気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

豊浦 礼文華山道の珍道中(ハプニング発生の)2014年5月21日

2014-06-18 11:26:20 | 旅行
室蘭・白老の旅から宿泊地登別温泉を後にして、念願だった豊浦の礼文華山道(古道)を目指した。
この古道は、安政の探検家、松浦武四郎や英国人女性旅行家のイザベラ・バードも歩いた道なので、是非行って見たいと思っていた道。
イザベラ・バードは室蘭から道南に向かう際にこの山道を越えている。
彼女は著書の「日本奥地紀行」の中で『礼文華峠』について以下のように書いている。
礼文華はひどく淋しい孤立したところにあるが、とても魅力的なところである。・・・・(村を出発)・・・これは私の旅行の中でも最も長い道程であり、評判でも最もひどい道程だという。十七マイルにわたり、その中で最初の十〇マイルは山越えである。この道は人の通らぬ淋しい道で、四日間の旅で一人も人間に逢わなかった。礼文華の谷間は深い森林におおわれ、あちらこちら歩いて渡るや危ない凹みのある地面があった。・・・とうとう道を見つけたが、やっと通れるばかりで嶮しい崖の上に下りて行き、やがて海近くまで下って行く・・・その断崖の麓には一軒の荒れ果てた日本家屋があり、その中でアイヌの一家が住んでいて、峠を越す人には誰にでも宿と休息の場所を与えることになっている。』と書き記し、その場所から平坦な道に進んで長万部に着いている。

豊浦の森林公園キャンプ場からの「礼文華山道入り口」の看板
 階段の木は朽ちそうで、雑草が生い茂っていた。(しばらく誰も登っていないかのように思われる・・・)
 
階段から左手の踏み跡を進むと大きな木が数本が倒されて道は塞がれた。
 倒木の下をくぐったり、乗り越えたりして、ブルドーザーのキャタピラ痕の道幅3~4メートル位の道に出た。
行く手を塞いだ大きな木々

倒木を乗り越えたが、戻るにも困難な道(この場所の右側がキャンプ場・・・多少の崖状態)

キャタビラ痕の道発見!(乗り越えた倒木から出てきたところを振り返り見る。)


その痕跡を辿って進むと、私たちから離れた場所ではあったが、チェンソーの音がして森林上部の相当に背の高い木が伐採されている。伐採現場ではない所を進んだが、暫く歩くと、伐採された沢山の木が横倒しになっており、倒木の山に囲まれてしまった。人影もあったが、みなさん作業中で、私たちの「すみません!!」という声は聴こえそうにない。戻るにも困難・・・。その時、手を振っている私たちに気付いた若い職員さんが近づいてきたので、「キャンプ場から礼文華山道に進んだのですが・・・」というと大きなパワーショベルを持ってきて、あっと言う間に小枝をバッサリ、バッサリと食いちぎるように除いて通り道を作ってくれた。感謝!です。
閉じ込められた現場(パワーショベル使用前)・・・

 伐採現場へ脱出 
 その若い青年は、キャンプ場に戻る道と、「ここから右に行くと旧静狩国道に出るんですよ。この作業は6月中旬で終わるので、片付いたら礼文華山道は行けるようになる。」と教えてくれた。ご迷惑をかけたお詫びや感謝を述べて、現場の分岐点から旧国道を時間的に行けそうな所まで歩いた。
旧国道の様子

緑が爽やかで、気持ちよく歩き、谷間のシラネアオイや道端のオオバナのエンレイソウの群生にも出会えた。

    

戻ってきた所(礼文華山道)の看板の上に「伐採作業につき、一般車は通れません」という内容の張り紙があった。
見覚えのある礼文華山道入り口と思ったら・・・私の尊敬する「一人歩きの北海道山紀行 by sakag」さんのホームページ
(http://sakag.web.fc2.com/index.html)にその写真があったと思い出した。
旧国道からの礼文華山道入り口(豊浦森林公園手前にある)

 礼文華山道・古道は今回はハプニングで到達できなかったのですが、また、花のいい時期にでもチャレンジしたいと思い
今夜の宿の豊浦の温泉ホテル「しおさい」に向かった。

白老 松浦武四郎の資料にもある白老・ウヨロ川を歩く

2014-06-13 15:46:28 | 旅行
室蘭に続いて、白老、このエリアは「白老が大変好き!」と云っていたイザべラ・バードではないが自然が良い所なので私も好きな地域である。

まず、以前にポロト湖を一周したことがあるので、湖畔に進んだ。奥の方にキャンプ場があるのだが、平日なので、誰もいない静かな湖畔。一周するは時間的に足りないので、萩の里自然公園の方からトラストの森へ行くことにした。
ポロトの自然休養林案内

ポロトの湿原に咲くクリンソウ

湿原の小川



 トラストの森には安政の探検家松浦武四郎の足跡の碑はないが・・・彼の著書「東蝦夷日誌」(吉田常吉編)の白老領編に白老・ウヨロ川について記録されている。その白老についての内容は・・・、
『アエウロ・・・境より(六丁廿間)アエウロ(小川、海岸出岬)名義はアイヲロにて、アイとは矢の事、ヲロは収め、または入るの意也。矢を納むと譯す。土人往来の時、ここにて矢を放ち神に捧ぐる義也(昆布場)。ヲシヨロコツ(砂地)同名処々に多し。
(註)松前=松前時代における家臣の采邑の一つで、今の膽振國白老郡に當たる。同國有珠・幌別二群に接し、南東は太平洋に臨み、東は同國勇拂郡と別々川をもって堺し、北は同國千歳郡と山脈をもって境す。』と位置関係を示している。
『トンケシ(砂濱)上に沼有て、今は半里埋もれたり。ウヨロ(川有、夷家三軒)此川は此処にて越れども、河口は白老ヲウベツと是三つ、一つに合て海に入る也。
 △ 川筋屈曲遅流なり。メム(右小川)(※マップでは湧水池)、ならびてタツコフ(右小山)(※たんこぶ山)』と書き記している

このトラストの森のフットパス・マップにはウヨロ小屋の近くにメムという名があり、小山もタツコフと現在でもその名が残っている。
メムとタツコブの場所がマップにある。(※ ○囲いの中)

トラストの森案内看板
積み木のポール

ウヨロ小屋

ウヨロ案内で
トラストの森の中の小橋

ジャスミンに似た香りのする森(フィトンチッドが高濃度なのかな?)

ウヨロ川(水量の多い、激流に削り掘られたのか…護岸が崩壊?)

自然の中で、美味しい空気を満喫・・・まだ、森にじっとして、森林浴を楽しんでいたいが、チェックインのことを考え、宿泊地の登別温泉へ向かった。今夜のお宿は雅亭

白老 イザベラバードの歩いた道 2014年5月20日

2014-06-12 18:29:25 | 旅行
室蘭の名勝ピリカノカ絵鞆岬・測量山や地球岬など、室蘭の歴史的な場所など数々を訪ねて、室蘭から白老に向かった。
 イザべラ・バードの碑が白老にもあるので、その碑を訪ねるという目的の為です。
今までにイザべラ・バードの碑がある、道南の森町旧桟橋西大沼ジュンサイ沼湖畔平取の紫雲古津・義経神社鳥居の側など4か所は訪問済みで5か所目となる場所でもある。
 場所は白老神社の近くにある「しらおい創造空間・蔵」というカフェの建物の道路側にある。
英国人旅行家のイザべラ・バードは明治11年日本に来て、東北、北海道は函館から平取に向かって旅をし、「日本奥地紀行」を出版している。(英国にいる彼女の妹に旅の様子を書簡で送り、それをまとめたものです。)
その本の第三十九信には『九月二日・・・旧室蘭(噴火湾にて・・・)』のところで『ようやく三人のアイヌ人が車を白老まで走らせてくれた。ここは「台風一過」の良い天気で、山々はレモン色の空に映えて、きわめて美しかった。しかし、太平洋は罪を持つ者の心のように落ち着かず、、彼は激しく砕けていた。私はひどい寒気のために疲労し、翌日は旅を続けなかった。そして嬉しいことに、シーボルト氏とディスバッハ伯爵が慌ただしく訪問して来て、私に鶏を一羽くれた。私は白老がたいへん好きである。もしも、私がもっと丈夫だったら、きっと内陸部を探検する基地とするであろう。』と書き記している。
創造空間「蔵」の建物

蔵敷地内の説明版全景

イザべラ・バードが歩いた道説明版


イザべラ・バードが歩いた道の説明版には
『1878年(明治11年)8月、バードは最終目的地の平取に向かう際、往復3日にわたり、白老駅逓に宿泊しました。白老で野生馬を追いかけるアイヌの姿を見かけ、白老川流域では温泉を確認、大噴火後の樽前球を遠望し、アイヌの住宅を訪ねるなど、バードが感じた白老の魅力とは?彼女をして何がこのように書かせたのか?私たちもわが故郷を見つめなおすきっかけにしたいものです。』
下段の方にイザべラ・バードのことについて紹介している。
『イザべラ・バードは1878年(明治11年)北海道を初めて女性一人で旅した、英国人旅行家・作家「日本奥地紀行」によって、まだほとんど知られていなかった北海道と東北地方を世界に紹介しました。特に日本の少数民族として古くからの文化と伝統を守り、外国人にも分け隔てない思いやりを示したアイヌ民族を高く評価していました。「イザべラ・バードの道を辿る会」では、この優れた女性旅行家による函館から平取までの足跡を辿って、彼女の歩いた道を新しいフットパスとして再発見し、多くに人たちに歩いてもらいたいと考えています。』と紹介してました。
因みに、平取の紫雲古津にはフットパスのルートがパンフレットにあります(※パンフレットは日高の門別図書館・郷土資料館でいただきました。)

それから、宿泊地の登別温泉に向かった。
その他、白老のウヨロ川フットパスのあるウヨロ小屋にも寄り道して森の薫りを楽しんできた。

№12 室蘭 伝説のあるイタンキの浜

2014-06-05 17:21:55 | 旅行
室蘭市母恋からイタンキの浜に寄り道した。この辺は道南の拠点から、登別や日高方面や道東などドライブによく利用していた国道36号線から海へ向かう道でした。この浜にまつわるクジラの伝説は聞いていたが、海辺まで行ったのは、初めてでした。砂浜はゴミ一つもない、きれな砂地でした。
少し海辺より上がったところは、湿原のような所なのか、囲いがあったり、草原に咲いている花々を撮影している方もいた。私は、鳴り砂というので、擦るように、少し歩いてみた。音がするような気がした。
 松浦武四郎の資料にも『イタンキ、椀の如き岬有ゆえ故號。フンべシュマ(砂地)鯨頭の如き岩有故也』と記録されている。
イタンキの伝説は・・・
日高地方の不漁で、コタンの人々が飢饉に見舞われ、コタンの人は絵鞆コタンが豊漁だという話を聞き、村を捨ててイタンキの浜に辿り着いたという。そこで沖にある長い岩盤を「浜に寄ってきているクジラと見間違え、たき火をしながら、波打ち際に打ち上げられるのを待っていたという・・・。たき火の薪も底を突き、大切な椀(イタンキ)まで燃やしてしまい、餓死したという悲しい話があるとのこと。
イタンキの浜と岩風景

鳴り砂の説明版がある。

その説明は・・・
『よみがえる伝説 イタンキの鳴り砂』「鳴り砂とは、砂と砂の摩擦で、キュツ、キュツと済んだ音がする現象です。昔、この辺にアイヌ語で「ワム・ウシ。オタ」(音する砂原)と呼ばれた地名があったことから調査が始まり、昭和61年9月に、このイタンキ(お椀という意味)。北海道では初めて、歩いただけで音がする鳴り砂海岸であることが確認されました。
 こうした海岸は、全国でも数少ない非常に貴重なものです。・・・(中略)この貴重な資源を絶やさないため、砂を持ち帰ったり、砂浜を汚さないよう、ご協力下さい。  室蘭市」と書かれています。
また、別の「ビオトープ・イタンキ案内板には」

「室蘭市ビオトープ憲章」として平成23年8月1日制定した内容が書かれている。
その内容は「ビオトープ・イタンキが、未来を担う子どもたちによって、ふるさと室蘭の自然を学ぶ場として活用され、また、自然を愛する市民によって、後世に、末永く引き継がれることを願い、ここに室蘭市ビオトープ顕彰を制定します。」
1 ビオトープ・イタンキは「獲物のあるビオトープ」として子どもたちがじかに生き物に触れ、体感し、自然の恵みや、  命の大切さ、ふるさとの自然と環境について学ぶ場です。
2 ビオトープ・イタンキは、かつて私たちの身近にあって、今は失われた「室蘭湿原」をモデルとして、自然再生を図る  場です。
3 ビオトープ・イタンキは、室蘭の公園として市民と行政の協働によって、大切に維持されています。
その他、すこやかロードのマップ

認定・(財)北海道健康づくり財団/北海道が設立と記されている。

№11 室蘭 名勝ピㇼカノカ 地球岬

2014-06-03 10:47:22 | 旅行
以前、室蘭の「地球岬地名由来」に『松浦武四郎が岩岬で一番高い岬の義であると書き残している』という文面の画像をネットで見たことがあったので、松浦武四郎の足跡を訪ね歩いている私たちは、是非室蘭でその由来版を見たいと思って来ました。
 実際には看板が「名勝ピㇼカノカ絵鞆半島外海岸」に新たに指定されたということで、建て替えられてました。
旧地名由来版と新地名由来版(写真)・・・この旧地名由来版に松浦武四郎の名前があるのですが・・・

平成25年に新しく設置された地球地名由来です

参考にしている松浦武四郎の「蝦夷日誌上」のムロラン編の記録は『チケウエ(岩岬)一番高岬の義也』とある。
新しい地名由来版には
『名勝ピㇼカノカ
 えとも半島外海岸 地球岬
     指定年月日 平成二四年一月二四日』
『ピㇼカノカとは、アイヌ語で「美しい・形」を意味し、アイヌの物語や伝承・祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地を総称するものです。
 絵鞆半島の外海岸は急峻な断崖や小さな入り江が連続しており、数多くのアイヌ語による地名が残されています。
 アイヌ文化では、現地の風景と産物、あるいはアイヌの人たちがそれをどのように捉えていたかを、そのまま、地名として名付ける特徴があります。
 北海道内にはアイヌ語の地名は数多く残されていますが、橡は必ずしも多くなく、地名に示されたアイヌ文化の精神性を今もよく感じ取れる景勝地、いわば「生きた地名」の橡として、ここが道内7番目の名勝ピㇼカノカに指定されました。  絵鞆半島外海岸岬は元々アイヌ語ではポロケチウェと呼ばれていました。これは「親である・断崖」という意味で岬の断崖はひときわ大きくそびえ立ち、親である(大きな)と呼ばれた意義が感じ取れます。
 なお岬の東側に続く断崖は、ポンケチウェ「子である・断崖」と呼ばれ遂になっています。
           平成二五年十二月  室蘭市教育委員会』と書かれています。
地球岬への案内板と名勝ピㇼカノカ 地球岬の石碑
 

地球岬にの展望台には「幸運の鐘」があります。

展望台からの灯台
また、地球岬灯台は展望台の下方にありますが、外観は六角形、一般的に灯台は赤や黒の帯状に色がついてますが、真っ白な灯台で太平洋の青い海に美しくも見えます。