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プロフィギュアスケーター羽生結弦 公式サイト Yuzuru Hanyu's Official Site 花を咲かせよう!

フィギュアスケートのプロでアスリート、
表現者・羽生結弦監修・運営の公式・広報サイト 
teamSirius広報

羽生結弦・広島公演が実現した2025年は戦後80年!平和への祈り~日本・アメリカ・中国・韓国のための「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の写真で知る「原爆投下」の真実と祈り

2025-08-20 | プロフィギュアスケーターでプロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!
「天と地と」の衣装はカナダのマシュー・キャロンさんデザイン&製作、「Believe」「花は咲く」「希望の歌」の朝焼けのオレンジ色の衣装は、本当のデザイナーで製作者は、永島正さんです!(公式情報)Yuzuru’s costume of ”Heaven and Earth”was designed and created by Matheiu Caron(Canada), ”Believe” was designed and created by SEI NAGASHIMA (Official info.)(※バラード第一番の最初の衣装を作られた方です。)SEI NAGASHIMA created also Yuzuru’s costume of "Ballade No.1 in G minor,Op.23 Chopin"in 2014-2015
このページは、初公開が2019年の8月15日です。当時からの 羽生結弦の真実と使命が証明されているこのページを再UPします!
 
 
 
 
「広島、長崎忘れてはいけない」 | 中国新聞デジタル 「バチカンのパロリン国務長官(首相に相当)は原爆投下が「日本の歴史を形作り、その後の揺るぎない平和への取り組みにつながっている」と指摘。」
 
※ ご注意:羽生結弦も公式サイト共同管理人も、戦前の大日本帝国憲法に戻すべきだの、戻したいなどとは、全く思っていませんし、それは大変危険なことだと思っていて、それは二人の共通で一致した想いですので、どうぞ誤解なきよう、十分にご注意下さい。

元妻詐欺と、同姓同名詐欺、羽生結弦へのしつこい悪魔イメージ強要を今日まで繰り返し、羽生結弦と当公式サイトへの名誉毀損と信用毀損を長年繰り返してきた者たちは、以下の広島の被曝者証言や、戦争に関する元特攻隊員の証言をつぶすこととが狙いだったり、戦前の大日本帝国憲法に戻したいようなことを主張する人たちだったり、炎上商法をしかけるのが好きな戦争賛同者でしたので、ぜひ知っておいて下さい。どれだけ天皇家の意志とはそのような行為や思いが正反対なのか、下の記事群で、よくご確認頂けると思います!

羽生結弦と、日本と世界の平和への想いを広島・長崎と共に継承する~「春よ、来い」「天と地と」「SEIMEI」「Origin」他プログラムたちの背景にある、 広島の奇跡の生存被爆者から受け継いだ証言

戦後80年目、世界の要人の広島・長崎訪問ラッシュが続いていることは本当に幸いです。広島と長崎の記録と証言の、世界における重要性は、何よりも高まっていると思います! 万博→広島訪問ラッシュ 世界各国の要人たちが残した言葉 | 毎日新聞   【写真まとめ】天皇、皇后両陛下、広島へ 原爆死没者慰霊碑に供花 [広島県] [戦後80年]:朝日新聞 「多くの人に体験を伝え続けて」陛下 被爆体験を次の世代へ 被爆者は天皇皇后両陛下の広島訪問が後押しになることを期待  【両陛下】被爆者や若い世代の「伝承者」と懇談 戦後80年にあたり広島訪問中  【戦後80年 長編映像】両陛下即位後初めて被爆地で慰霊 原爆慰霊碑に供花〜戦争の記憶に向き合う2日間(日テレのかなりの長編記録です)

天皇皇后両陛下 広島訪問初日を終えての感想「広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たに」(2025年6月20日掲載)  陛下が広島訪問の感想「被爆体験や平和の大切さの『伝承』の意義を改めて感じる」

しかし、私たちの本国は天にあります。」(フィリピの信徒への手紙3:20 聖書・新共同訳より)

 
『Echoes of Life』広島公演、 たくさん応援していただき、 そしてたくさん見ていただき、 本当にありがとうございました! 広島で公演できてよかったと、心から思いました。 平和な世界でありますように 皆さんに幸せがたくさんありますように もっと頑張ります! 何も残らないように、全てを祈りに捧げました。 一生懸命をできたかなって思えています。羽生結弦」

CAUTION! Yuzuru has never divorced from anyone at all!Please be careful with this fake news!(Official Information from Yuzuru Hanyu)

 この記念碑ではなくなった方は20万人を超えると書かれています
世界遺産でもあります  羽生結弦の2歳の誕生日の時(1996年12月7日)に 世界遺産に登録された原爆ドーム
 平和記念公園のバラ園から見える原爆ドーム
 
2024年7月8日:羽生結弦が、国際スポーツプレス協会(AIPS)の過去100年間のベストアスリート投票で、トップ6位に選出され、日本人としても冬季競技でも唯一。www.aipsmedia.com 世界137か国から 913人のスポーツジャーナリストの投票で、大変感謝です!!【過去100年のベストアスリート 】羽生結弦が過去100年のベストアスリートの6位に選出

Costume : Designed and created by Mathieu Caron,Shizuko Orihara, Nao Adachi, and secret person  Caution!   Yuzuru has been threatened by intimidators again,  so that the false name of costume designer is written in his Youtube now.  Please never spread this name who has no right to the world for Yuzuru! Thank you for your cooperation!   

広島・長崎原爆が投下され、第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結してから80年目となる今年。戦時中の悲劇と痛み、数えきれないほどの被爆者および戦争犠牲者への追悼と未来の平和のために、心よりお祈り申し上げます。

羽生結弦より重大なお知らせ: 「天と地と」の衣装は、2年分ともカナダのマシュー・キャロンさんの衣装です!羽生選手のフリー「天と地と」は、大河ドラマ「天と地と」の楽曲と「新・平家物語」の2つの楽曲を、わざわざ組み合わせて創られています。「新・平家物語」 広島市公式) 

脅迫と強要に屈しない、脅迫者たちに絶対に利益を渡さない、明るい社会、希望ある未来へ! 【全文掲載】G7首脳、平和記念公園で「核兵器のない世界」へ決意を綴る 記帳内容公開 首脳らが原爆資料館を視察

これは、初掲載2019年8月15日のページです。羽生選手の25歳の誕生日に、何を出すのかはこの時には既に羽生結弦と決めていました。(羽生選手の25歳の誕生日に公開した記事はこちらです!クリック)

内村航平さん「僕も羽生結弦くんも知っている」五輪とは 「notte stellata」直前インタビュー2 - スポーツ報知 羽生結弦選手は、自分に与えられている使命を信じ、神(イエス=キリスト)に信頼していた、それに尽きるし、だからこそ、その後の4年間があり、今がある。

イエス=キリストの言葉 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11章28-30節)

北京五輪本当のSPは「白鳥」でしたが脅迫で無理やりつぶされ、羽生結弦本人と多数の関係者たちが同姓同名詐欺者によって虚偽告訴までされましたが、羽生結弦側の主張と真実は裁判で認定済(羽生結弦が現役最後に「最も自分らしい曲」としてこだわって選んだ、渾身の本当のSPです)

【100歳の元特攻隊員】裏千家15代家元・千玄室さん 茶人が伝える“平和への思い” 終戦から78年【newsおかえり特集】   終戦77年、不戦の誓い新た 天皇陛下「深い反省」 コロナで3年連続縮小・戦没者追悼式

【池上解説】核兵器の現状  (166) 【家族伝承者】父から受け継ぐ「原爆の記憶」 - YouTube

「広島駅は命の恩人」85歳の被爆者が語る思い 様々な出会いをくれた旅のスタート地点は「生きる原点」

羽生結弦は現在、プロアスリートとして、被爆者や戦争犠牲者の心を傷つける、悪魔や卑猥妄想の衣装にされた、黒と紫の2つのOrigin衣装を、自分の作品の一部としては認めていません。脅迫されるライターや企業は、その被害と本当の脅迫者を警察に必ず通報していただけますと幸いです。いつの時代も、嘘と不正と虚偽流布で大勢の人がだまされて真実が伏せられ、その積み重ねの上に戦争は起きる。

報知新聞社写真展 矢口さん写真より

北京五輪・EXの 羽生選手の演技「春よ、来い」はこのページと深く関係があります。北京五輪の羽生選手のEX「春よ、来い」の衣装は、2018年の最初からずっと、羽生選手本人の希望を反映させた衣装で、足立奈緒さんがデザイン&製作です

「嘘」でも「虚偽」でも「ねつ造」でもない、「真実」を伝え、「真実」を知る勇気の大事さ…「ウソを守り通す」ことの「恐ろしさ」「罪深さ」 を知らずして、本当の平和など、決して実現できません。

 「神よ、わたしに変えることのできないものは、それをすなおに受け入れるような心の平和を、変えることのできるものは、それを変える勇気を、そして変えられるものと変えられないものとを、見分ける知恵を、このわたしにお与えください。主イエス=キリストの御名によって。アーメン。」(「心の平和の祈り」より)

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初掲載が2019年8月15日だったこのページを、再UPします!

このページの後半には、現在の広島にあるもの、広島原爆により命を落とし、犠牲となった、日本人・アメリカ人・中国人・韓国人の方々のための祈りと、日本語・英語・中国語・韓国語 で説明が書かれている写真が掲載されています。

このページは、今から約3年半前に初掲載した内容のため、ここのタイトルは最初、「戦後74年」となっていましたが、2025年の今年で、戦後80になるところですので、誤解を招かないために、今回、タイトルを「戦後80年」に変更いたしました。 黙っていたら決していけない被害というものがある。放置したらいつか必ず、その結果に自分も巻き込まれることになるのです。

2020年8月:原爆投下後、当初は「今後75年は草木も生えないであろう」などと言われた広島。その75年目が、今年でした。この75年間、世界中のどこよりも、切実な祈りと嘆き、涙が積まれてきた場所でもあるかと思います。思い出すのも語るのも辛いはずの中、自分の身を切るようにして、この悲劇の真実を伝えようと生きた人たち、そのことに全ての生命力を注いだ人たち、ただそのためにのみ生き抜いた人たちがいます。いずれ、実際に目撃・体験した証言者たちが一人もいなくなる日が来る… 今でなければならないこと、今しかできないこと、今決してしてはならないこと、というのがある。

 ←「もうすぐ春が来る」というタイミングで咲く、「じんちょうげ(沈丁花)」の花です!「春よ、来い」の歌詞の冒頭に出てきます。

12月7日(日本時間では12月8日)は、羽生選手の誕生日ですが、真珠湾攻撃により 日本が太平洋戦争を始めてしまった日でした。それにより日本は、2つの原爆投下がされるまで戦争をやめない状態に突入します。

祈りや信仰は強制されるものではないし強制できるものでもありませんが、本当の天地創造主への祈りは、いつでもどこからでもできるのであって、真に心を込めてその場から祈るならば、神様はもちろん、その祈りと、その人の心をご覧になっています。御心ある方々は 今も国際社会を脅かす闇の力に対して、真の天地創造主たる神様の適切なお取り扱いがありますようにと、真の神・主イエス=キリストの御名で共にお祈りいただけますと幸いです。アーメン。

御心ある方々は、広島・長崎の被爆者・犠牲者の方々、日本側が殺した真珠湾攻撃の犠牲者の方々のことをも、そして全ての戦争犠牲者の方々を思い、共に平和のために 真の天地創造主たる神であり、罪を赦す唯一の権威をもつ主イエス=キリストに お祈りいただけますと幸いです。聖書では、神ではないものを神だとする罪は非常に重いものです。

長崎の平和式典で被爆者代表を務めた92歳の岡さんは、76年間沈黙を貫かれましたが、証言を開始されました。映像こちら 証言記事はこちら 

祈りや黙とうというのは、本来は決して他人に強制されてはならないし、強制される類のものではありません。 大事なのは、自発的な想い、本当の心からの祈りであって、ただのポーズは神様も見抜くし、何の意味もありません。神様は、ただのポーズには答えません。何かの善行をすれば罪が帳消しになることはないと、聖書は明確に告げています。 9日は長崎の原爆投下の日。日本の被爆地は広島だけでなく、長崎もなので…!

2021年7月16日に、IOCのバッハ会長が広島を訪れて被爆者の方と対談

日本の元同盟国だったドイツは、ヒトラーへの反省もあり、戦争に関する教訓の教育が日本よりはるかに熱心です。現地に行ってみないと、決してわからないもの、現地で初めて感じられるもの、というのがあります。

本気で世界に伝えようとされたことがあるなら、必ずわかると思いますけど、被爆や原爆関連の話を、外国人が率先して聴いてくれる、あるいは知ろうとしてくれる機会というのは、ほとんどありません。だけど、実際に広島に行って「見たら」、少なくとも「人間の感性」のある方なら、意識は必ず変わると私は思います。

何がきっかけであったとしても、被爆の実態というのは、世界の多くの人に、少しでも知ってもらう必要のあることで、この点に反対な被爆者はいないことでしょう。「なんとか党」だから、という視野の狭い利益にこだわっていると、大事なものも、大事な機会をも失ってしまいます。

羽生選手と私は、特定のどこかの政党のために何かをやってきたわけではありません。一人の人間として、未来の日本のために、未来の世代・子供たちのために、未来の世界のあるべき姿のために、何が出来るのかーーー ただ その想いで、ここまでやってきました。

私たちに「想い」「真実の証言」を託して下さった方々は、本当に命がけの想いで、身を切るようにしてその事実を伝え、その人生を生き抜いて、後世の私たちのために、私たちが享受している現代の恩恵や、さらにその先の未来のために、真剣に行動した方々だったからこそ、私たちも その想いを無にすることがないようにと、その姿勢を見習って、ここまで本気で、これ以上ないほど真剣に頑張ってきたつもりです。それを、わざわざ侮辱に変えようと躍起になる人たちがいても、真実は全て神様がご存知ですし、本当の神の目を欺くことはできません。

今、大変な困難な中にある日本が、お一人お一人が誠実に「本来与えられている使命」「本当の使命」を、それぞれの場で責任のある人たちが責任を果たし、天地創造主の神が、最善の道だけを開いて、日本と世界を覆う困難を 多くの人たちの祝福へと変えて下さいますように、全てを主の御手に委ねて、主イエス=キリストの御名によってお祈りいたします!アーメン。

2021年4月20日:国別対抗戦の番組宣伝での羽生選手の映像とコメント 羽生選手コメント「日本の選手団、そして、観ている方々の想いとかも、全部ひっくるめて、世界に届くような演技になったらいいなというふうに 思います!」

 2021年3月11日:東日本大震災からちょうど10年目の日ですが、なんと広島が、全国でトップを切っての、「桜の開花宣言」の日となりました!こちらの記事より)ちょっと感動ですね!(笑)

朝日新聞がポッドキャストで被爆証言を音声で残す試み開始・こちらから 

2020年7月30日: 「黒い雨」訴訟の原告側の想いや事情を取材した記事と番組。被害地域の線引き問題は、福島の原発問題でも、被災地域の補償問題でも生じていたし、人々を分断させていきます。いつの時代も不正の富を狙う一部の人の影響によって、本当に苦しんできた人が泣き寝入りさせられることが多々起きる。

長い苦しみ、何重に重ねられる無理解や誤解や差別や嫌がらせ、何重にもなされる心の傷に耐えられずに沈黙してきた方々や、必死で耐えて行動してきた方々が、少しでも癒されて支えられて生きていける、せめてもの思いやりのある国、社会になりますように、尽力しながらも、既に天に召された方々が報われますように、主イエス=キリストの御名で祈ります!アーメン

既に散々心に傷を負わされて、精神負担を多大に負っている被害者が声を上げると言う行為が、どれほど当人たちにとって精神負担が重くて大変なことか、どれほどキツイことなのかと言うのは、もっと理解されなければならないと、私は強く思います。

2020年7月7日追記: 羽生選手の希望により、Origin衣装に本当は羽生選手が込めたかった想い、紫の意味するところはこちらの記事で公開中! さらにもう一つの、関連記事のこちらもどうぞ。

「4月21日」の意味との関連もわかるかと思います。「花」がなぜ大事だったか、伝わると幸いです。技術妨害となる「立体装飾花」がどれほど残酷な妨害だったかも、わかるでしょう。大けがを負って体育教師を2度と出来なくなった「星野富弘さん」のことを紹介したのは、素晴らしい絵をお描きになるからこそ紹介した私でしたが、わざと怪我につながる「技術妨害」衣装を仕掛ける人を、もてはやしたり放置することは、私には考えられないほど恐ろしいことですし、信じがたい人権侵害です。

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2020年7月2日追記:2年前の今日、国民栄誉賞受賞した時の羽生選手の一問一答をこちらで再掲載!羽生選手の考え方や想いやここまでの背景、何を目指して頑張ってきたか、五輪前からの真実は何かなど、改めて色々わかると思います。国民栄誉賞などを狙ってここまで頑張ってきたわけでは全くなかったのでこの展開には驚いたけれども、ここにくるまでの真実の結果としては、深い意味があったと強く思います。その人に担えない使命を、神様は与えない。「品格ある美しき黒」の仙台平(仙臺平)はとても似合っていましたね!同じ色でも、非常に様々な色がありますから。

2020年6月10日追記: ToshIさんがさらに証言。感謝です。 映像・羽生選手ととしさんの膝まづいた丁寧な挨拶は、奇跡の生存被爆者のBさんの最後の姿を思い出し、思わず涙が出ました。羽生選手は深く考えて演技できる優しい人です。

アイスショーでの羽生選手のコラボの時、どれほど細かいところにまでこだわってリハーサルを重ねているかを証言! としさんが「なぜリハーサルなのにそんなに全力なのか」と質問したら、「一生懸命にやることしか能がない」と笑顔で答えた羽生選手の話。  

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これは、初掲載2019年8月15日のページです。

羽生選手の25歳の誕生日に、何を出すのかはこの時には既に決まっていました。(羽生選手の25歳の誕生日に公開した記事はこちらです!クリック)

Originは、アメリカに抗議するためのプログラムやケンカを売るプログラムでもなければ、日本が間違った優越感に浸るプログラムでもないし、まして、悪魔的なものを喜ぶプログラムでも、羽生選手が妄想対象にされるようなプログラムでもありません。

戦争とは結局、陰湿な犯罪と陰湿な嘘の、積み重ねの上に成り立つもので、「究極の人権侵害」が特徴だと私は思います。でもこの「人権侵害」は、戦争がなくたって行われています。

神様が見ているのは、「一人ひとり」の行動ですし、判断が下されるのも、一人一人に対してです。個人の自由と意思決定が尊重され、保障されますように、闇は徹底して暴かれ、裁かれますように、主イエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。

2017年の春に引退表明をしたプルシェンコさんが、直後のアイスショーで、日本のために「Pray for Japan」を演技。プルシェンコさんの、長年の驚異的な活躍とフィギュアスケート界への圧倒的発展と人気への貢献、羽生選手の憧れであり続け、想いを常にくみとって下さった、陰ながらの数えきれない程の配慮に心からの感謝を込めて… ♪

 

2019年11月4日: 広島に続き、同じく原爆投下の被爆地となった、「長崎」の公式サイトへのリンクも追加しておきます。 国立長崎原爆死没者追悼記念館 の公式サイトへのリンクはこちらから  追悼記念館の紹介ビデオへのリンク(公式・約3分間) クリックどうぞ  Nagasaki National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims (official website)

English Video tour for the memorial Hall (Nagasaki) Long Version (3 minutes) Chinese (China)(简体中文)     祈念馆宣传片 长片(3分) Korean (한국어)     기념관 소개 영상 롱버전(3분)

 初掲載    2019年8月15日

2019年8月15日は、戦後、74回目の「終戦の日」でした。当時の「大日本帝国軍」の間違った「野望」と、「原爆投下」という結果の 最大の被害者となったといってもよい、広島と長崎の被爆者の方々、当時の残酷すぎる被爆地の惨状を想い、止めることのできなかった人々の、すべての深い悔い改めと、計り知れないほど深い悲しみと慟哭とを思いながら、このページを祈りを込めて捧げます。

広島の「平和記念公園」内にある、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(長い名前ですが…)

Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims  を、今日は写真でご紹介したいと思います。

こちらが、その日本語の公式ホームページです。「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(クリックどうぞ)

英語による公式ホームページはこちら。Hiroshima National Peace Memorial Hall for the Atomic Bomb Victims(English)

中国語による公式ホームページ(中文)(Chinese)   韓国語による公式ホームぺージ  (한국)(한글)(Korean) (Hangul)  

当時、広島と長崎への原爆投下による、被爆の犠牲となったのは、日本人だけでなく、当時日本の植民地であった朝鮮半島出身の方々も多数いただけでなく、中国出身者・東南アジア出身者・さらには、アメリカ軍の捕虜だった方々、当時 半強制的に徴用された人々も多数含まれていて、(施設内公式説明文より)

それらすべての方々のための、追悼施設となっています。(もう一つの被爆地、長崎にも、同様の施設があります。)

「広島」に観光や「修学旅行」などに行かれるなら、「平和記念資料館」(原爆資料館)   Hiroshima Peace Memorial Museum (Official English Website) には、みなさん必ず行かれるだろうとは思うのですが、広島に行くなら、時間をとってでも、ぜひ同時に立ち寄っていただきたい、広島平和記念公園内にある別の施設が、これです。

追悼施設ですので、写真撮影禁止のものも結構ありましたので、ここに載せられるのは、本当に一部の、限られたもののみですが、行ったことのない方々や、興味もなかった方々、そして諸事情で、動きたくても動くことのできない方々、何よりも、羽生選手を応援している、日本と世界の方々すべてに、少しでも伝わるものがあれば、幸いです…

まず最初に、下の写真。これは、タイトルにある追悼平和祈念館とは関係ありませんが、広島平和記念公園内の、平和記念資料館のすぐそばに建てられている、「マルセル・ジュノー博士」という方の記念碑です。

広島が原爆投下による被爆後、最初に人々を助けるために、広島に薬を持ち込んで治療したといわれる、お医者さんです。何一つ、治療に使えるようなものがなかった「悲惨そのもの」「地獄そのもの」だったといわれる原爆投下後のすぐ後の時期に、本当に多くの人が、この方の勇気と行動力のおかげで助かったり、もはや死を待つだけの状態でも、まともな人間的な扱いをしてもらえ、心救われたり、あるいは、やっと治療のようなものを受けられたのだといいます。

本当に多くの方に感謝されている、偉大な博士だということで、心からの感謝を込めて、建てられています。

 人間を、ただの研究対象としてみなしたり、あるいは、人間をただのモノや奴隷のように扱うのではなく、心があり、人生があり、家族もいて、血が通っていて生きていた、一人の「人として」 接すること、扱うことの大切さは、当たり前のようで、全然当たり前でないのがむしろ当然だった「戦時中」の恐ろしいまでの異常さや、人々の感覚がマヒしていく現実の恐ろしさ、そして、多くの人がそのようなものと命を懸けて闘ってきた、過去の壮大な歴史を思いながら、今日と未来に、少しでも生かしていきたいですね…

 

上のものは、下の写真「原爆の子」の像の建立のきっかけとなりモデルとなった、「禎子さん」(さだこ)についての説明です。説明文を、下に転載してみます。

「原爆の影響と思われる白血病でなくなったのは、禎子さんだけではありません。被爆から何年もたって白血病などの「原爆症」を発症し、子供がなくなることは、当時報道を通じて広く知られていました。このことも「原爆の子の像」建立運動を後押ししました。」 と書かれています。

 上の写真が、「原爆の子の像」と呼ばれるモニュメントです。 折り鶴を掲げている少女の像で、平和への祈りを象徴しています。

広島と原爆について調べるとき、「サダコ」という少女の名前がよく出てきます。佐々木禎子(ささきさだこ)さんは、2さいで被爆(ひばく)し、10年もたってから、白血病(はっけつびょう)で 短い一生を終えたけれども、最後まで生きる希望をもって白血病とたたかった少女のことです。 

このモニュメントのモデルとなった少女「禎子(さだこ)」さんについての情報やアニメが、こちらの、「キッズ広島平和ステーション」という公式HPで公開されています。(日本語版)  「Kids Peace Station Hiroshima」Official website (English)

↑ Hiroshima was the first city in the world to suffer an atomic bombing. That terrible experience gave us a new understanding of the cruelty of war, the terror of nuclear weapons, and the importance of peace. Until the day when all people on Earth can live in peace, we will continuously send messages of peace from Hiroshima to the world.

Anyone who studies Hiroshima and the atomic bombing is likely to encounter
the story of a girl named Sadako.
 Sadako Sasaki experienced the atomic bombing at the age of two. Struck by
leukemia ten years later, her short life ended.
 Through Sadako Sasaki, people around the world have come to understand how
war makes children suffer-in particular, the unhappiness inflicted on them
by the atomic bombing. And they take courage from the image of Sadako battling leukemia
and clinging to her hope for life till the end.
 Sadako was one of the many children who suffered and died because of the atomic bomb. Let us use her short, twelve-year life to learn about the damage the bombing brought.

こちらが、世界遺産となっている、有名な「原爆ドーム」。原爆投下の 爆心地付近にあって、今もその当時の惨状を伝え続けている、大切な建物です。無残な姿が、原爆の威力と、その同じ威力の下で命を一瞬で奪われた、多くの人の悲しみ、尊い人生を、今日にまで伝えてくれています…

 違う角度から、さらに2枚。

 

 「平和祈念・死没者追悼空間」の入り口前にある説明です。

下の写真は、その空間の一部ですが、360度ぐるっと見渡す限り、当時の原爆投下直後の広島の爆心地付近から見た景色になっていて、その下には、それぞれの方角に存在していた、焼け野原となった 当時の「町の名前」が記されています。細かいタイルでできていますが、この細かいタイルの数すべてが、なんと、犠牲となった被爆者の数を表しているとのことです!! (360度分すべてです) あまりにも細かく、数が多すぎて、わけがわからないほどです…!!見ていて気が遠くなります。

14万人、なんて数を言われてもピンとこない人は多いと思いますので、その犠牲者のあまりの多さに改めて絶句させられます…

この追悼空間の真ん中には、被爆により残酷なまでに無残な姿で、熱く焼けるような苦しみの中、水を求め、欲しがっても飲むことができないまま亡くなっていった、多くの犠牲者を悼み、絶えずキレイな水が湧き出て流れている形になっているのですが、その噴水は、原爆投下の時刻、8時15分を象徴するデザインにしてあります。

こちらが、公式HP内の、より広範囲で見たこの追悼空間の写真です。(←クリックどうぞ)

以下は、4か国語による、原爆投下時の状況の説明文です。

上から、日本語、英語、中国語、韓国語、で書かれています。(写真から、それぞれの言語で読んでいただけるとよいのですが…)

 

原爆投下直後に、爆心地付近となる広島市内を撮影した、当時の写真。

ほかにも、被爆により亡くなった方々すべての名前が、次々と画面に表示されて流れていく追悼スペースや、当時の体験・証言を、映像によりプチ・シアター形式になって 映画のように見ることのできるスペースなど、いろいろあります。 (日本語と英語の両方で説明)

この証言の再現映画は、涙なしでは見ることも聞くこともできない、本当に胸に迫るものでした。当時の方々の生活と、被爆直前・直後がどんなことが起きていて、それぞれ、一人一人がどんな目にあって、どんな恐ろしいほどの悲しみを目の前にさせられたのか、よくわかるものになっています。

そして、この祈念館の中には、膨大な、被爆者たちの証言資料がおいてあり、検索できる図書室のようなスペースがあり、パソコンからも、あるいは、そこにある膨大な数の本・証言集などからも、見ることができるようになっています。

このページの一番最初に載せた、この施設の 公式ホームページ内からも、かなりの情報を検索できるようになっています。 

さらに、広島と長崎の両方の原爆死没者の証言集を合わせた、公式ホームページから、様々な方の証言を読むことができます。(クリック)  このページはここまで…

もっと詳細に当時の現状を克明に記し、被爆の実態と原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさ、悲惨さを伝えているのが、 「広島平和記念資料館」(原爆資料館)    Hiroshima Peace Memorial Museum (Official English Website) 

平和を求める祈り

神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。

※ 注釈 :ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。※ 加害者が被害者に赦しを権力や暴力や脅迫で強制することは決してできませんし、その場合は加害者が神に赦されません。自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。

傷が深ければ深いほど、人間の力や思いでは、到底不可能となる この「ゆるし」は、その「ゆるすという決断」をすると、その「選択をした決断」を神様がご覧になり、そこに本当の神様の力が働いて、天来の平安、心の慰めや癒しを、奇跡的な形で経験できるようになっていきます。

苦しみの果てに疲れている方や、怒りや恨みが深い場合、日々この「ゆるし」を選択・決断して、心の中で宣言していくことをお勧めいたします。苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…!歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…! 主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。



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