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ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

東蝦夷日誌に記録のある白老仙台藩陣屋跡を訪ねた

2016-07-12 15:25:51 | 旅行
白老会所跡を見学して、次の史跡「白老仙台藩陣屋跡」を訪ねた。
この陣屋については、松浦武四郎著「東蝦夷日誌」の白老領の中に記述があるところでもある
武四郎の日誌には
「シラヲイ」会所に続いて、次のように書かれている。
『惣て此邊北西山を受、巳午向濱にして暖気也。是より上(十二丁)仙臺家陣屋(安政甲寅年(元年)立てり)有
西に白老川を被ㇾ所、三好堅物縄張にて築き、旭岡(てるのおか)と號く。
川水を曳、沼地を掘りて用水となし、是に鹽竈神社を勸請し、邸中より眺望する處を以て十景を作る。
是皆三好氏の功業なり。』とあり、注釈には三好堅物=仙台藩士とある。

史跡への入り口には大きな案内板が立っている。

また門の前方には史跡の石碑と説明版がある。

説明版には
『白老仙台藩陣屋跡
    昭和四十一年三月三日 史跡指定(国)    
    昭和代十一年七月八日 追加指定(国)
この陣屋跡は安政三年(一八五六)蝦夷地の防備を固めるため、仙台藩が築いたものである
安政元年(一八五四)徳川幕府は鎖国を解いてアメリカ・ロシアと和親条約を結び箱館港などを交易場とした。
 このため幕府は蝦夷地を直轄地とし、翌年仙台藩をはじめ、津軽・秋田・南部の奥州諸藩と松前藩に警備を命じた。安政六年庄内藩と会津藩も加わる。)
仙台藩の守備範囲は白老から襟裳岬を越えて、国後・択捉までの東蝦夷地であったため、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・クナシリ・択捉に出張陣屋を築いた。
元陣屋の面積は六・六ヘクタールで堀と土塁を円形・弧状に巡らして、内曲輪(うちくるわ)を構成している。ここは、本陣・勧請所・殼蔵・兵具蔵・長屋などがあり、少し離れた東西の給料に塩竈神社と愛宕神社を祭った。元陣屋には、二百名ほどの人々が駐屯して警備にあたったが、明治元年(一八六八)戊辰戦争の勃発によって撤収するまでの十二年間慣れない土地での仙台藩士たちの苦闘がこの陣屋跡に刻まれている。
                                        文部省

                                        白老町  』
御門石と陣屋門

外曲輪(そとくるわ)石碑
この説明史跡には陣屋の設計図といっていいのか、陣屋内の施設が分かるようにイラストのようにが刻まれている。
本陣の土台石

本陣跡井戸跡 

井戸跡は、松浦武四郎の記述にある「川水を曳き、沼地を帆って用水となし・・・というその用水かどうか・・・そうなら、なお、良いなと思っている。
其の外、勘定書跡などがある。
          
                             

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