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羽生選手と大震災その4 ~心の痛みを伴う様々な別れ・「天国での再会」、「天に輝く星」と、残された命・人生を全うして生きること~

2021-03-14 | 羽生選手と大震災関連

3月14日: 先月13日の大地震から、ちょうど1か月が経過しました。今日まで、大きな人的被害なく来られたことを、心より天地創造主たる神様に感謝いたします!今も苦難の中におられる方々に、必要なものが与えられますよう、主イエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

こちらは、羽生選手と「花は咲く」でコラボした、指田フミヤさんの最新の「花は咲く」弾き語り動画です。(クリックどうぞ)

2021年3月11日 :  岩手県が、3.11を「大切な人を想う日」にしようと、素敵な提案をしています。こちら公式サイト(クリック) このページに載せてある歌と、想いはとても似ているけど、「最後だとわかっていたなら」というタイトルの、とても素晴らしい詩が載っているので、ぜひ多くの方に読んでいただければ。

 明日があることも、平和というものも、決して当たり前なことではということを常に覚えて、今、生かされていることを感謝していたいものですね! 「共に、前へ」羽生結弦展仙台会場と、「震災と未来展」が東京・お台場の未来科学館で開催中です。どちらも意味のあるものとなっていますので、機会のある方は是非どうぞ。 

東日本大震災の起きた2011年から、今月でちょうど10年です。

ANAトラベラーズ・オンラインツアー!機内食の工場見学と総料理長が生出演で好評の機内食の秘密を!(ANAは羽生選手を支えてきたスポンサーです。)
  

13日には久しぶりに大地震がありましたが、それから2週間以上が過ぎましたが、大地震級の余震はなかったことは感謝です。人的被害は少なかったようで、何よりです。被害にあわれました皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に、必要が速やかに満たされますよう、お祈り申し上げます。津波もなかったですし、感謝です。少しでも不安なく過ごせる方が増えますよう、心配より備えと希望を、日本の未来と安全が守られますよう、そして羽生選手と皆様の心に、少しでも希望の光と勇気が灯りますよう、心より主イエス・キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

2021年2月14日: 羽生選手が初めてソチ五輪で金メダルを獲得した日から、丸7年が経ちました。 来月で、東日本大震災から、丸10年が経ちます。

2018年8月に初掲載し、2019年の3月と8月、2020年にも再UPさせましたが、2021年の今年も、再UPします。

明日が来るのは、決して当たり前なことではない。

でも、今ここを読んで下さっているあなたにはまだ、「今日」という日が与えられています…! 

今日という日が、祝福の始まりとなりますことを祈り、このページを再UPします!

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多くの人の人生を変え、多くの人の命日ともなった、3.11に、祈りを込めて

 

一人でも多くの方々が前を向いて立ち上がれますように。

天を仰いでいるご自分の白鳥(2010年~11年シーズンのショート)の演技の写真に、

「共に、前へ」という言葉を添えたラインスタンプを作った

羽生結弦選手の想いと共に。

 

*LINEの「羽生結弦 3.11 SMILEスタンプ]の売り上げは全額寄付されました。

 

以下、

初掲載・2018年8月30日

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様々な天災・大災害、怪しげなウイルスの騒動までもが続いている昨今ですが、

聖書の預言(注:「予言」とは全く違います)は、その大半が既に歴史を通して今日までに成就してきましたが、まだ少し、残っているものがあります。それらによれば、今後、世界に災害は増えこそすれ、減ることはないだろう、ということが十分に想像できます。

現代に生きる私たちは、何を信じ、何に従って生きるのか、その生き方を強く問われている、そんな時代に生かされている と思います。

 

 

今日ご紹介するのは、Sidewalk Prophets というグループが歌う、

「This Is Not Goodbye」という曲です。

 

「これは『さよなら』なんかじゃない」

 

という意味のタイトルです。

 

この曲は、身内や大事な人を失ったり、遺された家族や友人、恋人などが、

人生を立ち止まったまま悲しみに暮れているだけで動けずにいる場合や、

生きていても様々な事情で遠くに離れて、あるいは別れて暮らさざるを得ない、大事な人がいる人たちに、大きな励ましを与えてきた素敵な歌です。

 

 

 

英語の歌詞なので、以下、管理人翻訳で、日本語をつけておきます。

 

君の目を見れば、全然休めていないとわかる

どうやら君が 行くべき時が来たようだ

君を行かせるのは、とてもつらいけど、

でもこの人生で君は 「本来の君」になるべきだと、僕にはわかってる

 

君が 道を歩み出す時 僕は必ず祈っているよ

そうすれば、僕の心の中には、いつも君がいる

これは「さよなら」なんかじゃない

僕たちは また会えると知っている

だから、君の人生をまた歩み始めてほしい

だって これは「さよなら」なんかじゃない

いつも君の胸に刻んでいてほしい 「愛してるよ」なのだから…  

 

(※ 「行ってきます」ではなく、「愛してるよ」と言って別れたり、家を出て、会社や学校などに行く習慣が欧米にはあります  

いついきなりこの世の人生が終わり、最後の言葉となっても後悔しない挨拶であると同時に、少しの間離れるだけで、また再会できるという希望を強くもっている言葉です )

 

魂に動揺があって 君は 迷いを残した

踏みとどまるべきか それとも 方向転換するべきか

だけど どうか覚えておいてほしい

君のその夢には約束があるのだと

君は 世界を変えるために 神様に創られ、生まれてきた

だから今 恐れで立ち止まったりしないで

だって これは「さよなら」なんかじゃない

僕たちは また会えると知っている 

 

だから 君の人生をまた歩み始めてほしい

だって これは「さよなら」なんかじゃない 

いつも覚えておいてほしい 「愛してるよ」なのだから

君がまた 我が家に帰ってきて  僕たちが再会するその日まで 

ずっと胸に刻み続けてほしい 「愛してるよ」なのだから

 

僕は 空で一番輝いている星が

僕らが経験したことのある どんな愛よりも 

もっと深く(僕たちを)愛してくれる「そのお方」(=天地創造主たる神様)によって創られたのだと知っている

それは 君がさ迷い、自分を見失ったときに 

君を導くためにあるんだよ

 

静かで 小さな声として始まったその声は (※=聖霊の神による導きの声)

今ではとても大きくなって 

君がたった一つ、選択すべきことは、

本来の君を知る その声に従うことさ

そして 本当の君になっていくんだ

 

だって これは「さよなら」なんかじゃない

僕たちは また会えると知っている

ああそうさ これは「さよなら」なんかじゃない

僕たちは また会えると知っている 

だから 君の人生をまた歩み始めてほしい

だって これは「さよなら」なんかじゃなくて  

いつも覚えておいてほしい 「愛してるよ」なのだから

 

君がまた 我が家に帰ってくる その日まで 

いつも覚えておいてほしい 「愛してるよ」 なのだから

君がまた 我が家に帰ってくる その日まで… 

 

 

 

※ 死に別れた2人の場合、 ここでいうHome=「我が家」「故郷」は、「天国」のことを指します

先に「Home」(ホーム)に帰っていった「僕(私)」が、立ち直れずにいる「君」に向けて

この別れは、「さよなら」じゃなくて、ただ「愛してるよ」なだけだと伝えています。

(=一時的な別れの挨拶に過ぎない、または、必ず将来に天国で会える という意味)

 

天国という「神様の待つHome」に 「君」が帰ってくるその日まで、

「愛してるよ」の言葉を胸に、しっかりと与えられた人生と使命を全うして生きるようにと、

「私」を失った悲しみで 立ち止まったままの「君」へ、

新しい人生をまた歩み始めてほしい、と、あるいは、本来の生活に戻れるようにと、愛をもって、励まし伝えている歌です

 

この歌を、「死に別れ」としてではなく、お互いに生きているけど、

遠距離や長い期間の別れになるような2人のケースとして受け取る場合では、 

ここでいう「home」は本当の「我が家」や「故郷」の意味にもなりますし、

今はお互いに生きているけど、いつか必ず帰るべき(行くべき)場所としての 天国という本当の故郷「Home」の意味にも、 

どちらとも とれるようになっています。

 

愛する人や大事な家族が先に天国に行ってしまって、悲しみや寂しさからなかなか立ち直れずに、自分の人生の時が止まったままの人や、 

自分の大事な家族の誰かが、軍隊のように生死のリスクを抱えて遠い地へ行っている人たち、

あるいは、生きていても何らかの理由で互いに遠距離になる、辛くて長い別れがある時に、

この歌を支えにしている、という方々が大勢いらっしゃる、そんな歌です。

 

 

いずれにしても、たとえ深い悲しみに暮れるほどに 辛い別れがあったとしても、

神様によって創られた、その人に与えられた、本来の生きる目的・使命に従った生き方で生きることを奨励し、

深い悲しみを伴う「一時的な別れ」を、乗り越えていけるよう、

励ましている 愛の歌です。

 

 

 

 ※ 歌い手の立場(メッセージを送っている側)は、この歌詞では男性に限りません。 しかし、歌い手が男性なので今回は「僕」と訳しましたが、「私」でも同じです。

 

最後、こちらは、公式動画です。

 

 

 

御国が来ますように。
御心が天で行われるように地でも行われますように。
(マタイによる福音書6章10節     新訳聖書  新共同訳より)
 
 
 
 
 

大震災関連その3 ~大災害に備えた知恵と教訓の成功例・日野原重明氏の対応と羽生結弦選手の行動力に見える「愛」

2017-08-14 | 羽生選手と大震災関連

 

幻冬舎から、「日野原重明さんが最後に伝えたかったこと」という連載記事が出ていまして、幻冬舎が昨年末からインタビューされていた内容が連載されています。 日野原さんは、これを最後の使命とお考えだったようです。

その中で、最新の記事 第五回:「医学とはサイエンスの上に成り立っているアート(芸術)」で、フィギュアスケートにも、あらゆることにも通じることが語られています。   

日野原さんの生き方をさらに変えたという、よど号ハイジャック事件の人質になった時の、当時の状況などを興味深く証言して下さっている、第3回:よど号で読んだ「カラマーゾフの兄弟」 という記事 

第1回:死は恐れるべきものではない、と語られた記事、同じく死について語られている第2回など、なかなか素晴らしい内容が連載されているので、参考までに、ここにリンクさせて頂きます。

 

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羽生選手は、自叙伝「蒼い炎Ⅱ」の最後に、こんなことを書いていました。

 

「人が思いを伝えようとする時には、インターネットだったり電話や手紙など、何か道具が必要です。

例えば僕という人間を道具として、僕という人間を通して、皆さんが自分の気持ちを伝えるきっかけになればいいいな、と。

僕というネットワークを使って、いろいろな気持ちを発信してほしいと思っています。」

 

「(略)… 震災に対する思いというものを、少しでも寄せて頂けて、少しでも増えていけば、

被災地、ひいては日本という国にとっていいものになっていくと思うんです。

そういうものが一つずつ集まって、素晴らしい光になってもらえたらなと思っています」

 

 

蒼い炎II-飛翔編-
羽生 結弦
扶桑社

 (この「蒼い炎」シリーズ(IとⅡ)は、羽生選手が得られる印税収入の全てを、羽生選手自らが育ち、被災したホームリンクである「アイスリンク仙台」に寄付しています。)

 

 

いわゆる「大災害」に備え、それが見事に成功した例があります。

 

羽生選手が生まれて間もない、1995年の3月20日に起きた、日本中を驚かせた無差別テロ事件「地下鉄サリン事件」で、

多数の緊急患者を救った「聖路加国際病院」と、当時そこの理事長だった日野原重明さんです。

 

日野原さんは、医師として東京大空襲の被災者の治療に当たったことや、

よど号ハイジャック事件に巻き込まれて人質になったことがあることも有名ですが、私にとって印象深いのはやはり、

地下鉄サリン事件の時の英断と、その直前に行っていた先見の明、そして行動力と実行力の凄さです。

これについては、過去にも色々と特集番組が組まれて報道されてきました。 

このページに、当時報道された、事件の経緯と病院側の対応の詳細が載っていますので、当時の特集番組などを見逃した方は、参考までにどうぞクリック。

 

日本で一番有名な医師とまで呼ばれ、医学界にも社会にも多大な影響を与えた、日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長)は、今月の18日に105歳で天に召されました。

多くの医師や看護師だけでなく、広く社会からも尊敬を集めた日野原さんは、パワフルな高齢者だったというだけでなく、ご自身の身に起きた数多くの大変な経験から得た教訓を生かし、実行された方でもあり、大災害対策という視点でも、悲惨な体験下を生き抜くという視点でも、模範や成功例を残されました。

 

サンスポ・小澤征爾さんコメント

「細かいところまで人の命を大事に考えた方でした」

「生きている喜びを死ぬまで味わう、そういった姿勢を持っていました。音楽に対する愛情、尊敬も強い方でした。素晴らしい人柄でした」と追悼。

こちらの朝日の記事だと、「高齢社会のスーパースター」と呼ばれていたそうです。(なかなか良い内容が載っています)

 

 

日野原重明さんは、お父様と弟さんが牧師という、牧師家庭に生まれ育った、生粋のクリスチャンでした。 (ジョン・ウェスレーの流れである、メソジスト派(プロテスタント系))

 

日野原さんは、子供時代、母親の命を救ってくれた医師を見て、医者になることを決意したそうです。

京都帝国大学医学部(現・京大医学部)に現役で入りますが、入った途端に結核になり、自分が結核患者として入院し続ける苦しい1年を過ごします。

医師としては完全に出遅れて、教授になるという夢を諦めた日野原さんでしたが、

その経験から、逆に「患者の立場として痛みを知る」こととなり、

それが後の、彼の医師としての姿勢や仕事に、非常に大きな影響を与えたそうです。

 

だから、患者となって入院していた、その辛く悲しい期間は、後から振り返ってみれば、むしろ大きな恵みだった」と仰っていました。

 

日野原さんが勤務し続けた「聖路加国際病院」とは、「せいろか」と読むのではなく、正式には、「聖ルカ 国際病院」と読むのが正しい読み方です。   

(注:「聖ルカ」とは、一体誰なのかと言うと、イエス=キリストの弟子だった一人で、医者でした。

新約聖書の「ルカの福音書」を、聖霊に満たされながら神様に書かされた、とても有名な人物です。 )

 

 

羽生選手はまだ生後3か月の赤ちゃんだったはずの1995年の3月に起きたこの事件ですが、

東京・築地の路上には、地下鉄の階段を上がってきて、謎の症状で路上に倒れ込む大勢の人で埋め尽くされた衝撃的で異様な光景を、

決して忘れていない人は多いことでしょう。

 

カルト教団「オウム真理教」が、このテロ事件である「地下鉄サリン事件」を起こしたあの時、

他の東京の多くの病院が、病床の空きがないことを理由に、原因不明の緊急患者の受け入れを断った中、

日野原さんは聖路加国際病院の理事長として、猛毒「サリン」による、前代未聞の数千人の被害者の大半を、一気に受け入れ、助けることを決断し、そして実行しました。

 

それが出来たのは、

その昔、戦時下で救助に当たった時、病院に入れることができずに亡くなった人々が多数いたのを目の当たりにし、

大惨事に耐えうる病院を作ることを決意していたそうで、

当初は批判されたそうですが、酸素の配管を病院中に張り巡らせ、大きなロビーや礼拝堂をも備えた病院建設を推し進め、1994年には完成させていたことから、この緊急対応が出来たというのです。

 

大きなロビーや礼拝堂を設計し、そこにまで酸素の配管を巡らせて備えさせた理由は、

いざとなった時に、多数出るであろう緊急患者を出来るだけ受け入れ可能となるように、ロビーや礼拝堂までもを、緊急の病室として転用できるようにするためであり、

基本的には東京で起こるかもしれない大地震や大災害を想定して、大勢が死傷する可能性に備え、それに対処できるようにするためだった」と言います。

 

その翌年、まさにその東京で、「大震災」ではなく、まさかの地下鉄サリン事件という「大・人災」が起きました。

 

でもこの準備のおかげで、結果的に、大勢の患者を受け入れ、救うことができました。

 

あの凄惨な事件の被害の広がりを、最小限に抑えられたのは、

当時、全力で救助に当たった関係者、全ての方々のおかげでもありますが、

この日野原さんの決断と、教訓を生かした知恵、そして彼の信念によるところは大きかっただろうと言われています。

 

一方で、大地震やそれに伴う被害、津波による浸水、爆発までもが想定され、何度も指摘されていながら、

むしろ対応を怠って、被害を拡大させたのが、東日本大震災直後の、福島の原発爆発事故です。

 

他国と比べても、水に恵まれ、豊かだった日本ですが、人間にとって必需品でもある貴重な「水」を大量に汚染していくという、

せっかくの恵みを自ら失っていくような、非常に罪深い、悲しい結果を招きました。

 

 

日野原さんの対応は、災害を想定して対応していた結果、予想もしなかった究極の人災の被害を、最小限に食い止める働きとなりましたが、

福島の原発事故は、内部関係者の数多くの指摘があったにも関わらず、災害の想定を無視した対応の結果、究極の人災までもを引き起こし、被害を拡大させた結果となりました。 

 

 

聖書には、「終末が近づいてきた世」に対して、次第に災害が増え、頻度も程度も増していくことが何か所にもわたって預言されていますが、

そのうちの一つは、次のように書かれています。 

 

以下は、イエス=キリストの弟子たちが、「あなたが(再び)来られて、世の終わる時には、どのような前兆があるのか。」と尋ねた時に、イエス=キリストが答えた言葉です。


「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 戦争の騒ぎや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

しかし、これらは全て産みの苦しみの始まりである。

(※ 人災も含めて、世界で起こる災害の度合いは、産みの苦しみ(=陣痛)のように、次第次第に激しさと程度を増していく、ということ。)

(中略)

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。 

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

(中略)

そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。 

(中略)

そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。

偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、出来れば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。

(※ 注意: この「大きなしるしや不思議な業」とは、まるで「神の力」であるかのように見せかけますが、決して本当の神の力による奇跡ではなく、現代にも実在の本物の「悪魔の力」(=魔術、魔法)による惑わしの業による、ということです。)


あなたがたには前もって言っておく。

だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』 と言っても、行ってはならない。 

また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。

稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子(=人となった来られた神の子、の意味、イエス・キリストのこと)も来るからである。


(イエス=キリストの言葉

マタイによる福音書 24章4節~13節、 21節~28節  新約聖書 新共同訳より)

 

 

終末の世が近づくと、偽メシアや偽預言者たちが、この「悪魔の力」=魔の力(魔術・魔法・呪い・洗脳等)を使って、

まるで神の力であるかのように見せて、多くの人を惑わしていき、それに従っていってしまう人々が出る、と、

イエス=キリストは、約2000年前に警告していたのです。 

 

聖書で、最も強く繰り返し警告されているのは、多発していくことが明言されている「大災害」だけでなく、

世界中を惑わしにかかると言われる、「偽メシア」(=偽・救世主のこと、偽メサイア、反キリスト、獣、666などとも表現される)の登場と、彼らによる人々の奴隷化、悪魔的な世界支配があります。

 

現代は、「自称メシア」や、自分こそがキリストの再来だなどと吹聴する新興宗教の教祖や、それっぽく匂わせる政治家など、世界中を見れば、既に何人も出ています。

(地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」の教祖・麻原も、広く見れば、その一つに入るかもしれません。)

 

でもまだ、聖書で最も警告されている人物ーーーー世界中の、「イエスが本物のメシア(救世主)だと信じていない人たち」や、聖書の預言の詳細を知らない人たちが、簡単に騙され、従ってしまうほどのカリスマ的人物ーーーーは、「表向きでは」登場していないですが、

いつの日か必ず現れると、聖書は明確に預言しているのです。

 

このカリスマ人物は、表向きはとても良く見えるはずで、世界統一政府、世界統一経済を推進し、世界の宗教を「みな同じ」などと言って、神と呼ばれている全てをごちゃごちゃにして、統一化しようと推し進める、と預言されています。(=これはつまり、神のような振りをした「悪魔」をも神として認め崇めろ、ということになっていくのです。 気が付けば悪魔そのものや、悪魔的なものをも拝んでいくことになります。)

恐らく、表向きはキリスト教徒を装って登場する可能性が高いだろうと言われています。 

(豹変して自分が神だなどと名乗り出し、正体を現すのは、最後の最後になるため。) 

正しい判別の基準を知らないと、簡単に騙されてしまいます。

聖書の預言によれば、この反キリストと呼ばれる人物(=世界の終わりの頃に、独裁者になる者)は、現代における「復活ローマ帝国」と呼ぶにふさわしい場所から、終末の世に 登場することになっています。 

 

 

聖書にこのような未来の預言があることと、私たちは今、そういう時代を生きていること、そういう時代に向かっていること、を知っておくことは、とても重要です。  (実は、聖書を信じていない人ほど、より重要になっていくのですが。)

 


わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は(=天地創造主の神は)言われる。

それは平和の計画であって、災いの計画ではない。 将来と希望を与えるものである。

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。

わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うだろう、と主は言われる。」

 (エレミヤ書 29章11~14節   旧約聖書 新共同訳より)


※ これらは、プリンスさんが歌っていた、羽生選手の演技「レッツゴー・クレイジー!」の歌詞の本質部分でもあります。

 


さて、聖書の中にある、終末の時代に次々起こるとされる、前代未聞レベルの大災害の連続に関する預言箇所も、現代を生き抜くうえで、大いに参考になりますが、その時代を生き抜くうえでも、特に重要になる聖書箇所があります。


日野原さんが、この地下鉄サリン事件の時に下した決断や、その直前に行っていた事前準備、晩年に至るまで、多くの人に影響を与えた数多くの行動を想うとき、

まさに、日野原さんは、次の聖書の言葉をとても重んじて実践されていたのだな、と良くわかるのです。


とても有名で、マザーテレサを始め、世界中の多くの人に影響を与えた言葉でもあり、

また、羽生選手の使った「レッツゴー・クレイジー!」が歌っている世界観の重要な根拠ともなっている聖書箇所です。

 

「人の子(イエス=キリストのこと)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来る時、その栄光の座に着く。

そして、全ての国の民がその前に集められると、羊飼い(イエス=キリストの象徴)が羊(ひつじ)と山羊(やぎ)を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。

『さあ、わたしの父(=天地創造主の神)に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国(=神の国、または天国)を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。

『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て食べ物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。

いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は答える。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

( マタイによる福音書 25章31~40節  新約聖書  新共同訳より )

 

 

ここで言う「王」とは、神様(イエス=キリスト)のことです。

「羊(ひつじ)」というのは、「イエス=キリストに従う人々の群れの象徴」のことです。

「山羊(やぎ)」というのは、羊に外見は似ているけど、実態は違う「ニセモノ」の象徴として表現され、対比されています。

これは、(本物の動物のヤギの話ではなく)「羊のように見せかけているけれども、実は違う人々の象徴」のことで、この「羊と分類された行動と正反対の行動をとった人たちのこと」は、「山羊(やぎ)」と表現され、そのように分類される人々は、この聖書箇所の続きで、なんと王から地獄行きが宣告されています。

これは、羽生選手の演技「レッツゴー・クレイジー!」で歌われていた歌詞の中でも、多くの人が疑問に思ったであろう、

「パープル・バナナ(※ 救世主イエス=キリストのことです)を求めろ! トラックの積荷として連れていかれる前に」

と歌われていた部分に該当します。

 

 




 


大震災関連・その2~「それはデマか真実か」大災害時の危機管理、真実を伝えていく重要さ~

2017-01-18 | 羽生選手と大震災関連

 

羽生選手は、「蒼い炎Ⅱ」の最後に、こんなことを書いていました。

 

「人が思いを伝えようとする時には、インターネットだったり電話や手紙など、何か道具が必要です。

例えば僕という人間を道具として、僕という人間を通して、皆さんが自分の気持ちを伝えるきっかけになればいいいな、と。

僕というネットワークを使って、いろいろな気持ちを発信してほしいと思っています。」

 

「(略)… 震災に対する思いというものを、少しでも寄せて頂けて、少しでも増えていけば、

被災地、ひいては日本という国にとっていいものになっていくと思うんです。

そういうものが一つずつ集まって、素晴らしい光になってもらえたらなと思っています」

 

このお言葉に甘えさせてもらい、「大震災関連その2」として、このページを書いてみます。

 

22年前の阪神大震災のことを思う時、私には今でも忘れられないことが幾つかあるのですが、

 

そのうちの一つであり、これから書くことは、

一部タブーだとされてきたりして、伝えることを躊躇し悩む人も多く、本当のことを知っている人はあまり多くはないだろうと思います。

しかし、最近では災害のたびに、危機感をもった真剣な人々によって、少しずつ語られるのを見ることができるようになり、ちょっとずつ知られてきているようにも思うし、

今後も大災害が何度も起こり得る日本では、実際起きること、起きたことを、きちんと「知っておくこと」はとても重要だと思うので、

当時の証言として、書いてみたいと思います。

 

22年前の阪神大震災の時。

現地の様子に心をとても痛めた友人の一人に誘われ、私はその時、ボランティアに行くことにしたのです。

 

 

ところが、私はその直前に、どうしても自分の都合では絶対に変えられない、緊急の用事が入ってしまい、

その回のボランティアに行くことを、土壇場でキャンセルしなければならなくなりました。

 

彼女は、「それは仕方がないよ」と、事情に深い理解を示してくれて、

「次回、また一緒に行こうね」と話して、他のボランティア志願者たちと一緒に、被災地に向かいました。

 

帰ってきた彼女と話した私は、彼女の声がとても沈んでいて、明らかに様子がおかしいことに気が付きました。

「どうだった? 次回は私も一緒に行けるよ。」と告げた私に、彼女は一言、

「○○(←私の名)は、行かなくて正解だった。 ○○は、行けなくて良かったんだよ。 行けなくなったことで、守られたんだよ!

次はない。 もう行くべきではないし、今後も行ってほしくない。」と言ってきたのです。

 

行く前は、「ボランティアに行く人が少なすぎる!」、などと憤ってさえいた熱いその友人が、

全く正反対のことを言ったので、私は驚きすぎて、何か言葉を聞き間違えたのではないかと思ったほどです。

 

理由を聞いたら、

「ごめん。話したくない。 でもお願いだから、行かないで。 誘って悪かったと思う。 お願いだから、絶対に行かないで!」

などと答えたので、ますます訳がわからずに混乱した私は、

「いや、私は行くよ。 もう予定に入れているし…」

と答えてしまったのです。

 

すると、彼女は泣き出しながら、本当の事情を話してくれました。

 

彼女の口から出てきたのは、

被災の現場にやってきていたボランティアの女性たち(色々なところから来ていたそうですが)の間で、

性犯罪被害者(レイプ被害者)が何人も出た、という、衝撃の言葉でした。

年齢には関係なく、何人もの被害者が出て、深い心身の傷を負ったのだ、と。

 

手口は様々で、物陰に隠れていた集団に襲われたり、色々と卑劣だった、と。

 

たとえ高齢の女性でも関係なく、襲われたと彼女は語りました。

若ければそれだけリスクは高まるわけですが…。

 

ものすごくショックだった、と彼女は言いました。

 

被災地では、強盗などはもちろんですが、強姦(新聞等では、婉曲表現のために「婦女暴行」または「暴行」と表現される)を含む性犯罪被害なども起きている、などという話やニュースは、

当時確かにあり、それを一度は、彼女も私も先に聞いたことはあったのです。

私の父はそれを理由に、一度は私がボランティアに行くことに反対してきたくらいでした。

 

でも、その後で、「それはデマだ」という話やニュースを聞いて、「あれはデマらしい」ということで話は収まっていき、

彼女も私も、その時はそれを信じていたのです。

 

「あれはデマだ、というのこそが、デマだったんだよ! 実は本当に本当のことだったんだよ!」

と、彼女は私に訴えるように言いました。

「真実は隠しちゃいけない。 ちゃんとした情報が知れ渡り、先に知っていたら、正しい対策も取れただろうし、被害も防げただろうに…」

彼女は怒り、泣いていました。

そして、そのことにまつわる、様々なことがあって、酷い人間不信になりそうだ、とも語ってくれました。

 

 

私のその友人は、ある武道をやっていて、普通の人とは違って護身には長けていたほうだったので、

本人曰く、自分は大丈夫だった、とのことでした。 

でも、ボランティアとして滞在中、それなりの恐怖を味わったそうです。

 

だからこそ、私が直前で行けなくなったことは本当に良かったし、本当に助かったと思う、とさえ言いました。

 

私は衝撃で言葉もありませんでした。

「今現在の被災地の環境はかなり悪いし、対策取れるような状態じゃないから、もし誰かが行かなければいけないのだとしたら、

せめて女性ではなく、今は体力のある、襲われる心配のない男性こそが行くべきなんだ」と、何度も彼女は説得してきて、

他にもいろいろな話を聞かされた私は、最後にはそれに同意しました。

 

その時の、「被害者が何人も出たという事実」は、やはりその後も、表では語られていくことはありませんでした。

被害者の側としてはとてもデリケートな問題ですし、

ただでさえ心身がズタズタになっているところへ、さらなる心の傷を深めるようなことは、やはり普通は出来ないからです。

 

 

私の友人も、最初は色々とショック過ぎて、私にさえ、とても話せる気分ではなかったと言います。

何もしゃべりたくなかった、と。

思い出したくもない、と。

でも、私が行こうとしていたので、焦って、本気で止めるために、泣きながら真剣に語ってくれたのです。

 

その時の私は、語らせてしまって悪かったという思いと、語ってくれて有り難うという感謝の思いとの、二つの思いで複雑でした。

 

でも、とても苦しい思いをしながらも、本当のことを話し伝えてくれた友人に、心から感謝しています。

 

 

尋常ではない大災害に見舞われたり、戦争のような異常事態にさらされ、人の生死を沢山間近で見たり、

悲惨な現場を見続けたりした時、

精神が普通の状態ではなくなってくるのは、ある意味では当たり前でもあり、

その影響で、普段は理性がある人間でも、普通の状態ではなくなる人たちが、それなりに出てきます。

 

そして、その結果、

暴行・性犯罪全般を含む、酷いレベルの人権侵害や、財産侵害の犠牲者が多数出ることがある、という「紛れもない事実」は、

やはり黙っていたり、隠してはならず、「そういうことはあるのだ」と伝え、知っておくことは、とても重要だろうと思います。

 

知っていて初めて、対策をとることが出来るからです。

 

 

 

もし、泊まり込みでボランティアに行くときには、特に女性なら必ず、安全な宿泊場所というものを確保した上で、行くべきだと思います。

 

 

地震対策・津波対策、などと同じように、教訓として生かして、語り継ぎ、

今後、似たような状態になった時、さらなる犠牲者が出ないようにしていく必要があると思いますし、

実際、そのような視点で少しずつ、22年前よりもは、最近は情報が流れるようになっているようにも思います。

 

震災が起こるたびに、「そんなことはあるのか」「デマではないのか」「現地の人に失礼だ」「ボランティアが減ってしまう」

「余計なことを言うな」 などと言われ、

本当のことを話した人がかえって精神的に攻撃されたり、

真実を話した人がさらに心傷つけられたりすることがないといいなと、本当に強く思います。

 

 

22年前に、泣きながら真実を語り、私を引き留めてくれた友人の思いを無駄にしないために、

ここに書かせてもらいました。

 

 

「あったか」「なかったか」などという不毛な議論の対象として終わるのではなく、

事実は事実として、

真実は真実として、

リスクはリスクとして、正しく認知され、

情報としては隠されることなく、

きちんと対策が取られ、

いつか、どなたかの助けになり、守りにつながっていくこと、

そして、より良い対策がとられるようになって 被害が減っていくことを、

心から願っています…

 

 

 

以下、その内容と関連する記事へ、幾つかリンクを張っておきます。

 

避難所で心配される卑劣な「性被害」 熊本市が啓発チラシを配らざるを得ない被災地事情

 


徳島新聞 「震災と女性(1)性被害」  混乱・困窮につけ込む/避難所、身近な相手から  

 


NHKハートネットTV 明らかになったDV被害 ─東日本大震災後の女性たち─



東日本大震災女性支援ネットワーク 調査チーム報告書 Ⅱ 東日本大震災 「災害・復興時における女性と子どもへの暴力」 に関する調査報告書

 

 

性暴力犯罪被害者の手記等、被害者証言の書籍紹介ページ (性暴力被害者支援情報サイトより)


性暴力被害者支援・支援機関 一覧 (都道府県別)

 

 

 

 

私は、羽生選手をずっと見ていて、普通の人より特別に強いな…と思えるところの一つとして、

「恐れずに、目を逸らさずに、真実をきちっと見据えようとする力・ その意志」 があると、ずっと思ってきました。

 

それはある意味、とても勇気のいることです。

 

人間ですから、最初から完璧なわけではありませんし、間違えないわけでもありません。

辛いことや嫌なことからは逃げたいという思いだって、当然のようにあることも、時々率直に語ってくれます。

 

でも、何か失敗しても、自分の状態を出来るだけ正しくありのままに見つめ、見極めようとし、

そこから、現状を改善するにはどうすれば良いのかを、絶えず試行錯誤しながら、きちんと反省しつつ、徹底的に追究しようとする。

その姿勢が、本当に徹底しているので、

見ていて安心できるし、たとえ何かで失敗があったとしても、見ていて希望を感じられるのです。

 

 

最近(昨年の秋)も、つい先日も、インタビューで、努力は努力でも、「正しい努力の仕方」「努力の正解」というものを見つけていくことが大事なんじゃないか、と、語っていましたね。

 

災害対策のあるべき姿も、まさに同じではないかと…。

 

そのためにも、まずは何が真実で、何が起きたのか、どんなことが起こり得て、どんな被害があったのか、

それらを避けるためには、一体どうすれば良かったのか、本当のことを知っておくことは、何よりも大事になるはずです。

 

特に、女性の性犯罪被害というものは、ただでさえ表には出にくいし、被害者本人はもちろん、周囲も本当に語りにくいだけでなく、

そのあまりの深い傷や辛さゆえに、被害者がなかなか「語ることさえ出来なくなる」のが実態で、だからこそ本当のことは滅多に表に出てこないものです。

でも、だからこそ、長期にわたって被害者の心を苦しめ、人生を狂わせていく、

そういうものだということを、多くの人が認識しておく必要があるだろうと思います。

 

 

東日本大震災後の、原発事故絡みのことでも、本当は紛れもない真実だったのに、

あるいは、目撃者も目撃証言も体験者も沢山あったのに、

「それはデマだ」とされてしまい、真実を語った人たちがかえって傷つけられ、そのまま口を閉ざさざるを得なくなった、

「真実をデマということにしたデマ」というのが、私の知る限りでも、いくつもありました。

 

 

真実の情報をデマだということに変えていくウソほど、恐ろしいことはないと、

東日本大震災を経験してから、私はより強く、思うようになりました。

 

決して教訓にならず、その犠牲や過ちが、未来に全く生かされなくなるだけでなく、被害が広がっていくからです。

 

それは一体、未来にどれだけの犠牲者を増やしてしまうのでしょうか。

 

 

 

様々な理由から、嘘で誤魔化された情報のほうを信じてしまい、

あるいは、真の情報が共有されずに、

決して取り返しのつかない被害へとつながっていき、

本来なら防げたはずの被害者・被災者が出るようなことが、今後日本から、少しでも減っていきますように…

 

 

心の底から、願っています。

 

 


大震災関連・その1 ~羽生選手と同世代の福島の避難者が、街頭で訴えていたこと~

2016-07-27 | 羽生選手と大震災関連

 

つい最近出された、羽生選手の自叙伝第二弾「蒼い炎Ⅱ」の最後で、羽生選手はこんな風に語ってくれていました。

 

「人が思いを伝えようとする時には、インターネットだったり電話や手紙など、何か道具が必要です。

例えば僕という人間を道具として、僕という人間を通して、皆さんが自分の気持ちを伝えるきっかけになればいいいな、と。

僕というネットワークを使って、いろいろな気持ちを発信してほしいと思っています。」

 

「(略)… 震災に対する思いというものを、少しでも寄せて頂けて、少しでも増えていけば、

被災地、ひいては日本という国にとっていいものになっていくと思うんです。

そういうものが一つずつ集まって、素晴らしい光になってもらえたらなと思っています」

 

羽生選手の、殿様姿の「輝けるおでこ」だけを集めて、ここに沢山載せてみるのも、楽しい、素晴らしい光になりそうで良いかとは思ったのですが、

せっかくですので、この羽生選手のこの言葉を、有り難く受け止めさせてもらって、

「大震災と、それに続く原発の被害」について、知っていること、思ったこと、感じたこと等で、

ここに書けると判断したことだけを、

「大震災関連」として、少しだけ書いてみたいと思います。

 

 

約2週間前に、参議院選挙が終わりましたけど、

私は、「街頭で演説する人たち」を見ると、どうしても思い出してしまう、ある人たちがいます。

 

2011年~2013年の頃に、路上で、やむにやまれずして、スピーカー等を持って泣きながら訴えていた、

羽生選手とほぼ同世代の、福島の高汚染地域出身の、故郷を離れた避難者たちです。

 

東日本大震災の被災地でもなく、原発被害の影響も全く受けていない、西日本にある地方都市「A市」に、

私が所用で行った時のことでした。

 

慌てて駅に向かって走っていた私は、車道を隔てた反対側の歩道に、

半分涙声になりながら、拡声器を持って、炎天下で疲れ果てた様子で、福島のことを訴えている男性を見ました。

 

推定年齢は20代前半ぐらい。 

特に政治思想があるわけでもなんでもなさそうな、その「普通の」若者は、

人前で話すのも慣れていないような様子で、震えた声を出しながら、路上に立って必死に話していました。

 

そばには、福島県の、高汚染で有名になった地域の名前が書かれていて、そこの出身だとのことでした。

その地方都市「A市」に、避難していた人だろうと思います。

 

でも、周囲の人は、誰も彼に声をかけず、立ち止まることもなく、そのまま素通りしていく人ばかりでした。

関心がないのか、何と言って声をかけてよいのかわからないだけなのか、人によってその理由は様々だろうと思うのですが、

誰にも声をかけられず、立ち止まってももらえていないその人は、とても虚しそうに見えました。

夏だったので、炎天下の中、今にも倒れそうにさえ見えました。

 

私は、車道を隔てて反対側の歩道上にいたので、遠くからその様子をちょっと見ていたのだけど、

あまりにも皆に無視されているから、なんだかいたたまれない気持ちになって、

道路を渡って、何か声をかけようかと思ったのですが、時計を見た時、これは電車に間に合わないかもと判断し、

信号も赤だったせいで渡れなかったため、そのままそこを過ぎ去って駅へ向かってしまいました。

駅について、5分は余裕があったな、と判った時、やはり、「ほんの一言でも声をかければよかった」と、かなり後悔しました。

 

 

このA市は、私の長年の親友が、結婚後に引っ越して住んでいる場所でもあるので、後で彼女に電話で「こういう人を見た」という話をしました。 

その地域には、そういう人たちが結構いるのかも、と思ったのです。

ところが彼女は、

「よくその駅周辺に行くけど、そういう人を見たことは今まで一度もないよ」

と言い、  

「別の地域から来て、たった一瞬通っただけのその一瞬で、よくそういう人や場面に出くわしたね!」

と、驚かれてしまいました。

 

いつも路上で訴えている、というわけでは決してなかったようです。

私の親友は、その後も、一度もそういう人を見たことはないそうです。

 

 

もう一つ、やはり、大地震の被害も、原発被害もなかった、別の地域の地方都市「B市」に行った時のことでした。

駅近くの大きな交差点で、ものすごい人ごみに揉まれながら、信号が変わるのを待っていたら、

目の前の車道に小さめの車が止まって、中から、スピーカーを使って若い男性が話し始めました。

 

「○○市のみなさん、僕たちは、福島県×××から来て、今○○市に住んでいる、避難民です。

2011年の3月、僕たちは、高校生でした。」

この×××は、放射性物質で、かなり高濃度汚染されたことで非常に有名になり、人が住めなくなっているはずの、誰もが聞いたことがあるはずの地名の一つでした。

友人同士と思われる、この二人組の男性の話によれば、

2011年の3月11日に東日本大震災が起き、そして、その後に原発が爆発して、

何もかもが変わってしまうその時までは、

「田舎だけど、自然が綺麗な故郷で、平凡だけど、幸せな高校生活を、友人たちと楽しく送っていた」そうです。

 

彼らは、ほんの数分、交差点で信号待ちをしている、大勢の人たちに向かって話しただけでしたが、途中から声が震えて、

悲痛な涙声に変わっていきました。

東電に怒りを感じていたようで、そのことも訴えていたし、原発の再稼働に反対の表明もしていました。

車道の信号が、赤から青に変わる直前、彼らの訴えの最後の言葉は、私の記憶が正しければ、確か、こんな言葉でした。

 

「僕たちの故郷(ふるさと)を返せ! 僕たちの青春を返せ! 

バラバラになった友人を返せ! 

返せ!返せ!返せ! 

わーーーーー!!!…(泣いて絶叫)」

 

最後の言葉は、「わー!」は、泣きながら全力を振り絞って叫んだような、本当に悲痛な声でした。

彼らのやりきれない、どうしようもない、苦しい思いが、その一声に凝縮されていた気がして、

聞いているだけで、こちらの胸も苦しくなるような叫びでした。

思わず涙が出てしまいました。

 

 

故郷に二度と戻れず、大事な思い出のある、大事な人たちと、バラバラになったままの苦しさというのは、

こういう原発事故のようなもの以外では、なかなか他には起きないように思いました。

あるなら、戦争ぐらいでしょうか。

 

「2011年3月に高校生だった」、と語っていたので、羽生選手とほぼ同じか、1,2歳差なのだろうと思います。

信号が青に変わった後、その車自体が走り去ってしまったので、私が彼らの声を聞いたのはそこまでです。

 

 

あの人たちは、その後、そして今、どうしているのだろう。

 

日本の社会や、未来に、絶望していないだろうか。

 

新しい土地で、何もかもが変わった新しい生活を、受け止めることが出来ただろうか。

 

知り合いは、何人亡くなったのだろうか。

 

 

福島の、原発事故による、「原発関連死」と呼ばれる死者(=原発で避難後に、様々な理由で亡くなった人たち)は、

東京新聞の独自の調査によれば、今年の3月6日時点で、1368人にもなっていると言います。

→ http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html

 

このリンクした記事の下の方に、福島の各地域の、「原発関連死」だけの「死者数」が載っているけれども、

私がここで上に書いた、羽生選手と同世代の若者が、自分の出身地だったと語っていた場所は、特に死者数が多くなっています

 

最近話題になっている、世界中で起きている各地のテロの死者数と、

数字の桁だけで言えば、「桁が違う」数の人が、結果的に亡くなっているのです。

 

「原発関連死」なんていうと、表現が漠然としているけれども、

要は、絶望してしまい、命を絶った人々が沢山、含まれています。

 もちろんここでカウントされているのは、その原因が、原発事故に起因すると認められた人たちだけです。

 

 

こちらの記事ページは、「福島民報」の、「原発関連死」に関する記事のアーカイブ集です。 

→ http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/cat289/

 

数字で見るとあまりピンと来なくても、

記事を一つ一つスクロールして読んでみれば解りますが、具体的なその一人一人の命と人生は、

その人たちと関係があった、多くの周囲の人たちをも、深い悲しみに突き落としているのです。

 

実際には、数字上にさえ出てこない人たちも、もっと沢山いるはずです。

 

 

私が特に好きな、羽生選手の演技 「花になれ」は、

 

「あなたは今、笑えてますか。 どんな息をしてますか。

人ごみに強がりながら、負けないようにと、歩いているんだろうーーー」

 

という歌詞で始まる、

本当に本当に優しい歌に乗って、羽生選手が自らの深い思いを込めながら、勇気づけるように、全身全霊で滑ってくれます。

 

だから私は、大好きなのです。

 

私の記憶の中にある、上に書いた羽生選手と同世代の、福島の高汚染地域から避難していた若者たちは、

同じ日本でも、被害の全くなかった、安全とされる別の都市で、

「人ごみに無視されながら、負けそうになりながら、孤独な様子で、必死に泣いて訴えていた」 

ように、

当時の私には見えました。

 

 彼らの叫びは、日本のどのくらいの人に、届いているのでしょうか。

 

 

彼らが、少しでも温かい人たちに囲まれて、

今、日本のどこかで、少しでも元気に、心穏やかに暮らしていてくれることを、

心から祈ります。

 

 

こんなに多くの人の命を奪い、悲しみのどん底に突き落とす「発電方法」は、他にはないです。

 

 

それでも、その発電方法を続けるのは、

本当に正しいことなのでしょうか。

 

 

次に大地震が起こるのは、日本の一体どこになるのでしょうか。

 

テロのリスクの高まる昨今、標的にされ得て、危険性が高いのは、どこの何なのでしょうか。

 

その時には、「想定の範囲外でした」などという言葉は、日本では もう通用しないはず。

 

 

日本はなぜ、真実を避け、大事な議論をも避けるのか。

  

それによって、酷い後始末を押し付けられるのも、悲劇が待っているのも、未来の世代になるだけなのに。

 

 

 こちらは、2011年に、自民党の石破さんが当時語った、原発をやめられない本当の理由を述べていると思われる動画です。

→ http://www.dailymotion.com/video/xkm7pc_%E7%9F%B3%E7%A0%B4%E8%8C%82%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%E6%94%BF%E8%AA%BF%E4%BC%9A%E9%95%B7-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AF%E6%A0%B8%E6%AD%A6%E8%A3%85%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81_news

 

ここでも語られているように、「核兵器武装」「核兵器への転用」の可能性を担保しておきたいというのが、きっと本音でしょう。

今問題になっているはずの、憲法改正問題と、本当は密接に関連しているはずなのに、

その大問題すら、全くまともに議論せずに、問題をきちんと見つめさせることなく、誤魔化したまま、なんとなく推し進めようとしている。

ここで石破さんも最後に言っているように、「議論して、きちんと突き詰めなければならない問題」なはずです。

 

 

一方こちらは、かつては原発推進側にいて、今日の事態に大きな責任を負っているはずの一人でありながら、

だからこそなのか、今や原発ゼロを訴えるようになった、小泉元首相の、最新の講演会の内容です。

→ http://www.jiji.com/jc/v4?id=201606koizumi0001

 

 1ページごとが短くて、ページ数が多くてちょっと読みにくいけど、

ここで言われていることは本当に重要で、かつ当たり前のことなのに、あまり報じられていないと感じます。

 

私はこのブログで、誰かと議論したいわけではないです。(羽生選手の応援ブログですし。)

ただ、マスコミには、大事なことをもっとちゃんと報じてほしいとは思っています。

 

 

人間には一人一人に、それぞれ、天から与えられている使命が必ずあり、

果たすべき役割があるといいます。

 

それをちゃんと見つけて果たしていけるのか、それとも無視して好き勝手に生きていくのか。

人間には、神様から「選択の自由」も与えられています。 

だから、その人次第。

 

 

 日本のあまりにも酷い現状、あまりにも多い嘘と誤魔化しだらけの世界の中で、

それでも「自分に与えられた場所」を感謝して、

真剣に考えて悩んでいて、本気で生きていて、

陰では一杯泣いていて、そして時には、その涙を隠すこともせずに見せてくれて、

自分のやるべきことを全力でやろうとしている人を見ることができるのは、私にはむしろ、強い希望であり、励ましでした。

 

これは、ちょうどその頃ーーー

大震災と原発事故のあった、2011年の暮れに行われた、全日本選手権後の、

羽生選手のエキシビション「白鳥の湖」です。(ニコニコ動画)

→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm16536575

 

私は、大震災が起こる前の2010年シーズン、この羽生選手の「白鳥」の演技がものすごく好きだったから、

翌年も、エキシビションとして再び見せてもらえるのは、すごく嬉しかったです。

 

羽生選手が一気に有名になった、2012年のニースで行われた世界選手権より前の大会だから、

今より全然有名じゃないし、今と比べれば、ファンもうんと少なかったと言える頃で、見ていなかった人も多いかもしれない。

 

この時、何位だったかというと、ショート4位、フリーで1位、総合で3位でした。

 

だけど羽生選手には、今と全然変わらない真剣さがあり、今と同じ、内側から溢れ出るような情熱があり、

観る者の心に訴えかける何かがあり、

本当に全身全霊で演技しているのが、観れば解ります。 

 

そういう羽生選手を見て、当時の私がどのくらい元気になったのか、

どんな思いで観ていたのか、どれほどの希望を感じられて、どれほど慰められたかは、とても言葉では表現できないです。

 

 

「 悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。」 

 

———これは、新約聖書にある、イエス=キリストが語った、有名な「山上の垂訓」と呼ばれる言葉の一つですが、

(マタイによる福音書 5章4節)

この言葉の意味が、本当によくわかるようになりました。

この言葉が、実感を伴って、これほど深く胸に響いたことは、それまでにはなかったように思うのです。

それが、すごく嬉しかったですね。

 

今では、その思いはますます強まったと感じています。

 

子供の頃、私は、

「なんでこれが『幸い』なんだろう? 

慰められなくてもいいから、そもそも悲しい目にあわない方が、絶対にいいに決まっていると思うんだけど…」

なんて思ったりしていましたけど、(笑)

今、この言葉の本当の意味が分かったと感じられるようになったことが、本当に幸せだと思います。

 

 

5年前を振り返ってみると、5年後の今、笑っている自分というのを、全然想像出来なかった時期がありました。

 

 

上に書いた、故郷を失った避難民のあの青年たちが、

フィギュアスケートを観る可能性なんて、かなり低いかもしれないし、興味もないかもしれない。

 

 

でも、ほんのちょっと、近くにいる、まだ元気な誰かが気にかけてあげたり、ほんのちょっと誰かが声をかけるだけでーーー

あるいはほんのちょっと、誰かが何かを示すだけで、

状況は、大きく変わっていったりする。

 

「愛」の正反対は、「無関心」だというのは、本当だから。

 

 

希望や勇気、という見えないものもまた、伝わって広がっていくものだと思うのです。

 

 

決して直接は届かずとも、

あの時、声をかけたかったけど、かけそびれた一人として、

決して忘れているわけじゃない一人として、

「覚えているよ」「見ていたよ」 ということを、ここに書いておきたいと思います。

 

 

誰かから誰かへと、めぐりめぐって伝わり広がっていく「希望」の光が、 

いつか必ず、彼らにも届くことを、祈っています。

 

 

 


大震災および余震下での、積極的・楽観的サバイバル法 ~余震を楽しむ~

2016-04-23 | 羽生選手と大震災関連

 

熊本および九州地方で、大地震と余震による被害で苦しんでいる皆様、

この被害で多くの大事なものを失われてしまった皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 

また、今回のことでお亡くなりになられた方々に、謹んで哀悼の意を表し、

被災地で、辛い状況の重なっているであろうご遺族様のお心が、少しでも慰められ、悲しみが癒えていきますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

「なんで私がこんな目に…!」と思うような悲惨なことを体験すると、多くの人は、心が打ち砕かれてしまいます。

今回の被災地でも、そのような思いで悲しんでいらっしゃる方々も多いのでは、と…

 

東日本大震災の時、私の「全友人たち」の中で、最も悲惨な状況下にいて、本当に辛い、大変な体験をした友人がいました。

 

なぜ神様は、その友人をそこまでの悲惨な状況下に置くことをお許しになったのか…

その友人は、人の役に立つため、よく人助けをするタイプだったのですが、そんな人がよりにもよって、なぜそんな目に遭うのか、と。

 

でも当時、その友人は、「これも自分の使命だ」と最後には受け止めて、精一杯のことを驚くほどやっていました。

私より明らかに悲惨な体験をしていたのに、いや、だからこそ、なのでしょうか、むしろ私を逆に励ましてくれるような存在でもありました。

 

今回、この熊本の最初の大地震の時に、その友人はなんと、よりにもよって、仕事の関係で九州にいました。

 

そして職業の関係で、直ちに熊本の被災地に入って支援の現場につくことになった友人は、先週、私に連絡をくれて、

「あの時の体験が今、全部役に立っているよ!」と。

 

私はとても驚きましたけど、他のどんな人がその役割に就くよりも、最も適切な人が、その役割に就いたと感じました。

 

表面だけ見れば、東日本大震災の時に被災地にいて、熊本大地震の時にも被災地にいる、ということは、

「ただの不運」「ただの悲劇」かもしれません。

 

だけど、そうではないのだとーーーー

 

その友人が九州にいた「偶然」を、むしろ「必然」として見る時に、

その友人の人生に起こっていることの、深い意味と連続性に気づかされるのです。

 

「この大変さにも、何か必ず意味があるーーー」 

今は本当に辛くても、そう信じて乗り切ってもらえたらと思い、少しでも希望になればと思い、ここに書かせてもらいました。

 

 

 

 

 

さて、そんなことを思う時、私は上に書いた友人よりも、地震についてだけは、数を多く経験していて、

おそらく、多くの日本人よりもは、震度5以上の地震を多く経験しているほうの一人に入るだろうと思います。

(東日本大震災の、本震と余震だけで3回は経験したのを含めると、過去に合計5回ほど、震度5以上を経験。

震度4以下を合わせたら、地震体験回数は、もはや数え切れません。)

 

そんな「地震慣れ」してきている私に書けることを、誰かの参考になればと思い、ちょっとだけ書いてみたいと思います。

 

今も度重なる余震に、「また余震!」と恐怖に陥ったり、うんざりされている方も多いと思いますので、

私がおススメしたいのは、「嫌な余震が…」と考えるより、むしろ、積極的に「余震を楽しむ」方法です。

 

これは特に、子供たちには有効です。

 

まず大前提として、

 

1: 震度5以上の激しい揺れではないこと(安全確保が最優先になるので)

2: 周囲からモノが落ちてきたりしない、安全な状況に自分たちがいること

は、必ずご確認下さい。

 

 

その上で、その揺れに合わせて、自分から積極的にリズムをつけて揺れて、明るくノリノリで楽しんでみて下さい。

ちょうど、トランポリンに乗っている子供の気分、ゴムでできた空気の遊具の上で跳ねたり跳んで遊んでいる子供の気分、です。

あるいは、「波のプール」で、波が来た時に、その波に乗って遊ぶ感覚、でしょうか。

子供が集団でいるような場所の時には、「イエ~イ!」と誰かに叫ばせて、みんなで楽しむ。

「体操のお兄さん」のようなタイプが一人でもいると、最高ですけど、もちろんあなたがリード・指導してもO.K.ですよ!(笑)

 

どうやるのかよくわからない人は、この動画の、00:25秒~あたりから、00:45秒あたりまでに登場する、

ノリノリで自由に踊っているお兄さんの姿を、どうぞご参考に。(笑)

 

テンポは、揺れに合わせるほうが良いですので、その都度自由に、自然にどうぞ。

(注:必ずしも、この動画のお兄さんの通りにしようなどとは思わないでください。)

 

あまりに極端に激しくジャンプしたりすると、地面が揺れていますので、足をくじいたりする可能性がありますのでご注意下さい。

(楽しくなりすぎて、はしゃいだ子供は、時にこういう行動に出ますので、ちょっとご注意。)

 

あくまでも、揺れに合わせて、自ら積極的にリズムをとる、がポイントです。

 

大人の場合、全身の力を抜いて、手足をブラブラさせたり、緊張や疲労で凝っている肩や首をボキボキと動かしながら脱力させてリズムをとる、

「脱力体操」のようなことを、揺れるたびに積極的にやってみるのも、有効です。

揺れ始めたら、ストレッチ体操タイムにする、という発想の切り替えも、多少の効果があると思います。

(いやいやながらではなく、ゲーム感覚で楽しくやるのがポイントです。)

 

 大人で、「そんなの恥ずかしいわ!」という人の場合や、怪我や病気、高齢者でできない方々、疲れていて動きたくない方々には、次の方法をお勧めします。

 

1: 安全な場所で横になって目を閉じる。

2: 波にぷかぷか浮いているイメージで、身体を揺れるに任せたり、

   またはハンモックで風に揺れているのを想像して、楽しくリラックス。

   あるいは、

   ちょっと激しいデコボコな道を通っている馬車に乗っている気分を味わったり、

   ガタゴト激しく揺れる、古い列車に乗っている気分で、積極的に楽しむ。

 

 その余震の揺れ方によって、毎回印象は異なると思うので、イメージしやすいもので、臨機応変に。(笑)

 

余震が来るたびに、「楽しもう!」「休もう!」「リラックス!」と言われているのだと考えて、身をゆだねて『揺れにのり』、楽にするほうが、

「また嫌な余震…」「いつまで続くの…!」と考えてストレスをためていくよりも、ずっと良いです。

 

東日本大震災の時には、「一日何十回」というほどの余震を私も体験しました。

揺れるたびにストレスや恐怖を感じていると、それだけでも疲れてうんざりしてしまいます。

 

基本的に、耐震性の進んでいる日本では、震度5を超えなければ、人が死ぬ確率というのは、ほとんどありません。

(地滑り、土砂災害、物が落下してきて当たる、相当に古い家屋の倒壊等を除く)

 

だから、それ以下の余震の時は、どんな方法でもよいので、積極的に揺れを楽しむ、ことをおススメしたいです。

余震があまりにも多い時は、毎回無理してやろうとはせずに、そこも臨機応変に。(笑)

 

東日本大震災の時、2か月以上続いた余震のせいで、何もしないで受け身で揺られてばかりいたら、

ある日突然、「地震酔い」と呼ばれる状態に、私もなってしまいました。

これは「船酔い」「車酔い」とも似たような、あるいは、めまいと似たような状況に常になることです。

あまりにも余震が続くために、自分が揺れているのが、本当の地震のせいなのか、めまいなのかがわからなくなってしまいます。

絶えずふらふら、フワフワしているような感覚になってしまいます。

そうなった場合は、とにかくまずは身体をリラックスさせて休むことが最重要だと思います。

 

 

いわゆる、激しい「船揺れ」を乗り切る方法として、

その揺れに身を委ねて、むしろ積極的に楽しむようにすると、

「揺れないで~~!(涙)」と、何かにしがみつきながら必死で抵抗しているような場合と比べて、

全く酔わないか、酔い方がマシになるという一般的な事実を思い出して、色々考えて実行してみました。

 

あとは、「電車は揺れるもの」であるから、誰も特に腹を立てることがないように、

「実は、地面も揺れるもの」 なのだと考えてみると、そんなにストレスもたまりません。

 

「知らなかったよ~♪ 空がこんなに あお~いと~は~♪」という歌がありますが、(←知っている人どのくらいいるでしょうね…)

「知らなかったよ~♪ 地面がこんなに揺れ~ると~は~♪」 という気分で、笑って歌ってみる。(笑)

 

そう、大地震と続く余震が起こるまで、私たちは、地面がこんなに揺れるものだとは、知らなかっただけなのですから。

 

人によって、合う合わない、あるかもしれませんが、何もしないよりもはマシと思うので、

どうぞご参考までに。

 

 また、余震があまりにも続いたり、収まる気配がない場合、その地域を脱出することができる方は、脱出することを私はおススメしたいです。

「皆が大変なのに、自分だけが逃げるなんて…」と、罪悪感を感じる必要は、全然ないです。

誰に何を言われても、絶対に気にしないことです。

東日本大震災の時も、こういう心理状態に陥った方が大勢出ましたが、

被害のない地域へ避難することはむしろ、自分をも、家族をも、他人をも助けることに必ずつながっていくと信じて、堂々と移動して避難して下さい。

 

むしろ、支援は外部の元気な人たちや専門家に任せて、その場所から動けない人たちに、物資が少しでも行き渡って足りるように、

別の地域へ逃げられる人たちは、一時的にでも避難するべきだと私は思います。

また、そのようにして被災地から逃げてきた人たちを、他の地域の方たちが、いつも温かく受け入れてあげられる、

そんな日本であれますように…!

 

 

今現在、被災地にいる人たちにも、 

あるいは今後、もしかしたら、大震災や大災害に遭遇するかもしれない人たちのためにも、

 

ここに書いたことが、いつか何らかの形でお役に立つことを願って…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何事にも時があり、

天の下の出来事には すべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時、

植える時、植えたものを抜く時

(中略)

泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、

(中略)

求める時、失う時、保つ時、放つ時

(中略)

愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時

(中略)

神はすべてを時宜にかなうように造り、

また、永遠を思う心を人に与えられる。

 

(コヘレトの言葉(伝道の書) 3章1、2、4、6、8、11節   旧約聖書: 新共同訳より )

 

 

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。

神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

 

(ペトロの手紙 第一 4章7節  新約聖書: 新共同訳より )