2009年9月21日、留萌海のふるさと館を出てから、黄金岬「波涛の塔とモニュメント灯台「波灯の女」をみた。
デザイン灯台は安全な航海を願う女神の銅像で右手にLED電球の灯りをかかげている。平成19年7月16日に初点灯されたと書かれていた。
留萌の武四郎の踏査の石碑「ルルモッペ」を訪ねて、「北海道るもいガイドブック」の自然と歴史の中に留萌市を一望する「千望台」には踏査の偉業をたたえる記念碑がたてられている・・・と記載されていたので「千望台」へ行った。そこには留萌の港湾の偉業をなした方の大きな立像がたっていたが、周辺には武四郎に関する碑は探せなかった。喫茶店があったので、そのことをうかがったが、みたことがないということでした。見間違いかな?とその奥の森にいったが、発見出来なかった。
千望台から留萌市内が見渡せる
増毛には数年前、黄金山登山のあとに増毛まで来て、港の近くの民宿に宿泊したことがあり、宿の食堂に高倉健主演の映画「ステーション」のロケでエキストラとして民宿の若女将が俳優さんと一緒に移した写真などが飾られていたことを思い出す。そのロケ地増毛の駅や風待ち食堂(観光案内所になっていた。)最北端の酒蔵や木造の古い建物などを再訪した。
残念ながら、木造の小学校は廃校になったようです。木造の校舎を大切に維持し、学童も丁寧に使うことで伝統的な建物を保存できたのでしょう。
増毛駅(終着駅)
木造3階建の旅館と風待食堂
増毛小学校(北海道遺産)
酒蔵には暑寒別岳連峰の伏流水が注がれ、飲むことができる。お酒は米と良い水が命・・・。
ニシン漁で賑わっていた増毛に佐渡から移住してきた呉服商人の本間氏が酒造をはじめたとのこと。国稀酒造の隣には国の重要文化財になっている豪商本間家がある。
国稀・水
暑寒別伏流水が
オロロンラインを南下して、雄冬に着いた。武四郎の碑などはないが、昔は陸の孤島といわれたところでなかなか訪ねるチャンスはないので、この旅が良いチャンスでもあった。
雄冬遺跡木柱と展望台
展望台
雄冬の展望台に登って日本海を眺める。夕日が見れたら絶好の場所かと思う。駐車場には「雄冬遺跡跡」という木柱がたっていた。厳寒の雄冬にはその大昔どんな人が暮らしていたのだろう・・・オホーツクのモヨロ貝塚や函館市の南茅部の古代の人とはまた別の人たちの営みがあったことを想像する。(資料館はあるのかな?・・・興味はあるが不勉強な私です。)
「雄冬」に関する武四郎の記録は「蝦夷日誌 下」西蝦夷日誌の濱益毛の項に、浜益から辨天社、稲荷社、地蔵々のことが書かれてあり、『地形ヲフイ(雄冬)岬・ヲカムイ(神威の大湾中、またアイカプ(愛冠)・ポロクンベツ岬の小彎をなし、・・・後ろ蛾々たる高山、濱皆轉太石(ごろたいし)、通行やは岸の上に立出し風景宜し。小川に添て、勤番所あり。土人多し。・・・ヲフイ岬は夷地第一の嶮岬にして、往昔より九里あり、八十間の間波浪強敷(はげしき)故、九月中旬より通船難く、是が為に如何なる非情の事たりともその注進を滞する事有て、只山狩猟の土人のみ山脈を知て通行するよし。依て濱益毛は南にアイカブ岬・ゴキビル(濃昼岬の難あり、北オフイ(雄冬)岬の中間故、暮秋より仲春迄は離島に在るが如し。』と書かれているように、雄冬トンネルができるまで、大変な道路であったということ。白滝の広場にあるモニュメントは国道開通記念碑である。
白銀の滝
予約の取れていた留萌唯一の温泉ホテル「神居岩ホテル」へ向かった。
デザイン灯台は安全な航海を願う女神の銅像で右手にLED電球の灯りをかかげている。平成19年7月16日に初点灯されたと書かれていた。
留萌の武四郎の踏査の石碑「ルルモッペ」を訪ねて、「北海道るもいガイドブック」の自然と歴史の中に留萌市を一望する「千望台」には踏査の偉業をたたえる記念碑がたてられている・・・と記載されていたので「千望台」へ行った。そこには留萌の港湾の偉業をなした方の大きな立像がたっていたが、周辺には武四郎に関する碑は探せなかった。喫茶店があったので、そのことをうかがったが、みたことがないということでした。見間違いかな?とその奥の森にいったが、発見出来なかった。
千望台から留萌市内が見渡せる
増毛には数年前、黄金山登山のあとに増毛まで来て、港の近くの民宿に宿泊したことがあり、宿の食堂に高倉健主演の映画「ステーション」のロケでエキストラとして民宿の若女将が俳優さんと一緒に移した写真などが飾られていたことを思い出す。そのロケ地増毛の駅や風待ち食堂(観光案内所になっていた。)最北端の酒蔵や木造の古い建物などを再訪した。
残念ながら、木造の小学校は廃校になったようです。木造の校舎を大切に維持し、学童も丁寧に使うことで伝統的な建物を保存できたのでしょう。
増毛駅(終着駅)
木造3階建の旅館と風待食堂
増毛小学校(北海道遺産)
酒蔵には暑寒別岳連峰の伏流水が注がれ、飲むことができる。お酒は米と良い水が命・・・。
ニシン漁で賑わっていた増毛に佐渡から移住してきた呉服商人の本間氏が酒造をはじめたとのこと。国稀酒造の隣には国の重要文化財になっている豪商本間家がある。
国稀・水
暑寒別伏流水が
オロロンラインを南下して、雄冬に着いた。武四郎の碑などはないが、昔は陸の孤島といわれたところでなかなか訪ねるチャンスはないので、この旅が良いチャンスでもあった。
雄冬遺跡木柱と展望台
展望台
雄冬の展望台に登って日本海を眺める。夕日が見れたら絶好の場所かと思う。駐車場には「雄冬遺跡跡」という木柱がたっていた。厳寒の雄冬にはその大昔どんな人が暮らしていたのだろう・・・オホーツクのモヨロ貝塚や函館市の南茅部の古代の人とはまた別の人たちの営みがあったことを想像する。(資料館はあるのかな?・・・興味はあるが不勉強な私です。)
「雄冬」に関する武四郎の記録は「蝦夷日誌 下」西蝦夷日誌の濱益毛の項に、浜益から辨天社、稲荷社、地蔵々のことが書かれてあり、『地形ヲフイ(雄冬)岬・ヲカムイ(神威の大湾中、またアイカプ(愛冠)・ポロクンベツ岬の小彎をなし、・・・後ろ蛾々たる高山、濱皆轉太石(ごろたいし)、通行やは岸の上に立出し風景宜し。小川に添て、勤番所あり。土人多し。・・・ヲフイ岬は夷地第一の嶮岬にして、往昔より九里あり、八十間の間波浪強敷(はげしき)故、九月中旬より通船難く、是が為に如何なる非情の事たりともその注進を滞する事有て、只山狩猟の土人のみ山脈を知て通行するよし。依て濱益毛は南にアイカブ岬・ゴキビル(濃昼岬の難あり、北オフイ(雄冬)岬の中間故、暮秋より仲春迄は離島に在るが如し。』と書かれているように、雄冬トンネルができるまで、大変な道路であったということ。白滝の広場にあるモニュメントは国道開通記念碑である。
白銀の滝
予約の取れていた留萌唯一の温泉ホテル「神居岩ホテル」へ向かった。