戦時中 通学中に 必携だった夫の脚絆です。
これは旧制中学生だった夫のものです。私が捨てようとした時も 決して廃棄させませんでした。
これをつけ毎日学校ではなく、立川の 中島飛行機工場に 通っていたそうです。
爆撃を何度も受け、友人を亡くし、怖い思いの毎日だったと話しておりました。
深い思いが込められているのでしょう。今では我が家の家庭遺産だと思っています。
今の時代は、戦前の空気感が溢れています。何をすべきか、言うべきか、後の祭りにならないように
考える日にしたいです。でないと戦死された人達の死が無駄になります。
靖国神社に詣でることが、慰霊になるとは思えません。
靖国神社に祀られる人がいなくなることこそ、真の慰霊になるのでは。と思います。
iPadから送信 皐月
これは旧制中学生だった夫のものです。私が捨てようとした時も 決して廃棄させませんでした。
これをつけ毎日学校ではなく、立川の 中島飛行機工場に 通っていたそうです。
爆撃を何度も受け、友人を亡くし、怖い思いの毎日だったと話しておりました。
深い思いが込められているのでしょう。今では我が家の家庭遺産だと思っています。
今の時代は、戦前の空気感が溢れています。何をすべきか、言うべきか、後の祭りにならないように
考える日にしたいです。でないと戦死された人達の死が無駄になります。
靖国神社に詣でることが、慰霊になるとは思えません。
靖国神社に祀られる人がいなくなることこそ、真の慰霊になるのでは。と思います。
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