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スケートカナダ2019羽生選手のEX「パリの散歩道」動画とインタビューその他

2019-11-07 | 羽生結弦選手のおススメ演技動画集

11月3日: こちらで、羽生選手のスケートカナダのEX「パリの散歩道」の練習時の演技を、特殊カメラで氷上で近くから撮影した映像が公開されています。これはすごいですね…!スピード感と迫力満点

11月2日: さらに追記しました。

10月31日: ※「ひつじ」と「やぎ」について、一部、説明を追加しました。

 

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スケートカナダ2019で、羽生選手は無事に優勝しました!

エキシビション(EX)で、

羽生選手はなんと、久しぶりに、ソチ五輪シーズンのショートだった、

「パリの散歩道」を披露しました!

 

 

 

こちらは現地のファンカメラの動画

 

やはり、パッと見てすぐにわかったのは、

あの頃よりも、羽生選手はたくましく、体格がかなり良くなったということです!(良い意味で、です!)

当時は、身軽さと軽快さ、バトルさんが狙った通りの「粗削りさ」みたいなものが印象的でしたけど、

今回の羽生選手のスケートは、なめらかさとスピードで、迫力がありましたね…!

 

 

 

演技後の、羽生選手のインタビューが、BS朝日で流されました。

今回、パリの散歩道を選んだ理由を語っていましたけど(笑)

楽しく滑れたようで、良かったですね…!

 

Q: 大歓声、またこのプログラムやってくれるんだっていう風に

羽生選手: いやもう、楽しくやらせていただきました。本当に、このプログラム自体も、スケートカナダでやった思い出もありますし、あのー本当に、最後まで楽しく滑りきることができて、良かったと思います。

Q:あのジャンプも本当に試合と同じ形式で言って、どのくらい点が出るんだろう、そのくらいの完成度だったと思うんですけど

羽生選手: いやでも…(目を瞑る) 本当に… まずはエキシビションとして、このプログラムをできたことが、本当に楽しくて (上を向いてちょっと泣きそう、感涙の笑み)… まあ緊張もありましたけど、まあなんとか、最後までやりきれたなと思います。

Q: 改めて、エキシビションでこのプログラムをやる、どんな意図があったんでしょう?

羽生選手: うーんと… まあ、ショート・フリー終わった後に、二つともそこそこいい演技があった後に、まあもう1回ショートをやるっていうのは、やっぱり、構成がちょっと低いとはいえ、大変であって、まあその中で少しトレーニングという意味もあって、あのー、ちょっとやらせていただきました。

Q: まあこのプログラムは羽生選手にとって、最初のオリンピックで金メダルをとった特別のプログラムかと思いますが、どうですか。

羽生選手: そうですね、まあ… 今は「今だけの」パリの散歩道だと思うんで、まあそれもまた、味わっていただけていたらなと思います。

Q: このカナダ大会から、次に向かって、メッセージをお願いします。

羽生選手: はい、まあ、また次の試合は次の試合なので、まあ今大会良かったとは思うんですけれども、まだ、反省点もあるので、しっかりとそれも生かしながら、また次の試合は次の試合として、いい演技を目指して、頑張りたいと思います。

Q:お疲れさまでした。

羽生選手: お疲れさまでした。

 

あ、もちろん、私は羽生選手が今回、「パリの散歩道」を選んだ「本当の理由」を、誰よりもよく知っていますからね…!(笑)

 

 

気のせいか、(いや、気のせいじゃないですね)

目の周りがちょっと赤くはれているかのように見えたので、

本当に色んな思いがよみがえったのだろう、とは思いました。(笑)

 

演技では、特にカウンターからのトリプル・アクセルを披露したとき、勢い余ってさらにもう1回転しそうにさえ感じられる、そんなアクセルでしたね。

 

この「パリの散歩道」の水色の衣装は、羽生選手にとても似合っていますね。

 

 

こちらは現地のファンの方の撮影したフィナーレ動画

 

こちらも、現地のファンの方の撮影

 

 

フィナーレの最初のほうで披露する、究極のハイドロが凄かったです…!!

何あれ~!という、衝撃の体勢。(笑)

また、「春よ、来い」の時とは違った形での、究極感のあるハイドロでしたね…!

氷を羽生選手の身体が削っているのか、それとも、羽生選手が氷に削られかかっているんだか、というぐらいの低姿勢かつ「ありえないポジション」をとって、まるで左肩部分全体で氷を抱きしめるかのような、氷に密着した、見たこともない、とんでもないハイドロを披露してくださいました!

凄かったですね…!!

 

そして 最後のほう、ジャンプ大会が長いです。(笑)

さすがに、ショート→フリー→ 昔のショート、をやった後では、羽生選手もお疲れがたまっているようですね。(笑)

 

女子のフリーで、トゥルソワ選手の4回転4本への挑戦、そのうち3本成功(といっても、そのうち2本はコンビネーション、1本は後半に4回転からの3連続を成功、)だったのを見て、

私も思わず、ぽか~ん、って感じになった、そんな大会でしたので、

いろいろな意味で記憶に残る大会になりそうです。(笑)

だってこれ(4回転4本に挑戦、コンビネーションを含む) 数年前に、羽生選手がこれだけのジャンプ構成をやって大騒ぎになったようなそういう世界だったはずなのに、いきなり女子で跳んでしまいましたからね…!

回転が速くて軸がぶれていませんでしたし…!

 

でも、彼女は3回転アクセルは跳ばなかったので、その辺はやはり男子や、羽生選手とはまだ大きく違いましたけど、それにしても、

女子が4回転を3本とか、さすがにすごすぎて… 

トリプル・アクセルを跳べる女子も急増していますし、驚きの時代になりました。(笑)

 

だけど、「バラ」を見て、「あじさい」や「桜」や「たんぽぽ」が、ひねくれたり劣等感をもっても仕方がないので、

自分は、花にたとえるとどんな花なのか、っていうことは、

誰であっても、常に考えてみると面白いですよね。

 

そういう意味で、羽生選手が、「自分は羽生結弦なんだ」ということに改めて気が付いて、常に意識していくのは、とても大事なことですよね…♪

 

この「パリの散歩道」を羽生選手が、やっていたシーズン、

つまり、ソチ五輪の少し前、国内での激しい代表争いをトップで勝ち抜いた羽生選手は、

「自分は羽生結弦であって、羽生結弦以上でも以下でもないので」

ということを、語っていたことを思い出します。(笑)

 

ここからさらに、よりきれいな、本当の、神様が本来備えてくださっている「羽生結弦さん色」で、

さらにその輝きを発揮していけますよう、

心より、主イエス=キリストの御名でお祈りしています…♪ アーメン。

 

 

こちらは、エキシビション後の、修造さんからのインタビューの一部が、報道ステーションで流された動画です。

 

修造さん「大きなものをつかんだんじゃないかなと思ったんですけど」

羽生選手「あのー、とにかく自信がなかったっていうのが、一番大きかったですね。」

「強い選手のことを思い描きながら、やっぱり練習をしていたので、その現実との、またその違った 幻想のネイサン・チェンみたいなものをすごく追いかけて練習をしていたので、

だから、すごく自分に自信がなかったっていうのが…」

修造さん「自信がないってどういうこと? (五輪の)金メダル2回とってますよ?」

羽生選手「でもやっぱりそれは過去のものっていうか… やっぱり ここ最近勝ち切れていないっていう…その感覚があったので」

修造さん「でもこの自信がなかった部分が、何を埋めました?今回…」

羽生選手「やっぱり相対的な評価ですかね…」「これである程度闘えるっていう、やっぱり自信にはなったので、それをやっぱりどうやって生かしていくか…ただ、これがたぶん最低限レベルだと思うんですよ」

修造さん「え、最低限?」

羽生選手「最低限だと思っているので」「自信を…試合を経るごとにつけていければ」

「なんか今の本当にちょっとした壁を乗り越えられる気がするんですよね… 

その壁を越えたら本当にまた、あの頃の本当に自信満々だった自分に戻れるって…」

「『もう何がきても俺はノーミスできる』ぐらいのところにいけそうなんですよね…」

 

…うん、今回、壁の一部は壊れたんじゃないでしょうか。(笑)

私は今回、ある人の「あまりにも卑怯な」やり方に、本当に本当に「心の底から」呆れましたから。

本当に、どこまで書いていいんだろうね。(苦笑)

 

 

例えば、羽生選手が本当は「ひつじ」という動物だとします。

ところが、ある人たちは、なんとしても、羽生選手を「やぎ」だということにしたい。

なんとしても、「やぎ」ですよという偽のアピールをして、あらゆることを「やぎ」であるかのように見せかけようと必死に「勝手に」やり続ける。下手な小細工や工作をし続ける。

そんなことがあまりにも多かったので、本当は「ひつじ」の羽生選手は、その間違ったアピール、看板を勝手に掲げられるせいで、ストレスや悲しみがすごくなる。

特に、羽生選手は、同じ「ひつじ」であり、トップレベルの「ひつじ」であるプルシェンコさんにあこがれて頑張ってきて、そういうことを意識したうえでのプログラムをやっている最中なのですから、そう思うのは当たり前です。

 

だけど、神様はもちろんすべてを見抜いておられますし、いつまでも偽のアピールなんて、続くことはありません。

羽生選手が信じている、本当の神様は、本当の「ひつじ」と「やぎ」を見間違えることは決してありません。

 

ファンのほうも、羽生選手がいつ帰国していなくて、その時期にどういう理由で何があったのかを覚えていたら、つまらない工作ぐらい、簡単に見抜けるはずだと思います。

 

追記:注:

「ひつじ」とは、聖書では常に、イエス=キリストに従う人たちの象徴として使われている表現です。

あるいは、神の目から見て、「よし」とされる人たちのことであり、天国行きが保証されている人々の、象徴的な表現でもあります。

一方、聖書で「やぎ」というのは、その反対で、常にイエス=キリストに反逆しているか、一見「従っているように見せかけながら、実は違う人たち」を指していて、あるいは、神様に従わない、正反対の行動をとる人たちの象徴として聖書で使われている、「あまりにも有名」な表現なのです。

(注:本当の動物のやぎのことを言っているのではありません。誤解なきよう。)

 

事実、「悪魔崇拝世界」と「悪魔崇拝者たち」(サタニスト)が実際に拝んでいる「悪魔像」は、「やぎ」がその姿のモチーフになっているものも非常に多く、山羊が元のイメージで使われている銅像がとても多いのは、有名なことで、彼らはそれらを本当に拝んでいるのです。

サタニストというのは、悪魔を神として崇めている人たちで、悪魔を喜びます。

悪魔像にはいろいろありますが、やぎのほかにも、別のモノで有名なもの、あるいは有名なシンボルとなっているものがいくつもあります。

サタニストは好んでそういったものを取り入れますし、また、「自分の支配下」にしたい人たちに対して、「悪魔の支配下です」アピールをしたがります。

一部の人たちが、羽生選手を「史上最高」などという言葉で表現していますが、史上最高という表現は、英語ではいろいろあるにも関わらず、その中でも「わざと」「やぎ」の意味になる表現を好んで使い、あえて広げるのは、サタニストの思惑通りなのです。(知らないで使っている人ももちろん大勢いるとは思いますが、もともとはサタニスト側の思惑から始まっています。このようなものは、世界に沢山あります。)

そもそも、日本語で言う史上最高、は、「今までの歴史の中で最高」の意味ですが、

それを「すべての時の中で最高」などという言葉の表現で置き換えると、未来をも含む表現になり、まだ見ぬ未来まで「時を支配できる」のは本来「天地創造主の神のみ」であるため、誰か人間をそのように決めつけるのは、一般的には「高慢」に当たります。

何度も書いていますが、悪魔というのは、「高慢の罪」により堕落した堕天使のことで、本物の神にとって代わろうとしている「高慢な」霊的な存在である、というのが、聖書が暴いている「霊の世界の」真実です。

 

(参考聖書箇所)

「人の子(=救い主、イエス=キリストのこと)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王(=王座についているイエス=キリストのこと)は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父(=天地創造主の神のこと)に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

 

それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 こうして、この者どもは永遠の罰(=地獄に行くことを指す)を受け、正しい人たちは永遠の命(=天国に行けること)にあずかるのである。」

(イエス=キリストの言葉
     マタイによる福音書25章31~46節   新約聖書 新共同訳より)

 

 

 

 

羽生選手が、このインタビューで何を言っているかは、私はよくわかっていますから、羽生選手はあまり心配しないで前向きに、「やるべきことを」しっかりと、やって下さいね…!(笑)

あ、でも、決して油断なく!!(笑)

 

「時」は近づいていると思います!

 

羽生選手は、自分で気が付いていないかもしれないけれども、このインタビューの最中の羽生選手は、とても良い表情をしていると、私は思いますよ♪

 

 さて、一方で、羽生選手が言っている「幻想のネイサン・チェン選手」という表現が、何を意味しているのか、ちょっとわかりにくいとは思います。

 

悪魔(サタン)は、いろいろな仕掛けをしてその人を惑わし、その人にとって本当の闘うべき相手(敵)を間違えさせるのが、常套手段なのです。

 

しかし、さんざん相手を追い込んでおきながら、いざ自分が立場が危うくなると、自殺をほのめかして引き留め、でもそのあとまた平気で繰り返すような人ほど、とんでもなく卑怯な人はいないですね! 

本当に何かを悔い改めた人や死にそうな人は、そんなこれ見よがしな、わざとらしいアピールなどは、絶対にしないものですけどね! 驚きますね!!


「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。」

(へブライ人への手紙12章15節  新約聖書 新共同訳より)


 

さて、ところで、衣装デザイナーが、依頼主である選手に、「衣装に込めた本当の意味は本人に教えない」なんていうポリシーを持っているならば、依頼主の本人の意図と全く違うことを、いくらでも黙って自由にねじこめ、そのうえで、後からいくらでも嘘をついて本人に対しては「ごまかす」「弁明する」ことができてしまう、ということを意味します。

きちんと「契約関係のあるべき姿」をわかっている人なら、これがどんなにおかしいか、どんなに不誠実なことか、すぐに理解できるのではないでしょうか。

だます意図がなければ、きちんと本当のことを相手に「いつも」「誠意をもって」伝えればいいだけなのです。

(でも、嘘をついてだますつもりの人は、何を言おうとも、結局、平気で嘘を付くものではありますが。)

 

本当に、委託契約の相手に対して誠意ある人は、こんなポリシーを絶対に持っていたりしません。

 

人間、生きていれば、誰かに騙されるということも、多々あるかと思います。

だけど、その後、それを赦せること、赦そうとすること自体は、尊いことです。

しかし、世の中にはそこにつけこんでくる、やさしさをいくらでも利用してくるような人たちがいるのもまた、真実です。

もしそれで繰り返し馬鹿を見させられるなら、方向転換が必要であるという、神様からの重大なメッセージでもあることも多々あるでしょう。

そういう「壁」は、乗り越えるのではなく、回避する。

「壁」の種類によって、対処の仕方は様々ですね…!

 

 

お気の毒なのは、こういう人たちに強制的に関わらせられる立場の人で、立場上発言できない人たちと、

こういう人たちに知らずに関わっていたがゆえに、あるいは関わらせられていたがゆえに、痛い とばっちりを食らってしまう人々です。

しかし、

 
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」

(ローマ人への手紙第8章28節  新約聖書 口語訳より)

と聖書は語ります。


※ ここで重要なのは、「神を」本当に「愛している」「愛そうとする」人たちのことであって、「装っているだけの」人たちまでは含まれていない、ということです。

たとえ人間をどんなに騙せても、神様の目はごまかされませんので。

 

なんでこんなことがいつも起こるのだろう、というようなことに対しては、有名な次の聖書箇所があります。


「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタン(=悪魔のこと)の使なのである。 このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。

ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。

それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。 なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」  

(コリント人への第二の手紙 12章7-10章  新約聖書 口語訳より)

 

羽生選手は、本当に半端ない、時にあまりにも卑怯すぎることをやられ続けてきました。

その結果は、

より「精錬された」本物になるために、鍛えられている、と、聖書は語るのです。

もちろんこれは、キリストを信じ従う気のある人の場合にのみ、神様はこのように導いて下さる、と言っているのです。

 

ふつうは、卑怯すぎることをやられ続けると、それこそ絶望して、時に死にまで追いやられます。 ですから、こういうことの罪は、非常に重いです。

 

ですから、「妨害」が無制限にいつまでも許されるようなわけではなく、その「妨害」勢力のやりたい放題が認められるようなことも決してなく、そういう妨害勢力に対しても、その悪の度合いに従って、神様はきちんと最後には裁きを下されます。

人間が思うより、真の天地創造主たる神様ははるかに「聖なる」お方で、なおかつ、「公正」なお方なのだと、聖書は明確に語ります。

「本当の愛」は、「なんでもいいよ! 何をしてもいいよ」などという無責任なことは決して言わないのだということが、聖書を読めばよくわかってきます。

危険と知っているなら、危険は危険と知らせる。

人間は何度でもやり直せますけど、世の中には、「とり返しのつかない事態」というのもたくさんありますので。

「原爆投下」なんて、その最たるものですね。

 

 

「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。

また、誰であれ、たった一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないように気を付けるべきです。

あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、(神に)事態を変えてもらうことができなかったのです。」

(へブライ人への手紙12章15~17節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

ここでいう「エサウ」とは、旧約聖書に出てくる有名な人物で、お兄さんだったので「長子の権利」という特別な権利をもっていたのですが、それを大事にせず、大事なものを軽んじ、誰でも得られるたった一杯の食物のために、それと交換する取引に応じてしまいました。

それにより、本来受けるべき「祝福」と「恵」を失ってしまい、後から後悔したけれども、

失ったものは取り返せませんでした。

神様に「本当に大事なものを」軽んじた態度をとがめられて 事態を変えてもらうことができなかった(=大事な権利を取り戻すことを二度と神様に認められなかった)のです。

 

 

聖なるものを軽んじ、本当に大事なものを大事にせずに、俗悪なものを放置し、

苦い根を広めることに貢献してしまうと、

本来神様からもらえるべき祝福や、「最も大事なもの」を失うよ、という警告です。

 

自分の思い通りになるものを「神」と呼んで、

そういったものを求めているだけの間は、天地創造主たる神 の存在や、

自分が生かされている意味、生きている意味は、

決して見えてきません。

 

 

誤解している人が多くて残念ですけど、

羽生選手は、そういう人とは対極の世界を生きている人です。

 

 

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、

わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。

天が地を高く超えているように

わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、目を出させ、生い茂らせ 

種まく人には種を与え

食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。」


(イザヤ書55章8~11節  旧約聖書 新共同訳より)

 



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