気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

虻田から喜茂別など:その6旧跡のしるべ「お大師山・三宅伊勢松頒徳碑・福島団体入植跡」など

2016-12-11 20:57:10 | 旅行
喜茂別小学校付近にある「お大師山八十八か所巡り」の地を訪ねるため、向かった。喜茂別小学校グランドまで来たがお大師山の入り口が見当たらない。丁度、小学校に消防車が止まっており、学校から消防士さんが車に戻ってこられたので、お大師山に行こうと思っていることを話したら、グランドの下の道路を教えていただいたが、ご親切にその側まで道案内をしてくださった。林の中で迷わずに到着出来、感謝です。
(1)お大師山
旧跡のしるべによると(要約・・・)

『お大師山は「観音山」ともいわれ、八十八体の仏堂が安置されている山。喜茂別弘法教会(本尊・弘法大師)のあった所。・・・・(中略)・・・昭和5年(1930年)お大師山の丘に喜茂別村内外から寄進された石仏が建立された。・・・医師の片面に浮彫にした薬師如来・千手観音・重一面観音・阿弥陀如来像など多く見られます。八十八体の石仏建立は、四国八十八か所へ行けない人たちにも、このお大師山を巡礼参拝することにより御利益を受けると信じていたからであろう・・・平成10年10月 喜茂別町教育委員会』
お大師山旧跡のしるべのあるところ

大師山道

手水場

(2)三宅伊勢松頒徳碑
場所は国道230号線沿い、栄という所を通過し、福島の手前(上喜茂別)「札幌まで60㎞」の道案内の付近。中山峠に向かって、右側の広場に石碑が見える。

『三宅伊勢松について、明治元年(1868)香川県生まれで、25歳北海道にわたり、明治37年(1904)上喜茂別に入植。土地を購入し、牧場を拓いたり上喜茂別発展のため駅逓所を開設、農民の便宜を考えて日用品販売所を設けたり、澱粉工場を経営し、農家の収益を計るなど多方面にわたり活躍した。氏は幼少の頃、就学の機会がなかったことを嘆き、上喜茂別特別教授場の創設に努力し、教授場用地を進んで寄附。人生の大半を上喜茂別開拓と子弟教育にささげた』彼の功績を記念し大正7年(1918)上喜茂別尋常小学校の校庭に碑を建立したというものです。
頒徳碑

(3)福島団体入植跡

『東北6県の中で最も南に位置する福島県は奥羽山脈や阿武隈山脈が走っている。この地に生活していた住民が渡道を決意したのは、山梨県の移住と同じく水害と連年の凶作による困窮からであり、北海道二再生を求めた。・・・
この記念碑は移住20周年を記念し昭和5年に国道沿い地蔵付近に建立されたもの   
                                平成12年 喜茂別町教育委員会』
石碑の側面には「明治四十四年四月 八十九戸の移住と彫られている。

この後は定山渓に向かう中山峠頂上にある北門開拓の「東本願寺の現如上人像」を訪ねる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿