気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

菅江真澄和歌シリーズ:松前から豊浦歴史公園へ

2018-01-27 18:20:26 | 旅行
江戸末期に蝦夷地を訪れた国学者・紀行家の菅江真澄が渡島半島西側を旅してから松前に戻って、現在の函館市戸井町・恵山南茅部方面から有珠に渡ったという記録があるので、彼が何故、有珠方面にも関心があったのかという私の疑問を解く鍵が内田武志・宮本常一編訳の「菅江真澄遊覧記2」の中に記録があった。
『えぞのてぶり』からの要点
『東方の蝦夷らが住む荒磯の近くに臼のみたけ(現在の有珠山)といって世間の人がたいそう尊んでいる高い山があると聞いて、そこに行き、登ってみようと思い、話すと、昆布を刈ることを毎年の仕事として行く船が、福山(松前町)の港から浦々を巡りながら行くと言われ、これに便乗して行って見たいと船に乗せてもらい、寛政三年(一七九二)五月二十四日の夜明けに舟が出るというので出立することにした。・・・白神や福島などを通過し、ウスンゲツ(函館)をめぐらし、この島の姿を見ると鰐などが海の上に這いのたくっているようである。』私たちは函館山を別名臥牛山と云っているが、彼が海峡側から見て鰐・・・に似ていると思ったことは以外だった。
さらに
『シノリ(志海苔)浜、銭亀沢を過ぎ、日暮れかかったので、やけまきの浜にいかりを下ろして船から降り、丸太小屋を汲んでそこに泊まる。・・・セタラヰ(瀬多来)、ヨモギナギヰ(蓬内)も乗り過ぎ、トユヰ(戸井)の浦に着いた。原木を経て、日浦(恵山町)山陰をゆくと、立った岩間になでしこ(撫子)の花が沢山咲いていた。ムヰ(武井)の小島が近くなると難渋した塩瀬よりもさらにはやく流れて、ひどく不安な気持ちになった。
因みに彼の見た「武井の島」(山側からですが・・・)
マップ


「あら瀬のしほの八百路に神まさば みそなひたまへ波のはや舟」と歌を捧げた。
トドホッケ(椴法華)のコタンについて休むまもなく、また舟に乗った。
フル部(南茅部町古部)の大滝というのが、十尋のあまりあろうか、茂り立つ木の中から岩面にかかっているさまは綿がくりだしているか、雲をこぼしているかと思われる。』と記録している。

豊浦の歴史公園にある歌碑

『蝦夷見ても くもりも 波の月きよく 
    吹く口びわ(琵琶)の声の寂しさ』
裏書には
『1791年、旧暦6月7日放浪の文人菅江真澄はこの地に遊び、月明かりの浜辺にメノコがたわむれ吹くムックリのひびきに旅愁の感傷に浸りつつ、この歌を成す』



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