2011年9月6日、大雨の阿寒からR391号線を走り、次の目標である標茶郷土資料館に向かう。ここは数年前、釧路湿原を訪ね、コッタロ湿原、サルボ展望台、細岡展望台などウオーキングした場所でもある。標茶郷土資料館には松浦武四郎がアイヌたちの宴会に招き入れられる図がある。
釧路川に沿って来た松浦武四郎一行はシベツチヤに着いた・・・という書き出しがあり、図には「松浦武四郎は小屋に入って寝た。アイヌ達はそのまま酒を飲んで宴会を続けている。古樽の底を叩いて唱(ユウカリ)を謡っている。先に小屋に入って寝ていた松浦武四郎が夜中に目を覚まして、戸を細目に開けて外を伺っていると『お前もこっちへ来い』と手を持って引き出された。」とある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/12/1ef2ce86bd5367a754e5c0d087bb01f2.jpg)
釧路松浦町郵便局は松浦武四郎に因んだ町名に変更した所で、以前は西幣舞町という町名でした。釧路に3度来て、この地が東蝦夷地第一の町になるだろうという先見の目に敬意をもち松浦町誕生となたようです。訪問の記念に松浦局の日付印を押してもらう。若い局長さんに私たちのようなマニアックな訪問者がいるでしょうか?と尋ねたら、年に何人かは来ます・・・ということでした。三重県の松浦武四郎記念館の話をしたら、いずれイベントを催したいな~と言われました。(偉大な松浦武四郎翁ですから、何時かして欲しいですね。)郵便局の表壁には幣舞公園の松浦武四郎の像が描かれているのです。郵便局も松浦武四郎翁を誇っているように感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/5b/b31b4f51b1292aa08952939aa7263ff9.jpg)
釧路の有名な幣舞橋の近くに弘文館があり、そこには「釧路会所の図」があるということなので、訪ねた。建物の横に石川啄木の立像があり、資料が沢山そろっている。
弘文館と石川啄木像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b3/67ad51db67fce2f5f88f7df34449f673.jpg)
期待の釧路会所の図の展示は無く、ステンドグラスの展示になっていた。喫茶の方に「実は・・・」とこの地に来た理由を言うと「今は展示していないので・・・」と困惑顔でしたが、遠くから来た私たちに同情してくれたのか・・・それとも絶対見ないと帰らないというオーラーが出ていたのか、二階の部屋の奥から期待の額入りの図を出して見せてくれた。「ありがとう!!」感謝と嬉しさで心は満たされました。(このために釧路に宿泊滞在したのです。我儘言ってすみませんでした。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f0/76c6c93bbe4500460bcdc1f4d296ebc1.jpg)
幣舞公園にある松浦武四郎蝦夷地探検の像です。武四郎の銅像はこの他、オロロンライン天売国道232号線沿いの小平町花田番屋の向かいにあるアーチの横と天塩道の駅近くの鏡沼海浜公園にあります。(ここは2009年9月に訪れました。)
釧路川に沿って来た松浦武四郎一行はシベツチヤに着いた・・・という書き出しがあり、図には「松浦武四郎は小屋に入って寝た。アイヌ達はそのまま酒を飲んで宴会を続けている。古樽の底を叩いて唱(ユウカリ)を謡っている。先に小屋に入って寝ていた松浦武四郎が夜中に目を覚まして、戸を細目に開けて外を伺っていると『お前もこっちへ来い』と手を持って引き出された。」とある。
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釧路松浦町郵便局は松浦武四郎に因んだ町名に変更した所で、以前は西幣舞町という町名でした。釧路に3度来て、この地が東蝦夷地第一の町になるだろうという先見の目に敬意をもち松浦町誕生となたようです。訪問の記念に松浦局の日付印を押してもらう。若い局長さんに私たちのようなマニアックな訪問者がいるでしょうか?と尋ねたら、年に何人かは来ます・・・ということでした。三重県の松浦武四郎記念館の話をしたら、いずれイベントを催したいな~と言われました。(偉大な松浦武四郎翁ですから、何時かして欲しいですね。)郵便局の表壁には幣舞公園の松浦武四郎の像が描かれているのです。郵便局も松浦武四郎翁を誇っているように感じました。
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釧路の有名な幣舞橋の近くに弘文館があり、そこには「釧路会所の図」があるということなので、訪ねた。建物の横に石川啄木の立像があり、資料が沢山そろっている。
弘文館と石川啄木像
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期待の釧路会所の図の展示は無く、ステンドグラスの展示になっていた。喫茶の方に「実は・・・」とこの地に来た理由を言うと「今は展示していないので・・・」と困惑顔でしたが、遠くから来た私たちに同情してくれたのか・・・それとも絶対見ないと帰らないというオーラーが出ていたのか、二階の部屋の奥から期待の額入りの図を出して見せてくれた。「ありがとう!!」感謝と嬉しさで心は満たされました。(このために釧路に宿泊滞在したのです。我儘言ってすみませんでした。)
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幣舞公園にある松浦武四郎蝦夷地探検の像です。武四郎の銅像はこの他、オロロンライン天売国道232号線沿いの小平町花田番屋の向かいにあるアーチの横と天塩道の駅近くの鏡沼海浜公園にあります。(ここは2009年9月に訪れました。)
「釧路松浦町郵便局のある松浦町は松浦武四郎に因んで町名を変更した所で、以前は西幣舞町という町名でした。」ということでしょうか。
「釧路松浦町郵便局のある松浦町は松浦武四郎に因んで町名を変更した所で、以前は西幣舞町という町名でした。」ということでしょうか。
釧路市の松浦郵便局を見てくださってありがとうございます。松浦町の町名は釧路市のホームページにも掲載されてますが、昭和7年まで「西簾舞」と呼ばれていました。町名の一部を改めた理由は北海道命名者の探検家松浦武四郎が釧路を訪ねた折に「第一の都会になるであろう・・・」と東蝦夷日誌に記録があり、彼の達見に敬意を表したという。発案は釧路市会議町の佐々木米太郎氏であったとのことです。