気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

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札幌・小樽・余市ミニ旅~祝津方面のにしん街道碑や3大網元

2018-12-29 20:54:45 | 日記
2018年9月の小樽旧色内駅からにしんで栄えた3大網元や「にしん街道標柱」などを訪ねた。
高島岬方面は通称「番屋通り」と言われている。
最初は2018年7月に訪ねた北海道開拓の村に移築された「旧青山漁場」の気になる網元の社交場なのか、迎賓館か祝津にある外観から見ても豪華な「貴賓館」
 広大な敷地に立派な正門。庭園には「石狩挽歌」の歌碑があるが・・・当日まだ午前7時50分位だったので、開館されていなかったので中は見学できなかったが、にしんで財をなした網元の繁栄振りが想像できる。
青山別邸

正門

邸内の「石狩挽歌碑」

因みに7月に行った北海道開拓の村の「旧青山家漁家住宅

説明版には
『安政6年(1859)に山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家である。
建網経営には、番屋をはじめ、網倉・船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要とした。鰊漁場がこのように集約的に保存されているところは少なく、貴重な文化遺産の一つである。』と説明

次に「にしん街道木柱」と旧茨木家番屋」と隣にある「恵美須神社」を訪ねる。

にしん街道木柱と説明版、旧茨木家

「説明版」

『忍路高島及びもないがせめて歌棄磯谷まで
 北海道の代表的な民謡っである江差追分の一節に登場する高島場所のその中心地となったにしん漁場、かつて、にしんの戦国場所と呼ばれたここ祝津であります。
 小樽のにしん漁は松前藩の追いにしん漁ばの拡大政策によって江戸時代後期の寛政五年(一七九三)に始まります。
その後も、小樽沿岸では、場所請負人の手に寄る大規模なにしん漁が展開されます。
 明治中期から大正年間を通して豊漁に恵まれた祝津では今なお三代網元と称される青山家・白鳥家・茨木家のにしん親方衆が相次いで誕生し隆盛を極めました。
 その茨木家初代当主である茨木興八郎(山形県遊佐町出身)氏によって明治後期に建てられたにしん漁場建築物が「茨木中出張番屋」であります。
 この度、茨木誠一氏をはじめとする関係者」の長年の願いであった同番屋の修復事業が完了することを記念してにしんで栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結ぶ「にしん街道」の標柱をこの地に設置することによりにしん漁の歴史と文化を後世に語り継いでいくものです。』平成二十二年六月吉日
 茨木家隣の小樽市指定歴史的建造物の「恵美須神社」を訪ねた。
説明版によると建築年は文久3年(1863)。
説明版

鳥居の側に「庚申」石碑

茨城家の後の高台にあり、登山道のよう・・・。
社殿の側には樹齢280年のヤマグワがある。安永3年(1774年)に恵美須神社が創建されて以来、神木として住民に敬愛され保存されていたという。古い歴史を感じるところです。
第二の鳥居と社殿

御神木のヤマクワ

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札幌・小樽・余市ミニ旅~旧手宮線色内駅

2018-12-28 15:01:06 | 日記
2018年9月26日、前日、札幌と小樽の境界にある「オタナイ発祥の地碑」を探したが、入る道が閉鎖されていたので、断念したが、夕暮れになり、手稲のホテルに宿泊し、翌朝、「オタナイ発祥の地碑」に再チャレンジし発見、その後小樽に向かった。小樽は何度か来ているので、今回は祝津方面が目的地。
その一つが
 松浦武四郎著「西蝦夷日誌」にも地名が記録されている「色内」。
彼の記述には要約すると磯谷方面から小樽内への道へ進み・・・
『西を眺めばシャコタン岳・ビクニ岳・古平岳・フルウだけ連なりて波濤の如く・・・是よりヲタルナイの方へ行くは本道を直に下がる。・・・高島より山越にてここに出る故(山越)となづく。ここに道標(右タカシマ(高島)、左ヲショロ(忍路)を立たるにも内地の様有。過ぎてテムヤ(手宮)人家つづき茶屋、はたご立つづき繁昌のこと筆紙に着き難し・・・イロナイ(色内)川有、本名エリモナイ也。譯て鼠澤の義。其故事如何なることかしらず。』と安政の探検家は記録した。
 色内は明治13年に日本で3番目の鉄道として開通していた。
今や、その旧手宮線は観光地として訪れる人が多い。旧色内駅舎やホームが保存されているので見学。
旧色内駅

ホームが残されている

説明紙によると

「小樽市の旧国鉄手宮線活用計画に基づきかつての「色内駅」をモチーフとした休憩施設として平成22年に設置された。
旧色内駅は大正3年に色内停車場として開設。その後閉鎖や再開を経て昭和18年5月には「色内駅」に昇格した。・・・その経緯が説明されている。
線路にカメラを向けていると観光客の方が「写真撮ってあげましょうか・・・」と記念に私を入れてパチリ・・・。

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