2月17日 羽生選手の平昌五輪金メダルと宇野選手の銀メダルを記念して再UP
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初掲載10月20日
今回のグランプリシリーズ・ロシア大会(ロステレコム杯)は、
会場はモスクワです。
ロシアのモスクワは、2011年の世界選手権が行われた場所でもあり、2011年というのは、ご存知、あの、東日本大震災が起こった年です。
あの大震災は 3月11日でしたから、3月末に行われる世界選手権は、日本では開催されず、結局ロシアのモスクワで、遅れて開催されました。
その時の、開会式での、ロシアのプーチン大統領の挨拶が、こちらです。
ちょっと信じられないような(笑)穏やかな表情で、日本への温かい思い、そして「痛みを知る」内容の挨拶となっています。(原稿を書いた人が誰かは知りませんが。)
以下、一部抜粋です。
「この大会は日本で行われるはずでしたが、もうご存知の通り、日本は未曽有の災害に見舞われました。地震、津波、そして原子力施設の事故です。
原子力施設での事故というのがいかに凄いものであるか、ここロシアのわれわれほど知っている人はいません。
日本の国民、政府はこの険しい道のりを勇敢に進んで全ての問題を解決してくれると信じています。
日本では残念ながら大会を開催することは出来ませんから この大会を行うためにモスクワは名乗りをあげました。 (以下略)」
太字と下線を引いたところは、世界で最初の、原子力発電所の大事故となり、計り知れないほどの大被害をもたらした、チェルノブイリの原発事故のことです。1986年でした。
そして、ロシアのサンクトペテルブルグで、115年前の1896年に、最初のフィギュアスケート選手権が行われたということが、説明されています。
こちらは、開会式での、「日本へ捧げる詩」つきの、演技の動画です。
4分25秒から、「日本へ捧げる詩」というのが読まれ、日本語で字幕翻訳がついています。
「地球が痛みでうめき声をあげた
自然の強さに全世界がショックを受けた
あらゆるものを水は深海に流した
しかし、何があっても太陽は東から昇る
自然の暴力は光に勝てない
われわれの神様が地球のあらゆる生命(”SEIMEI”=Life,Lives)を守ってくれますように」
※上の5行目の、「自然の暴力は光に勝てない」という言葉は、(聖書から解釈すると)
「(悪魔の支配下にある時の)自然による暴力さえも、神の力には勝てない」という意味と同義です。
聖書は、「この世」は現在、基本的には「悪魔の支配下」にあるのだ、としています。
しかし、さらにその外側を、つまり「物質界も霊界も含めた」全てを、天地創造主でもある神様が支配しておられ、悪魔と悪霊どもは、これに決して勝てません。
悪魔と悪霊たちも「一部の地域」や「部分的には」、自然界を使って色々な災いを起こせるけれども、そこに、全てを支配されている本物の神様が本当に介入なさると、それはひとたまりもないほど、力関係は明確だとしています。
真の神様を拒否し、悪魔に従う意思を持つ者は、神の介入は得られずに悪魔の支配下に留まることになりますが、神に従う決意をした者は、基本、悪魔や悪霊よりもはるかに強大な力をお持ちの、神様の特別な支配下・保護下に入る、というのが、聖書のメッセージです。
イエス=キリストは、ただ言葉だけによって、自然の色々な現象をも簡単に支配・制御されたことが、記録されています。
参考聖書箇所:
『イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。
イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。
弟子たちは恐れ驚いて、「いったいこの方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。』
(ルカによる福音書 22章25節 新約聖書 新共同訳より)
※参考: 羽生選手は、当時、歴代最高得点となった、2015年のグランプリ・ファイナルの「SEIMEI」の後に、この当時、「”自分対自然”、で、自分をしっかりもって」演技した、という風にインタビューで語っていました。
振付師のシェイリーンさんは、「闇に覆われたリンクを、滑るたびに光が満たしていくイメージで」演技するように、と羽生選手に指導した、と当時のインタビューで答えています。
8分15秒から、再び、「日本へ捧げる詩」というのの続きが出ます。
「桜が公園に咲き乱れますように
白樺が沢山の芽を開かせますように
鳥が春の歌を唄えますように
旗が勝利の祝いで揚げられますように」
そして最後、9分15秒過ぎから、日本へのメッセージが出ます。
「世界は日本国民を助け、サポートするために一つになっています。
団結を表すために。
みなさま、震災で犠牲となられた日本の方々を追悼するために、1分間の黙祷を行います。」
なぜか今年、プルシェンコさんが、日本のアイスショーで「日本のための祈り」の演技をしてくださいましたけど、そのお気持ちと、導きとは、本当に有難いことです。
私はこの年、2011年の世界選手権だけは、テレビでリアルタイムで見ることが出来ませんでした。当時は全くそれどころではなかったので…
まだまだ大混乱の最中にあった日本では、知らなかった人たちも多いだろうと思いますので、ご紹介してみました。
2011年に、世界中から祈られていた日本。
その日々の中で、スケートへの思いを新たにした羽生選手。
3年後に、ロシアで行われたソチ五輪で、有難いことに、金メダルを受け取ることが出来ました。
それによって勇気や励ましをもらった日本人は、沢山いたと思います。
これは、スケート界はもちろん、この世の全てを支配しておられる神様に、「感謝すべきこと」でこそあれ、日本が「高慢に」なるために、
あるいは他国や他民族や、他人種を見下すような「勘違いをするために」与えられた出来事であるはずがありません。
※ 聖書によれば、「悪魔」の本質は「高慢」なのであり、この「高慢」こそを神様(天地創造主の神様)は一番嫌われるのです。
その「高慢」の正反対の「謙遜」「謙虚」というのは、「謙虚な振り」「口先の謙遜」ではなく、心から神様の前に謙る(へりくだる)心や魂の状態のことを言います。これは、自分を卑下することとも、また違います。
また、「神という名がつくものを信じて拝むなら何でも良いよ」と誘い込んで霊的なものを何でも拝ませるのは、真の神の御前において大きな罪であり、典型的な悪魔の罠(悪魔が自分を拝ませることに通じていくもの)であることは、聖書を読めば明らかに解るようになっています。
(※ 実在するそのような組織も、本当の悪魔崇拝の支配下にあります。)
さて、そんな日本は、そして日本人は、(今も別の意味で大変な状況にありますが)
今度は世界に向けて、何を返していくことが出来るのでしょうか…?!
日本から、そして日本のスケート界から世界に伝わっていくもの、広がっていくものが、
憎しみでも恨みでも、間違った優越感でも、間違った情報でも、勘違いな高慢でも、
自己中心でも、不正でも腹黒さでも、無責任さでも、嘘偽りでも、
選手の人気に乗じたチケットの高額転売を通じて闇に流れ込む大量のお金でもないことを、
心から願い、お祈りいたします…!
明るい気持ちで、頑張れ、日本選手たち!(笑)
神様のご計画に基づく祝福が、日本の上に、そして、ここをご覧の お一人お一人の上にありますように…!
希望に満ちた「花」が、一つでも多く、沢山咲き広がりますように。
「起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。
見よ、闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。」
(イザヤ書 60章1~2節 旧約聖書 新共同訳より)
イエスは再び言われた。
「わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光をもつ。」
(ヨハネによる福音書 8章12節 新約聖書 新共同訳より)
「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。」
(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 7章13,14節 新共同訳より)
「偽預言者を警戒しなさい。
彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。」
(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 7章15,16節 新共同訳より)
「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。
岩(Rock)を土台としていたからである。
わたしの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲い掛かると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 7章24~27節 新共同訳より)
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
なぜなら、神について知り得る事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
従って、彼らには弁解の余地がありません。
なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り換えたのです。」
(ローマの信徒への手紙1章18~22節 新約聖書 新共同訳より )