羽生結弦選手  絶賛応援ブログ  花になろうよ!

類稀な才能に溢れ、何よりスケートを愛する羽生結弦選手を神格化・偶像化なしで心から真剣に応援し、素晴らしさに注目します!

「SEIMEI」の源、羽生選手ともう一つの「Origin」ーー爆心地付近の奇跡の生存者、その孤独な生涯から羽生選手に託された「幸せのかけら」と、『世界で一番尊い使命』

2020-02-24 | 羽生選手と日本の未来を応援する!

※ 2018年の2月17日は、平昌五輪で羽生選手が五輪2連覇を成し遂げた日です♪ こちらスポーツ報知高木さんの当時の良記事。(←ぜひ読んでみてくださいね!)

「SEIMEI」は、本当に羽生選手にとって、文字通り「命がけ」となった「生命」をかけた闘いのプログラムでした…! あれから2年。羽生選手をわざと苦しめる陰湿で悪質な人たちに明確にNOを突き付けた4大陸選手権は、羽生選手の今後にとって、本当に大きな大切な節目となることでしょう…♪ 神様からの大きな大きな祝福がありますよう、主イエス=キリストの御名でお祈りしています!アーメン♪

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」  (ローマの信徒への手紙8章37節 新約聖書より)

 

2014年2月14日は ソチ五輪で羽生選手の金メダルが確定した日。同時に、あの日のプルシェンコさんのことは、本当に忘れられないですね…!

(プルシェンコさんは団体戦では金メダル。個人戦の直前6分間練習中に、30年は折れないと言われた背中のボルトが折れて、棄権となりました。その時のプルシェンコさんが神様から言われた言葉。そして羽生選手は金メダルに。息を呑む展開の約1時間でした。プルシェンコさんと羽生選手、互いへの長年の尊い想いを尊重したかのように、勝敗で決することなく、王者交代劇を導いた神様の凄さに、私は震えたことを今でも覚えています…!)

 

羽生選手の平昌五輪プログラム「SEIMEI」は、聖書に基づいた正統なやり方で、かなりの専門性をもって行いました。(詳細は現時点では公表しません。)

あれほど羽生選手が苦しんだのに、相変わらず平気で嘘をばらまく人たちに、さすがの羽生ファンも驚くことでしょう。 なぜ、羽生選手が4大陸選手権で プログラムを変えたのか、わかる人にはよくわかったことでしょう。どれほどの陰湿な嫌がらせが行われてきたか、少しでも伝わると幸いです…♪

その後にやり始めた、羽生選手のプログラム「Origin」は、ずっと羽生選手の憧れであり続け、非常に熱心なキリスト教徒であるプルシェンコさんに心からの敬意と感謝を込め、真の天地創造主たる父なる神様のご意思に忠実にあろうとして、並々ならぬ意欲で頑張ってきたプログラムでした。

しかし、「Origin」衣装は、2シーズン連続、プログラムを破壊する要素を入れられた酷い衣装で、プルシェンコさんへも、イエス=キリストへの侮辱にもなるデザインにして、羽生選手の希望や想いを無視し続けた衣装デザイナーの伊藤聡美(Satomi Ito)には、羽生選手は失望させられてきました。

五輪2連覇の前も、羽生選手は10代の頃から何年にもわたり、「悪魔イメージ」をけしかける、壮絶な嫌がらせをネットやその他で仕掛けられ続け、その嫌がらせや虚偽の流布、名誉棄損行為に何年も何年も耐えてきましたが、平昌五輪での2連覇後に、その嫌がらせはエスカレートし、このページを公開してもなお衣装の妨害は続いたため、ついに限界に達し、プログラム変更を決意しました。

このような、衣装で仕掛けられ続けた「羽生結弦ではなくなる」究極の嫌がらせ、「人格への侮辱」「プログラム破壊行為」「名誉棄損行為」に、羽生選手は明確に「NO」を突き付け、プログラムを「SEIMEI」に戻し、新ルール下に従って30秒短い編曲で、ジャンプ構成も変えたものに作り変えました。

それがなぜかはこのページをきちんと最後まで読んでいただければわかります。

 

これは、プログラム「SEIMEI」の根底に流れている羽生選手の想い、

その「源」についての、証言のページです。

 

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初掲載:2019年12月4日

 

「幸せ」とは、いったい何で、どんなものでしょう。

 

これから書くことは、私が「ある方」から託されてきた「幸せのかけら」でもあり、

私から、羽生選手に託した「幸せのかけら」の一つでもあり、

フリーのプログラム「Origin」の、まさに「源」の一つとなっている、とても大切な事実です。

(「SEIMEI」も同じです。)

 

羽生選手は、この「幸せのかけら」を とても大切に受け取り、

共に使命として、真の神様から与えられている使命として、

今までの様々なプログラムにも、もちろん「SEIMEI」にも、

そして「Origin」には特に、何よりも本気で込めてきて、

一人でも多くの人に伝わるようにと本気で心から願ってきた、そんな、「奇跡の証言」でもあります。

 

それを伝え、渡すことが、ファンの方 お一人お一人の幸せにも、

そして、たまたま羽生選手の演技を見て下さっただけの人たちの幸せにも、

もちろん、ライバルの選手たちの幸せにも、

さらには、羽生選手を嫌い、嫌がらせをして平気でいられるような人たちの幸せにさえも、

もちろん、世界中の人たちの幸せにも、

必ず、つながっていくと、そう信じているからです。

 

 

その、「奇跡」の「軌跡」を、ここに証言していきたいと思います。

 

最初は私の話から始まりますが、必ず最後には、「あなたのもとに」届くはずですので、

どうかしばらく我慢して、最後まで、お読みいただければと思います…

 

 

私は、自分が10代の時、

広島や長崎の被爆者の写真などを 授業で見せられていた時、

あまりにも悲惨で、あまりにも辛くて、見るに堪えないものばかりなので、

本気で切実に、こう祈ったことがあります。

 

「神様、もう、ヒロシマの原爆のことはいいです。 もう十分です。

もう、こんなにも悲惨で残酷な写真を、これ以上見たくはありません。

神様、あなたはよくご存じなように、私は、残酷なものが本当に嫌いです。

私はできれば、ただひたすら、美しいものや、優しいものだけを、見て生きていきたいのです…」

 

本気で切実に祈ったので、とても よく覚えています。

 

ーーーすぐに気づいた方もおられると思いますが、今振り返れば、

実はこれこそ、「被爆者の方々には」 とても「残酷な」祈りだったと言わざるを得ません。

(もちろん、この祈りは声に出していないので、知っているのは神様だけだったのですが。)

 

ですから、これをここに書くことも、ある意味、私はとても恥じているし、

特に、被爆者の方々、被爆地の方々には、大変申し訳ない気持ちでいます。

 

でも今、これをわざわざ、ここにこうして書くのは、

神様はーーー すなわち、私の主であられる、イエス=キリストは、

私のこの「切実だった」祈りを確かに聞かれ、

しかし、私のこの時の想像をはるかにはるかに、はるかに超えたものすごい形で、

正真正銘、本気で、真摯に祈りに応えて下さったのだと、今の私はよくわかるからです。

 

 

ーーーその祈りから、何年も経った、ある日のことでした。

私のところに、1本の電話がかかってきました。

内容は、

「ある被爆者が、外国人の方々に証言したいと願っておられるのだけれども、

無償で通訳をしてくれる人を探している。 あなたに、引き受けてもらえないか。」

というものでした。

私は、とても価値のあることだと思いましたけれども、自分に果たして務まるのか不安に思い、躊躇しました。

私よりはるかに英語に堪能で有能で、原爆にも被爆にも詳しくて、その役目にふさわしい人が、もっと他にいるのではないか。

被爆者の証言という重大な証言だから、被爆の話が得意ではない私より、ずっとベテランでプロな方々に頼んだほうが、ずっと良いのではないか、と思ったからです。

 

それで、そう伝えたら、電話の相手はこう答えました。

「被爆者の方は、報酬など払えないため、今回の条件は、無償で引き受けてくれることなのです。

無償で引き受けて下さる人たちの中で、一番英語力が高いのは、現時点であなたなので、お願いできないかと思ったのですが。」

 

引き受け手が誰もいなくて見つからず、困っているのだと言われたその時、

私の主であり、神であられる イエス=キリストが(厳密にはその分身たる『聖霊』の神ですが)

私にこう、明確に命じられたのです。

「あなたがやりなさい。これは、あなたの仕事です。」

私はそれを聴いて(そうなんですか?!)と驚き、直ちに、(かりました、では私がやります。)と神様に答え、

電話の相手には、「わかりました。私で良いのでしたら、引き受けます。」と答えました。

 

神様が「あなたの仕事だ」と、そうお命じになった以上、(それならば、私にできないはずはない)と思い、最後には、迷いはありませんでした。

 

当日、その被爆者の方にお会いするまでは、私はとてもドキドキしていました。

その被爆者の方をーーー仮に、Bさんとしておきます。

 

Bさんは、会ったら、見るからに柔和で、小柄で、とても腰の低い女性でした。

彼女は、「自分は今まで、この年になるまで一度も被爆の証言をしたことがないので、今日が人生で初めての証言になります。上手く話せるかわからないけれども…よろしくお願いします。」と私に言い、私たちは互いに頭を下げあいました。

Bさんの証言を聴きに来ていたのは、実に様々な国からの、多国籍の外国人の方々でした。

 

私が聴いた、Bさんの証言内容は、主に以下の通りでしたーーーー

 

Bさんは、原爆投下当時、爆心地から非常に近い地域に住んでいた、幼児でした。

近所では、Bさんの他に生き残った人は誰もおらず、自分が唯一の生き残りで、自分が死なずに生きていたことは奇跡だと言われてきた、とのことでした。

被爆当時は、幼児で、見た目の推定3,4歳ーーーしかし、本当の年齢はわからない、とのことでした。

4歳だったことにして今日まで生きてきたが、本当は3歳だったかもしれないし、5歳だったかもしれず、自分の誕生日も、本当の年齢も正確にはわかっておらず、1,2年ずれている可能性は十分ある。

家族は、誰一人生き残っておらず、自分の本当の家族構成もわからない。

自分を知っていた可能性のある近所の人たちもみな、全員が一瞬で黒焦げになって、人間の姿さえとどめずに亡くなった地域だったため、生存者は、近所では自分の他に一人もいないはず… とのことでした。

 

ではなぜ、そんな場所での被爆にも関わらず、Bさんは生きていたのかというと、

Bさん自身は、原爆投下の瞬間の記憶は、全くないのだそうです。

わかっていることは、原爆爆発時、何か巨大な四角いものが爆風で跳んできて、一瞬で、彼女の上に覆いかぶさったと思われ、

幼児だったために、全身すっぽりとその中に納まった彼女は、その「巨大な四角いもの」がシェルター代わりとなって守った形で、原爆投下3日後に、その巨大な四角い黒焦げのものの下から、意識はないけれども、命はある状態で発見された、とのことでした。

彼女を保護したと思われる「巨大な四角いもの」は、真っ黒こげだったため、元が一体何だったのか、誰にもわかっていない。

棚か、あるいはタンスのようなものだったのでは、と思われるが、全然別の頑丈な何かだったのかもしれず、全く不明。

爆心地に近く、さらには3日間飲食もしていないので、本来なら生きていられるはずもないところ、Bさんはその中で、気を失うような形で、生き残っていたそうです。

 

おかげで今日までこうして生かされてきたが、役所の記録などもすべて焼失して残っていないため、Bさんは、自分の本当の生年月日も、家族構成もわからない。

Bさんのお名前は、彼女が自分で自分を呼んでいた呼び方から周囲が判断して、「本名はきっとこういう名前だったのだろう」と推測された名前だそうですが、「お母さんが私につけてくれた、本当の名前で、きっとあっていると思います」と、希望と期待を込めて、少し嬉しそうに、そう語られました。

しかし、苗字については、しばらく沈黙された後、「本当の苗字はわからないです。だけど、この名前で、ここまで生きてきました。」と、気丈に答えられました。

私はこの時まで、自分の本当の年齢も、本当の名前さえわからない被爆者がいらっしゃる、などということは知らなかったので、激しいショックを受け、思わず涙が出てしまいました。  

 

1945年に、広島で被爆によりお亡くなりになった犠牲者の数は、推定14万人と言われていますが、プラスマイナスで約1万人の誤差がある、と言われています。 

よく考えると、プラスマイナスで1万人もの誤差がありうる、ということは、ものすごい人数が、存在したかどうかさえも「不明」になった、ということなのです。

理由は、記録が全て焼失しているため、生きていたか、存在していたかどうかさえ分からない人たちが大勢いるため、そうなってしまったのですが、1万人以上が、いたかいないかさえわからないだなんて、これほどの重い悲劇はありません。

 

Bさんは、彼女を知る人全員が、原爆により一瞬で亡くなってしまったため、

生き残ったとはいえ、原爆投下のあの日あの瞬間から、本当に「天涯孤独」の状態になってしまいました。

さらに、生きていたとはいえ、身体は普通の健康体ではなく、まさに「被爆者」としてしか生きる道が残されていなかった、そんな人生を歩まれてきました。

 

途中で、外国人の方々から、「なぜ、その状況で生きていられたのだと思いますか?」と質問されました。

Bさんは、「それは自分にも、誰にもわからないです。四角いものが飛んできたおかげで、死ななかったわけですけど…  何か意味があって、奇跡的に生かされたのかなとは思うのですが…」

言葉を慎重に選びながら、そう答えられました。

 

しかし、奇跡だとはいっても、Bさんには決して嬉しい奇跡ではなかったようで、こう続けました。

「神様はなぜ、自分だけを生かしたのか。  

なぜ、私を天涯孤独にして、こんなつらい人生を歩ませられたのか。

こんなことを本当は言ってはいけないとも思うのですが、あの日あの時に、お母さんや家族と一緒に死なせてくれればよかったのに…と、何度も何度も思ってきました。」

 

ーーーそう語られたBさんの孤独は、想像を絶するものだったのだと思われ、聴いていて胸が苦しくなりました。

それでも、「あの状況で、たくさんの「本当は生きたかった人たち」が生きられなかった状況の中で、こんな風にでも、生きていたことを感謝しなければならない。」と思い、必死に、自分にそう言い聞かせて、ここまでなんとか生きてきた と語られました。

 

Bさんは、好きな仕事なんてもちろん出来ない。

それどころか、普通に働くことができず、職にも就けない。

結婚なんて、もちろんできない。

当然、家族も持てない。

だから、一人でずっと暮らし、ただ病院と家とを往復するだけの、何の楽しみも喜びもない、分かち合える友人もいない、そんな人生だったと、Bさんは語られました。

病院との往復をするだけの生活は、とてもつらいものだったそうです。

その詳細は、語られませんでしたけれども…。

見た目は、一見、普通に見えるBさんでしたが、言葉には出来ないほどのものを、その心と身体の内側には抱えていらしたのです。

 

別の外国人の方から、ある質問が飛びました。

「もし今、何か願いが一つかなうなら、何をお願いしますか。」

 

Bさんは、少しだけ考えてから、こう答えました。

「自分を産んでくれたはずのお母さんに、一度でいいから、会ってみたいです。 

私は、自分があまりにも小さかったから、お母さんの顔さえも、覚えていないので…」

そう言って涙を浮かべ、一瞬の間をおいてから、こう続けました。

「死ねば… 自分も死んだら、お母さんに会えるのだろうとは思うのですが、

でも、私は本当は今すぐに、会いたいんです。 

お母さん… お母さんに、できるなら今すぐ、会ってみたい。

それが私の一番の願いです。」

 

憧れの「お母さん」を思い浮かべて語っているであろうBさんは、まるで小さい少女のような可愛らしさ、甘えたい盛りの 幼き日に戻ったかのような、そんな表情をしていました。

当時の「お母さん」の年齢よりも、既にはるかに上の年齢になっているはずのBさんでしたが、

(今までの人生、きっとずっと、お母さんに、甘えたかったんだな…)

と、私は強く感じ、その長い、孤独で耐えてきたはずの年月を思うと、気が遠くなるような思いでした。

Bさんは、「兄弟については、もしいたら会いたいし、遊びたかった。一緒に遊んでいた人がいた記憶があるし、それが兄弟かなとも思うけれども、絶対にいたはずのお母さんの顔さえ、私は覚えていないので…」と、寂しそうに語られました。

一緒に遊んでた相手がいた記憶はあっても、それが友人だったのか、兄弟だったのか、わからないのだそうです。

 

別の外国人の方から、「一番つらかったことは何ですか。」との質問が出されて、

それに答えようとされたBさんに、ある異変が起きました。

 

身体が震え始め、呼吸が荒くなり、答えようとするのですが、声は出せても、途中で言葉に詰まり、上手く言葉にならないような状態でした。

「あ… び、病院…  じ、自分の…  か、からだ  じっ… じっ… じっ…」

こんな調子で、何かを、一生懸命説明しようと努力されているのは見ていてよくわかるのですが、全身をわなわなと震わせて、心の中の何かと格闘されて、涙を流され、言葉に出来ずに苦しむ状態が続きました。

私は胸が締め付けられる想いでその様子を見守りつつ、単語か、文章になるのを ひたすら待ち続けました。

Bさんは、手を震わせながら、辛そうに何度も涙を流され、それでも何とか必死に説明しようと、何かの「記憶」と必死に闘っておられるようでした。

悲しそうに辛そうに、何かを説明したいのだという「気持ちだけは」よく伝わってくるのですが、それが何なのか、上手く表現することも、声に出して説明することも出来ませんでした。

外国人の方々が、その様子を見て驚いて、お互いの顔を見合わせたり、首を傾げたりしだしました。

何が起きているかわからず、中には待ちくたびれたり、あるいは、見ているのが辛くて、溜息をつかれる方なども何人か出てきて、

それがまた、Bさんにはつらい、残酷な現実のようにも思えて、

私はその状況に、ますますいたたまれない気持ちで一杯になりました。

 

およそ5分以上、そんな「証言が出来ない」状態にBさんは陥り、精一杯、何かを話そうと努力されてはいるのですが、涙を流され、嗚咽し、まるで痙攣したように、身体を震わせ続けるだけの、痛々しい状態が続きました。

私は途中で、何度か止めようとしましたが、そのたびに、Bさんの口から何かの単語が出かかるので、私は思いとどまって、引き続き証言が出るのを待ってみる…しかし、結局言葉にはならない、そんなことを繰り返しているうちに、

(ああ、これが被爆者の方々が味わってきた、究極の苦しみなのか…)

と、私も見ていて耐え難いほどの気持ちになり、途中から涙が零れてどうしようもありませんでした。

 

Bさんの口から、出てきかかった単語の一部を、複数つなぎ合わせて推測すると、

何を言おうとしていたかの推測が、私にはなんとかできましたが、

外国人の方々には、彼女が何を話そうとしているのか、想像さえつかなかっただろうと思います。

単語から察するに、病院で、被爆者として、自分の身体を実験や観察の対象のように見られてたり、扱われたこと、あるいは、それに関わる何かが一番つらかった、と言いたかったのではないかと私は強く感じましたけれども、

でも、これは私の推測でしかなく、

文章として、彼女の言葉として成立していない以上、通訳することはできませんでした。

 

それでも、Bさんがして下さった証言の中で、私の胸の中に、最も強烈な印象に残っているのは、言葉ではなく、実は「この時のBさんの様子」なのです。

「証言」の枠の中に収まりきらないほどの あまりにも深すぎる苦しみ、底知れないほどの悲しみが、そばにいただけの私にも、圧倒されるほどに、確かに伝わったのです。 

5分以上が経過し、あまりにも辛そうなその様子を見かねて、私は精一杯の気持ちで、耳元でBさんに、小声でできるだけ優しく、こう助言しました。

「あまりにもお辛いようでしたら、無理に証言なさらなくていいと思います。

時間もなくなってしまいますし… 話せることに切り替えて、お話しされてみたら どうでしょう…」

 

Bさんは涙を流しながら、私の言葉に、こくこくと2度うなずき、

涙をハンカチで拭いて、深呼吸を何度もし、心を落ち着けてから、別の話に切り替えて話を再開しました。

でも、そのあとに出てきた言葉は、本当に無難な、既に聞いたような話に戻ってしまったため、

(私のしたアドバイスは、本当にあれで良かったのだろうか… 余計なことをしてしまったのではないのか…)

と、その後、何とも言えない後悔と葛藤で、私は悩まされました。

 

最後に、皆さんに一番伝えたいこととして、Bさんはこう言われました。

戦争も、原爆も、本当に恐ろしいものです。

どうか皆さんで… 平和な世界にしてください。

どうか、戦争や、被爆で、『私のような、こんなにも辛い人生を送る羽目になる人間を、2度と出さないで下さい。』 

 

聴いていた外国人の方々は、神妙な顔で、頷かれました。

もちろん、そこにいたみんな、誰一人、そんなことが「自分一人だけで」可能になるなどとは、思っていないに違いないのですがーーー。

それでも、これこそが第一歩なのだと、私も思いながら聴いていました。

 

ーーー制限時間が来て、証言のための時間が終わりました。

私は、(もっと上手に時間をつかって、もっと証言させてあげることはできなかったのか…)と、真剣に悩まずにはいられませんでしたが、

でも、証言を終えたBさんは、聴いて下さったお礼を皆さんに向けて言った後、

それまでには見せなかったような、とても晴れやかな顔に変わられたのです。

 

私は、いったんトイレに行って、誰にも見られないように隠れて、一人で泣かずにはいられませんでした。 

被爆者の方々が味わってきた「地獄の苦しみ」の、その地獄の正体を、少しだけ理解できた気がしました。

人々の無理解や、想像を超えた反応や拒絶などからくる、2重3重に傷つけられてきたであろう実態や、計り知れないほどの孤独・痛みを、Bさんの全身の様子から、このわずかな時間であっても、感じ取ることが出来たからです。

特に、言葉にならなかった5分以上の、「記憶との格闘」で、涙を流され、震えながらも、Bさんが私に見せてくれた「一生懸命な様子」「それでも証言できないほどの深い傷」は、

私の今までの「被爆」に対する、甘い認識さえをも、完全に吹き飛ばしました。

 

私は一人でしばらく泣いて、なんとか気持ちを落ち着けてから、再び会場に戻ったら、

私を見つけたBさんが、「一緒に写真を撮ってほしい」と頼んできました。

私は、泣いた後だったため、見るからに情けない酷い顔をしていると思ったので、写真を撮るのが嫌で、最初は断ったのですが、

「あなたが一緒に写って下さらないと始まらない」と笑顔でBさんに言われ、仕方なく一緒に写真を撮りました。

(あれ、なんでこんなにBさんは元気になったんだろう…?)

私とは完全に逆に、証言前よりも明るい顔になったBさんを見て、私は、そんなことを思いました。

この時はまだ、私はBさんの本当の気持ちをわかっていなかったのです。

 

 

その後、証言を聴いていた外国人の一人が、私に話しかけて、質問をしてきました。

「先ほど、非常に長い時間、何も語れなくなったBさんは、なぜ、あんな風になり、本当は何を語ろうとしていたのだと思いますか。」

私は、自分の推測であることを断りつつ、出てきかかった単語から推測できる自分の見解を伝えました。

その外国人の方は、やっと納得したような顔で、深くうなずき、「良くわかりました。」と答え、深く何かを思われたようでしたが、引き続きいくつかの質問を私にしてきたので、私たちはいくつかの意見をやりとりしました。

その中で、やはり、彼にもBさんの「見せた様子」から、確かに伝わったものがあるということがわかり、私は少しだけ安心しました。

 

私たちが共に過ごした時間は、おそらく、全部合わせても、わずか2時間程度だったかと思うのですが、

最後、別れの挨拶をするときに、私はBさんに、こう言ってしまいました。

「被爆の実態も詳しくなかった私のようなものが、通訳を引き受けたばかりに、貴重な証言時間が短くなり、また、泣いてしまった時間ももったいなくて、本当に申し訳ありませんでした。

やはり、通訳は、私ではないほうが良かったかと…。

もし、私でなければ、もっと多くの証言内容を、効率よく的確に、時間内に伝えることが出来たかもしれないので、本当に実力不足ですみません。」

 

するとBさんは驚いた顔で、

「いいえ、泣いてくださって、私は逆に、嬉しかったんです。」と答えられました。

 

そして、私の手をご自分の両手で丁寧に優しく包み込むと、真剣な表情に変わられ、

まるで土下座でもするかのように、そのまま床に両膝をついて、腰を落として身を低くして、「どうか、どうか聴いて下さい。」と私に真剣に懇願してきたのです。

何事かと驚いて、一緒に腰をかがめた私に、Bさんはこう語られました。

 

「私は、被爆者としてここまで生かされてきたけれども、自分の命はもう、長くないと思っています。いつまで生きられるかわからないんです。

来年まで生きていられるか、正直言って全くわからないし、生きていない可能性さえ高いと思っています。

本当は明日にだって、いついきなり死んでもおかしくない、そんな身なのです。

今まで一度も証言したことはなかったし、そんな気持ちも勇気さえもなかったけれども、

このままでは… このまま死んではいけないと思い、ついにこの歳になって初めて、やっと証言することを決めました。

だけど、いざ決めたら、無償で通訳してくれる人が見つからない、と言われ、落ち込んでいました。

私は、平和のためには、外国の人たちにこそ、原爆と被爆の恐ろしさ、悲しさを、知ってほしかったんです。 

日本だけで戦争を止めるのは無理だからです。

日本だけで平和は作れないからです。

だから、あなたが見つかった、と聞いたときは、本当に嬉しかったし、有難く思いました。

今日、私がここにこうして来ることが出来たのは、あなたが引き受けて下さったからで、他にそんな人は見つからなかったのです。

あなたがいなければ、私は今日、ここで証言することはできませんでした。

だからどうか、『私でなければ良かった』だなんて、それだけは、絶対に言わないでください。」

 

ーー確かに、無償でやってくれる人がいないからこそ、私に話が回ってきたのだし、神様に『私の仕事だ』と言われたことを思い出した私は、頭を下げて、涙を流しながら、Bさんの言葉を有難く胸に収めました。

すると、Bさんは続けて、こう語ったのです。

「先ほども話しましたけど、私は仕事もできず、結婚もできず、ただ、病院と自宅を往復するだけの、何の楽しみも希望もない、そんな人生でした…

天涯孤独の人生、何で自分は生かされたのか、わからなくて 辛くて寂しくて、本当に苦しみ、何度も恨んだりもしました。

だけど、今日、証言し終えた時、本当に わかったんです。

『私には、世界で一番、尊い使命が与えられていたのだ』

ということが…!」

 

最後のこの言葉を、Bさんは、喜びをもって確信しているとばかりに、涙を交えながら、とても大きな声で力強く言ったのです。

そしてさらに、こう続けました。

 

 

ーーーだから、今日は、私の人生で、一番うれしい日。

私の人生で、一番幸せな日、になりました。

 

私は、本当に驚いてしまいました。

今日初めて会い、Bさんよりもはるかに年下の若輩者で、わずか2時間程度しか、一緒に過ごした時間はなかったけれども、

彼女にとっては、人生で一番うれしくて、幸せな日になったというのです。

あれほど、辛そうに、苦しみぬいて証言したにも関わらず、です。

あのBさんの様子を見て、私はむしろ逆に、自分の人生で「最もショックを受けた日」になっていたのですが、

Bさんにとってはその日こそが、「人生で一番うれしくて幸せな日になった」だなんて…

その言葉、その人生のあまりの重さ、壮絶さに、私は震えてしまいました。

 

しかし、

この証言が出来た日を、「人生で一番うれしい、幸せな日」と呼び、

「自分には、『世界で一番尊い使命が与えられていた』とわかった」

力強く語ったBさんの顔は、確かに喜びで輝いていました。

 

私はボロボロと泣きながら頷いて、

「どうかこれからも、証言していってください。」

とBさんに声を振り絞ってお願いしたら、Bさんは驚いたような顔で私を見つめ、

「私はもう…」と言って、静かに首を横に振りました。

(え?)と思った私に、Bさんはこう告げました。

「今日が、最初で最後の証言だと、そう決めて、私はここに来たんです。

そう決めたからこそ、来られたんです。」

Bさんの目は、「そうでなければ、証言はできなかった。辛すぎて、2度と同じことを証言はできない。」と強く訴えておられるようでした。

私は、その日、自分が目の前で見たことを思い出し、無理もないと思い、胸が締め付けられるようでした。

 

「…頼みましたよ。」

 Bさんは、泣いている私の手を両手でぐっと握りしめ、ご自分も涙を浮かべながらも、穏やかな、嬉しそうな表情で私に微笑み、笑顔で私にそう託したのです。

 

私はあまりのことに、涙が溢れて声にならず、頭を深々と下げて、別れました。

もし、Bさんがその後、2度と証言しないというのなら、私は彼女の証言を聴いた、「唯一の日本人」になってしまうのです。

託されたものの、あまりの大きさに押しつぶされそうになりながら、

私はその足で、そのまま広島平和記念公園へ向かいました。

 

 1945年の8月6日に、大勢の命が亡くなったその場所で、私は神様に向かって、心の中で叫びながら祈っていきました。

神様! あなたの人選ミスです! なんで私なんですか? 

私は有名人でも芸能人でもない、政治家になる気も全然ない、もっと他の有名な人だったら、あるいは違う人だったら、大勢に伝えられるかもしれないけれども、なぜ寄りにもよって、被爆の話が苦手だったような私なんですか…!!

彼女は今日を最初で最後の証言と決めていた人です、それをなぜ、私なんかに託されたのですか…?!

 

ーー自分でも、神様に、祈っているのか、怒っているのか、抗議しているのか、懇願しているのか、泣いているのか、もうめちゃくちゃでわからないような感情でした。

 

その時、自分がかつて、「美しいものや優しいものをひたすら見ていたいから、被爆の話は聴きたくないです」などと祈ってしまった自分の祈りを、鮮やかに思い出しました。

そして、これは、神様からの、それへの答えの一つだとわかったのです。

 

神様は、今日お会いしたBさんが、最後に私に見せてくれた姿勢ーーー

それこそが、神様の目には、世界で一番「美しく」「優しい」「尊い」ものとして映っていることーーーが、私にはわかったのです。

私は、激しく泣いて、かつての自分がした祈りを、悔い改めました。

 

しかし、その結果、「世界で一番尊い使命」を託された一人になってしまった私は、

では、いったい誰に、それをまた託せば良いのかーーー

いったい誰に伝えれば、Bさんの想いや、その壮絶すぎる、悲しすぎる人生に報いることになるのかーーー

それを思うと、やはり私には荷が重すぎ、人選ミスに思えて仕方がなく、どうしようもない想いで、その後も泣き続けました。

 

Bさんが生かされた奇跡、その後の孤独な生涯を思い、また、その背後に数えきれないほどの同様の悲劇があることを思うと、涙が止まらず、

この日はただひたすら、自分でもわけがわからないほど号泣しながら、約14万人と言われる人たちが命を落とした、その爆心地に近い地域である「広島平和記念公園」の中を、前が見えないくらい泣きながら、祈りながら、神様に質問を沢山ぶつけながら、ひたすらひたすら、歩き回りました。

 

この日は、今までの私の人生の中で、誰か他人のために、一番泣いた日となりました。

 

この、Bさんとの出会いは、私の人生を、確かに大きく大きく変えてしまいましたけれども

ーーーこれこそが、神様のご計画だったのだと、今はわかります。

 

 

 

ーーーこの出来事があった年の、ちょうど同じ頃、私には、神様(主イエス=キリスト)から、ある「使命」が与えられました。

それは、ある、「『とんでもない条件に該当する人物』を見つけなさい」 というものでした。

 

その条件はあまりにもとんでもなく、あり得なそうな条件だったので、私は思わず笑ってしまい、

(いえ、神様、そんな人はいません!少なくとも私の周りにはいません!)

と即座に答えました。

世界中探しても、そんな人は見つからないのでは、と、その時の私は思ったのです。

 

しかし、神様はそんな私に、ヒントをいくつかくださいました。

半信半疑の私は、

(あの…その人を見つけて、いったいどうするのでしょうか…?)と聴きました。

「見つけたら、その時に教える」というのが、神様からの答えでした。

 

わかりました、と答えたものの、この使命はとても謎めいていて、しかも、困難を極めることが明らかで、見つかる気が全くしませんでした。

しかし、ヒントに従って行動していった長い年月、何年にもわたる、

私の通らされた軌跡・試練・困難・奇跡は、確かにすべて、今日につながったのです。

 

 

長い年月を経て、(やっぱりそんな人いないよね…)と思い、その使命をあきらめかけたある日のこと、

神様(主イエス=キリスト)から私に、今度は全然別の「新たな使命」が下りました。

 

それは、「プルシェンコの後継者を見つけなさい」というものでした。

ーー今度のこれは逆に、笑っちゃうほど簡単だろう、と私は思いました。

あのプルシェンコ選手を初めて見た時の、ものすごい衝撃と感動を思い出せば、それと同じか、それを上回る衝撃があるに決まっている、と私は思ったので、その人が現れたら、すぐにわかるはずで、こんなわかりやすいものはないだろう、と予想したのです。

そしてそれは、実際にそうなりました。

 

しかし、私が全く予想もしておらず、私が想像だに出来なかったのはーーー

ーーーこの「プルシェンコの後継者」となる人と、

はるか前から与えられていた私の使命であり、私が見つけなければならないと言われていた、「とんでもない条件に該当する人物」というのが、

どちらも、実は同じ人だったということです。

 

そんなことは全く知らされていなかったし予想もできなかったので、

「プルシェンコの後継者」を見つけた後も、

途中まで、まさか両者が同じ人だとは全く気づきもせず、想像もせず、考えてもいませんでした。

 

私がかつてBさんから託された、「世界で一番尊い使命」なるものを、

私がさらに託すべき相手として、神様がご計画されていた人が、

この「とんでもない条件に該当する人物」になるのだということさえも、知りませんでした。

 

神様が選んだ「プルシェンコの後継者」であり、 

この「とんでもない条件に該当した人」---つまり、フィギュアスケーターの「羽生結弦選手」は、

私にはあまりに荷が重すぎるとさえ思われた、

「世界で最も尊い使命」でもある、Bさんの証言、Bさんの願い・想いという、

「幸せのかけら」「宝」を、

ひるむことなく、喜んで引き受けて下さるほどの器のある人で、

情熱をもってその使命を果たそうと、この上なく頑張って下さるような方でもあり、

あらゆる妨害や困難にもめげずに、

今、ここを読んで下さっている皆様に、

その「幸せのかけら」を届けたい、伝わるようにと、強く願ってくださっています。

 

Bさんが、「世界で一番尊い使命」だと呼んだ、この「幸せのかけら」を、

世界中の、一人でも多くの人が受け取って下されば、

その先に必ず、多くの人の、本当の「幸せ」が待っていることを、

信じているからですーーー

 

 

「本当に美しいもの、優しいもの」こそを見続けて生きていきたい、などと祈った、

私のかつての、切実な祈りは、

私の想像を超えた、驚きの形で、実現してきました。

 

 

 

ここまでの軌跡の全てを導き、奇跡の全てを起こしてくださった、

全知全能の神であられる、主イエス=キリストに感謝いたします…!

 

 

羽生結弦選手に、心からの感謝を込めてーーー

 

 

 

 

平和を求める祈り

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

 

人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、

唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。

 

※ 注釈 :  

ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、

残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。

自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、

恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。

傷が深ければ深いほど、人間の力や思いでは、到底不可能となる この「ゆるし」は、

その「ゆるすという決断」をすると、その「選択をした決断」を神様がご覧になり、そこに本当の神様の力が働いて、天来の平安、心の慰めや癒しを、奇跡的な形で経験できるようになっていきます。

苦しみの果てに疲れている方や、怒りや恨みが深い場合、日々この「ゆるし」を選択・決断して、心の中で宣言していくことをお勧めいたします。

苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…!

歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…!

主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。

  

 

「人の子(=イエス=キリストのこと)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。

そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊(ひつじ)と山羊(やぎ)を分けるように、

彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王(イエス=キリストのこと、いわゆる『最後の審判』を下す権威者)は右側にいる人たちに言う。

『さあ、わたしの父(=天地創造主の神のこと)に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。

『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。

『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

それから、王は左側にいる人たちにも言う。

『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火(=地獄のこと)に入れ。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』

すると、彼らも答える。

『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

そこで、王は答える。

『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

こうして、この者どもは永遠の罰を受け(=地獄に行くことを指す)、正しい人たちは永遠の命にあずかる(=天国に行くこと)のである。」

 

(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書25章31~46節  新約聖書 新共同訳より)

 

 注) 羊(ひつじ)= イエス=キリストに従う人たちの象徴 表現

   山羊 (やぎ) = イエス=キリストに反逆する人たちの象徴 表現

 

 

 

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4 コメント

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Unknown (えみ)
2019-12-05 09:03:32
とてもとても貴重なお話を、勇気を持って書いてくださり、本当にありがとうございます。広島にかつて住んでおりましたが、このように生き抜いてきた方がいらっしゃるなんて、全くしりませんでした。
心からへいわを願ってやみません。この度の記事は、深く心に留めおきます。
重ね重ねありがとうございました‼️
こちらこそありがとうございます (管理人)
2019-12-06 01:56:59
>えみ様

こちらこそ、どうもありがとうございます。
私がここにこれをついに書くことが出来たのは、ここまでの、長きにわたる神様(主イエス=キリスト)の導きのおかげでもあり、また、使命として受け止めて本気で頑張って下さる、羽生選手のおかげでもあります。

Bさんのような方がいたことを知っている方は、広島の方でも、ほとんどいないのではないかと思います。
証言されたことがなかったそうですし、いろいろ調べても、彼女の証言と思われるものの記録はなく、本当にあの日が最初で最後になったのでは…と私は今、強く思っていて、だからこそ、
これを書く過程では、本当に私自身が何度も何度も涙が止まらなくなって、書くのを中断せざるを得ませんでした。

しかし、Bさんのお気持ちを思うと、そして羽生選手の置かれている状況、ここまでの頑張りと決意を思うと、今出す必要があると思い、公開させていただきました。

それでも、ここに書いた「奇跡」の「軌跡」は、ほんの10分の1程度でしかないと思えるほど、本当にいろいろなことがありました。

私は、自分が被爆者なわけでもなく、自分がBさんの人生を体験したわけでもないのに、それでも、思い出して書くだけでも、本当に、自分でも経験したことがないと思うほどつらかったので、それを「自分の人生」として送られた彼女が、証言するのがどれほど辛かったかと思うと、今でも胸が張り裂けそうな思いがします。

私の「文章」から、伝わるものがどれほどのものかわかりませんが、
少しでも何かを感じていていただけたなら、私も羽生選手も幸いです。

えみさんのような感想をいただけることは、羽生選手にとっても、とても嬉しいことだと思います。
こちらこそ、コメントをありがとうございました。

プログラム「Origin」は、もう一つ出してある、元特攻隊員だったA牧師のことのページと、この奇跡の被爆生存者のBさんのことと、
その両方を合わせて、2大柱として考えていただけると幸いに思います。
どちらの側面も大事だからです。

その上に、羽生選手の理想や、プルシェンコさんへのリスペクトを込めた、羽生選手の思い入れのある、渾身の演技であるとご理解いただけると、羽生選手も嬉しいだろうと思います!

間違っても、悪魔的なものを喜ぶようなプログラムでも、悪魔に従うプログラムでもないことは、絶対にご理解いただきたいです!

羽生選手の目指す理想の完成形・本当の想い、そして、羽生選手の深い優しさが、少しでも正しく伝わることを願っています…!

羽生選手に、神様からの絶大な守りと、大いなる祝福がありますように…♪
主イエス=キリストの御名によって祈ります!アーメン。
Unknown (abcde456123kjki789)
2019-12-06 15:47:51
羽生結弦グランプリプァイナル、ショートざんねんでしたね、フリー頑張つてね😃きんちようしないでね、おうえんしてます
Unknown (abcde456123kjki789)
2019-12-06 15:48:30
羽生結弦フリーがんばってね

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