気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

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道央4日目:宿泊ホテルで目にした松浦武四郎のこと

2016-07-18 12:43:16 | 旅行
2015年9月29日から道央の史跡めぐりの最終宿泊地は登別温泉でした。
宿泊のホテル

ホテルのロビーの壁に「登別温泉の歴史」という案内説明紙が目に入りました。
そこには、松浦武四郎が登別温泉の魅力を綴っている・・・とあります。

案内説明には

『大昔、アイヌの人々が薬湯として重宝していたとされる登別温泉。
江戸時代には最上徳内が「蝦夷草紙」でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れた温泉の魅力を綴りました。』また安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て・・・新たに道を整備した・・・とあります。

因みに松浦武四郎の記録は『東蝦夷日誌』のなかの
〔ホロベツ領(幌別)〕には室蘭から幌別のことを記録して
次のように書かれています。
『濱(幌別の)少し過ぎてヌプルベツフト(登別川)(川有、幅六七間)温泉川の義也。又(ヌ)は湯、ブルは強きにて、温泉強き義共云。・・・・ヌブルベツ〔登別〕越て野道也。開墾せば頗る好しからん。・・・・岩坂切通し少し下りて温泉場、今は止宿所も出来、湯治人も居たり。筵を(むしろ)を河中に敷きて浴せしが、今は川の上に屋根を架、二川(西、シュンベツ、水川也)東、クスリサンベツ、熱湯也)合わせて程よき湯にしえあひる也。硫黄にして臭気甚だし。また、岩間より先年は五六尺の噴き上がる處と二ケ所有しが、當時はなく成、其の頃観音薬師の小堂有しが、是も見えず成りぬ。其の土地も餘り開くれば、其水勢薬効も薄らぎやに思はる。』と彼は間欠泉のことにも触れ、また、温泉の将来的予測として枯渇も心配しているようにも見えた。

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