旅人

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ドブロヴニク 旧市街

2010-08-09 | 
ドブロヴニクはが生まれたのは ローマ帝国が破れ、非難してきた人たちによって
614年に生まれました。当時は スラブ人、ローマ人が水路をはさんで 

北と南に分かれて、両者は 平和的に住んでいました。
水路は今埋め立てられて、メインストリート・プラツァ通りとなっています。

ついでに クロアチアの歴史に入ります。 今のクロアチアはヴエネツィア共和国の支配・
ハンガリー王国による国土一部買収・オスマン朝の介入等を経ながらも、
ラグーサ王国として維持し続けた。1418年には奴隷交易を廃止するなど
活発に貿易国として、繁栄していた。が 1667年の大地震により 建物の破壊・
多くの死者などで 国力は落ち また他国の侵略に怯えるようになった。
又 ヴェネツィア共和国が国境を侵犯することを警戒し 国境に近いネウム近辺を 
オスマン朝に譲った。
それが現在ヘルツェゴヴィナ領となっている所以です。かっての繁栄は取り戻せないまま 
1808年に ナポレオン(仏)に服従し ラグーサ共和国は無くなりました。
支配はオーストリアに移り、1918年ユーゴスラヴィィアの領土になりました。


旧市街の入口です。ピレ門から入ります。 やはり私達が一番乗りのようです。

  

  

ガイドさんの説明を 添乗員さんが通訳してくれます。

  

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