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早稲田スポーツ新聞会に掲載された、全日本選手権2019フリー直後の、羽生選手のインタビュー詳細に見える羽生選手の本音と人柄!

2019-12-31 | 羽生選手の素晴らしさ

再UPしておきます。 情報を追記しておきました。

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羽生選手は現在、早稲田大学の人間科学部の通信課程に在籍していて、遠隔地のカナダで勉強を続けています。

 

早稲田には多数のアスリートも在籍していますし、人間科学部は、その専門的な見地から、研究を続けている一つの分野です。

 

この度、全日本選手権2019の結果を受けて、

このフリーの演技当日、演技直後に羽生選手から語られたインタビューの、

かなりの詳細を、「早稲田スポーツ」サイトが掲載&公開してくださいました!! (抜粋ですが、掲載、心から感謝です!!)

 

羽生ファンと、ここをご覧くださっているすべてのの皆様には、ぜひともお読みいただきたく思います…!!

 

こちらが、「早稲田スポーツ新聞会」12月24日掲載  

羽生選手の試合結果と、試合後の複数インタビューでの一問一答・詳細です! (クリックどうぞ)

 

次の感想が、記事の最初の方で述べられています。

「どんな状況でも常に理想を追い求めると同時に、共に戦う仲間へ敬意を示す。その揺るぎないアスリート精神こそが、羽生の強さではないだろうか。そう思わせる試合であった。」

そうですね、本当に…!(笑)

 

羽生選手、早稲田大学が真っ先に動いて下さって、良かったですね…♪

アスリートを多数抱えているのですから、見ていて、わからないはずがないですものね…!!

 

以下、上の記事のインタビューの詳細を、一部抜粋して下に転載させていただきます。



※囲み取材から抜粋(フリーの演技直後の取材です)

――FSを振り返っていかがでしたか

いやあ、弱いなあって。先々週(グランプリファイナルの際)も言っていましたが、弱いなあって。

――4年ぶりの全日本、ファンの方々もたくさん応援していました

こんな演技でも本当にたくさんの方々がすごく応援してくださっていて、最後まで力をくださっていて。まあ最後の最後こけちゃいましたけど、歯を食いしばってやれたと思っているので。最後まで見てくださってありがとうございますとしか言えないです。

――次は、世界選手権が控えていると思います

そうですね……。何に出るのかわからないですが、本当にいまもう、弱っちいので。ループもトーループも跳べないようでは話にならないですし、アクセルも跳べないようでは本当に話にならないので。悔しい、悔しいです。次があれば、次に向けてがんばります。

――強くなるためにどうしていけばいいとお考えですか

わからないです。やれることはやっていたと思いますし、6分間(練習)まではよかったですし、感覚はそんなに悪かった訳ではないので、自分の精神状態と肉体の状態とイメージが全部バラバラって乖離(かいり)していった感じですね。

――今回のジャンプ構成についてはいかがでしたか

冒頭からミスしてルッツ抜けて、色々考えましたね。どこでリカバリーできるのか。そんなリカバリーする体力なかったなって思います。本当、そんなリカバリーするなら意味ないなって思っていました。わからないです。ぐちゃぐちゃなので。でも本当にいま、昌磨(宇野)がやっと戻ってきてくれて正直うれしいです。初めてちゃんと負けたんで。すごくうれしいんですよね。どういううれしさかというと難しいんですけど。でもなんか、ちょっとほっとしています。

――ルッツの失敗は疲労が足にきていたことが原因でしょうか

何と言うんですかね、イメージと、こう……。うーん……全部言い訳くさく聞こえるから、本当嫌です。何も喋りたくないというのが本音です。

――氷の感触はいかがでしたか

大丈夫だったと思いますし、やっぱりこうやって最後まで、難しい環境だったとは思うのですがすごくいい氷で、作ってくださった方々に感謝したいです。

――負けた羽生選手が、「ほっとしている」というのが衝撃的です。日本人選手に負けるのは久々だと思いますが、その点についてはいかがですか

昌磨がつらそうにしているのはずっと見ていて、それがね、やっと落ち着いてきてスケートに集中できているな、というのを思うとやっぱりうれしいです。後輩としてこれからも彼らしく頑張ってほしいですし。心から応援したいなと思います。

――グランプリファイナル、そして全日本で敗北を味わい、重圧が減ったということはありますか

別に日本人だからそれがどうだという話ではなく、相手が誰だからという話ではなく、常に「勝ちたいな」と思っていることは間違いなくありますし。もちろん最大限のことはここではできなかったのですが、でも僕なりに一生懸命はやったと思っていますし。別にプレッシャーから解き放たれた訳ではないです。やっぱり自分の中で確固たる自信とかプライドみたいなものはあって。これからたぶん昌磨が胸を張って『全日本王者』と言えると思うので。ことしは出られたから、僕が。だから、そういう中でちょっと追いかけて脅かしてやろうかなと思います。

――FSの前、うまくいかない予兆のようなものはありましたか

調整がうまくいかなかったです、ずっと。自分の身体がどんどん日に日に劣化していく感じはあって。ショートの前から「変だな」とは思っていたんです。それでもやっぱり、僕は恵まれているので、色んな方に支えてもらって、身体の状態もいまできる最高の状態にしてもらったうえでこれなので。正直言って、僕の実力と技術が足りなかったという感じですかね。でも、死力は尽くせたと思っています。

――ミスが出たあと集中が切れたようにも感じられましたが、どのような状態でしたか

びっくりしちゃって、自分の中で。「あれ?」って。感覚と本当に乖離していたんですよ。いまも乖離しているんですけど。自分の言動がどうなっているかはっきり言って全然わからない。気持ちと喋っていることも別々になっているところが多々あるし……。でもやっぱりイメージと自分の身体のキレみたいなものは分離はしていて、体力のあるうち、ショートとかだったらなんとかなったと思うのですが、どうしようもないところが出てしまったのかなという風には思います。でも、はっきり言ってしまえば競泳の選手なんかは何レースもやるわけですし。内容は違うかもしれないけど。そういうのに比べてみたら僕なんか5週間で3回しか試合していないし。それでこのくらいの体力しかないのかって。本当に自分が力使って跳んじゃっているんだなというのと、もっと力を抜いて自分らしいいいジャンプが跳べるようにしないといけないな、というのをいまは考え始めました。諦めてはいないです。本当に、最後まで死に物狂いでやっていました。そうじゃなきゃフリップ(4回転トーループ―オイラー―3回転フリップの3回転フリップ)跳ばないです、あそこ。

 

 

※メダリスト会見より抜粋 (フリー当日の演技後から少し時間が経って、表彰式後の会見)

――今回の結果を受けたご感想は

ありがとうございました。ここまでまた全日本で、これだけ死力を尽くして戦える瞬間というのがあって、非常に自分自身も熱くなりながら演技をすることができました。また、今回投げ込みが禁止ということもあって、自分の場合はすごくプーさんを投げていただいたりとかそういうこともあったんですけど、みなさんルールを守って、投げ込まないでとか注意してくださったり。ファン同士の中で色々注意ごとがあると思うんですけど、すごくそういうこと1つ1つ守っていただいて、こうやって最後まで素晴らしい大会になって本当によかったなと思います。ありがとうございました。

――宇野昌磨選手とお二人とも、辛い思いを経験して再び全日本に戻ってこられました。ここに至るまでの道と結果は、ご自身にとってどんな意味のあるものですか

 

まず、本当に自分もそばで見ていることはなかったですけど、テレビの中で見ていてやはり自分が思ったような体の状態で試合に臨めないとか、僕自身もグランプリファイナルでコーチがいない状態になりましたけれども、どれだけ大変なことかというのはすごくわかっていて。彼(宇野昌磨)自身がコーチを離れるという決断をしたのも、その状態でグランプリファイナルに臨むという決断をしたのも、やはりすごく勇気のいることだったと思います。僕は本当に、素直に彼がこうやってまた自分の道を見つけて彼らしいスケートがまたできていることがすごく嬉しいですし、僕と彼の道はやはり……彼って言うの変だな、ゆづくんって言ってくれてるのでしょーまって言います(笑)。しょーまの、スケートを楽しんだりとかもちろんそのスケートから離れたりって言う時間もしょーまにとってはすごく大事で。僕が多分それをやってしまうと全てが崩壊してしまうときがあって、全部何かしら楽しんでいるときですらも、スケートのために今楽しんでおこうって考えちゃったりするし。でもそれはやっぱり、やっとしょーまがしょーまらしく戻ってこられてよかったなとすごく思いますし、だからこそオリンピックの銀メダリストになれたんだよって僕はすごく思っているので。さっき自分が思った以上の結果が出て頑張ったって言っていましたけど、思ったよりもしょーまは強いですし、弱いところもあるかもしれないですけどそれも含めてしょーまで、しょーまの強さだと僕は思うので。彼から学ぶこともたくさんあるし、僕も、いましんどいことももちろんありますけど、でも、こんなもんじゃねえぞってこれから頑張ります。

 

――きょうのFSでよかった点、悪かった点と、点の出方についてお聞かせください。この結果についての感想もお願いいたします。

よかった点はないです。頑張りました。それ以上はないです。頭も使いました。ルッツが抜けた段階で何が3回転増やせるかなっていうのを考えたり、どこでより高い点数を稼ごうかなっていうことも考えましたけど、やれることは限られていて。それでも食らいついてやろうとはしました。でもやろうとしただけでできなかったっていうのはやはり悪いところですし……悪いところしかないので(笑)。なんて言ったらいいんですか、悪いところ全部あげますか(笑)?多分30分くらい喋りますよ。まあ悪いところは、そうですね、頭と体を同時にコントロールできなかったかなって思っています。そこが一番今回難しかったところで、これがいっぱいいっぱいだったのかもしれないですけど、でも反省点です。あとは結果については、もちろん2位でしたし点数もすごく悪かったですし、それはもうこの演技だからしょうがないっていうのは元から分かっていて。演技終わった瞬間に、しょーまの点数も自分の中で分かっていたので、あぁやっと終わったなと思って。でも、すごく、僕の演技とか質問と乖離しちゃうんですが、この場だから言いたいんですけど、やっと多分しょーまが心から全日本王者って言えるようになったと思うんですよね。ずっと僕が休んでいて、怪我していて。戦ったらその前に、もっと前に負けていたかもしれないですけど、でも本当にやっと、しょーまがショート・フリーで戦う試合で初めてこうやって負けられたので、これから胸をはって頑張ってほしいと思います。全日本王者って大変だよ(笑)。でもこれから胸を張って、僕も含めて、まあ僕もまだ頑張るつもりではいるので、一緒にまた引っ張っていけたら。しょーま一人に載せるんじゃなくて、僕も一緒に背負って頑張っていけたらいいなと思うので。(宇野に向かって)頑張ろうね。おめでとう。

 

――いま隣に鍵山優真選手(神奈川・星槎国際高校横浜)がいて、さらにジュニアでもう一人、4回転を飛ぶ佐藤駿選手(埼玉栄)がいます。強力な選手の追い上げが来たことに関して率直な気持ちをお聞かせください。

男子だけじゃなくて女子も含めて、こうやって4回転をどんどん飛ぶようになって。僕らもさっきしょーまも追われる立場という話をしていましたけど、1つ1つのジャンプを見てみれば追う立場であったりもするんですね。僕の場合4回転ルッツはそれだけまだ確率が悪かったりとか。もちろん4回転ループを試合で使うという選手もどんどん減ってきて、まあそれだけ難しいということはみんな分かっているかもしれないんですけど、でもやはりそれぞれのジャンプっていうことを考えてみれば追う立場だし、その技術をもっと身に付けたい、習得したいって思いなので。今回駿くん、フリーでは(4回転)ルッツは跳べていなかったですけど、でも公式練習で綺麗に跳べているのを見ていてやはりああいう風に飛べるようになりたいなって自分自身もやっぱり思いましたし。(鍵山)優真のトーループの精度、高さとか、あとは軸の強さとか、そういうところもやはり、見習うところは僕らにもあります。それぞれ違うタイプの選手だからこそ、見習うところをまた見て、うまくなっていくところっていうのはいっぱいあると思うので、嬉しいことだなと僕は思っています。


※世界選手権、四大陸選手権の日本代表発表会見より抜粋 

――世界選手権の代表に決定しました。今の気持ちをお聞かせください。

まず世界選手権に選んでもらえたので、これからどれだけ頑張りきれるかというのは時間がもちろんかかることもありますし、時間がかからないこともありますし、その両方をしっかりと作り上げて、世界に向けてしっかり強い自分に戻して戦いたいなと思いました。

――四大陸選手権への出場は珍しいことだと思いますが、なぜ出ようと思ったのですか。また、ことしは壁がいろいろありましたが、この二つの試合に向けていかがですか

まず四大陸に希望を出したのは、やはりそこで全力であたりたいという気持ちがあって。もちろんタイトルを獲りたいっていう気持ちが強くあって、それを狙いたいなと思っているんですけど、なんか、一つのステップとして四大陸選手権に出た方が、自分としても成長できるんじゃないかなっていうように感じて、今回希望を出しました。あとは今回の試合もそうなんですけれど、やはり試合を経るごとにいろんなことを経験して、それからまたいろんなことを吸収して強くなっていけると思うので。またいろんなことを四大陸だけじゃなくて、世界選手権だけじゃなくて、シミュレーションだったり、ほかの試合に出るだったり、本当にいろんなことを考えていろいろやっていけたらいいなという風に思います。四大陸は1つの僕の壁なので。そこでネイサンに当たるかもしれないですし、まずはいま負けてしまったしょーまという壁があるので、ベストコンディションで思いきりぶつかりたいなと思います。

 

――四大陸選手権に出るというこで、また新たなジャンプの練習に当てる時間が減ってしまうのかなと思うのですが、そこについてはいかがですか

四大陸に出ることによって、それも習得するステップにしたいなと思っています。それ(4回転アクセル)っていうのは、まあ言わなくても多分わかると思うんですけど。本当にいま圧倒的な武器が必要で。もちろんそれは4回転ルッツに比べたら1点ぐらいしか違いはないですし、それぐらいの価値のある、やるべきものなのか、じゃあ4回転ルッツを2回やった方がいいんじゃないか、って。まあ自分自身も思います。ただ、これはやはり僕自身のプライドなので。今のスケートを支えている芯なので、絶対に跳びたいなと思っています。それも含めた上で四大陸、どういう風にこなしていくか、四大陸自体をどれだけ成長できる場にするかっていうことを考えて、今回エントリーを希望しました。

――今大会で構成に入れなかったジャンプについて、今後世界と戦うにあたってどのように考えていますか

まずショートについて、前半に固めるつもりはないので、曲を調整するなりどういう風な状態で飛びに行くのが一番確率が上がって一番綺麗に、そしてプログラムに溶け込んだ状態で飛べるかっていうのをちょっと模索しながら考えていきたいなと思っています。フリーはこの構成でやるつもりは全くないので、これから何を優先してやるかっていうことも考えなきゃいけないと思って。(4回転)ルッツを優先してやるんだったら、やはり1発目に跳んだ方が確実に安定はすると思うので、ルッツを跳ぶのか。それか(4回転)アクセルを本当に跳びたい、跳べる、というところまで来たのなら、そこからアクセルの後をどうするか。アクセルの後ルッツってやったら、負担がまだ絶対大きいと思うので、そういうところも1つ1つ考えながら。ただ、アクセルを入れる意味っていうのは新しい種類の4回転が増えるということだと思っているので、それをうまく利用できないのであればやる意味はないと思っていますし、それぐらいの土台を作らないといけないなということも感じています。

 
 
 
技術的なことを語っていますので、良くわからない方もいらっしゃるかもしれません。
 
新ルールになってから、それまで圧倒的最高難易度だった、まだ誰も跳んでいない「4回転アクセル」が、その次に難しいとされている「4回転ルッツ」と比べて、なんと、わずかに1点しか 基礎点での差がなくなってしまいました!
 
これにより、出来栄え点(GOE)で簡単に逆転できるため、勝つことだけを考えたら、羽生選手が言うように、
4回転アクセルよりもは楽な、4回転ルッツを2本きれいに跳ぶことの方が、うんと楽に点数を稼げることになってしまったのです。
 
 
女子が「正確に」「きれいに」4回転を跳ぶのが、本当に並外れて大変なように、
男子にとっても、4回転アクセルを跳ぶ、それに挑戦するということは、
今現在のルール・基礎点の付き方では、
非常に高いリスクばかりを背負う割には、
試合にそれを入れる意味、価値、見返りは少ない状態になってしまっているのです。(ルール上の問題)
 
また、プルシェンコさんが、新ルール公表当初から激怒していたように、フリーの演技時間が今までよりも30秒も短くなった分、
表現に費やす時間が減って、より芸術性が低下する、というのは、当初から言われていたことでした。
 
その分、羽生選手は「ジャンプ」などの技術の部分で、技術をさらにレベルアップしつつも、同時に高い芸術性をも両立させようとするという、最も困難な道を選択しようと頑張ってきているわけです。
 
 
しかし、これを妨害しているのが、
回転軸を狂わせ、身体コントロールを失わせるような、妨害装飾をわざとつけられた「衣装」です。 
 
さらに、羽生選手に対して メンタルダメージを加えるために、悪魔的な要素を入れ、さらには、外国のファンの方々を動揺させ、「あれでは、まるで女性のように、胸の谷間があるように見える」などと指摘されるデザインを、わざと胸周りに施した異常なデザイン、そして悪魔的なイメージをすぐさま多くの人に想起させるあのようなデザインを、衣装デザイナー伊藤聡美(Satomi Ito)は、意地でも変えようともしません。
 
しかも、その「妨害装飾」には、羽生選手が取り外すことが出来ないよう、羽生選手がこのプログラムに深い意味をなし、心理的にとても大事に思っている「花」「紫の花」を、わざわざ「モコモコ妨害装飾」にしており、そしてそれを修正しようともしないのですから、その悪質さと嫌がらせの度合いと言ったら、輪をかけてすさまじいの一言です。
 
羽生選手は、Originについては、もともとプルシェンコさんへのリスペクトが大きいので、プルシェンコさんイメージの、男っぽい衣装を希望していました。
間違っても、胸の谷間があるように見えるような衣装だったり、悪魔イメージの衣装なんかじゃないです。その対極です。

「ニジンスキーは関係ない」と昨シーズンから表明していたにもかかわらず、「ニジンスキーの要素を入れた」などと、雑誌Numberで平気で吹聴し、多くの一般人や羽生ファンを騙し、羽生選手に意思に反することを 平気でやり続ける図々しさ。
 
 
さらに、この全日本選手権のフリー当日には、伊藤聡美は羽生ファンを集めて「自分の講座」なるものを開き、羽生ファンを使って儲けながら羽生ファンを騙すという、羽生選手本人に、当日にメンタルダメージを与えるような、史上最悪なことまでやってのけました。
 
 
 
それはだれでも、心と体がバラバラになっていきますね。
 
こんな状態でも、高度な4回転を、空中で瞬時に頭を使って軸を修正しながら、何種類もの4回転を跳び続けた羽生選手が、いかにすごい天才状態なのか、どれほど精神的に耐えて頑張ってきたのか、一人でも多くの方に伝わるといいですね…!!
 
 
 
昨シーズンも羽生選手が「Origin」をやっていた時、
羽生選手が当初から希望したような「プルシェンコさん風衣装」は、なんと、途中で宇野選手のショート「天国の階段」の衣装になってしまいました!
 
あれを見たときは、本当にびっくりしましたね~!!
 
それを指摘したら、宇野選手は、その衣装を着るのを、1度きりでやめました。
 
つまり、宇野選手の意思や希望で、そんな「プルシェンコ風衣装」になったわけではなかった、ということです。
 
 
宇野選手も、衣装デザイナーに余計なお金を払ったのなら、本当にお気の毒なことです。
 
実はこのようなことは、過去1度ではありませんでした。
 
 
 
 
宇野選手も、こんなことをやられて、とてもやりにくく、嫌な気持ちになったことでしょう…!!
 
羽生選手は、それもまた、よくわかっていますからね…!!
 
 
 
羽生選手が、悪魔崇拝要素を衣装に入れられてきたのは、SEIMEI 1年目の時から、これで5年目なのです。
1年目の、修正された衣装は、羽生選手が読売主催の「ありがとうございます!羽生結弦展」で、しっかりと提供して、「完全に隙間なく塗りつぶされた星形」の衣装を提供していたので、きちんとご覧になった方々は絶対に騙されないと思いますが、
嫌がらせ衣装デザイナー伊藤聡美は、羽生選手の「星塗りつぶし」の意思を、2シーズンに渡り、しっかりとしっているにも関わらず、平昌五輪シーズン終了後のアイスショー終了後に、羽生選手がカナダに帰ったタイミングで、ご自分のインスタグラムに修正前のものをわざと載せ、その後も質問を受け付けずに黙ってそれだけをアピールし続けました。
 
これは、羽生選手がプログラム「Origin」を決めた時からなのです。もちろん、衣装の希望は「プルシェンコさん風」だったのにも関わらず、こういうことをわざとやり続けたのです。プルシェンコさんは、有名な熱烈で敬虔なキリスト教徒です。
 
 
それだけでなく、羽生選手の意思と違った、嘘の情報や誤解を与えることを勝手に流され、拡散され続けてきました。
 
覚えている方々も多いと思いますが、SEIMEIに最初の衣装は、グレーっぽい銀に近い、黄緑の、非常に暗い、国際的評価が得られず、銀盤にも映えないような衣装でした。
 
 
衣装については、別ページのコメント欄にも 色々と経緯を 書いてありますので、よろしければご覧ください。
 
 
さらに追記: こちらに、羽生選手のトレーナーだった菊地さんが、ジャンプにおいてどれだけ「軸が大事」で、「軸のブレが不調を起こす」かを、明確に説明して下さっている記事が出ましたので、感謝して転載しておきます!こちらの記事より

以下、抜粋です。

結弦がいつもジャンプの際、心がけていたのは体の中心軸がぶれないことです。

実際、結弦のジャンプを見てもらえばわかります。頭のてっぺんが天井から糸でスーッと引っぱられるように浮き上がっていきますよね。軸がぶれていません。

このぶれはトップアスリートにかぎらず、誰にとってもさまざまな不調を招きます。

中心軸のぶれは、骨盤を支える筋肉や腰椎などの腰まわりにストレスがかかることで生じるのです。腰まわりの左右のバランスが悪くなると背骨に負担がかかります。

その結果、背骨を通る神経、血液やリンパ液などの流れが滞ってしまうのです。

 

早稲田大学に続いて、菊地さんも証言して下さって、本当に良かったですね…羽生選手!

上のように菊地さんに指摘されずとも、普段の練習中の羽生選手の、軸のあまりにもきれいなジャンプを見ていれば、あの衣装でどれだけ、その最も大事な技術・感覚が乱され、狂わされてきたか(ショートもフリーもです!)、わかる人にはすぐにわかります。

羽生選手を貶めるために、今シーズンと先シーズン、このような「悪魔要素」&「ジャンプ妨害」衣装を わざとやり続けた悪質・衣装デザイナー伊藤聡美(Satomi Ito)は、「SEIMEI」の衣装もまるで自分の功績みたいにして図々しく 今でも吹聴していますけれども、あの「SEIMEI」の最終型のデザインに、五芒星塗りつぶしはもちろんのこと、国際的にきちんと通用するものになるようにと、もっと明るく華やかな色を使うように、色などの修正を細かく羽生選手に指示&アドバイスし続けてきたのは、実は私です。

「SEIMEI」1年目も、平昌五輪シーズンも、伊藤聡美が、悪魔崇拝シンボルである五芒星を塗りつぶされていない状態にわざとしてあり、他にも、国際的には評価されない、アウトな点があまりにも多すぎたからです。以上。これが真実です。

これだけ羽生選手を利用して自分の宣伝や儲けに使っておきながら、最も大事なこの2年にこのような酷い仕打ちをしておいて、大事な全日本選手権が終わってから、今さら修正しようが何を嘘つこうが、もう完全に遅いですよ。手遅れです。 私はもうあのようなデザイナーを決して信用しません。特に今年の衣装は嫌がらせが酷すぎて人間性を疑います。ショートだって最初は「妊婦」に見えるデザインだったのは皆様よく覚えていると思いますが、伊藤は、他の選手の前では、「トルソーにかけてすべての方向から問題ないか チェックしています」などと言っていたのです。話になりませんね。

CMでも、羽生選手を小ばかにするようなデザインを作ったのですから、もう論外です。外国ファンにもすでに呆れられています。

 

真理を無視し、羽生選手の国際評価を下げる方向へと、わざとしかけている人たちと、そうでない人たち。

羽生選手の本当の味方は、いったい誰でしょうか。 

 
 
 
一人でも多くの方が理解を深めて下さり、羽生選手の心が軽やかになる、そんな素敵なクリスマスになりますように…♪
 
 
 Merry Christmas!!

 

「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口をあびせられるとき、

あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

(イエス=キリストの言葉マタイによる福音書 5章10~12節 新約聖書 新共同訳より)」

 
 
 
 
 
 

オーサーコーチの羽生選手評・ミズノスポーツメントール賞ゴールド受賞でのコメント全文と、羽生選手の通ってきた道

2019-04-24 | 羽生選手の素晴らしさ

 

ミズノスポーツメントール賞授賞式があり、オーサーコーチがゴールド賞を受賞しました。

そこで発表された、オーサーコーチのコメント全文は、以下の通りです。

以下、こちらのスポニチアネックス記事より

 

「2018年度 ミズノ スポーツメントール賞 ゴールド」を賜りましたこと、深くお礼申し上げます。
 心より感謝申し上げるとともに大変恐縮しております。
 私たち指導チームと羽生結弦選手とこれまでの道のりは7年前に始まりました。

羽生選手は、夢にあふれ、献身的な気持ちがあり、将来のビジョンそして、気迫を持った青年でした。

その道中、私たちはさまざまな困難に直面しましたが、羽生選手の成功の大きな要因は「勇気」であったことに私たちは気付きました。
 私は羽生結弦選手を誇りに思っております。選手としての成功だけでなく、フィギュアスケートというスポーツへの真摯な取り組み、日本スケート連盟に対して献身的であり、そして世界中にいる多くの結弦ファンに対して誠実だからです。

私は、チームのメンバー、具体的に名前を申しますと、トレイシー ウィルソン、ジスラン ブリアン、ジェフリー バトル、シェイリーン ボーン、デヴィッド ウィルソン、ペイジ エイストロップを代表し、謹んでこの「ミズノ スポーツメントール賞 ゴールド」をお受けいたします。
 また、日本スケート連盟は私たちに対し辛抱強く、理解を示し、そして私たちをサポートしていただきました。そのことに対してもお礼を申し上げたいと思います。
 指導者そしてコーチとして私が目指すところは、スポーツで成功するだけでなく、それぞれの社会でリーダーとなれる人材を育成することです。それはすなわち、自ら道を切り開き、次の世代のためにその道を示すアスリートを育てるということです。
 チームの皆と結弦へ。私を信じてくれてありがとう。心を込めて。 」

 

 

そしてこちらは、オーサーコーチが、ビデオメッセージで語った、その内容全文です。

(同じく、こちらのスポニチアネックス記事より)

「会場のみなさんこんにちは。本日は表彰式に出席できず申し訳ございません。このたび「2018年度ミズノスポーツメントール賞ゴールド」を受賞したことに身が引き締まるとともに大変光栄に思っています。

私のスケートに対する情熱は選手だったときもコーチとなった今も尽きることはありません。世界フィギュアスケート選手権大会、そしてオリンピックでの羽生選手の偉業は日本だけでなく世界のスケート界をさらなる高みへと引き上げました。私も少しではありますがお手伝いできたことを大変光栄に思います。

日本スポーツ協会、日本オリンピック委員会、ミズノスポーツ振興財団の皆さまに感謝申し上げます。そして私や私のチーム、羽生選手を信じて絶え間ないご支援をいただいた日本スケート連盟の皆さまにも感謝を申し上げます。羽生選手はまさに国の宝です。ありがとうございました」

 

 

個人的に思ったのは、今まで聞いたことのあるあらゆるオーサーコーチのコメントの中でも、

今回のものは、今までで一番、誠実で、なおかつ、適切でありがたいコメントだったと感じました。

羽生選手もきっと、とても嬉しかったことでしょう…!!

 

また、最近出た、最新のKiss&Cry では、引退されたハビエル・フェルナンデスさんのインタビューで、羽生選手への言葉、羽生選手との関係について語ったものや、羽生選手へのエールが含まれています。 羽生ファンは、読んでおくと、「勝手な想像ではなく」、とてもよくわかるかもしれません。

ハビエルさんの語ったことは、羽生選手の今までの証言や実際の言動とも、きちんと一致していて、お互いの感情や関係性がよくわかるものだと私は思いました。

TVガイド特別編集 KISS & CRY 氷上の美しき勇者たち 世界選手権2019 総力特集号~Road to GOLD!!! (表紙・巻頭特集/羽生結弦選手) (KISS & CRYシリーズVol.27) (TOKYO NEWS MOOK 793号 KISS&CRYシリーズ V)
東京ニュース通信社
東京ニュース通信社

 

 

このオーサーコーチの記事で、日本スケート連盟や他選手の関係者の悪口を書いている人たちが

多数いますけど、

羽生選手のシニアデビュー前から、日本のフィギュアスケートをきちんとしっかりと見ていた人たちなら、

多くの方が知っていると思いますけど、

問題はそんなに単純でも簡単でも、一方的でもありません。

 

羽生選手が、ネット上で必要以上のアンチ攻撃を受けてきた原因の一つに、残念ですけど、オーサーコーチの存在はとても大きく影響していたのもまた事実だったからです。

 

私が知っている限り、「チームブライアン」というシリーズの本は、残念ながら、羽生選手の、日本国内での立場を、非常に悪くすることに陰ながら貢献していました。

なぜなら、第1回目の本から、日本国内の他選手の、彼らの目線や主張からしたら、実際に起きた事実とは異なると言わざるを得ない内容が含まれていて、その人たちを批判的な形で書かれてしまってあり、当該選手たちやそのファンからしたら、憤慨するのは当たり前だったと私は思いますし、私自身、何度もがっかりさせられてきました。 

しかし、バンクーバー五輪・ソチ五輪以降にフィギュアスケートを見始めたり、あるいは、羽生選手しか見てこなかったような方々にはわからなかっただろうと思います。

 

チーム・ブライアンを書いたのはオーサーコーチという事になっていますが、日本語の文章を書いていて文責を負っているのは野口美恵氏です。 (羽生選手は、表紙の写真に使われてきただけです。コーチのお願いは、断りにくいでしょうね。)

 

その「チームブライアン」の表紙には、必ず羽生選手の写真が使われてきたのですから、

本当はそこに書かれていたことは羽生選手本人の意見でも何でもなく、むしろ、羽生選手の発言とはむしろ正反対だったとしても、

そこで書かれていた内容について、自分たちの思いと違ったことを書かれた選手のファンを中心に、結果的には羽生選手に対する怒りや不信感となって悪化していくことが、何度もありました。

 

私はたぶん、羽生ファンの中でも、間違いなく「トップレベル」で、「羽生選手の悪口」や「否定的な意見」を大量に、これでもかというほど、羽生選手が15歳の頃から、それはもう大量に色々なことを聞かされてきた人間だと思っています。

 

それは、勝手な憶測や思い込み、根も葉もないようなものから、特定の悪意を持って、あるいは妄想的に作り上げられたものもある一方で、

こういった本などで出版された内容について、羽生選手が間接的な被害者となって被害を被ってきただけのものも、多数あると強く感じてきました。

また単に、羽生選手個人の個性が好みではないとか、自分が知っている「嫌いな人」に羽生選手が似ている、などという単純なものから、羽生選手に備わっていたその並はずれた才能や、使命ゆえに、私がこのブログで何度も取り上げてきた内容のように、非常に闇の深い、非常に悪質で深刻な世界規模のものまで、実にさまざまです。

 

羽生選手は、カナダに行く高校3年頃、目標だったのは、4回転サルコウの習得でした。

4回転トウループは既にかなり得意になっていたものの、いずれ五輪金メダルをとるには、絶対にそれが不可欠だとご自分で考えていたからです。

カナダのクリケットクラブを選んだのは、その当時4回転サルコウを跳べていた、ハビエル選手の存在があること、それを最大理由に挙げていました。 

羽生選手は、目の前で視覚化されて跳ぶのを見て真似するのが非常に得意だったから、それこそをとても必要としていたわけです。(ご本人の言葉です)

だけど、オーサーコーチは羽生選手のスケーティングを一番変えたいと思ったようですし、実際、そこが一番変えられたのでは、と思ってみてきたファンは、多いことでしょう。

 

北米人に、アジアの極東の日韓の歴史や、その歴史に由来するさまざまな問題をを知っていろ、などと要求するのは、非常に酷なことではあるでしょう。

でも、その「配慮のなさ」「無知」の言動ゆえに、必要以上に、数多くの深刻な被害を羽生選手が被ってきた側面があったのも、残念ながら事実だったと私は思っています。

 

そしてまた、「何人ものスケーターをメダリストにしたい」のが本音のクリケットクラブに対して、

他の誰でもない、「自分こそが絶対に金メダルを」と、人生をかけて本気で全力投球してきた羽生選手が、

こういったさまざまな事情の あらゆることの板挟みになって、

計り知れないほどの苦悩や絶望的な思いや悲しみを抱えた時期があったことも、

(羽生選手本人が証言したことがあるわけですから)

ファンなら、きちんと想像しておいてあげたいものです。

 

今回、オーサーコーチのコメントの中で、 

「羽生選手は、夢にあふれ、献身的な気持ちがあり、将来のビジョンそして、気迫を持った青年でした。

その道中、私たちはさまざまな困難に直面しましたが、羽生選手の成功の大きな要因は「勇気」であったことに私たちは気付きました。 」

と語られた言葉は、

きっと羽生選手には、とても嬉しかったことでしょう。

私も読んでいて嬉しかったです。(笑)

 

何が「成功」になるのかは、人によって、その与えられている使命に応じて、異なることと思います。

 

でも、少なくとも、羽生選手に並はずれて備わっていたもの、すなわち、神様が羽生選手に与えてくださっていたもの、

そして、平昌五輪の試練の中で、羽生選手が最も神様から試されていて、なおかつ最も要求されていたものは、

羽生選手の「勇気」であり、「覚悟」であったと、私も強く思っています…!

 

フィギュアスケートというスポーツへの真摯な取り組み、

日本スケート連盟に対して献身的であり、

そして世界中にいる多くの結弦ファンに対して誠実」 

 

わざわざオーサーコーチがこのように言及して下さったことは、羽生選手には有難いことですね!

私もこの通りだと思っています。

羽生選手のコーチが、なぜわざわざこのように語っているのか、ファンなら考えてあげたいものですね!

 

今の具体的な目標として、羽生選手の口から語られた4回転アクセルへの挑戦・成功が、

羽生選手にとって、「喜びをもって」挑戦できること、

何よりまずそのための環境と体調が、一番良い形で整えられることを、

心より、この世のすべてをご存知で、誰よりも羽生選手を守り導いて下さってきた、主イエス=キリストの御名でお祈りしています! アーメン。

 

 

 

幸せへと続く 「平安の祈り」

 

「神様、

変えられないものを受け入れる 心の平安を

変えられるものを変える 勇気を

そして、その違いを見極める 知恵を どうか私にお与えください。

 

与えられた一日を精一杯生きることができるように

一瞬一瞬を楽しむことができるように

苦しみは平安への通り道であることを 受け入れることができるように

 

たとえ自分の願いどおりにならなくても、

主イエスがされたように

この罪深い世界をそのまま受け入れることが出来るように

 

もしあなたの御心に委ねるなら

あなたがすべてを正しく導いて下さることを 信じることができるように

 

そうすれば、私は この地上において幸いなる人生を送り

また天国においては、あなたと共にある最高の幸せに あずかることができるでしょう

 

主イエス=キリストの御名によって

アーメン」

(ラインホールド・ニーバーの祈り)

 

 


羽生選手を幼い頃から指導していた都築コーチが、2015年当時に語った、羽生選手についてのインタビュー

2018-06-11 | 羽生選手の素晴らしさ

初掲載4月13日   羽生選手の国民栄誉賞が決定したので、再UPします。

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今回、ご紹介するのは、スポーツナビに掲載された、2015年の10月7日付けの、

都築章一郎コーチが、幼いころから見てきた羽生選手について語って下さったインタビュー記事です。

 

平昌五輪以前はもちろん、ソチ五輪以前の羽生選手について、あまり、あるいは全然知らない方々には、是非読んでもらいたい記事になっています。

 

ネット上における悪質なガセ情報や、羽生選手に対する執拗な嫌がらせ情報に、振り回される可能性が、きっと減ると思います。

 

こちらをどうぞクリック(全文)

 

これは、2015年の10月上旬の記事ですから、羽生選手は既に ソチ五輪で金メダリストにはなっているものの、

まだこの後に出す、「バラード第一番」と「SEIMEI」での、歴代最高得点に関係した大騒動にはなっていない頃の記事であり、その時点での、都築コーチの発言です。

 

( 都築章一郎コーチは、日本のフィギュアスケート界の、大ベテランコーチの一人です。)

 

羽生選手がどんな環境で育ったか、十分に語られている、とてもわかりやすい記事ですので、

ファンならば 絶対に知っておくことを私はおススメします。

 

全部天才… じゃなくって(笑) 「転載」したいくらいなのですが(笑)、

それは上の記事を直接読んでいただくことにして、

この記事の中の、ほんの一部だけをここにご紹介してみます。

 

以下、質問に答えているのは、都築コーチです。

 

 

――羽生選手を最初に見たとき、どういう部分が優れていると思いましたか?

 

 やはり繊細なものを持っていましたから、フィギュアスケートに必要な音楽的な表現や感性という部分を備えていましたね。あとは何かを得るために自分でできることをしていました。時代は違いますが(エフゲニー・)プルシェンコのビデオをかなり見ていて、それに影響され、そこからスケートへの想像力を養っていました。それと羽生の場合は荒川静香らと練習場所が同じで、うまくなる条件もありましたね。

 

――羽生選手と他の選手を比べて違うのはどういう部分でしょうか?

 

 それぞれ選手の特徴はありますが、羽生の場合は小さい頃から成長できる条件を備えていました。要するに羽生自身だけではなく家族などの環境です。お姉さんがいて、ご両親にも理解がある。そして羽生自身もそうした期待に応えられる人間性を持ち合わせていたというところが大きいと思います。

 

――一流選手になるためにはそういった条件が必要なんですね。

 

 やはり最低条件がありますよね。フィギュアスケートに必要な条件が100あるとすれば、羽生は100に近いものを持っていました。だいたい初めはどの選手も条件はそろっていないんです。環境やコーチによってだんだんと作られてくるのですが、羽生はそういったものを最初から備えていましたね。

 

特に最後の太字にして下線を引いたところ。

羽生選手の演技を初めて見た時、私も本当にそう思いました。

 

フィギュアスケートは、多角的で多面的な評価ができる競技であり、芸術性も含むため、

採点基準を定めるのが難しく、何をもって「最高」とすべきなのか、絶えず試行錯誤と共に議論がなされてきました。

 

でも、人間というのは本来、決して「一つのものさし」などで計れるような存在ではないので、これはある意味、それでいいのだとも、私は思うのです。

人間のもつ多様な側面を包括している特殊な競技だからこそ、「タイムのみ」を競うような「一つのものさし」で判断できる競技とは全然違っていて、フィギュアスケートは奥が深く魅力的で、他の競技と決定的に違う特徴でもありますが、

だからこそ、何に比重を置いて判断するのかという判断基準も、とても複雑で難しくなって、もめやすい点でもあります。

 

だからこそ、

「こうでああで、こうでああ」なものを全部備えた選手がいたら、そういう人が一番になればいいんだよね、と、長いことフィギュアスケートを観ながら、私も漠然とした理想を持っていたんですが、

(まあ、でも、そんな人はいないよね(笑))というのが正直な気持ちでいたところ、

「い、いた! …見つけてしまった!」 

という、ものすごい衝撃があったのが、私から見た羽生選手でした。

 

 

インタビュー記事の続きからまた、一部だけを転載させてもらいます。

 

――都築コーチはどういう指導をされたのですか?

 

 佐野(稔)を育てた経験が、羽生を指導するにあたって大きな題材になったんです。羽生はどう思っているか分かりませんが、指導者としては早く、効果的に良いものを伝えることができたと思います。

 

――指導していた期間で一番印象に残っている試合はありますか?

 

 羽生が小学生のときに、初めて海外のノービスの試合に連れていったんですけど、そこで優勝したんです。練習した成果が出たなと思ったし、将来の大きな目標に向かって一つステップが上がったなと。そのときはうれしかったですね。これが土台になって世界へ羽ばたいていけるスケーターになっていくという感覚を持つことができました。

 

――小さい頃に土台を築くことがやはり重要なのですね。

 

 フィギュアスケートで一番大切なのはそれなんですよ。良いスケーター、世界へ羽ばたけるスケーターというのは、小さいころにしっかりした土台を作るというのが一つの生命線です。羽生の場合は、彼が小学校2年のときに私が「五輪へ行こう、世界一になろう」と話し、そういう土台作りをしてきましたから。それが実ってくれてものすごくうれしかったです。私がそのとき教えていなくても、彼が五輪のメダルを取ってくれたときは感謝して、「どうもありがとう」と言いましたね(笑)。

 

都築コーチによれば、「佐野稔さんを育てた経験」が、羽生選手に、より良い指導を早くから効果的に出来るようになった大きな理由だったようで、その経験を生かせた、ということのようです。

…というわけで、「Continues ~With Wings~ 」で、佐野稔さんが滑って下さるのだろうと思うのですが (…滑りますよね?! 何をして下さるのか、ちょっと楽しみですね!)

佐野さんご自身も指導していた時もあったと思いますので、その辺も「受け継いで」いるのかもしれません。(※ 佐野さんが仙台で開いたスケート教室でご指導を受けたのは羽生選手のお姉さまで、羽生選手は直接指導は受けていないそうですけど、一緒にくっついていっていたことが、その後スケートを始めるきっかけとなっているそうです。)(公式ガイドブックの羽生選手発言より)

 

ただ、この記事の中の都築コーチのインタビューで、唯一 私が違うと思った点が、次の言葉でした。

「よもや五輪チャンピオンになるとは、羽生も思っていなかったと思うし、私も一つサイクルが早かったと思っています」

 

ここで都築コーチの言っている「よもや」が一体どの時点を指しているのかよくわかりませんが、(震災直後の2011年のことなら理解できます) カナダに行った後は、羽生選手は明らかにソチ五輪での金メダルを意識して本気で頑張っていたと思うし、それを「出来る」と信じて頑張っていただろうと思います。

「ソチ五輪の羽生選手のフリーの演技終了直後で、チャン選手の演技が終わる前まで」の間なら、羽生選手本人も、(もう金メダルは絶対に無理だと思っていた)と語っていますし、それは観ている側にも伝わっていました。

でも、結果的には、(チャン選手のフリーでの、羽生選手以上の大失敗により、) 

羽生選手が ソチ五輪での、金メダリスト となりました。

 

サイクルが早かったということは決してない。 

 

この世の全てを知り尽くしておられる神様の御計画は、

最初からソチ五輪は、羽生選手の金メダルだっただろうと、私は思っていました。

 

 

さて、もう一つだけ、質問と都築コーチの回答を、抜粋してみます。 

 

――五輪で勝つまでは、東日本大震災もあり苦難の道を歩んでいたと思います。震災後はこちらのリンク(神奈川スケートリンク)で練習していたようですけど、再会したときはどういう様子でしたか?

 

 震災後に会ったとき、「この子は今後スケートを続けていけるのか」というのは感じましたね。4月から10月の約半年くらいは、私のところを行ったり来たりしながら、アイスショーに出ていました。そしてそのシーズン(11−12年)の世界選手権で銅メダルを取り、それがきっかけとなって五輪の金メダルにつながったわけですよね。今思えば、震災のときは五輪のメダルを取れたのが奇跡だったと思うくらい傷心していました。

 

2011年における羽生選手の傷心ぶり、どれほど心に傷を負ってしまったのか、というのは、

テレビの画面を通してさえ明確にこちらに伝わってくるほどの明らかなものでしたので、近くで日々指導されていた都築コーチが、その3年後のソチ五輪の金メダルを奇跡だと思えるほどに感じられたというのも、よく想像できます。

 

でも、そんな状態でありながらも、あの震災後の日本の大混乱と人々の不安が続く中で、

傷心の姿をさらしながら、必死で声を震わせながら、気力と勇気を振り絞って発言した羽生選手の言葉と姿を見て、本当に、羽生選手の震え声に合わせてこちらまで胸が震えたほど感動した私は、

「全てをご存知の神様は、絶対にこの人を捨て置かないだろう」

と改めて強く確信したし、この時に、

どうして神様が、羽生選手に、ここまで揃ったフィギュアスケートの才能や資質を与え、備えさせたのかも、理解できた気がしたのです。

 

 

聖書では、「全ての人は、目的をもって 天地創造主に造られている」と明言しています。

(これを 「使命」と 言います。)

 

また、

「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」

(ルカによる福音書 12章48節  新約聖書 新共同訳より )

 

という原則があるので、

(「誰に」与えられて「誰に」求められているのかと言えば、天地創造主たる神様に、ですが)

 

その分、羽生選手は 本当に本当に色々と大変だったと思いますけど… (今も大変ですけど;;) 

無事に、五輪で 2連覇出来て、本当に良かったですね♪

 

 

・・・他にも、色々なことを都築コーチは答えて下さっているので、2015年当時のインタビューですけれども、知らない方は、ぜひ全部を読んでみて下さい!

 

最後に、都築コーチが「全ての4回転」や、「5回転」についてまで言及されているのですが、

羽生選手の発言を聞く限り、これはどうやら昔からずっと一貫しているようですね。(笑)

 

先日、ネイサン選手が、4回転半(4回転アクセル)は、「自分は挑戦する気はない」と明言しました。

ネイサン選手は、「アクセル」ジャンプが一番得意で好きな羽生選手とは正反対で、ジャンプの中では「アクセル」がもともと苦手でしたので、それはよくわかります。

 

羽生選手は、まだ残っているご自分の「夢」の実現に向けて、

今はちょっと辛抱の期間だと思いますけど、

希望をもって、大事に大事に、

スケートを心から楽しみながら、 一歩一歩 前に進んでほしいと思います! 

 

 そして何よりも、今は自分のお身体を 第一にしていってほしいと思います!!

 

 羽生選手にとって、「Continues  ~With Wings~」 が、素晴らしい思い出のものとなりますように…!!

 


幼少期から顕著だった羽生選手の才能と当時の面白い様子、ミニ演技「草競馬」と長野五輪・金メダリストのクーリックさんの和の演技

2017-09-21 | 羽生選手の素晴らしさ

 

 

日刊スポーツに、羽生選手の幼少期からの様子を特集した記事 が載っています。

「羽生ヒストリー」だそう。

 

ちょっと面白かったので、ご紹介。 こちらをクリック    

以下、抜粋です。

「地元で指導に当たっていた山田真実元コーチ(43)が「ちょっと待って!」と言う間もなく、そのまま氷の上へ。

走って数歩で、頭から豪快に転んだ。フィギュアスケートを始める子どもには、氷への恐怖感を持たせないため、

最初は四つんばいでリンクに入れ、ゆっくり立ち上がらせる。それでも、転べば「怖い」という感覚が生まれるのが普通だ。

山田コーチは「結弦には、それが最初からなかった」と振り返る。

羽生は頭から転んだ後もすぐに立ち上がり、何もなかったように、約10分間、よちよち走り続けた。


 

…さすが羽生選手、最初から怖いもの知らずで、怖いとか痛いとかいう様子を見せなかったようです。

私が初めてスケートをやった時と、あまりにも対照的過ぎて、笑えます。(笑)

「氷に最初から恐怖感がなかった」というのは、やはり今でも自分で「氷上の生き物」を自称するだけのことはありますね。

 

 記事の続きです。

「先に4歳上の姉が競技を始め、母に連れられリンクに来ていたのが、きっかけだった。黙って見ていられず、リンク脇で走り回っていた。

植木鉢を倒したり、他の子にちょっかいを出したり…。最初は、試しで遊びのように滑っていたが、すぐに非凡な才能を見せる。

ある日、1回転アクセル(1回転半)のやり方を教わると、その場ですぐに回ってみせた。

技術を即座に理解し、再現できる頭と体が既に備わっていた。」


何かの分野で世界のトップにまでなるような人というのは、やはり生まれながらに神様から与えられている「才能」が、

他の人たちとは全く違う、というのは、やはり当然かと思いますし、

そこに不断の努力が加わったら、それはさらに凄くなるに決まっていますね…!


どんな分野でも、こういった、生まれつきの「特別な才能」というのは、隠そうにも隠し切れないほどのものがあったりしますね。 

特に羽生選手の場合は、そうだったでしょうね。

1回転アクセルを、教わってすぐに回ってみせた、というのが、

アクセル大好きで大得意な羽生選手の今と、この頃から何も変わらないんだな、と思いますね。


 さらに記事は続きます。

 

「初めて宮城県大会に出場したのは5歳の時。

試合で1分間のプログラム「草競馬」を滑り始めると、ロックミュージシャンのように、頭を上下に振り続け、自分の世界に没頭した。

スピンなどの振り付けはすっぽり抜けたが、最後の決めポーズだけは、ばっちり。

「見せる」意識も自然と身についていた。」

 

 

最後のこの部分が、読んでいて、一番笑えました。

「草競馬」って、どんな曲かというと、こちらです。↓  ピアノ版 「草競馬」(Camptown Races)

 

注:羽生選手が、当時この音源を使った、という意味ではないですけど、

歌つきのものは試合ではダメだったはずなので、こんな感じかな?と思って選んでみました!

 

有名な曲ですね。 

皆様、聞いたことぐらいはあるかと思います。(笑)

 

この曲でノリノリで頭を振りながら滑っていた、とーーーー ええもう、とても良く、想像がつきますね!!(爆笑)

その後得意になるはずのスピンは、振付ごと、すっぽり抜けたそうですが、(これまた爆笑)

最後の決めポーズだけは、バッチリだったというのが、特に羽生選手らしくて、よくわかります。

 

だって、5歳でしょ?  …ウルトラマンは、決めポーズが好きですからね! (笑)

 

最後に、誕生からの簡単な記録付きでしたので、転載。

<誕生~小学生>

 1994年(平6)12月7日 宮城県仙台市に生まれる

 1999年(平11) フィギュアスケートを始める。山田真実コーチに師事

 2001年(平13) 七北田小に入学

 2002年(平14) 都築章一郎コーチに師事

 

短いけれども、思わず笑える、面白いエピソードが満載でしたので、 ご紹介してみました。

 

…今も、日本のどこかに、似たような少年がいるのかも…?!

 

 

羽生選手がスケートを始めたのが1999年の4歳の時だそうですけど、

その前年の98年に、長野五輪があったんですよね。

この時に、男子シングルで優勝したのが、イリヤ・クーリックさんで、タラソワコーチが指導していました。

フリーはちょっと変わった衣装で、この時は、その衣装ばかりが気になって強烈な印象に私は残ってしまっているのですけど、

私の記憶に一番残ったのは、むしろクーリックさんのエキシビションでした。

 

日本会場だったから、ロシア人のクーリックさんが、かなり日本的なプログラムを演じて下さり、

日本に対して、とても友好的な態度を見せて下さったのを見て、その演技の上手さもそうでしたけど、

そういった精神的な面にも、私はかなり感動しましたね! 

当時、そう感じた日本人は多かったと思います♪

外国人で、ここまでカッコよく、和のプログラムを見せられるっていうのは、なかなか出来ないことでしたのでね!

あ、さすが金メダリストだな……上手いな!! と感動したのを、覚えています。

 

イリヤ・クーリックさんのEX は、こちらです。

 

 

刀を振り回している、という点では、あまり「友好的」とは言えない気もするんですけれども… (笑)

日本への温かい気持ちを、金メダリストとして、見せて下さいました!

外国人から見た、「サムライ」のイメージって、こうなんだろうな…と思わされましたね。

日本人から見ても、良く出来た、動きの優れた演技だったと思います!

 

 

羽生選手も、愛のある「明るい気持ち」で、五輪に向かって頑張ってほしいと思います ♪

神様に与えられた、その稀有な才能が、大切に用いられ、相応しい形で、大きく生かされていきますように… ♪♪



「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように、

異邦人(=ユダヤ人以外の、世界中の全ての外国人)にも 聖霊(=イエス・キリストを自分の救い主と信じ受け入れると、その人の内側に与えられることが約束されている”神の霊”)を与えて、

彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。

また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。


( 使徒言行録(または使徒行伝)15章8~9節  新約聖書 新共同訳より)




振付師ジェフリー・バトルさんが2014年に最初に羽生選手に「バラード第一番」を選曲した理由

2017-06-04 | 羽生選手の素晴らしさ

 

 

羽生選手がこの五輪シーズンに、再び「バラード第一番」を選んだ理由については、

前の記事で少し載せましたけど、また機会があれば、羽生選手は自分が語りたい時に自由に語って下さるだろうと思います。(→神戸・新潟公演のパンフレットに、詳細を語ったインタビューが載っています。今後、ネット販売もされるそうです。)

 

さて、今回は、2014年-2015年シーズンに、振付師のジェフリー・バトルさんが、

最初に羽生選手に「バラード第一番」をSPに選んだ理由について、バトルさんはなんと語っていたのか、についてです。

 

当時の雑誌「World Figure Skating」(ワールド・フィギュアスケート)のNo.65に、

バトルさんの詳細なインタビューが載っていました。

当時からこれを読んでいて、よく覚えている方もそれなりにいらっしゃると思いますけど、

羽生選手ばかりの雑誌しか読まない羽生ファンの中には、全然知らない方も多そうな気がしたので、

もう3年ほど経って時効かなとも思い、ここにその内容を、ちょっとだけご紹介してみたいと思います。

 

このひとつ前の記事で載せた、折山さんの記事にあったように、

羽生選手が「ピアノ曲をやりたい」とリクエストして、それに応じる形でバトルさんが選んだというのは、当時から語られていました。

(この「バラード第一番」と「Let's go crazy!」については、選曲で難航した話は特に出てきていないと思います。それだけ、バトルさんの羽生選手に対する理解が進んだのかもしれません。

「バラード第一番」の2シーズン目(2015-2016シーズン)の時は、オーサーコーチは当初は他のを考えていたけど、羽生選手が自分からこのバラードの続行を先に決めていた、と羽生選手が自分で語っていたかと思います。)

 

この記事では、最初にこれを選んだ細かい理由について、当時のバトルさんの見解が述べられています。

これは、2014年のもので、羽生選手がソチ五輪で金メダリストになった直後のものなので、

羽生選手が成長した今はまた、色々と違うかもしれませんけれども、

でも、結局羽生選手がこの曲にこだわって、五輪シーズンでもこれを選んだということを思えば、

この時の バトルさんの選択眼やインスピレーションは、なかなか興味深いですよ!

 

 

以下、私の手元にある、2014年9月発行の下の雑誌の、

ジェフリー・バトルさんへのインタビュー記事からの、一部転載です。

ワールド・フィギュアスケート 65
ワールド・フィギュアスケート
新書館

 

 

質問: 羽生選手の新しいSP「バラード第一番」を振りつけましたが、プログラムについて話していただけますか。


バトル氏: (略) こんな短い間でここまで仕上げてくれたことは信じられないくらいだし、何よりもすごいのは、彼が本物の情熱を滑りに込めてくれたことだと思う。

教えられることではないんです。彼は生まれながらに情熱があふれている。 

だからこそ、彼が自分を抑制した動きは素晴らしいんです。

プログラムの最後に向かって、クレッシェンドのように情熱を育てていく。最後のスピンで彼の情熱は絶頂に至ります。

序盤では、抑制された動きによって音楽と深くつながっていることを示しています。いつでも全速力ではいられない。

最初の小さな動きこそが、最後の大きな動きをよりパワフルに見せてくれるのだと考えています。

 

 

質問:羽生選手は「音楽はジェフが選んでくれた」と言っていました。なぜ「バラード第一番」がいいと思ったんですか。

 

バトル氏:  ピアノの曲がいいと聞いた時、すぐにショパンがいいと思って、エチュードやノクターンを聴いてみたけど、どれも結弦じゃなかった。

昨シーズンのSP(「パリの散歩道」のこと)にあふれていた彼の熱情や若さを失わずに、新作を作りたかったんです。あれこそが彼の真髄だから。

ところが、「バラード第一番」を聴いた瞬間に、彼が身に着けるべき成熟を備えながら、彼らしいがむしゃらさ、すべてをなげうつような潔さも備わっているとピンときた。

音楽のほうから「選べ」と言われたようなものです。



質問:最初の場面、羽生選手はしばらく身動きをせず、音楽に耳を傾けるように目を閉じて立ち尽くしていますね。観客も同時に音楽に引き込まれていきますが、振付者としての意図は?

 

バトル氏: 最初のピアノは非常に力強い。最初はいくつか動きを試してみましたが、どれもはまらなかった。最初の20秒でプログラムのテーマを伝えるのは困難なことです。それで、じっとしていることを試してみた。あれでプログラムの基調が決まります。氷の中央の彼に全員の注意がぐっと集まり、ピンが落ちるかすかな音さえも聞こえそうになる。これこそが、ぼくが描きたかったメッセージなんです。

オリンピックのあと、彼は本当に引っ張りだこで、あっちからもこっちからも要求が集中していた。

曲の導入部を聴いたとき、彼があらゆる方向へと引っ張られ、張りつめている姿が浮かんだのです。

だからぼくはただ音楽そのものに語ってほしかった。そして彼が動き始めた瞬間に、どれだけ義務を負っていても、彼の時間と体力を要求する仕事が多くても、氷の上にいる彼だけの特別な瞬間が始まって、そのほかのことは全部どうでもよくなる————そういうことを象徴したわけです。

すべてはスケートのためということです。さらには、彼は自ら後半に4回転トウを跳ぶという選択をした。これは尊敬するべき決断だし、音楽的にもちょうどうまく合致するものでした。

 

 

質問:フィギュアスケートの振り付けの限界を押し広げたいと考えている?


バトル氏: コリオグラファーなら誰でもやりたいことだと思います。でもそれだけの力があり、しかも喜んでリスクをとるスケーターがいなくては始まらない。 

結弦は厳しい練習で技術と才能に磨きをかけ、ほかのスケーターには不可能なほど大きなリスクをとる勇気がある。

後半に入ってから跳ぶ4回転トウの前には、息をつく余地がほとんどないから、大変な集中とスタミナが必要になります。彼が自分の限界に挑んでいく姿には本当にほれぼれします。

 

 

質問:ソチ・オリンピックでは、金メダルの羽生選手、銀メダルのパトリック・チャン選手が2人ともあなたが振付けたSPで戦いました。自分の子供同士が戦っているような気がしませんでしたか。

 

バトル氏: 本当にそうでした。わくわくすると同時に、見ているのがつらかった。

結弦のSPは———あれほどのプレッシャーを制御して、完璧に自分の演技ができるというのは———本当に感動したし、ある意味戸惑ったほど。どれほどそれが不可能沙汰なのか知っているから。

でもとにかく、彼ら二人のことを心から誇りに思います。結果に関わらず、互いに敬意を払って戦う二人が最高の競技者であることに変わりはありません。

 

 

質問: 二人とももともと高レベルの選手でしたが、振付を滑り込んでいくことでさらに潜在能力を開花させていきました。


バトル氏: 2年間続けて同じプログラムを滑るというのは、音楽に飽き、自己満足してしまって、音楽を感じながら滑ることができなくなる危険があります。

でもあの2人(=羽生選手とパトリック・チャン選手のこと)が素晴らしいのは、同じプログラムを持ち越したのに音楽に没入し続けることが出来たこと。だから最高得点を更新していくことができた。

毎回、初めて滑るみたいだったでしょう。厳しい練習を積んだ選手は、逆に演技がロボット的になることもある。

でも結弦は、つねにかけがえのない瞬間を生み出し続けてくれました。



…この前にもインタビューはあり、この内容の後もインタビューは続きますが、羽生選手のことについて語られているのは主にこのくらいなので、その部分を抜粋しました。

でも、今改めて読んでも納得するし、バトルさんのこの当時意図したことは、今の羽生選手に結実してきていると感じます。

最後のバトル氏の言葉は、本当にその通りだと私は思います。

ソチシーズンの羽生選手の凄さは、あの「パリの散歩道」を、観る者を全く飽きさせずに、毎回新鮮な印象を与えて、どんどん改良していったことです。

 

 

最後に、ジェフリー・バトルさんが振付について、あるいはスケートについて自分の情熱を語っている言葉を載せておきます。

 

「ぼくはなにしろ氷の上に乗っていられたら幸せなんです。滑っているときは滑ることを愛しているし、振付している時は振付を愛している。 氷の上にいるときが一番幸せです。」

(振付について)

「いつも自分に挑戦している、ということだと思う。結弦を見ていてもわかるけど、彼はすでにオリンピック・チャンピョンなのに、つねに前に進み続けている。より良い存在になることを目指しているんです。

ぼくも振付の分野で同じことを目指している。 異なることに挑み、自分を向上させていきたいんです。」

(ジェフリー・バトル氏: 2014年上記雑誌インタビューより)

 

 

3度目の挑戦になるのは、振付師のバトルさんも同じだと思うので、その羽生選手の特別な情熱に付き合えるだけの情熱と柔軟性と優しさと意欲とが、バトルさんにもあって、本当に良かったな~と思います!!

 

楽しみにしていきたいと思います♪

 

五輪シーズンには、いかにもなファンを装った「引き下げ目的」の人たちの「騙し」のような投稿やブログなどもネット上には増えます。

(注意深く読めば、いかにも味方のような顔をして、愉快犯のような片鱗を見せていることも多いですし、矛盾点が必ずあります。混乱や選手への精神ダメージを狙っているからです。そして、応援になっていなくて、結局引き下げるのです。「しつこい」という特徴もあります。 殆どの場合、時間の無駄ですから、スルーが一番と私は思っています。)

 

色々なことが起こり得るからこそ、ここでバトルさんが述べていた、このプログラムへの想いを改めて読んだとき、この狙いが見事に成功していること、成功するであろうことを、幕張公演での演技を見ていて感じました。

 

バトルさんも語っていますけど、「情熱」とか「熱情」とか言う言葉を聞くとき、

真っ先にイメージできるのはやはり、

私にとっては、プルシェンコさんと羽生選手の二人なんですよね。


この二人から感じる、スケートへの情熱というか、熱情というかは、本当に、ちょっと他からは感じ取れないほどのものがあり、燃えている炎の熱さや大きさ、激しさのレベルが違う印象がずっとあります。

バトルさんは、「教えられることではない」と語っていますね。


それが、羽生選手の言う「スケートへの本能」なのかもしれません。


それらと、羽生選手が身に着けるべき成熟と、「すべてを投げうつような潔さ」も備わっている曲だ、と

「バラード第一番」に感じたというバトルさんは、本当に素晴らしいと思いますし、羽生選手も共鳴しているのでしょう。



羽生選手の目指す理想に向けて、そして理想の先へと、ぜひ楽しみつつ進んでいってもらえれば、と思います♪


 


羽生選手の名演技「SEIMEI」を支える、日本の「ウルトラマン」と「サイボーグ009」の精神と聖書の関係

2017-05-28 | 羽生選手の素晴らしさ

初回UPは 2017年5月28日ですが、もう一度UPしておきます。

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羽生選手は今シーズン、「Hope&Legacy」という、新記録を樹立するようなすごい演技をしてくれました。

この歴代最高得点をとり、神演技などとも呼ばれた、世界選手権での「Hope&Legacy」の時に羽生選手が語っていた「感覚」というのは、聖書を良く知るクリスチャンや欧米人なら、むしろ、羽生選手があの時どういう状態だったのか、とても良くわかる言葉だっただろうと思いますし、とても納得のいくことを説明してくれていました。

 

 

さて、この「Hope&Legacy」より前に、2015年時点での歴代最高得点を獲得した、

羽生選手の名演技「SEIMEI」という和のプログラムの背後を支えた精神について、面白い背景があります。

 

羽生選手が小さいころ、「ウルトラマン」が大好きで、ウルトラマンに憧れていて、初めて作ってもらったスケートのプログラムも、「ウルトラマン」だったというのは、羽生ファンならほぼ周知の事実かと思います。(ウルトラマン・ガイア世代だそうです。) 

(いつか、当時の映像を公開してもらいたいですね!(笑))

 

羽生選手は子供の頃、いわゆる「戦隊ヒーローもの」が好きで、5人いるようなやつだと、真ん中の「赤」のが好きだったという話。

(これは想像に難くないですね…!)

 

まあ、羽生選手に限らず、日本人の男性なら、小さいころに、この手のものを観ながら育ったという人は多いのではないでしょうか。

現代日本人の精神性の背後に、こういったものの影響は大きくあるように思いますね。

 

(私は、近所にいた小さいわんぱく坊主たちに、この手の相手となる、「悪役」「怪獣役」を無理やりやらされた経験なら何度もあります…  とりあえず、「ガオー!」っとか、「ふはははは…!」みたいな。)

 

 

この「ウルトラマン」は、言わずと知れた「悪と戦う正義の味方」シリーズの典型みたいなものですが、

この「ウルトラマンシリーズ」を作ってきた「円谷プロ」の円谷英二さんという方は、特撮撮影の第一人者とも呼ばれ、結構有名な話ですが、カトリックのクリスチャンでした。

聖書の精神が、いたるところに、この「ウルトラマン」の中には込められていた、と良く言われますし、

聖書の内容を知っている人には、すぐに気が付く点も沢山あることでしょう。

 

だからこそ、親御さんたちは、安心して子供たちにウルトラマンを見せてきたのでしょうね。

 

さて、「SEIMEI」を、シーズン最初のスケートカナダで羽生選手が演技した時、

「悪霊を成敗してやるう!」という気持ちで演じたと、羽生選手は語っていました。(GPFの後のインタビューで、スケートカナダの時の気持ちを語ったのです)

 

日本の繊細さや力強さと言った、「和的な」魅力のほかにも、このプログラムを選んだ羽生選手の意識の中に、「悪霊撃退」があったのは間違いないでしょうし、(※人間じゃないですよ、悪霊です)

あれだけ嫌がらせのようなことも沢山経験していれば、そうしたくなる気持ちは、普通の人間なら、よくわかりますし、

大震災を経験したことなどの影響もあり、他にもきっと、「日本」の未来を思いつつ、様々な思いを込めて作ったんでしょう。

 

あの「SEIMEI」を作るにあたって、狂言師の野村萬斎さんからアドバイスをもらったことは、多くの人の知るところです。

「野村萬斎さん」のファンだったという羽生選手ですが、その「野村萬斎さん」ご本人は、

「狂言の道を自分は歩む」と最終的に決めるにあたって、とても興味深いことをインタビューで答えていました。

 

まず、こちらのインタビューをどうぞ。

 野村萬斎、50歳を迎えて目指す境地とは?「40、50は鼻垂れ小僧」

以下は、上のインタビューからの抜粋です。

「『才能は人のためにある』というセリフは、僕の心にもとても響くもので。僕には、狂言という特殊な技術というか、特殊な芸能のチップを埋め込まれたサイボーグのような感覚があるんです。3歳からやっていますから、自分の意志にかかわらず、プログラミングされた『サイボーグ009』の島村ジョーのような気持ちですね(笑)。でもそのように生まれてしまったのはもう変えようがないし、戻りようもない。そうなると、狂言師として生きて、いい舞台をすることが自分の存在証明になっていくわけです。そしていい舞台をするためには、自分のためだけにではなく、人のために狂言をやることが大事なんです」

 

さらに、こちらのインタビュー

「野村萬斎、自らを「サイボーグ009」言ってのける伝統芸能の継承者が追求するもの」

 

 野村萬斎さんは、(ウルトラマンではなくて、)「サイボーグ009」の主人公、「島村ジョー」の気持ちだ、ということを、あちらこちらで公言されていらっしゃいます。

このインタビューで答えられている、「自分のためだけにではなく、人のために」というのは、まさにサイボーグ009のテーマとして、人間のあり方を問う、作品全体を貫いている精神です。

(ウルトラマンもそうですが。)

 

この島村ジョーも、ウルトラマンと同じくらい、日本では長年、かなり人気のあったキャラだと思いますが、なかなか自分で自分のことを

「島村ジョーだ」などと言える人っていないと思うので…  野村さん… すごいですね…! (笑)

 

この「サイボーグ009」は、知らない人たちのためにちょっと書きますと、マンガの神様と呼ばれた日本の天才漫画家「手塚治虫」さんに次ぐ、

マンガの天才、マンガの巨匠とも呼ばれた、「石ノ森章太郎」さんの、代表作です。

石ノ森章太郎さんは、サイボーグ009はもちろんですが、「仮面ライダー」の原作者でもあります。

(原作の仮面ライダーは、テレビで特撮化された仮面ライダーより、かなりシリアスで大人向けなマンガですが。)

 

この「サイボーグ009」は、石ノ森さんの代表作ともいえる傑作として有名ですが、

石ノ森さんご本人が生前にインタビューで語られていたところによれば、彼が20代前半に、世界をぐるぐる回る旅行をしてきて、沢山色々な国を見た後で、聖書を読み、その聖書の内容を参考にして、作り上げたという作品なのです。

(代表作初期、「誕生篇~地下帝国ヨミ篇まで。)

読む人が読めばすぐに解る、聖書の影響のとても色濃い作品になっていて、至る箇所にその重要なエッセンスが散りばめられていることが確認できます。

不朽の名作だの、代表作だのと呼ばれる所以ですね。

 

簡単な内容説明をすると、「ブラック・ゴースト」と呼ばれる悪の集団と、主人公たちが、自分たちの存在意義を問いつつ、命をかけて闘う内容ですが、マンガは非常に社会派な、濃い内容になっていて、とても子供向けには思えないほどの作品で、マンガの天才と呼ばれた理由がよくわかります。 

原爆や戦争の話から始まり、最後は平和への願いで終わります。

(アニメ化も数度されていますが、原作マンガとはまたちょっとだけ違っています。)

 

この主人公たちは、001から009まで、9人いるのですが、この9人というのは、野球のチームを参考にして、9人にした、と石ノ森さんは答えていらっしゃいました。

野球もそうですが、そもそも、この「チームワークを使って闘う」、というのは、聖書の記述、聖書に書かれている「人間というもの」「人間のあり方」に対する明確な記述や発想から来ています。 

キリスト教圏では常識です。

 (羽生選手は、野球も好きでしたね~!)

 

 

ついでに言うと、石ノ森章太郎さんは、羽生選手の出身の仙台の近くの、宮城県石巻市の出身なのです。

石巻は、羽生選手がソチ五輪で金メダル獲得後に行って、多くの人の励みになったことを知り、再びやる気をもらった場所ですね!

 

 

(ちょっと話はそれますが、最近フィギュアスケートで有名な「ネイサン、事件です!」という、

ネイサン・チェン選手に絡んだギャグは、この石ノ森さんの別の有名な作品「HOTEL」というマンガと、そのテレビドラマ化のドラマで、主人公がよく言った決まり文句、「姉さん、事件です!」にかけているのです。

あら~、なぜかここでも、石ノ森さんが御登場…(笑)  知らなかった方は、ご参考までに。)

 

 

羽生選手によれば、「生命」という意味も込めたという、和のプログラムの演技「SEIMEI」ですが、

演じたスケーターである羽生選手本人や、アドバイスをくれた野村萬斎さんを、その道に進むのに支えてきたのは、

命のあり方について問い、悪と根本的に戦おうとする、「ウルトラマン」や「サイボーグ009」の精神でもあり、

その「ウルトラマン」と「サイボーグ009」の精神の根幹というのは、

そもそも、それぞれの原作者たちが「聖書を参考にして作った」ところにあるわけですから、

世界にきちんと通用するのも、当たり前ですよね…!!

 

…ということを、怪獣だの悪役だのを散々やらされた経験のある私が、書いてみましたとさ。(笑)

 

 

 

 大事な精神を忘れずに、羽生選手には、これからも不屈の精神で、破竹の勢いで、頑張ってほしいと思います!!

 

 

 

イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。

「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

 

(ヨハネによる福音書 8章31節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」

 

(イエス=キリストの言葉  

ルカによる福音書 6章27~28節   新約聖書 新共同訳より)

 

 

 

「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」

 

(イエス=キリストの言葉  

ルカによる福音書 6章31節   新約聖書 新共同訳より)

 


人気投票で北米で圧勝1位となった、羽生選手のレッツゴー・クレイジー!と現代世界情勢・聖書預言の関係

2017-05-09 | 羽生選手の素晴らしさ

 

アイスネットワーク(アメリカ)が、このほどアンケートを行い、

今シーズンの男子シングルのショートとフリーのプログラムの人気投票の結果が発表されました。

 

…といっても、ショートの候補は、

羽生選手の「レッツゴー・クレイジー」に加え、ハビエル選手、

ボーヤン・ジン選手と、パトリック・チャン選手のSPの、4択の中から、一つという選択肢。

 

フリーの候補は、

羽生選手、宇野選手、ジェイソン・ブラウン選手、ネイサン・チェン選手、の

日本とアメリカのトップ選手4人の候補の中から、一つを選ぶ形でした。

 

フリーは、(当然かと思いますけど)世界選手権で、史上最高難度のプログラムで、なおかつ、

世界歴代最高得点をまたもや更新した、

羽生選手の「Hope&Legacy」がぶっちぎりのトップ人気になりました。

結果はこちらのice network のツイッター記事をどうぞ。← クリック    

そのことに触れた日本の記事はこちら。

 

このアンケートでは、フリーではパトリック・チャン選手と、ハビエル・フェルナンデス選手が選択肢に入っていないのですが、(おそらく、世界選手権でフリーで二人は順位を大きく落としてしまったから外したのでしょう)

あの羽生選手の演技は本当に本当に素晴らしかったですし、まさに記憶にも歴史にも残るほどの演技だったと思うので、

出されているスコア以上の価値があったと私は思いますし

何度見ても感動するだの癒されるだのという声が多いのは、当然かと思います。

 

第一滑走者だったから、GOEを始めとして、むしろ得点は抑えられていたくらいですし、2015のGPFの時のジャッジ(「SEIMEI」の史上最高評価が出た大会)がこの演技を評価したら、このスコアを、さらにはるかに上回ったスコアが出されただろうと、私は思います。

羽生選手の得点は、それでもなお、優勝するほどだった、ということです。

そして、なおかつ、このアンケート結果によれば、人気でも1位だったということです。

 

一部の人たちが、あれは世界から評価されにくいだの、理解されにくいだのと言っていて、羽生選手まで(評価されにくい)と感じた時もあったようでしたけど、

そんなことは全然ないと私はずっと思っていましたし、(もちろん、何をどう表現するのかが一番重要になりますので、そのポイントを外すと全然ダメになりえますが)

ノーミスではない演技に出された演技構成点を、ノーミス・パーフェクトだった過去の演技の演技構成点と比較してあれこれ言うこと自体、意味がないですし、

「きちんとあるべき形で滑れたら、評価されないなんてことが絶対にあるわけない」と私は思っていましたから、本当にとても嬉しい結果です。

羽生選手は、このフリーの曲を選んだ理由について、最新の「モニュメント記念式典」の時に、こう答えています。

「この曲を最初に聞いたときに感じたこととして、自然とか、森羅万象とか、何か目では見切れないもの、感じなくてはいけないようなものを音楽から感じとれた、そこを表現したいなと思った」「ピアノ曲だから選んだ」「日本の作曲者:久石さんの曲であること」「長野パラリンピックのテーマ曲だったこと」「自分がスケートを始めるきっかけになった五輪に関連した曲」だという、複数の理由を挙げていました。

 振付師のシェイリーンさんは、「このプログラムは、彼そのもの」だという風にも語っていらっしゃいましたし、

羽生選手が熟考して、(その表面以上に)深い意味や想いを込めて選び、作り上げた、とても羽生選手らしい演技でしたし、

タイトルの通り、「Hope&Legacy」なプログラムになったと思いますし、元は「Asian dream 」な歌で曲ですから、演技構成や衣装を少し変えて、さらに洗練させて五輪シーズンへの持ち越しも可能だと個人的には思います。  

(今シーズンは怪我から始まっているので、試合に出られなくなることも考えて、場合によっては、シーズンを持ち越せるプログラムとして最初から意識して作ってあっただろうと、私は思っています。)

でも、世界選手権での演技が、あの時点での羽生選手にとっては、完璧で完成だったと言っていいほどの素晴らしい演技でしたから、どちらにしても、今後の羽生選手、来シーズンの演技がまた楽しみです。(私は現時点では、新プログラムになる可能性が高いだろうと思っています。じっくり検討して、良いプログラムを選んで作り上げてほしいですね。)

私は今までの全ての羽生選手の試合プログラムの中では、世界選手権での「Hope&Legacy」は、演技構成の難易度はもちろん、あらゆる面でも、文句なしのベスト演技だと思っています。(映像でもっと良いのや、いろんな角度から撮影されたものが沢山あると本当に良かったのですが!)

五輪シーズン前に、こういう演技が既にあるというのは、心強いことですね。

 (宇野選手は、フリーは昨シーズンの「トゥーランドット」の再演を決めたようですが、これは、私の予想通りでした。 昨年末の全日本の後のエキシビションで、気に入っているなどと言って滑っていたから、きっとそうくるだろうと思っていました。)

 

さて、ショートの結果はこちらです。クリックどうぞ。

63%の支持を得て、羽生選手の「レッツゴー・クレイジー!」が圧勝しました!

 

このことについて書かれた記事がこちら。

 

あの歌詞の意味をきちんと理解している北米の人たちからしたら、当然の結果だと私は思いますが…。

日本では、一部の怪しいライターによる、曲そのものや、羽生選手の人格への侮辱に該当するような酷い解釈を、繰り返し書いて載せていた人たちがいました。

 

「皆さんが元気に、笑顔になれるように…」って、シーズン前・怪我の最中からずっと言い続けてきた羽生選手の気持ちを完全に無視しているのみならず、羽生選手が今まで演技で一貫して示してきたことを、ズタズタに踏みにじるような行為と同じですから、

羽生ファンなら、間違ってもそういうことに加担しないで頂きたいと思いますし、その言動の責任は必ず問われるようになるから、そういった文章の拡散にも、ファンは気をつけたいですね。

 

今シーズン、羽生選手は本当に、驚くほど多くの「De-elevator」の攻撃を受けてきました。

そういったことも含めて、聖書では、「終わりの時代には、神が正しくお裁きになる」とハッキリ書かれていますし、何よりも、そのことこそをしっかりと歌って広めている歌ですから、

意地でもこの歌の正しい解釈を多くの人に知られたくないのは、まさしく悪魔の意志そのものです。

 

ではなぜ、プリンスさんは、リスクを承知で、そんな誤解を受けそうな余地のある歌詞を書いたのかと言えば、これもまた聖書に根拠があるのです。

イエス=キリストは、「わたしが来たのは、…(中略)… 罪人を招くためである。」(マルコによる福音書 2章17節)と語っています。

 

だからこそ、卑猥な解釈や悪魔的な解釈でこの歌を喜んでしまうような人たちをも惹きつけておいて、

よくよく調べたら「全然違った」と知った時に、むしろ考えさせられるような、衝撃的な歌を作るという、ある意味、意図的で非常に戦略的な歌だと思います。 

 

羽生選手は、信じがたいほど、本当に本当に良く耐えたと私は思います…!!

私から見たら、もうその1点だけでも尊敬に値しますね。

 

世界選手権での、あの4回転サルコウからの後続ジャンプの「ミス」とされているところは、

あれでこそ、本来の正しい完璧な解釈と表現になってしまったと言えるぐらいでしたから、

あそこで見せた驚異の技術力と併せて、

羽生選手は、世界選手権で、かえってその「特別な天才っぷり」を、世界に示してしまったに過ぎません。(笑)

 

歌詞の意味をきちんと解っている人たちからしたら、かえって、羽生選手の身に起ってきた数々の出来事を見て、さらに熱狂するのはよくわかります。

プリンスさんの出身国であり、このアンケートをとった国のアメリカは、この意味をきちんと正確に解っている人たちの比率が、おそらく、世界中で最も多い国だろうと思います。

 

今や、中国や韓国でも、日本よりはるかに多くの人がこれらの聖書知識を知っていますし、 

この歌詞の意味がベースにしている聖書箇所を、きちんと判っている人は、世界中に沢山いるのですから、

演技中にやっていることの難しさ、その恐れなき挑戦心とも合わせて、これだけの大変なメッセージを世界に送り届ける演技をした羽生選手が、人気No.1になるのは、当然ともいえるし、

現代の世界情勢と合わせて、そのタイミングのあり得なさ(素晴らしさ)、与えられている使命の大きさには、本当にビックリですね!!

 

でも、こうやって多くの人の投票結果を見ると、やはりこう思います。

羽生選手、本当に 良かったね…!!(笑) 

 

さて、第二次世界大戦以降、戦争とはほぼ無縁で来られた日本人でも、さすがに今日の世界情勢を見て笑っていられる人は少ないことでしょう。

聖書にある数多くの預言(※予言ではありません、神の言葉を「預かる」という意味での「預言」、すなわち、完全に神の言葉であることが前提であって、誰か人間の適当な推測や予想、占い、オカルトもどき、ノストラダムスなどとは全く違うので、混同しないでください)

を知っている人たちの間では、

今がいよいよ、「終末の時代」であり、「今の世界」の終わりへのカウントダウンが始まっているというのは、既に世界共通の認識になってきています。

「レッツゴー・クレイジー!」は、イエス=キリストが、終わりの時代に再び地上に戻ってきて、人々を判定して、天国(神の国)へと招き入れることを歌っています。

 

ラストの言葉「Take me away!」は、「僕を連れて行ってくれ!」という意味ですけれども、

どこに連れて行ってと頼んでいるのかと言えば、

冒頭で歌われている、神様の支配する「天国世界」「終わりなき幸せの世界」へ、連れて行って、と「神様に向けて」お願いしているのです。

 

聖書の預言というのは、人々を怖がらせるためにあるのではなく、

人々に、「心の備えをさせるため」「真理を理解して平安に生き抜くため」「それが本当に神の言葉であることを、人々に証明するため」に与えられていると言われています。

 

いつ、どのようにしてこの世の「終末」が近づいていると知るのか、その「終末の徴(しるし)」について、聖書は次のように説明しています。

 

マタイによる福音書 24章 3節~  (新約聖書 新共同訳より)

 

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやってきて、ひそかに言った。

「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。

また、あなたが来られて世の終わる時には、どんな徴(しるし)があるのですか。

 

イエスはお答えになった。

人に惑わされないように気をつけなさい。わたし(イエス)の名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。

そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」 (以上、8節まで)

 

そして、

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」 (以上、10~13節)

 

と、イエス=キリストが語った、と書かれています。

 

今現在起こっていること、方々に飢饉や地震が起こり、戦争のうわさが絶えない状態は、

「産みの苦しみの始まり」に過ぎず、このさらに先、終末の最後の時代には、

悪魔が大活躍する「大艱難時代」(だいかんなんじだい)と呼ばれる、酷く大変な「地上への裁きの時代」が待っていることが聖書では預言されています。

 

では、こんな時代に生きる私たち、生かされている私たちは、どうしたら良いのか。

実はそれを、「レッツゴー・クレイジー!」は、歌っているんですね。

 

 

この災いを逃れ、守られるには、プリンスさんが歌っている、「De-elevator」(悪魔の引き下げ専門エレベーター)が下げようとする方向とは正反対の、

上へ(天へ、神の方向へ)と引き上げて下さる、本物の神様からの力が必要となるのです。

それを得るには、まず、人間の側から、自主的に(助けて!)と、神様に「本気で求める」ことが何よりも大事になります。(具体的には、本気で祈ることですね。場所や状況は問いません。また、神様に頼りつつ、全力で悪魔の支配下から抜け出すことです。)

  

それを、「Go crazy! Punch a higher floor! 」=「無我夢中になって、上の階へと(天の方向、神様の象徴へと)パンチしろ!」という表現で、プリンスさんは歌って奨励しています。

(=悪魔の象徴である、引き下げ専門エレベーター(De-elevator)に乗ってしまったら、その現状を、神様に助けを求めて打破しろ!ということですね。

※ ここで、エレベーターの上階へのボタンを押せばいい、という解釈があるようですが、所詮は悪魔の「引き下げ専門エレベーター」内で、その仕組みに従った行動をやっても無駄で、引き下げ専門エレベーターは何をしても結局、あなたを下に連れていくだけです。現実問題として、それでは悪魔の支配下から抜け出せませんので、ご注意。)  

  詳細な説明は、こちら。→ 歌詞の真意を聖書から読み解く その1 続きのその2

 

そして、このことこそが、実は神様が一番、喜ばれることだと聖書は語っています。

神様の目から見て、人間の側から自主的に「神様に助けを本気で求める瞬間」というのは、

ひたすら反抗していた子供が、反省して、父親の元に来て助けを求めて甘えてくるのと同じで、

とても価値が高く、神様に心から喜ばれることで、何ものにも代えがたいというほどに、非常に価値のあることとして、神様は見ているのだということを、聖書は語っています。

 

このことを知っていると、

ちょうどこの部分を歌っていた、4回転サルコウからのコンビネーションジャンプのところで、羽生選手が、一度膝をつくような形で引き下げられ、

そこからワンテンポ遅れて、天へ向かって飛翔するがごとく跳びあがった、驚くべき後続ジャンプ(両手上げ2回転トウループ)は、

それができるという技術力があるだけでも(羽生選手は)十分に凄いのですが、

さらに、結果的に「点がつかなかった」ことは、

「神様は、この最も尊い瞬間を表現した部分を、決して安易に人間に評価させない」

ことに通じていて、神様の強い意志、深い愛のようなものさえ、私には感じ取れました。

 

この「自らが神に助けを本気で求める」ことの価値は、人間がどう思おうとも、他人がどう思おうとも、神様の視点から見たら、本当に掛け替えのないものなのです。  

そのことは、聖書全体を通して、繰り返し語られています。

 

ですから、「点数がつかなかったこと」を見て、私は逆に大いに畏敬の念に打たれたましたし、

「アメリカ」を始め、キリスト教圏では、このことを知っている人たちは大勢いるので、同じように感じて驚いた人は、数え切れないほど大勢いたことでしょう。

 (注: このアンケートをとったice network は、アメリカにありますね。)

 

これらは聖書に書かれている重大な真理だからこそ、なおさら、あの演技はある意味で「完璧」だったし、誰もが認めるフリーのみならず、あのショートも実は、

「神演技」などと呼ばれても良いような、それにふさわしいものだったと、私は思っています。

 

「レッツゴー・クレイジー!」のテーマでもある、 「神の国(天国)への招き」というのは、聖書の中では、「婚宴」や「祝宴」に招かれることに度々、たとえられています。

 

レッツゴー・クレイジー!が、Celebration (お祝い、祝宴)だと表現され、

おめでたい、ハッピーな雰囲気や、パーティの雰囲気、ノリノリで明るい雰囲気を出しているのは、そういう理由によります。

 

さらに、以前も別のページで書きましたが、聖書では、「神様と人間とのあるべき関係」を、

「花婿」(=天地創造の神)と、「花嫁」(=人間一人一人)のような関係にたとえて、

それこそを、あるべき姿の理想として描いています。(繰り返し、何度も出てきます。)

 

それゆえ、「熱狂」「熱中」「無我夢中」という単語が何度もこの歌で出てくるのです。

 

この「神の国の祝宴」「セレブレーション」には、実はすべての人が招かれているのですが、

(つまり、天国に行けるように、全ての人は、神様に招かれているということ)

それにも関わらず、

なんだかんだと言い訳を言っては、自分から断って、せっかくの恵みを失っていく人が多いこともイエスはご存知で、それを預言していました。

それが、以下の箇所です。

 

 

ルカによる福音書 14章15~24節より  (新約聖書 新共同訳より)

 

゛食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、『神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう』 と言った。 そこで、イエスは言われた。

「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕(しもべ)を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。

すると皆、次々に断った。

最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。

ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか失礼させてください』と言った。

また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことが出来ません。』と言った。

僕(しもべ=神に従い仕える人間のこと)は帰って、主人(=祝宴を用意している神様のこと)に報告した。

すると、家の主人は怒って、僕(しもべ)に言った。

『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れてきなさい。』

やがて、僕(しもべ)が、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った。

『通りや小道に出ていき、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。

言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない』 ”

 

 

・・・最後の、「わたしの食事を味わう者」というのは、

神様が天にご用意してある、神の国(天国)での、計り知れないほどの大きな恵みを味わうことの出来る祝宴に出られる者、という意味であり、そのたとえです。

 

せっかく招かれているのに、色々な言い訳をして断ってしまう者(=自ら神様を拒否し、悪魔の支配下に留まることを望む者)は、神様の祝宴でのご馳走を味わうことが出来ないよ、お祝いの席につけないよ、と警告されています。

 

この聖句で言う、「通りに出て行って、色々な人々を、神様の用意された祝宴に招き入れること」が、「レッツゴー・クレイジー!」の曲では、

「Come on, baby!」と、

多くの人を祝宴に誘い、大勢を巻き込んで、楽しく夢中になってみんなでお祝いしようぜ!とプリンスさんが誘っている歌の部分に該当します。


つまり、「観客とのコネクト」をテーマにしていた、

羽生選手のラストのステップ部分というのは、聖書から正確に解釈すると、

神の国の宴会(祝宴)へと招いて、一人でも多くの人を誘い込み、神様の計り知れない恵みに預かれるよう、そして天国へ入れるよう、人々(観客・視聴者)を誘い込んでいる状態を表しているのです。

(上の聖書箇所で言うならば、羽生選手は、主人(神様)に頼まれて、人々を神の祝宴に誘い込んでいる、「神の僕(しもべ)」役を担っていることになります。)


さらに言うと、その「神の国の祝宴」には、

貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」なども招かれていて、一人の例外も差別もないのだ、ということが、イエスご自身の言葉でハッキリと示されています。 

(ここは、パラリンピックのテーマ曲を使った、「Hope&Legacy」に通じる部分です。)


プリンスさんの歌は、実は、そういうことを表現しているのです。

 

(だから、羽生選手の演技の表現面における解釈としては、クールに真面目に声をかけるような演技でも良いし、明るくノリノリに誘い込んでも、どちらでも、どのようであっても良いわけですが、一人でも多くの人を祝宴に連れてこれることが一番主人(=神様)はお喜びになるので、

やはり一番良いのは、羽生選手自らが、喜びをもって、その素晴らしさを体現しながら、神様の祝宴に誘うことになるでしょうね。(笑))


聖書によれば、天国に入れること、神様の祝宴に預かれることは、

究極の幸いであり、(悲しむべきことではなく)

「お祝いすべきこと」「喜ぶべきこと」なのです。


だから、レッツゴー・クレイジー!という曲の本質は、

「Celebration」(お祝い) と言われます。


 

また、いつか、花嫁(=神様を信じて従う人間)を、花婿が(=イエス・キリストが)迎えに来る、ということが、聖書では繰り返し語られています。

その時がいつなのかは秘密であり、だれにも知らされておらず、天地創造の神のみがご存知で、天使たちでさえ知らされていないと、聖書には書かれています。

 

その時に、花婿に、「花嫁」として認めてもらえずに、神様に天に連れて行ってもらえず、地上に置いて行かれてしまう人たちがいることが預言されています。

ですから、プリンスさんは、この曲のラストで、「Take me away!」(天国へ連れて行って!)とお願いする言葉を、人間から神様に向けて叫ばせて、そこでこの歌を終えているのです。

 

 連れていかれる先は、人間にとって、本来のHome (家、故郷)であるはずの、

天地創造主である「神の国」、すなわち、「天国」です。

 

「ユダヤ人とギリシャ人の区別はなく、

すべての人に同じ主(=天地創造の神様、イエス=キリスト)がおられ、

ご自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。

『 主の名を呼び求める者は だれでも救われる 』のです。」

(ローマの信徒への手紙 10章12,13節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

レッツゴー・クレイジー!の歌の先に表現されているものは、

悪魔の引き下げエレベーターに引き下げられずに、その試練を乗り越えていった先に見えてくる「希望」です。

 

ですから、羽生選手のフリーの「Hope&Legacy」に、そのテーマは、ショートから、そのまま引き継がれていくことが判ります。

 

この二つのプログラムに共通するキーワードを含む聖書の言葉に、次のようなものがあります。

 

 

神は豊かな憐みにより、わたしたちを新たに生まれさせ、

死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、(=Hope)

また、あなたがたのために天に蓄えられている、(=天国にある)

朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。(=Legacy)

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、

神の力により、信仰によって守られています。

それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。

(ペトロの手紙第一 1章3~6節    新約聖書 新共同訳より)

 

最後に、聖書の言葉に関する、重大な聖句をご紹介して、このページを終わりにします。

誰か人間が、勝手にこの書物の言葉を変えてしまうことに対しては、重大で恐ろしい警告がなされているのです。

 

「そして天使はわたし(=ヨハネ)にこう言った。

『これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、ご自分の僕(=しもべ)たちに示されたのである。

見よ、わたしはすぐに来る。(と、イエスは言った。) 

この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。』 」

   (ヨハネの黙示録 22章6,7節  新約聖書 新共同訳より)



「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証する。

これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。

また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、

神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都(=天国)から、その者が受ける分を取り除かれる。

以上すべてを証しする方が、言われる。

「然り、わたし(※)はすぐに来る。」  アーメン、主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」

(ヨハネの黙示録 22章18~21節   新約聖書 新共同訳より)

※ わたしとは、イエス=キリストのこと

 

上の二つの聖書箇所の英語版はこちらです。

レッツゴー・クレイジー!の中で歌われている、「He's coming!」の「He」が、一体だれを指すのか、英語で見ると、明確に解ります。(下線部分を参考にして下さい。)

 

Then the angel said to me, " Those words are true and can be trusted. 

And the Lord God, who gives his Spirit to the prophets, has sent his angels to

show his servants what must happen very soon."

"Listen!"  says Jesus. 

" I am coming soon !  

Happy are those who obey the prophetic words in this book!"

(Revalation 22:6-7    Today's English Version)

 

 

   I, John , solemnly warn everyone who hears the prophetic words of this book,

God will add to their punishment the plagues described in this book.

   And if any take anything away from the prophetic words of this book, 

God will take away from them their share of the fruit of the tree of life

and of the Holy City, which are described in this book.

   He who gives his testimony to all this says,

"Yes indeed!  I am coming soon! "

   So be it.   Come, Lord Jesus!

   May the grace of the Lord Jesus be with everyone.

(Revalation 22:18-21     Today's English Version)

 

 

新シーズンにむけて、羽生選手に、絶大な守りと、大いなる祝福がありますように…♪

 

 

※ この聖書解釈は、プリンスさんが、この歌を作った当時、キリスト教プロテスタントの信者であったことから、その立場で説明してあります。(アメリカ人の大半は、プロテスタント系キリスト教です。)

聖書の文言を一部、「教祖」が信じたくないがゆえに勝手に変えてしまった「新興宗教」である、「モルモン教」(=末日聖徒イエスキリスト教会)と「エホバの証人」(=ものみの塔)は、アメリカではキリスト教とは認められていません。

それらの組織では、似ているようでも「終末」や「神」に関する聖書解釈が一部異なってきて、最終的には大きな違いをもたらし、似て非なるものになりますので、そこはどうぞご注意・ご理解ください。

 

※ 聖書の日本語訳は、日本のカトリックとプロテスタントが共通で使っている、「新共同訳」を使わせてもらいました。

英語訳については、日本人にも分かりやすい英語である、「Today's English Version」を使わせてもらいました。(アメリカで主流に使われている訳のバージョンは、英語を母語としていない日本人や外国人にはちょっと難しい、格式ばった英語表現が多いので。)


アイスリンク仙台への印税全額寄付&今季全プログラムに共通する羽生選手の一貫した想い

2017-03-06 | 羽生選手の素晴らしさ

 

アイスリンク仙台のHPで、羽生選手から寄付金があったことが報告されています。

こちらをどうぞ御確認下さい(アイスリンク仙台HPへ)

 

今回は、羽生選手の自叙伝(蒼い炎Ⅱ)の出版によって得られた印税全額だそうです。

つまり、羽生選手が収入として受け取れる分、全ての金額を、寄付されたということですね。 

そして、前回の自叙伝(蒼い炎)の時も、印税の全額を寄付されたということで、その金額も併せて報告されています。(この時はまだ17歳でしたね。)

 


両方の合計で、既に2500万円を超えています…! 

もちろん、この金額には、この本を買ったファン一人一人の思いも入っているとは思います。

しかし、羽生選手は、本来自分が受け取れるはずの収入分を全て寄付されたわけですので…

なかなか出来ることではありません。

 

現在出ている羽生選手の本で、自叙伝と呼べるのは、この2冊だけで、羽生選手のことを知りたければ、この2冊が私は絶対におススメです。(あとはその時々のインタビューです。)

羽生選手本人の意志が入り、羽生選手の言葉で構成されており、羽生選手本人が確認をとっていて、その時折々のご本人の本音と真実が、(カットされているものはあったとしても、)きちんと正確に伝えられているであろうものは、上の2冊だと思うからです。

そのどちらも、羽生選手は「印税の全額を寄付」している、というのだから、凄いですね。

 

いつか引退する日が来たら、その時には、競技生活を振り返って、著者「羽生結弦」で、ぜひともご本人の分析で、本を出してもらえれば、と思います。(笑) 

( ところで、便乗本で儲けたライターの方々は、羽生選手の力で儲けたその莫大なお金は、どうされているのでしょうね?)

 

  

羽生選手は、ソチ五輪の時の「金メダル報奨金300万円」も、全然迷わず、全額被災地に寄付されていましたよね。

羽生選手の年齢が、まだ22歳で、まだ大学生であることを想うと、凄い貢献度です。

 

そして何より、金額以上に凄いと私が思うのは、その一貫した強い思いと行動力でしょうか…。

 

 

「各自、不承不承(ふしょうぶしょう=いやいやながら仕方なく)ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。

喜んで与える人を神は愛して下さるからです。

神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがおできになります。」

(コリントの信徒への手紙第二 9章7、8節 新約聖書 新共同訳より)


「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」

(イエス=キリストの言葉  マタイによる福音書 7章12節 新約聖書:新共同訳より)


「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 6章21節 新約聖書:新共同訳より)

 

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。

あなた方は、神と富とに仕えることはできない。」

(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 6章24節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

そういった羽生選手の思いは、羽生選手の今シーズンのプログラム(ショート&フリー)にも、強く表れていると思うのです。

 

アイスジュエルズVol.5 という雑誌の中で、羽生選手は、(昨年のNHK杯の後の時点でとったインタビューの内容だそうですが、) フリーのプログラムについて、このように答えています。

「今回使用している久石さんの『Asian Dream Song』は曲がメインではなく、歌がメインの曲です。いってみれば伴奏なので、あまり主張する曲ではありません。オーサーコーチとシェイリンさん(振付師)には、僕の考えを話したのですが、今回のこのプログラムは僕が主人公ではありません。 (中略) 

今回のこのプログラムで意図しているのは、久石さんの曲が前面に出過ぎずアリーナ全体を包み込むような曲なので、自分の中では、その空間の一部として僕が存在するくらいの位置づけでやりたいのです。」

 

「僕が主人公ではない」 「歌がメインの曲で、いってみれば伴奏」 「アリーナ全体を包み込むような曲」だとの言葉からわかるのは、羽生選手は、この曲を使うことで 自分が主人公になりたいのではなく、

むしろ羽生選手の演技を観て、「主人公になってほしい」のは、むしろ「観客一人一人」なのだと言いたいのではないか? と私は読んでいて感じました。

 

「歌がメイン」とされる、この歌の歌詞は、以前もご紹介しましたけど、こんな歌詞ですから。

(「旅立ちの時~Asian Dream Song」(1998年長野パラリンピックテーマソング)

 (サビの部分を太字にしてあります)

 

1: 君の瞳に花開く 夢を奏でる心  

風に吹かれるこの道さえも  星明かりに照され 今ただ一人歩こう  

胸を震わせるときめきを  空と大地に歌おう

悲しみも笑顔も温もりも  熱い思いに揺れて 今抱き締めて歩こう

旅立ちの勇気を地平線の光と 分かち合うこの時  微笑みながら振り向かずに

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう


 2: 争いの日々を乗り越えて 青空に歌うとき

かけがえのない生命の果てに  名もない花を咲かそう  今ここに生きる者よ

旅立ちの勇気を虹色の彼方に  語りかけるこの時  微笑みながら振り向かずに

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう

夢を掴む者達よ 君だけの花を咲かせよう

 

 上のコメントは、昨年11月末のNHK杯の時のものなのですが、アイスジュエルズvol.4 の時、

今シーズンのフリーについて、

「自分の中でテーマは明確に決まっている」「最初に考えていたテーマに合った曲を探したので、何を表現したいのかということは明確」「テーマは絞ったけど、それはタイトルとしてだけです」とも答えています。

「心から笑顔を出せる曲」で、「自分をさらけ出して滑れるプログラムだなって。」とも答えています。

「テーマはタイトル」と語っているので、テーマは「Hope&Legacy」なんでしょう、きっと。

 

そして、つい先月の4大陸選手権の時、羽生選手は、ISUのインタビューで、今度はこう言っていたんですよね。(※おそらく日本語で語られたと思われるインタビューを、ISUで翻訳したと思われる英語をまた私が日本語に戻した言葉だということをご了承下さい。)

 

「フリーの曲は日本人の作曲家によって作られたものなのですが、音楽の背景を深く説明すると、これは実は1998年の長野パラリンピックのオープニングの曲なのです。 僕の母は、長野五輪と長野パラリンピックを見ていて、僕の姉にスケートをさせたいと思い、姉をスケート教室に連れて行きました。 それを考えると、長野五輪と長野パラリンピックは僕のスケート人生のスタート地点なのです。だから、この曲を使いたいと思いました。」

「この曲は日本人作曲家によるものなので、昨年のプログラム「SEIMEI」で学び得たようなものを、継続して活かせるかな、と思ったのです。」

最近、僕は「人間の生命倫理」に凄くハマっています。

これまでの人生で、僕は「生命」についてすごく沢山考えてきましたし、フリーの「ホープ&レガシー」を演じる時にも僕は「生命」について考えています。だから、「人間の生命倫理」について学ぶことは、スケートの助けにもなっているんです。」

 

フリーを演じる時に、「生命」について想いを馳せながら滑っていることを明かしています。

遺伝子工学が発達した現代社会は、色んな生命倫理問題が生じています。

このテーマ曲はもともと、長野パラリンピックのテーマ曲なのです。

 

(生命について想いながら滑っているのは、昨シーズンの「SEIMEI」の時から同じですね。)

 

羽生選手の今回のフリー衣装を見ていると、明らかに地球カラーだろうと思うのですが、キラキラと星のように散りばめられている輝きも沢山あり、上の方は白ですので、壮大な天体のイメージもあります。

 

上の全部を総合していくと、羽生選手は、「人として、あるいは、文化や国、地域、障害の有無や個性の多様性をも超えて、人間一人一人としての命の尊さ」に想いを馳せ、「それを大切に想う心」「キミだけの花を咲かせよう」という応援のメッセージが込められているように私は思います。

試合は勝敗が決するものであり、国の代表として出るのが普通なので、羽生選手は、日本代表であることに誇りと強い責任感をもち、それを強く意識しているとは思いますが、

演技そのものは、決して、何かから何か、誰かから誰かへ、地域や文化への「優越感」などではないと、私は確信しています。

 

もしそのような「高慢」に通じるものが混じったなら、それは他国の人へ自然と伝わりますし、そのような演技だったら、決して高く評価されなくなるばかりか、神の怒りの鉄拳が下るだけになるでしょう。


「傲慢(ごうまん)、驕り(おごり)、悪の道、暴言を吐く口を、わたしは憎む。」

(※ わたし=天地創造主である神のこと)

(箴言 8章13節  旧約聖書  新共同訳より)



羽生選手の演技は、そうではないからこそ、高く評価されているのです。
 
高く評価されたのは、「評価してくれる側」が、「敬意」をもって見てくれた証拠でもあります。
高慢な状態にある人は、相手に「敬意を払う」ことは出来ません。
 

 

ISUインタビューで、羽生選手が最後に語った言葉は、これでした。

「フィギュアスケートは今、日本でとても人気ですけれども、一朝一夕でこうなったわけではありません。近年では、男子シングルも女子シングルもレベルがどんどん上がってきました。

世界中の人々が、国際的な視野でこのスポーツを見ることが出来、世界のどの地域かに関係なく、この競技の発展をわくわくと楽しめるといいなと、僕は願っています。」


日本でフィギュアスケートが人気だと言っても、日本にも長いフィギュアスケートの歴史があり、多くの先輩選手たちがいて、その一人一人の活躍の延長線上に今の自分がいて、「決して自分だけの力で今の日本人気があるのではない」と、ここでハッキリ言っているのだと、私は感じました。

「国際的な視野でスポーツを見ることが出来、世界のどの地域かに関係なく」とわざわざ言って、そう願っているのは、決して「アジア優越思想」などではないし、もちろん、「日本人優越思想」などでもないでしょう。

「何人だからダメ」とか、「どこの国が特別優れている」などという、優越思想でもないと私は思います。

 

一般的に、優越感というのは、劣等感の裏返しです。

本当にフラットに、平等に対等に人を見ていたら、そんな感情や発想は出てこないのです。

 

羽生選手の勝利や活躍を根拠に、そこに「見ている自分」のアイデンティティー(自己存在価値)を置いてしまう人は、羽生選手のちょっとした勝敗に一喜一憂しすぎて、我を見失います。

 

そうではなくて、

演技を見て下さっている一人一人が、「自分が主人公」の価値ある人生を送ってほしい、君だけの花を咲かせてほしい、そのように命を輝かせてほしい、と強く願っている羽生選手の気持ちが、今シーズンのプログラムからは、ショートからもフリーからも、さらには、エキシビションからも、読み取れるように、私は思っています。

 

それが復興の力でもあり、立ち上がる力でもあり、その人の成長でもある。

羽生選手から、見ている人たちへの贈り物としての、励ましであり勇気づけであり、応援の心だと思うのです。

 

私はかつて羽生選手を見た時、「フィギュアスケート大国ではなかった日本から、こんな天才が出てくるなんて!」と感動しましたけど、それは、白人優越のスポーツだったからとか、西洋文化優位だから、などの理由では決してなくて、単純に、

「プルシェンコ選手のような『スケートの桁外れの天才』というのは、1年中凍っている地域がある国から出てくるのが当然で自然だ」と普通に思い込んでいたから、です。

「1年中凍っている地域がどこにもない、日本のような熱中症大国で、スケートの世界トップを張る天才が出てくる可能性は、普通に考えれば極めて低い」と思っていたからです。

ロシアやカナダと比べたら、日本は、普段からスケートをできる総人口が、全く違いますので。

日本は、その辺に自然と分厚い氷がある、誰でも簡単にスケートが出来る国、ではなかったのです。

 

高橋大輔さんのファンの中で、日本にフィギュアスケートの人気を広めたのは高橋さんが最初だと思っているような人は多いし、浅田真央選手のファンは、日本がフィギュアスケート大人気になったのは、絶対に浅田選手のおかげ以外の何ものでもない、などと思っていたりします。

荒川さんのファンは、「荒川さんこそが日本の最初の金メダリスト」だと思っているだろうし、本田さんのファンは、本田さんこそが日本男子を世界で闘える対等レベルにしたと思っているし、

伊藤みどりさんのファンは、フィギュアスケートの世界で、「日本」を世界トップレベルにしたのは、間違いなく伊藤みどりさんが最初だ!と断言する人が多いことでしょう。

フィギュアスケートの世界で日本人選手がトップ争いに絡んで大きく話題になったのは、伊藤みどりさんの時代、つまり既に30年近く前のことです。

 

実際、上に書いた選手たち以外も含めた大勢の歴代の選手たち、そういった一人一人のご活躍がなければ、羽生選手がスケートを始める環境も、続ける環境そのものも、あるいは、ここまでレベルを引き上げる要因となる環境も日本にはなかったかもしれない、というのは、本当だと思います。

少なくとも、荒川さんの金メダルがなければ、仙台のスケート環境は整わなかったのだから、羽生選手がさらにうんと苦労したか、続けられなくなった可能性というのは、高かったわけです。

 

羽生選手は、上の発言で、そのことを言っているのだと私は思いました。

それが、羽生選手が引き継いだ「ホープ」でもあり、「レガシー」でもあるのです。

 

伊藤みどりさんの時代から、和のプログラムへの挑戦、というのはずっとあって、みどりさんはもちろん、過去、外国の選手たちも、大勢が果敢に挑んできました。

以前私はほんの一部を紹介しましたが、あえて載せなかったものも沢山あります。全部載せようと思ったら、驚くほど沢山あると思います。

その過程で、色々な失敗につながる理由が沢山見えてきて、それらの積み重ねをを吟味しながら、それらの教訓を大いに活かして、羽生選手の昨シーズンの「SEIMEI」というプログラムは出来あがっていますし、それらの参考があってこその、プログラムの完成度でもあり、大成功でもあるのです。

他でもない、振り付けは、外国人のシェイリーンさんなのですし、羽生選手本人も、「和に傾きすぎるのは良くない」「外国人の視点を入れるため」「そこから日本的な良さを引き出してもらうため」という狙いをもって、あえてそうしたのだと最初から発言していました。

 

実際、あのプログラムや衣装を、「もっと和の良さを出せ」「全然和じゃない」「面白味がない」などと苦情や苦言を言っていた日本人のファンというのも、それなりに大勢いました。

そういった意見の大半は、フィギュアスケートをあまり知らないからこそ、何が出来て何は不可能かという境界線がわかっていなくて、「他の分野でやればよい理想像」を押し付けているに過ぎないことが多かった印象でした。

 

日本固有のものだけが正統で絶対に譲れないものだなどと決めつけてしまうと、それは別のものへの偏見につながり、

例えば、日本人のすし職人が試行錯誤の上に作り上げて、大成功させた、「カリフォルニアロール」の良さや凄さ、斬新さを知ることも気付くこともなく、それをただ呆れて見下すことしか出来なくなってしまいます。

たとえそれが、その土地に合わせて材料を吟味し、人々の好みに合わせつつ、なおかつ日本食の良さや食感を活かされた状態で、究極の融合を目指して出来上がった、新しい素晴らしい作品だったとしても、食べてみることなく、良さを知ることなく、終わる可能性が高くなります。

 

「高慢には軽蔑が伴い 謙遜には知恵が伴う 」

(箴言 11章2節   旧約聖書  新共同訳より )

 

また、どこの国だろうと、何人だろうと、どんな人種だろうと、年齢にも関係なく、人は100人いれば、100通りの感性があり、好みがあり、みな違うのは世界共通であり、当たり前です。

誰一人、同じ人間はこの世に決して存在しないように、人間という存在は一人一人が、遺伝子に書き込まれ、組み込まれたハイレベルな仕組みによって出来ているのです。

生物学を学べば、生命の誕生が、そして人間一人一人の特徴、その個性というのが、まさに奇跡のような確率の連続の上で成り立っていることに気が付きます。

 

羽生選手は、それまでフィギュアスケートに興味のなかった、国籍を超えた人たちを大勢惹きつけたかもしれないけど、与えられていた特別な才能はもちろんですが、何より、一貫して示してきた、羽生選手の心にも大きな理由があるように私は思っています。

 

日本赤十字社の献血CMで、羽生選手はこんなコメントをしていました。

 


今年のテーマは、「僕たちの一歩は、だれかの一生。」です。 

僕が一生懸命頑張ることで、見た人に感動を与えられたり、

もしかしたら勇気を与えられたり、元気が無い人を励ますことが出来るかもしれない。


僕はそういう思いを持って日々苦しいトレーニングに励んでいます。 

自分が動けば、きっと周りの人や空気も変わると信じています。


 Q2. 今年のメッセージは「とどけ、いのちへ。」ですが、残りわずかとなった今年、羽生選手自身は誰に何を届けたいですか? 

僕自身、みなさんの応援に支えられています。いつも応援してくれているみなさんには、僕の演技で勇気を届けたいと思っています。



羽生選手が一貫して「届けたい」と願っている、勇気」(ゆうき)。

 

今シーズンのプログラムで表現されているもの、それをどう見るのか、受け取るのかは、ショートもフリーも実はどうやら、観る側である、

「You」(=あなた) 「Key」(=カギ) になっているのでは…?!

 


ファンの一人一人が、「価値」ある人生を送れて、羽生選手の「価値」ある「勝ち」にもつながっていきますように…!(笑)

心よりお祈りしています!



「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」

(使徒言行録 10章35節  新約聖書 新共同訳より )


 

「神に従う人の結ぶ実は命の木となる。

知恵ある人は多くの魂をとらえる。」

(箴言 11章30節  旧約聖書  新共同訳より )




 

蒼い炎II-飛翔編-
羽生 結弦
扶桑社


 

蒼い炎
羽生 結弦
扶桑社





羽生選手がフリー「Hope&Legacy」に込めた思いの一端を、合唱曲の歌詞から想う

2017-01-13 | 羽生選手の素晴らしさ

 

羽生選手が今シーズンのフリー曲に選んだ、「Hope&Legacy」。

 

このタイトルは、羽生選手が自ら考えてつけた名前ですが、元の曲は、久石譲さん作曲の、「Asian Dream Song」というものと、

「View of Silence」という曲を合わせて編曲したものです。

 

そのうちの、「Asian Dream Song」については、実は、その主要なメロディーに、歌詞がつけられていて、

現代の中学校や高校などで良く使われる、有名な合唱曲になっています。

そのタイトルは「旅立ちの時」。

 

もともとは、1998年のパラリンピックの閉会式で、テーマソングとして使われ、宮沢和史さんという方によって、歌われた曲です。

こちらが、当時のパラリンピックの閉会式(フィナーレ)。

 

 

 

この曲が、今日まで合唱曲として使われて、歌い継がれてきているのですが、その合唱曲が、こちら。

歌詞もなかなか素敵な曲で、ぜひ聴いてみて下さい。

 

 

 

久石さんの曲を、ピアノ曲だけで聞くよりも、実は、この合唱曲として聞いたほうが、

羽生選手のフリーでの使われ方・編曲のされ方に近い印象でして、

羽生選手は、この合唱曲イメージでの編曲で、あえてフリーを作ったのでは?とさえ私には思えます。

 

既に数回フリーの演技を観た今となっては、合唱曲を聴いただけで、羽生選手の演技が私の頭には浮かんできますね。(笑)

そしてまた、この歌詞が、なんというか…

今まで羽生選手が使ってきた演技の曲の数々と、テーマ・メッセージ性なども共通していて、

ああ、この歌詞は、羽生選手が好きそうだよね~!ってすごく思うのです。(笑)

 

今まで、羽生選手がこのフリーに込めた思いを、インタビュー等でチラホラと語って下さっていた内容とも、

この歌詞はしっかり被っているように思うし、

何はさておき、羽生ファンなら、この合唱曲を聞いて、

この曲につけられている歌詞を知っておくのは意味があることのように私は思うので、ご紹介しました。

 

 

 私がこのブログのタイトルに、「花になろうよ!」とつけたのは、

羽生選手が以前やったEX「花になれ」という曲に込めてくれた思いを受けて、あえてつけたのですが、

その後も「花は咲く」とか、色々な曲がありましたけど、

今シーズンの曲もショートもそうですけど、羽生選手はメッセージ性の高い曲を好んで選ぶ傾向があり、

好きな曲として聞かれた時に答えるものもすべて、歌詞にこだわっている傾向はずーっと一貫していたので、

きっとこれもそうなのではないかな…と 私は思っています。

 

そしてまた、これが「オリンピック」というか、「パラリンピック」で使われた曲であることや、

この曲がもともと、「Asian Dream Song」というタイトルで作られている曲だという点も、

実は深い意味があるのではないか… 意識して選んだのではないかしら?と、私にはそう感じられています。

 

障害があろうがなかろうが、どんな人であっても、夢をもって、

そしてどこの、どんな国の人であっても、「君だけの花を咲かせよう…!」

この曲で歌われている、そういう思いは、

これをパラリンピックに使い、Asian Dream Song と名付けた久石さんにも、

羽生選手にも、共通しているのでは、と私には思えますし、だからこその選曲ではないかな?と。

 

 

羽生選手は、アイスジュエルズNo.4で、このフリーのテーマについて、次のように語っていました。

 

「この曲に関しては最初から、自分の中でのテーマがしっかり決まっていました。

最初に考えていたテーマに合った曲を探したので、何を表現したいのかということは明確でした。」


「僕の中でテーマは明確に決まっていますが、言葉で概念化されていないというか、

具体的なものではなく抽象的な、どのようにもとれるものです。」

 

「この曲を選んでよかったと思うのは、僕には珍しく笑顔で滑れる曲だということです。

『天と地のレクイエム』もそうだけど、心から笑顔を出せる曲です。

僕はこれまで、真剣な顔をして苦しい表現をすることが多かったけど、今回は笑顔で滑れる部分がすごく好きです。

笑顔にはいろんな効用があります。

演技を観てくれる皆さんにも影響を与えるけれど、自分にも効果があります。

笑っただけでも心が豊かになります。 

自分をさらけ出して滑れるプログラムだなって。」

 

「皆さんにはいろいろな視点から見てほしいし、怪我をして滑れなかった期間が長かったので、

今、自分自身がスケートをやっていてすごく楽しいし、

スケートを滑っている感覚がものすごく感じられるプログラムです。」


以上、アイスジュエルズNo.4より

 

Ice Jewels(アイスジュエルズ)Vol.04~フィギュアスケート・氷上の宝石~羽生結弦インタビュー「進化の予兆」(KAZIムック)
舵社
舵社



羽生選手が、「自分をさらけ出して滑れる」と言っているだけあって、とても羽生選手らしい感じの演技ですし、

自然を表現している」とも言っているだけあって、とても「自然」な感じの演技になっていると思っています。

自然の何を表現しているのかについても、上の歌詞を見ると、より納得できる面がありますね。

 

ちなみに、この1998年は、長野五輪・長野パラリンピックの年だっただけでなく、

羽生選手が、スケートを始めた年なんですよね。

(羽生選手は、長野オリンピック後の、スケートブームの時に、お姉さんについて、スケート場に初めて行ったそうですね!)

 

そして、久石譲さんが作曲・宮崎駿さん監督の映画「もののけ姫」が公開された翌年でもあり、

この「もののけ姫」の中で、私にはすごく印象深く残っている言葉があります。

主人公アシタカが、恨みに駆られた山犬の少女サンとエボシが闘い、それを周囲の人々がはやし立てる場面に介入して、争いを食い止めるシーンがあるのですが、

その時、アシタカが(村の少女たちを守るために)受けてしまった腕の呪いが、その正体を現し、

その本当の姿を見たサンとエボシ、そして争いを見ていた民衆みんながギョッとして、我に返る場面があります。 

 

その時、アシタカが叫ぶ名セリフが、これです。

 

「そなたの中には夜叉(やしゃ)がいる! この娘の中にもだ。」

「みんな見ろ! これが身のうちに巣食う憎しみと恨みの姿だ。 

肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪いだ。

これ以上憎しみに身を委ねるな!」


この「夜叉」(やしゃ)は、英語版では「demons」(=悪霊)と訳されています。


その正体の姿は、憎しみと恨みであり、それこそが「肉を腐らせ、死を呼び寄せる呪い」だと、アシタカは明言しています。

そして、「これ以上憎しみに身を委ねるな!」 と叫ぶのです。

憎しみに身を委ねていくと、それはひたすら増幅していき、その行きつく先は、必ず死の呪いでしかないからです。


希望をもち、自分だけの花を咲かせる———その、正反対の方向へと誘う力なのです。


もう一つ、村の少女たちを守るために、代わりに呪いを受けてしまい、その呪いを解くために旅に出てきたアシタカが、

真理を知りたい思いから言うセリフがあります。

「曇りなき眼で見定め、決める。」

この時の英語は、次のように翻訳されています。

「To see with eyes unclouded by hate.」 

(= 憎しみによって曇らされていない目によって、(物事を)見るために。)


憎しみは真理を見る目を曇らせる、というのは、聖書が繰り返し語っていることでもあります。



 

「旅立ちの時」の歌詞の全文は、次のページで確認できます。→ クリックどうぞ

最後に、この歌の2番の歌詞を抜粋して、下に載せてみます。

 

「争いの日々を乗り越えて

青空に歌うとき

かけがえのない命の果てに

名もない花を咲かそう

今 地球(ここ)に生きる者よ」

 

「旅立ちの勇気を

虹色の彼方に語りかけるこの時

微笑みながら 振りむかずに

 

夢をつかむものたちよ

君だけの花を咲かせよう 

 

 

書きながら思ったのですが、結局、羽生選手の演技は、根底にあるものがとてもとても優しんだな…と、

私は改めて、そう気付きました。

 

 

羽生選手が、このフリーの演技に込めた思いや、その演技中の笑顔の奥にあるものが、

ファン層を超え、国籍を超え、人種を超え、あらゆる憎しみや障害を越えて、

届くべき人たちに届き、より多くの人に、良い形で伝わっていくといいなと… 

 

そう思い、

そうお祈りしています。

 

 

「わたしたちは知っているのです。

苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

希望は、わたしたちを欺く(あざむく)ことがありません。」

(ローマの信徒への手紙 5章3~5節  新約聖書 新共同訳より)

 

「悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」

(ローマの信徒への手紙 12章9~10節  新約聖書  新共同訳より)

 

「あなたがたを迫害する者のために、祝福を祈りなさい。

祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」

(ローマの信徒への手紙 12章14~15節  新約聖書 新共同訳より)

 

 


「情熱大陸」900回記念・ 羽生選手特集から見えてくる、変わらない素直さと率直さ

2016-04-12 | 羽生選手の素晴らしさ

 

「情熱大陸」の900回記念での、羽生選手の特集番組が放送されました。

タイトルはその名も、「誰も知らない絶対王者の素顔」。

→ http://www.dailymotion.com/video/x43g3yc_160410-%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85%E3%81%AE%E7%B4%A0%E9%A1%94_sport

 

いろいろな感想があるでしょうけれども、私の率直な感想としては、特に意外なものはなかった印象でした。(笑)

羽生選手は今までずっと、インタビューではいつも素直に率直に、自分を見つめて語ってきたし、

今まででも十分に、様々な側面を隠さずに見せて下さってきたので、

事前のコメントで語られていた通りに、「そのままの羽生選手を出している」ように私は思いましたし、その意味では好感度は高いです。

 

タイトルの「誰も知らない絶対王者の素顔」の「誰も知らない」は、ちょっと大げさな表現だと思いましたが、

左足首が3月の半ばの時点で既に激痛だった、ということが、ずっとトップシークレットにされていたそうですが、

ここできちんと公表されたのは、良かったですね。

本当は1月から既に痛み止めを使わなければならない状態だったこと等も報じるべきだったのではないかと思いましたけど…。

 

事前の宣伝で出てきた映像、「スケートは、本当に楽しいことですね。楽しくて、辛いこと。」と羽生選手が語っていた、

その「辛いこと」の中身には、やはり怪我のことも大きいのだな、とよくわかりました。

「でも、今ちゃんと歩けているので… ここまでやってこれたんで、有り難いです」と、ちょっとだけ辛そうにしながらも笑顔で語っていましたけど、歩けないほどの状態になっては本当に大変なので…

あまり軽視しないで、無理せず、どうか大事にしてほしいと思いました。

 

羽生選手は、世界選手権の放送が終わったら、これを公表しても良いのかと問われて、

「言わないかもなー。わかんない。言わないかもしれない…!」とこの映像の中では答えていますけど、

公表して下さって本当に良かったと私は思いました。 

 

 

「自分は強いですか」と聞かれて、「弱いです。めちゃくちゃ弱いです。」と迷わず即答して、その理由も自分ですらすらとカメラの前で述べられる羽生選手は、

今までも何度も何度も、そういう「自分の弱さ」をカメラの前でもさらけ出してきたと思うのです。

でも、普通の人はそこまでなかなかできないですね。 

だからこそ、私から見ると、すごく強い人だという結論に至るし、そこが羽生選手が普通の人以上に、「怖いものなし」になる部分なのではないかなと、思うのですが。(笑)

 

こういう羽生選手を見ていると、いつも思い出す聖書の言葉があります。

「 わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さのなかでこそ、十分に発揮されるのだ。」

注:わたし=神様のこと 

( コリントの信徒への手紙第二 12章9節  新約聖書: 新共同訳より)

 

今回、優勝したハビエル・フェルナンデス選手も、右のかかとに故障を抱えていた状態で、

直前は練習もままならない中、かなり直前までパニック気味だったことが報じられていました。

今シーズン、チャン選手がベスト演技をした時(スケートカナダ & 4大陸選手権)も、

直前にそのような「落ち込みすぎて、取り乱して大泣き」のようなエピソードが出てきて、

そういう回にむしろ、本人も想像できなかったような素晴らしい演技を成し遂げています。 

興味深いですね。

 

 

さて、事前の宣伝であった、「孤独」発言も、どういう流れで発言したのかな…?と思っていましたけど、今回の放送を見ると、試合前での集中の仕方について羽生選手は述べていて、

自分のベストパフォーマンスを出すためにも、「むしろ孤独にしてもらいたい」と、語っています。

 

いつの時代も、どこの世界でも、何かのトップを務めるということや、何かを究めるという作業は、ある意味孤独な作業だと思います。

 

どのような人が、そのような重責に耐えられ、役割を果たせるのかと言えば、

 

「主は(=神様は)世界中至るところを見渡され、ご自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。」 

(旧約聖書 歴代誌下 16章9節)

 

「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」

(新約聖書: ローマ信徒への手紙13章1節)

 

「(復活された)イエスは、近寄ってきて言われた。『 わたしは天と地の一切の権能を授かっている。』」 

(マタイによる福音書28章18節)

 

「キリストは全ての権威や支配の頭(かしら)です。」 ( 新約聖書: コロサイの信徒への手紙 2章10節)

 

神様は、使命を果たそうとしてご自分に従われる人を探して、惜しみない力を与えて下さるのだと、聖書は語っています。

 

クリケットクラブ内で語っている負けず嫌いな発言や、フェルナンデス選手へのライバル心をあえてカメラの前で見せるあたりは、

「特にしんどい時は、これを見て…」と、羽生選手は、そうやって思いながら、自分をかなり鼓舞していることを語っています。

最後に笑顔を見せているのですが、この笑顔まで映すのか、それともその笑顔の直前で映像を切り上げたり、映像をなしにして、強気な言葉だけを取り上げて報道してしまうかで、

こういう内容は、意味が全く変わって見えたり、視聴者に与える印象も大きく変わってしまう可能性があるなと感じました。

 

印象的で、特に羽生選手らしいな、と思った言葉は、つらい時の乗り越え方についてです。

「あーもう、乗り越えようとしないです。辛いものは辛い、もう認めちゃう。

辛いからやりたくないんだったら、やめればいいし… それでいいと僕は思っています。」

 

こう言える羽生選手は、やっぱり強いよな…と思えますね…

ときどき、弓のようにしなることはあっても… またその勢いで、戻ってくるように思えますね。(笑)

 

頑張りすぎて燃え尽きてしまう人は、多分この「やめる」「緩める」「休む」「自分を許す」「泣く」のタイミングを間違えたり、

それができなくなったりするからこそでもありますが…

羽生選手みたいに考えられると、逆にうまく乗り越えていけるのかも知れません。

 

もし、世界選手権で優勝して金メダルを取っていたら、放送された内容は、また少し変わっていたのかな…と思うと、

羽生選手は銀メダルに終わって、本当はとても悔しかっただろうけれども、

結果的には、こういう内容が放送されることになって、良かったのではないかと、私は思いました。

 

今回の世界選手権のことで、「宇宙人じゃなくて、やはり人間だったのか」なんて、当たり前のことを言われてしまうほど、

一部の人から、超人的に見られていた羽生選手。

 

最近のアメリカの大統領選挙で、有名な候補者の一人が、「地球にやってきている宇宙人について、真相を解明して公表します」

なんて真面目に言い出すような不穏な社会情勢の昨今ですから、

「人間認定」されたのは、羽生選手の今後にとって、絶対にラッキーだったでしょうね!(笑)

 

2010年に、どのくらい負けず嫌いなのかと聞かれ、「基本的に全部、全部です。全部負けたくない。」と、

何のためらいもなく、飾らずに堂々と語った15歳の少年は、

全日本選手権で惜しくも4位になり、表彰台を逃したとき、どうしたかと言えば、

笑顔で、正直に「悔しいです」と語り、自分がまだまだであると率直に認め、

むしろそれをもの凄く嬉しそうにしながら、インタビューに素直に受け答えしていました。

 

そんな羽生選手を見て「本物だ」と思った私は、とても感動して、今日にあるような羽生選手の未来を思い、

本当にワクワクしていたのを、よく覚えています。

 

番組の最後で、

「ハッキリ言って、僕はもうこのままじゃ絶対に終わらないし、もう本当に次の目標に向けて、

自分の、結果どうのこうのじゃなくて、自分の理想、自分がしたいこと、

自分のスケートをもっと高めたいな、と思っています。

全部スケートに活かしちゃって、もう、スケートと自分の生活っていうのは、

やっぱり割り切れないけれども、割り切らなければならないところもあると思うので、

そのメリハリをつけて、自分の中でも、そのスケートというものを心から楽しめたらな、と思っています。」

と語ってくれた羽生選手。

 

羽生選手が幸せな気持ちで滑ると、それがこちらにも伝わるし、

心から楽しんで滑ったら、それもまたこちらに伝わります!

だからぜひ、本当に幸せな気持ちで、大いに楽しんで滑ってもらえたら、と思います!

 

そのお名前の通り、時には弦のように大きくしなりながらも、どうか無理なく、楽しく、

未知なる大空へ、また自分の理想や目標に向けて、また一歩ずつ、飛躍していってほしいです!

 

良いシーズンオフが過ごせますように…!

お怪我が、速やかに、出来るだけ完全に癒されていきますように。