気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

私の聖地:北海道命名の地を訪ねる(音威子府筬島)2009年9月

2011-11-27 20:58:05 | 日記
 北海道の名付け親、松浦武四郎の足跡を初めて、2009年9月19日から名寄・士別・美深・留萌・小平・天塩川河口を巡って、音威子府筬島にある「北海道命名の地」を目指す。
この旅の途中で、羽幌や苫前・遠別いわゆるオロロンラインである。この道は以前にも通っている。苫前を通過するとき、作家の吉村昭著「羆嵐」を想う。大正時代、苫前の三毛別川の奥で起こった国内最大獣害事件である。何人もの人を襲った巨大熊を射るため鬼鹿から鉄砲打ちの名手を呼び、熊との戦いが凄まじいという印象があった本。地図を見ると羽幌ダムから三毛別川がある。また、遠別と美深は特に印象が深い。若くして悪性の癌で遠くの世界に行ってしまった妹が住んでいた町である。妹との様々な思い出が浮かぶ。少し高台に行き町全体を眺める。闘病生活中、一度見舞いに行った病院など。亡き妹を想うと少々感傷的になる。元気な姿で逢ったのは、私の職場を訪ねて来て、笑顔で帰っていった妹。あんな事こんな事、あったな・・・と夫と語り、再びオロロンラインに戻る。
幌延町にあるトナカイ牧場に寄り道し、R40号線を南下して筬島に着いた。松浦武四郎の石碑や木碑の案内標識少ないように思いますが、やはり、命名の地は聖地である。国道に大きな看板が立ち、迷うことなくその地に立つことが出来る。
案内版と熊出没注意

「命名の地」年譜、「北海道命名ゆかりの地」など

「北海道命名ゆかりの地」には、命名の発想が以下のように記載されている。
『安政四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し『天塩日誌』として書き残しました。
天塩川探査の帰途中、オニサッペ(筬島の鬼刺川付近)で故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とはこの国に生まれ者ということで『ナ』とは貴人をさす尊敬の言葉である。このことを聞いた武四郎は「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことであると考えました。
 明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に、日高見通(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示。この中から「北加伊道」が採用され「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて「北海道」の名が誕生しました。
現在の「北海道」の名はまさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。』と書いてあります。(天塩川は平成16年に北海道遺産として選定されました。)
予約の取れた「天塩川温泉」への入り口、目印のポール

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
命名の地 (hiro)
2012-08-04 01:37:54
初めまして 命名の地にいらしてたんですね。
気がつきませんでした。あまり知られてないけど
猿払村(碑と説明板)と旭川市(説明板)にも
武四郎の記念碑が出来てます。
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hiroさんブログアクセスありがとう (harpbaba)
2012-08-14 21:38:03
初めまして・・・北海道の命名が松浦武四郎だということなどまったく知りませんでしたが、いろいろ調べて歩いてます。旭川の情報など嬉しい情報ありがとうございます。そのうちに旭川のクーチンコロなど行ってみたいと思っております。
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hiroさん猿払村行ってきました (harpbaba)
2012-09-15 13:13:44
教えていただいた猿払の松浦武四郎の木碑8月28日早速訪ねてきました。
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