内では武四郎の資料は勿論、アイヌの文化や歴史をビデオ放映。アイヌにはさようなら・・・の言葉はありません・・・と最後に「スイウ ヌカラ アンロ」⇒またおあいしましょうと・・・素敵な言葉があると俳優の宇梶さんがナレーターとして話を結んだ。 ここでは、私たちを待っていてくれた人がおりました。「何時来るか待ってました。」とお花の手入れをされていた方。三重県の松浦武四郎記念館の名誉館長さんから、私たちが道東の旅で弟子屈を訪れることを話してくださっていたのです。まさかお会い出来るとは思っていなかったので、驚きました。また、ビデオを見ている間に、館長さんからお電話をいただき、単なる館長さんのホームページ愛読者である私たちに温かい心をお寄せてくださり、感動の旅になりました。 
「イヤイ ライケレ!」⇒ありがとう
(※名誉館長さんが北海道で講演をされたことが北海道新聞に掲載されたので、ファンとしてメールを送ったことがきっかけで、武四郎に関するご教示をいただいている方です)