気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

箱館戦争降伏之地

2014-10-25 10:36:25 | 日記
箱館戦争は旧幕府軍の土方歳三や榎本武揚の戦いは敗れましたが、その後のストーリーがあることを知りました。
私の住んでいる地域の鎮守さまともいえる亀田八幡宮に2年前「箱館戦争降伏之地」という石碑が建立されたのです。
亀田八幡宮は歴史も古く、600年という石碑もある。

初詣や9月15日の例大祭など私たちには馴染みの神社であり、私は付近にあった小学校や中学校に通っていたので学校では境内の写生会で森や小川を描いた記憶がある。
鳥居をくぐると真っ直ぐ歩き、太鼓橋を渡る。現在は太鼓橋が何故ここにあるの?という感じですが、小学校のころには小川が流れていたのです。
本殿の右側にある銀杏の木の側に黒い石(黒曜石なのか御影石なのか分かりませんが)石碑が立ったので、2年前にも見てきましたが、今年の秋祭りにカメラをもって撮影してきた。
石碑は刀の先をモチーフとして造られたよう。

石碑には『箱館戦争降伏之地  榎本武揚會孫隆光書』と記されている。
裏書には
『明治二年(一八六九)五月十八日、旧幕府軍(榎本軍)が政府に降伏、実は、その前日午前、亀田八幡宮社殿前に於いて、黒田、榎本両雄が会談し、降伏の実効を整えていたのであった。
誓約後、冷酒にて歓談。このちこそ、近代日本の幕開けであり、わが国の歴史遺産の地として永劫に輝く。』
南北海道史研究会会員 近江幸雄
 平成二十四年十一月
  函館市 松山一郎
  帯広市 松山義雄
  函館市 松山幹雄  建立

後日、調べると亀田八幡宮に近い所に亀田三軒家の農家「中村家」があり、榎本武揚は中村家で新政府軍の黒田清隆に降伏を申し出たという記録があった。余談ではあるが、私の9年間通った小学校・中学校(現在は移転して大学の正門)に中村家があり、私の姉妹と同級生の何代目かの子息もおられた。