気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

様似 幌満ダムからガンビの神様

2012-06-27 22:58:57 | 旅行
様似の等澍院や郷土資料館を訪ねたあと、幌満川からダムの奥を目指した。そこには「ガンビの神様」があると旅の企画人のパートナーが云い、林道をドライブ。(私は運転免許がないので、助手席専用)
松浦武四郎著の「東蝦夷日誌・四編」のシャマニ(様似)の中に幌満川を遡る・・・『ポロマンベツ(幌満川)本名ポロヲマベツにして、岩洞有川の儀、水源は洞中より流出るが故になづけし。・・・(中略)・・・』
幌満ダムの写真

途中「天然記念物幌満ゴヨウマツ自生地」の碑があった。(指定年月日昭和18年8月23日)と読めたが・・・。

細い林道を登り、ダムの奥になって林道が分かれている。道を左折して幌満大泉林道に進み、廃屋1軒あり、更に進むと突然白樺の美しい林が目に入る。随分奥まった所まで来たような気がするが、まだ目的地に着かない。(内心不安・・・)やや走って、広場が現れ、ガンビの神様の木柱や登山届のボックスが現れた。(そこが幌満大泉峠の頂上でピンネシリ登山口となっている。)
ガンビの神様の所


木柱の左に朽ちた階段があり、そこに小さな祠があった。かつては空洞になった大きな白樺の木があり、老木で腐食し倒れたので、社を建立したという。ガンビの神様は水とお金に縁のある神様であるとのこと。

安政五年、武四郎も見た!豊似湖

2012-06-20 12:04:47 | 旅行
 幌満ダムの奥、幌満大泉林道を左折してガンビの神様を訪ねた後、東蝦夷日誌に松浦武四郎が豊似岳を登って、その八合目あたりで神湖(カムイトウ)を見たと記載されていたので、ぜひ訪ねたいと思っていた。
ハート形の神秘的な「豊似湖」


この湖は北海道のお菓子メーカーのCMで使われているラブラブハートの湖です。
メールで親しくさせていただいている「一人歩きの北海道山紀行」のホームページ管理のSakagさんは猿留山道(近藤重蔵が開いた古道)から豊似湖に歩まれましたが、私たちは、国道336号から荒磯トンネルの手前「目黒」から山道約9㎞奥まったところから200m歩いて豊似湖に辿りついた。誰もいない静寂な湖であった。安政五年に松浦武四郎が見た藍色のカムイトウ、150年~160年後の今、私が見ている湖の色も武四郎の見た藍い湖と同じと思いたい。
熊出没?看板や周遊マップの案内がある。
   

松浦武四郎は「東蝦夷日誌」で・・・豊似岳に登ることの状況を記している。
「安政五年」の七月下旬、同宿していた山村惣三郎氏に暇乞をもせで足を早め出立し、五つ半頃峠に至る。馬を繋置てその岳の方に上がるに、山愈嶮しく近年土人だに上がらざる故道とてはなし。・・・(略)大岩簇々と重りしが故、其岩間に足踏入、また、上に乗るや辷りて岩尖に腰打等し、其危き事如何にも成り難し。・・・(略)山八合目と思ふ頃、カムイトウ(神湖)は我が足元に有如く也。一歩を過さば湖中に轉落んと思わる。」とある。・・・(略)・・・カムイトウ(周廻一里餘)と云う、其深知る者なし水色如藍、山の懐に在る故周圍高けれども其水増減なく、又流口もなし。久摺領なる摩周岳の湖と同じ。また水面一枚の落葉を浮むる事なし。實に不思議の湖也。依て神湖と號く。」と腰を打ち、痛めながらも湖の風景を書き残している。
ハート型の湖は神秘的でもあり、癒しのスポットでもあると感じた。

蝦夷三官寺の等樹院を訪ねて

2012-06-19 15:55:41 | 旅行
2012年6月15日、蝦夷三官寺の等澍院を訪ねて日高路をドライブ。蝦夷三官寺は2011年9月に厚岸の国泰寺を巡り、有珠の善光寺も訪ねていたので、三つ目の様似を是非訪ねたいと願っていたところでした。(※ タイトルの等澍院が樹になっておりますが、「澍」を使用するとお化け文字になり、樹を使用しました。
伊達市有珠の善光寺(↓写真)は桜の時期に訪ねました。(2012年5月に訪問)

エンルム岬に登って、降りてくると、鉄塔のある広場で中学生が学芸員の方に様似は自然の良港であり会所があって賑わっていたことやかんらん岩が地球のマグマから出てきて、露頭しているエンルム岬のことなどを説明していた。先生のご厚意で中学生と共に学芸員の説明を聞かせてもらった。

 等澍院に着くとエンルム岬で学習していた中学生たちに再び逢い、また等澍院についての説明をご一緒させてもらった。
等澍院の入り口看板(徳川十一代将軍家斉公の命により創建)蝦夷三官寺筆頭
 

 観音山の地蔵祭の後始末から戻られたばかりの若い副住職さんが、寺院の中に入れてくださり、貴重な資料やお話をしていただいた。また、住職の奥様から抹茶とお菓子で温かくおもてなしをいただき感激!。いろいろなお話をさせていただきました。奥さんは襟裳岬から百人浜に行く途中に悲恋沼があり、一石一字の塔や観音堂があるので、時間があったら訪ねたらいい・・・と等澍院に纏わる見どころを教えてくださった。
観音堂と一石一字塔・・・等澍院を訪ねた後、幌満ダムの奥にあるがんびの神様や豊似湖を回り、襟裳に向かう途中、国道336号を間違えに気づき、庶野まで戻って道道34号に入り、襟裳岬途中でお勧めの観音堂に着いた。


副住職さんから等澍院の資料をいただき、その中には蝦夷三官寺は「蝦夷地にロシアをはじめ外国の船の横行が激しくなり、それにつれて横暴な事件も起こるようになった。」と歴史や
等澍院は熊の出没や国道建設などで四回の移転をしている・・・・)

新築する前の等澍院を説明される大久保副住職さん。

松浦武四郎著「東蝦夷日誌」には等澍院に熊が出てきた絵が描かれている。そのシャマニ編には本尊は薬師如来であること。天台宗東叡山末、享和二年台命にて建立、開基秀曉・・・廣道現住す。・・・此寺往古此澤の奥に美濃の國圓空小あんを結びしを元として、地所七百坪、建坪百十二坪を立。境内・鐘楼・観音堂。千體沸堂山田屋文衛門の建立なり・・・と書いている。
旅でお世話になった等澍院の大久保副住職とお帰りになった住職さん、奥様や様似中学校の総合学習でお会いした先生、生徒さんありがとうございました。